サン=サーラ...   作:ドラケン

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第九章 理想幹
理想の種子 根幹へと Ⅰ


 ものべーの作り出す朝日の眩しさに目を覚まして、身嗜みを整える。時刻は七時前、物部学園の校舎は相変わらず静かだった。

 上履きに履き換えて、リノリウムの廊下を踏み締める。それだけで、まだニンゲンだった頃……学生の巽空に戻った気すらしてくる。

 

 詰まらない感傷を拭い去り、彼は扉を開く。己に課せられた役割を果たす為に――……

 

「空ィ、朝メシまだかよ〜」

「ボクもうお腹ぺこぺこだよ〜」

「なら自分で作れやァァァッ!!」

 

 バンバンとテーブルを叩くソルとルプトナに向けて、アキは叫ぶ。希美がファイム化した上に沙月が行方不明となり、学生も降ろしている為に食事係が激減したのだ。そこに帰ってきた、割とまともな食事係だ。こき使われない道理はない。

 

 エプロンを身に付けて、とにかく一度に大量に作れる調理を行う。昨日はカレー、勿論、ジャガ芋は入れていない。大鍋の中の二日目のカレーは中々深い味わいだ。

 因みに、好みで辛口にしたのは女性陣に物凄く不評だった。

 

「遅いぞ、巽。下拵えは済ませてある」

「悪い、暁……後は全部俺が作る」

 

 先に厨房に居た絶……トーストしたパンとカツレツを作っていた貴重な食事係の一人に断りを入れて、アキは包丁を取る。その時に回転させたのは【真如】を手にする時と同じ、気合いを入れた証拠だ。

 

「ナナシが世話になったと聞いている。迷惑を掛けた」

「どっちかと言うと、俺の方が面倒見て貰った感じだけどな」

「全くです、もう少しで守護者に捻り潰されるところでした」

 

 キャベツを千切りしつつ、アキは話し掛けて来た絶に視線を移す事無く答えた。それに絶の肩に乗るナナシは、ジト目でアキを睨む。

 

「事実は小説よりも奇なり、か」

「なんだよ、薮から棒に……」

「殺し合った相手と並んで食事の用意。退屈しないな、生きていると言うのは」

「当たり前だろ。生き続ける限り、驚きと革新の連続だ」

 

 ニヒリスト達の会話は無駄が無い。それで全てを理解し合い、後は特に何も話さず調理に没頭する。

 

「では、先に食事を取らせて貰うとするか」

「あいよ、朝から胸やけしそうだぜ……」

「マスター、衝撃波の許可を」

 

 『カオスインパクト』を発動しそうなナナシに絶は苦笑して、同じ皿から食事を取るのだろう、完成させたカツサンドを持って歩き去っていく。

 

「お早う、絶」

「お早う、望。今日も希美ちゃんと同伴出勤とは恐れ入る」

「茶化すなよ……」

 

 そんな絶に食堂に入って来た望が声を掛けた。その後ろには希美……ファイムの姿。相剋の神名が覚醒して以降はずっと、ああして望の傍に控えている。

 

「……お兄ちゃん? おーにーいーちゃーん!」

 

 温めなおした残り物のカレーをよそう。彼とて判っているのだ、仕方ない事だと。今までも二人は仲が良かったし、いつも引っ付いていた印象もある。

 

「……ハァ」

「んもぅ、お兄ちゃんっ!」

 

 溜息を落とした彼のお玉を握る手を、小さな手が掴む。

 驚き見れば制服姿のユーフォリアと、『やっぱり制服は裾が短くて恥ずかしいです……』という訳で、旧制服を着る時は黒いタイツを穿くようになったアイオネア。

 

「っユーフィー、アイ……なんか用か?」

「用っていうか……あの」

 

 なお、この二人は相部屋で生活している。『妙齢の男女が同室なのは戴けない』として、アイオネアは仲の良いユーフォリアと相部屋で生活する事になったのだ。

 

「兄さま……カレールーが溢れてますよ……」

 

 どばりと掛けられ続けたルーは、皿から溢れてもう一度鍋に戻っている……と言うか。

 

「――熱ァァァッ!?」

 

 勿論、熱々のカレールーに塗れた右手を即座に冷やす羽目になったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 食事を用意し直して席に着く。目の前にソルとルプトナ、左側にアイオネアとユーフォリアの五人でテーブルを占拠した形になる。

 

「……ねぇ空。希美が望にべったりなの、どうにかならない?」

「――んグッ!?!」

 

 開口一番、ルプトナはそんな事を言ってのけた。アキは思わず、口を湿らせる為に飲んでいた冷水を噴き出しそうになる。

 

「しょうがないってのは判ってるよ……けどさ、一人占めは良くないと思わない?」

「いつにも増して仲良しさんですもんね、望さんと希美ちゃん……近付くだけで一苦労ですよ……」

「俺が知るか……悔しいならお前らが積極的に行きゃ良いだろ」

 

 むーっと眉根を寄せてカツサンドを頬張るルプトナ。ユーフォリアも、何処かつまらなさそうに唇を尖らせて呟いた。

 ソルラスカは完全に我関せずを決め込みカレーを掻っ込んでいる。アキもまた、同じようにカレーを喰う。

 

「何だよー、空だって希美が望にべったりなのは嫌だろ? だって空は希美が――」

「……煩せェよ。テメェに関係ねェだろうが」

 

 そこで、不用意な言葉を紡ぎそうになったルプトナを睨みつけた。冗談で済む、ギリギリの範囲で。

 

「……ゴメン」

「……いいさ……どう足掻いても事実だしな」

 

 謝りを入れてカレーを口に運ぶ。舌を焼く痛烈な辛みが、心地好く感じられた。

 

「え、えっと……レーメさんから、理想幹の地図を借りてきたんです。これで作戦を立てませんか?」

「……ん、サンキュー」

「ぶぅー……お兄ちゃん、語尾は伸ばしちゃ駄目。『サンキュ』だよ」

「何が違うんだ、何が……」

 

 場の空気が重くなったのを感じて、アイオネアとユーフォリアは机の上に前回の進攻で得たという地理情報を描いた地図を広げながら言った。

 

「中央島ゼファイアスを攻略する為に各浮島の祭壇の転送鍵を解除しないといけないんだって。あと、ゼファイアスから中枢部ゼフェリオン・リファに行く為に解除する転送鍵もある二段構えの陣らしいよ」

「全く……そういう所は、神世から変わっちゃいねェ陰湿さだ」

 

 地図を広げて、解説の為に食事を止めたユーフォリア。アキは皿を持ち上げて、相変わらずカレーを掻っ込んでいる。

 

「やっぱりあたしは、一カ所ずつ占拠するのが安全だと思うけど」

「俺達は寡兵だぜ、一カ所に集中すればそれだけ集中攻撃を受けるだけだ。それに、拠点を制圧した後に纏めて移動したら、あっという間に奪還されちまう」

「それなら、散開して一気に……」

「言っただろ、俺達は寡兵。分散すれば、それだけ戦闘力が減る。あっちからすれば潰しやすくなるだけだ」

「うぅ、だったらどうするの?」

 

 頭ごなしに完全否定されてしまい、落ち込んでしまうユーフォリア。頭の翼もしょんぼりと項垂れてしまっている。

 

「そこだよ、相手はログ領域って情報源があるんだ。それが一体、どこまで情報を記してるかが胆になる……」

「そっか……幾ら作戦を立てても、ログ領域に記されたら意味が……」

 

――圧倒的なチカラ如きで決まる闘いなんざ局地的なモノだ、大局を征するのは結局、情報と数。

 俺らが『取り替えの利かない少数精鋭』なのに対して、理想幹神は無制限に殖える捨て駒[ミニオン]や『プレイヤーの視点』とか『神の視点』を持って粋がってやがるクソッタレのチートゲーマー野郎。更に戦場は相手の土俵。いっそノル=マーターでも造ってみるか? 何てな……時間もマナも足りやしねぇ。

 

 ふぅ、と考え込んでしまう二人。アイオネアはそんな二人が答えを出すのを、ただ待っている。

 残る二人は食事に集中しており、考える気は毛頭無いらしい。

 

「時深さんがついて来てくれたら、一挙に問題解決だったのに」

「……そんなに凄いのか、時深さんって」

「『凄い』なんてモノじゃないよ。実力はあたし達の遥か上、更に未来を視る力まで有るんだから」

 

 嬉しそうに語る彼女に、何と無くアキも誇らしい気持ちになる。

 

「……その代わりが、我が儘お姫(ナルカナ)様だしなブルォ!?!」

「へぇ〜、面白そうな話をしてるじゃないのよ。一体誰の話をしてるのかしら〜?」

「「ふぎゅぅ〜」」

 

 そこに背面から、殺した相手の魂を喰い力を増していくという混沌の剣『ストームブリンガー』の銘を冠す一撃をアキの後頭部に叩き込み、ユーフォリアとアイオネアを抱き寄せたナルカナ。

 

「い、いつから……そこに……」

「今さっきよ……モグモグ、お腹空いたから来てみたの」

 

 顔面をカレー塗れにしたアキの目に映るのは、他の皆と同じく学園指定の制服を着ているナルカナ。手近な所に在ったカツサンドを、勝手に食べている。

 

「ナルカナさ〜ん、あたし達の頭の上であたしのカツサンドを食べないで下さい〜!」

「はう、パン屑が……」

 

 頭の上に落ちてくるパン屑に抱き締められた二人が閉口していた。

 因みに彼女、最近望の部屋に入り浸って……というか私物化し始めて、『お陰で希美の機嫌が悪い』と望が愚痴を零しに来た事も在る。

 

「悩んでいるなら、このナルカナ様が解決してあげようじゃないの青少年諸君。うーん、そうねぇ…『ガンガンいこうぜ』!」

「冗談じゃねェ、そんなドラ○エみてーな策戦に付き合えるか!」

「じゃあ『アキ以外命を大事に』」

「死ねってかぁぁ! 俺に死ねっつってんのかぁぁ!」

 

 顔を拭ったアキは最悪の策戦を口走った彼女に間髪容れずに突っ込む。しかし、ナルカナはオーラにより意にも介さない。

 

「別にあんたに期待してないわ。あたしだけで事足りるし、いざとなればユーフィーを連れてくから。二軍落ちはク○フトとト○ネコとブ○イと一緒に馬車の隅っこで膝を抱えてなさいよ」

「腹立つわーコイツマジで……!」

 

 揃って、ジト目で睨み合う。その背後で龍虎相対する絵が見えそうな程に。

 

「……まぁ、冗談はここまで。アキには別の重要な仕事が有るのよ」

「はぁ? どんな?」

 

 いきなり真面目な表情に戻ったナルカナは、ユーフォリアのカツサンドを食べ終えてアイオネアの聖盃を勝手に飲み干した。

 流石は八岐大蛇の尾から現れたと伝わる剣、その暴虐さたるや。

 

「あんたはね、ログに載ってないのよ。生まれた瞬間から死の瞬間まで、以前は載ってた事項の全てが抹消されてるの。この娘と契約した瞬間から、神剣宇宙で唯一の『(カラ)』な存在……表現方法も記述しら方法も無い存在としてね。しかも、それが在るべき姿ときてるんだからこのー」

「ひゃふうぅぅ……」

 

 『そのせいで、異能じゃあ探知も発見も出来ないじゃないのよ』と、むにゅーっと頬を引っ張られるアイオネア……【真如】と契約した瞬間、彼はエターナルとして神剣宇宙からすら弾かれたのだ。

 取り返しようも無い『空』の現身(うつしみ)として。

 

「……つまりあんたは、ルールから外れた『別物(ジ・アザー・ワン)』。ポーカーならジョーカーって訳よ。しっかりと策戦を練って奴らの鼻をあかしてやりなさい」

「……そりゃどうも。俄然ヤル気が出てきたぜ……!」

 

 テーブルを叩いて立ち上がる。カレー皿は既にカラ、アイオネアから聖盃を受け取ると飲み干す。

 

「ソル、景気付けに特訓だ!」

「ハッ、上等だ!元々俺から誘うつもりだったんだからな!」

 

 言うが早いか、さっさと洗い物を厨房に持って行く男二人。それを見送った女四人。

 

「……まったく、相も変わらず思い立ったら即行動な二人だよね」

「もぅ、策戦を立てなきゃいけないのに……あたし達も行きましょう! アイちゃんも早く!」

「うん、ゆーちゃん……ナルカナさん、失礼しますね」

 

 『全く、仕方ないなぁ』と溜息を落としたルプトナとユーフォリア。促されたアイオネアが波紋へと変わり、空間転移してナルカナの拘束を逃れ、一礼して二人の後を追っていく。

 

「なによ、あたしを無視して青春してー!ナルカナ様を敬えー!」

 

 体よく逃げられてしまい、怒ったナルカナの咆哮が木霊したのだった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 時は過ぎて昼下がり、ソルとの特訓を終えたアキは中庭のトネリコの樹の根元で、幹に背をもたせ掛けていた。その左隣りでは同じくソルが幹に背を預け、ペットボトルから水を飲んでいる。

 

「チッ……まさかこの俺がお前を相手にギリギリの勝利とはな」

「あァん? だから、テメーの方が先に地面とキスしたっつッてんだろ」

 

 言いつつ、ペットボトルを奪って喉を潤す。そもそも、このペットボトルを充たす水はアイオネアの幽星質(アイテール)、アキのモノだ。

 

「だから、引き分けだって言ってるじゃないですか……」

「そうそう、鏡に映ってるみたいに同時だったじゃん」

「えっと……同時でした」

 

 そんな不毛な意地の張り合いを、右隣のユーフォリアとルプトナ、アキの左腕を腕枕にして寄り添うアイオネアが止めさせた。

 

「よ、よーし……取り敢えず無効試合だな」

「お、おうともよ……次はきっちりとノックアウトしてやるぜ」

 

 因みに、互いに失神してしまう程に見事なクロスカウンターで引き分けており、アキは左頬、ソルは右頬がまだ赤く腫れている。

 

「そう言えば、学園の皆は元気にしてたか?」

「ああ、元気なもんだったぜ。この理想幹攻略が終われば、元々の世界に連れてくる約束になってるからな――全員で、よ」

 

 ふと、思い出す学園生達。未来の世界に行く前に無理して降ろした一同の事。

 たった三週間だが、随分と会っていないような気がした。

 

「俺さ……魔法の世界に帰ったら……今度こそ学園祭やろうって会長に進言するんだ……」

「おいおい、縁起でもねぇな」

「そーだよ、なに判りやすい死亡フラグ立ててんのさ」

「一番死ににくいくせにー」

「あははは……」

 

 しょうもない冗句(ジョーク)を口にしたアキに、ツッコミを入れるソルラスカ達。

 この暫く後には、此処に居る皆が生命を賭けた闘いに臨まなければならない。それまでのごく僅かな間の平穏を、気の置けない者達と過ごすのは当たり前の事だろう。

 

 言葉も無いまま、ただ時間が流れていく。だが、気まずさはない。寧ろ、その沈黙は信頼の証だ。

 大地を撫でる風、青空を流れる雲。深く地に根差す大樹は水を吸い上げ、天高く張った枝葉を抜けて木漏れ日が降り注ぐ。

 風も青空も光も、ものべーの能力によって作り上げられたモノだが――それが何だというのか。

 

「ずっと、こんな時間が続けば良いのに」

 

 ユーフォリアの呟きに呼応するように、涼やかな風が吹く。五人皆が同じ気持ちでいるのだ、この"魂の安寧(アタラクシア)"こそはヒトが追い求めてやまぬ楽土なのだろう。

 

 永遠者(エターナル)という存在の概念については既に説明してある。その"生命"が時間的には無限に近い事、そして……それ故に安寧を無くした存在である事を。

 

「続くよ、きっと……いつまでも」

「だな、俺達は全員命が尽きても"家族(ファミリー)"だぜ」

「えへへ……」

 

 同一でない存在の言葉などは、ただの知ったかぶりか出任せだ。それがどれ程辛いかなど、実際にそうである者にしか判らないし、判ってはいけない。

 だが、紡がれたその『絆』は永遠を超えて繋がる。ならば、それは――同じ存在として語って良い筈だ。少なくとも、これだけの時間を共有してきた者達ならば。

 

 隣のルプトナと少し無理をして手を伸ばしたソルラスカに、わしわしと頭を撫でられてはにかむ彼女。

 その様子を微笑ましく眺め、燦々と注ぐ木漏れ日を見上げていると……ずいっと。白い翼の付いた蒼い髪の丸っこい頭が突き出された。

 

「……(じ~っ)」

「……」

 

 子猫のように『撫でて撫でてー』と、堂に入った上目遣いで訴えてくるユーフォリア。加入して間も無い絶を除けば、この"家族"内で未だに彼女が撫でられた事が無いのはアキのみ。

 そしてアキがそういった事が苦手なのを熟知している外縁の二人は、彼が一体どうでるかを面白そうに見守っていた。

 

「……(じぃ~~っ!)」

「「……ぷっ……クク……」」

 

 パタパタと頭の翼をはためかせてまで促すその姿を見て、遂にソルとルプトナは忍び笑いを漏らしてしまう。

 

「……ハァ」

 

 それに、アキも覚悟を決めた。ゆっくりと右手を彼女の頭に向けて伸ばし――

 

「そらよ」

「きゃふっ!? 痛〜い……お兄ちゃんがまたぶった〜!」

 

 こうなったらもう絶対に撫でない覚悟を決めて、今まで通りにデコぴんをカマしたのだった。

 

「なんだよ、違ったのか? ああ、チョップの方が良かったか?」

「うう〜っ! お兄ちゃんなんてだいっきらーーいっ!!」

 

 怒って両手をぐるぐる回しながら叩こうとするユーフォリアだが、アキは彼女の額を右手で抑えて、リーチの差で届かせない。

 

「…………」

 

 そんな気安く戯れ合う二人の様子を眺めながら、アイオネアは表情を曇らせる。実に羨ましそうに、制服にシワが出来てしまいそうな程に強く掌を握り締めた。

 右側のユーフォリアを押し止める事に意識を集中していたアキは、それに気付かなかったが。

 

「……さてと、俺はちょっと野暮用済ませてくるわ。ちゃんと戦備えしとけよテメーら」

「分かってるってーの」

「空こそ、いざって時に足手纏うなよなー」

「べーーーっだ!」

 

 ひらひらと手を振り、アイオネアの手を優しく引き立ち上がらせて共に歩き行く。

 理想幹攻略に不可欠な創りかけの"切り札"を完成させる為に……だが、媛君の歩調に合わせてきちんとエスコートする事に注意して。

 

「……アイちゃんには、いつだって優しいくせに……」

 

 だから、そんな。ユーフォリアの羨ましそうに唇を尖らせた不満そうな呟きも、彼の耳に届く事は無かった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 作業を終えて自室から出て、溜息を漏らして凝り固まった肩を回しながら廊下を歩く。その右肩には大きな荷物を抱えていた。

 

「兄さま、具合が悪いのでしたら水を……」

「いや、いいさ。前も言ったけど、そういうのは癖になったら大変だからな」

 

 心配そうな彼女に断りを述べて、彼は空元気を見せる。

 既に太陽は真っ赤な西日を校舎に投げ掛けていた。集中し過ぎたかと、失敗の許されない重要な策戦の第一段階の準備の為と気晴らしも兼ねて屋上の扉を開く。

 

「誰かと思えば……神銃士か」

「あらあら、こんなムードのある場所に女の子連れなんて……逢瀬の真っ最中かしら?」

「はぅ……」

「うるせーやい……」

 

 すると、斜陽に照らされて伸びる、二人分の影法師が目に映る。

 『逢瀬』の単語に夕陽より真っ赤に茹で上がったアイオネアは神銃形態に戻ってしまい、慌てて受け止めた。

 

「いい景色ね、贋物(つくりもの)とは思えないわ」

 

 エヴォリアとベルバルザード、光をもたらすものの二人が夕暮れの風に吹かれていた。

 その恰好は今まで通りの戦装束、共闘関係とはいえ馴れ合うつもりは無いという事だろう。

 

「そういうあんたらこそ、デートですかい? やっぱり相部屋なのはそういう……判ったから【重圧】は仕舞って下さい」

 

 多少軽口を叩き、アキは肩の荷物を降ろす。『(くう)』から生み出された彼の創造物に重量の概念は無いが、今回は精度重視の為に重量も本物同様に設定してある。

 

「それは……今回の戦いに使うものかしら?」

「勿論ですよ、じゃなきゃあ何に使うってんですかい?」

 

 【真如】を基幹部に銃架や大型のスコープを取り付ける彼の手元をエヴォリア達が覗き込む。

 使い方などは判りきっているが、物珍しさに興味を抱いたらしい。

 

「此処からならほとんどの部屋が見渡せる…覗きではないか?」

 

 と、呟いたのはベルバルザード。冗句のように聞こえるが、覆面に覆われた彼の表情は窺えない。

 

「そーそー、此処なら女子更衣室までバッチリ見えるぜへっへっへ……な訳ねーだろ! ってかアンタ、そんな事言うキャラかよ!!」

 

 アキは匍匐射撃(プローン)姿勢でスコープを覗き込んで校舎の窓を()め回してからノリツッコミを繰り出した。

 

「アハハ……やっぱり貴方、前世にそっくりね。ほら、もっと捨て鉢に三下っぽく喋ってみなさい」

「厭ですーだ……ったく」

 

 そんな莫迦を言っている間に組み立て終わる。【真如】は世界最高クラスの命中精度を誇るという、独逸はワルサー社製の最高級汎用狙撃銃『ワルサーWA2000』をモチーフとしたライフル銃へと換装された。それは今まで同じ形態を取っていた物よりも更に精密で堅牢にした物。

 

「これで完成、っと……試し撃ちといきますか」

「ちょっと、弾は籠めないの?」

「俺には必要無いっすよ、姐御。『(カラ)』が俺の……"俺達だけ"の銃弾ですから」

 

 狙撃姿勢を取ると、校庭の端っこに捨てられている空き缶へと照準を合わせる。その時、エヴォリアとベルバルザードが意味ありげにアイコンタクトした事には、彼は気付けない。

 しっかりと狙いを付けて、引鉄を引けば――空き缶の手前の地面が吹き飛んだ。

 

「仰角修正……再装填(リロード)

 

 スコープの角度を修正し、銃弾を再装填する。再度狙いを付け直し、引鉄に指を掛ける。

 今度こそ、空き缶は中央に風穴を空けられ弾け飛んだ――と、いつ移動したのか、射線の先に立っていたエヴォリアが何かを呟く。

 

「……はぁ? って、オイッ!?」

 

 読み取れた唇の動きは『こんなモノより、もっと練習になる良い的が有るわよ』。

 その直後、召喚した腕輪型の神剣【雷火】より『オーラショット』を繰り出した。光弾が真っ直ぐ、アキに向かって飛翔する――!

 

「――野郎ッ!」

 

 それを、急速に狙いをつけて引鉄を引いた。『空』の銃弾は上手く光弾を捉え撃ち砕き、更に二発目三発目と、放たれた光弾を続け様に撃ち抜いた。

 

 視線を向け直せば、エヴォリアは妖艶に笑いながら判り易いように唇を動かす。『なかなかやるじゃない、ならコレはどうかしら』と。完全にサディストの目だ。

 そして更なるマナを神剣に籠めて、彼を狙い『ライトブリンガー』を繰り出した。全五発の光弾が、一斉に彼へ向けて殺到する――!

 

――幾ら何でもあの数は捌けない。避けるしか無いか……!

 

「――……ッ!」

 

 退こうとした瞬間、背に凄まじい殺気を浴びせ掛けられる。大薙刀【重圧】を構えたベルバルザードが、見えはしないが闘気によって『退がれば、斬る』と訴え掛けて来た。

 

――クソッタレ! やり過ぎだろうがよ、コイツら! どうする……どうやればこの状況を斬り抜けられる!

 

 思考する間にも、光弾は迫り来る。最早猶予など無い。

 

【大丈夫です、兄さま……兄さまが諦めない限り、私は……【真如】は応えます】

 

――頭の中に響く早鐘の鼓動、まるで脳が心臓になったようだ。既に解決策なら思い付いている。聞き慣れた『あの言葉』が在る。

 

 思い浮かんでいるのは、彼の師の口癖。『幾ら速く動いても無駄。"時間ごと早くなる"私には敵いません』との、あの台詞だ。

 

(そうだな。俺に……いや、俺達に不可能なのは――"不可能だけ"だろ、アイ!)

【はい、兄さま。この【真如】はアキ様の進む未来の"遍く可能性を斬り拓く神柄(ツカ)"ですから……!】

 

 魂の奥底に燈る『生誕の起火』を呼び起こす。起爆剤たるその蒼茫の煌めきにより、己の内部時間を『加速』する。

 それこそ、彼が辿り着いた極致だ。かつて神獣により物理的な加速を獲ていた少年は、こうして概念による加速を行う。

 

「【もっと早く……もっと精確に。枷となる理念を斬り拓いて……」】

 

 天地の狭間の媛君には、時空すらも臣下の礼をとるのか。縮小していく己の時間感覚が周囲の時間と空間との間に断層を生み出し――限りなく『零』とした。

 全異能の『対象にすらなれない』からこそ、彼は自分自身の能力の対象から外れる。それこそが自家中毒を覆す概念の陥穽、『()()()()()()()()()()()()()()()()()』その鞘刃(イノチ)

 

「【我が空なる刃は矛盾すらも撃穿(うが)つ――タイムアクセラレイト!」】

 

 その収束した世界より狙撃手は――極限まで加速した干渉不能の銃弾によって、極限まで停止した事と同義の的を撃ち抜く――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 一発につき五発、計二十五発もの銃弾を一斉同時に叩き込まれて、『ライトブリンガー』は全て消滅した。

 エヴォリアは拍手しながら、神剣能力を使ってあっさりと屋上へと戻ってくる。

 

「ふふ、凄いじゃない。少し見直したわ」

「煩ッ……ハァ、ハァ……せぇやい……いきなり何しやがる……」

 

 軽やかに着地して軽口を叩く彼女に対し、『生誕の起火』を使ったアキは肩で息をしている。それでも精一杯のジト目を向けた。

 

「恩を返しただけよ。あたし達は貴方達が居なきゃ死んでたもの」

「恩返しで殺そうとすんな! たく、助け損……っつーか、助けた覚えなんて無いんだけど」

 

 尻餅を突く要領で起き上がって、制服をはたきながら言う。確かに、彼には『助けた』覚えなど無いのだから。

 

「別に良いわよ、こっちが勝手に恩義を感じてるだけだから。まぁ、これで貸し借り無しだけど」

 

 言うだけ言って、階段へ向かっていくエヴォリアとベルバルザード。その背に向けて。

 

「有難うよ……今晩は一品増やしてやるから、覚悟しとけ……」

「……『今晩』が在れば、ね」

 

 癖っ毛の頭を掻きむしりながら、そんな憎まれ口が投げ掛けられたのだった……。


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