サン=サーラ...   作:ドラケン

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護るべきもの 誓いの指輪

 藍色から茜色に移り行く魔法の世界の空、その天空に浮かぶ都市『ザルツヴァイ』の空の港に停泊したものべー。理想幹を後にしてから既に三十時間程、物部学園はイャガの襲撃後二回目の夜明けを迎えていた。

 学園はその襲撃により、至る所が破壊されている。現在は修復の為に立入禁止で、学生・神剣士達は学園祭の前夜に泊まったホテルで過ごしている。

 

「……じんさま、朝ですよ。起きて下さいませ」

「ん……うんん……」

 

 耳元に囁かれる甘やかな呼び掛けと、掛け布団の上からゆさゆさと揺らされる穏やかな刺激に渋々と瞼を開く。

 体感時間としては、いつも起きる時間帯より少し早い。誰かはよく判らないが、多少の文句くらいは言ってやろうと思って。

 

「お早うございます、ごしゅじんさま。今日もいい朝ですよ」

 

 パチパチと瞬く、霞んだ鳶色の瞳に映る――開かれた窓から差し込む朝の陽射しと吹き込む涼やかな風がカーテンを揺らす風景を背に……間近で己を見詰める慈愛に充ちた円らな空色の瞳が、『てへへ』といじましくはにかみ微笑む姿。

 蒼穹に輝く黄金の太陽より眩しい少女の頭上には――翻るホワイトブリム。詰まり、先日の学園祭で着ていた赤を基調としたメイド服に身を包んでいた。

 

「……ああ……確かに……いい朝だな」

 

 一瞬でハイにまで上がった心臓のギアを何とかミドルまで落として……真の意味でそうなった『彼女』であるユーフォリアを迎える。

 現金なもので、それだけで眠気も不満も吹き飛んでしまった。

 

――何故メイド服……いや、そうか……そういう事か。だっておかしいもんな。

 ユーフィーが朝に、俺を起こしに来る事は有り得るだろう。けど……まかり間違っても『メイド服』を着て起こしに来るなんてのは道を歩いていて拾った宝くじが一等に当たってスキップしてるところに隕石が命中するくらいの確率だ。詰まり『限りなく有り得ない』。

 

「少しだけ待ってて下さいね、今、朝ご飯の用意をしますから」

 

 そんな取り留めの無い思考を青年がしている事など露知らず、そう言って六挺の拳銃と各銃弾と弾倉を銀のカートに載せて、テーブルを拭き始める。

 その都度、ただでさえ短めな上にふわっと開いたフリルのスカートが見えるか見えないかの位置を……慎ましく可愛らしいお尻とすらりと細い脚に履いたニーソックスとの境目を際どく揺れた。

 

――詰まりこれは……俺の見ている夢に違いない! まさか俺に自分でさえ気付かないメイド萌えの属性が有ったとはな……。

 そういや最初にフィロメーラさんを見た時は、グッと来たもんだ。その兆候は有ったって事か……しかし、何故にロリ状態? どうせなら同い年状態の方が……いや、まぁいいか。この状態でもユーフィーは俺より歳上だし、ヤる事は一つだし。

 

 ここに泊まってから透徹城の内の"真世界(アタラクシア)"に納めてある銃砲類、"最後の聖母イャガ"の襲撃時に使った各砲の手入れや給弾の為に荒らしに荒らした部屋は……綺麗に片付けられていた。

 勿論、それ程荒らすだけ遅くまで起きていた彼の頭はうまく働いていない。その上、朝方の健常な男子の生理現象(以下略)

 

――フ、流石は夢……ディティールが甘いぜ。あんな量の銃弾や銃器をユーフィーがたった一人だけで片付けられる筈が無い……やっぱりこれは夢だな。

 そうと決まれば後は……行くのみ!

 

 思考の回らぬ頭でそう結論付けて、洋風の茶器に芳しい芳香の紅茶を注いでスコーンを用意している彼女に向けて手を合わせる。

 その瞬間……朝食の用意を終らせたユーフォリアが満面の、向日葵の笑顔と共に彼を振り返った。

 

「お待たせしました、ごしゅじんさま。さぁ、冷めないうちに召し上がって下さいませ」

「ああ、そうだな。醒めないうちに頂くとするか……」

 

 奇跡的に噛み合った会話。だが、その乖離は決定的だ。そして間を置かず、手を合わせたそのままで彼は。

 

「それじゃ、頂きまーす!」

「どうぞ、召し上がれ――……って、ふきゃああ〜っ?!」

 

 絵に描いたように見事なまでの、元々黒のシャツとボクサーパンツ一丁の為に、服は脱がないル○ンダイブを見せて――ビターン!と空中で停止、更に【悠久】が召喚した二頭の東洋龍『青の存在 光の求め』によって拘束されたのだった。

 

「……目は醒めましたか、アキ様」

「完璧に醒めました……っていうか、何時から居たんだアイ……」

「むぅ〜っ、最初からずっっっと居ましたっ!」

 

 冷たく呟いたアイオネアに、その姿勢のままで彼女の時空断鎖障壁『精霊光の聖衣』に衝突して龍に巻き付かれたアキが答える。

 その内容が更に気に障ったらしく、彼女は……ユーフォリアと同じくメイド服を着ているアイオネアは一層むくれてしまった。

 

「もう、お兄ちゃんったら……あーあ、紅茶とお菓子が……」

「ゴメンな、ユーフィー……あと、そろそろ離してくれるよう言ってくれないか……」

【全く……本当に反省してるの、兄ちゃん?】

「した、したから【悠久】……ヤバいって、『青の存在(お義母さん)』は兎も角、『光の求め(お義父さん)』からは明確なまでの殺意を感じる……隙有らば俺を消そうとしてる……っ!」

 

 謝罪を受けて、渋々と具合に神獣を引っ込める【悠久】。

 突き指した指と打ち付けた顔、締め上げられて軋む躯を摩りつつ内心そう思いながら、結局悪いのは己である為に黙っておく。

 

 因みに神獣を召喚した事により、朝食はカーペットの上に落ちてしまって摂れる状態ではなくなっていた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 早朝の廊下を歩く三人分の人影。レストランへと向かう道程では、真ん中にアキ、右にユーフォリア、左にアイオネアの列びで『小』の字を画いている。

 いつもと同じ配置、アキの左腕を抱くアイオネアもいつも通りだ。しかし決定的な違いがある。右隣のユーフォリアと、しっかり手を繋いでいる事だ。それはもう、指を絡めてしっかりと。

 

「一つ聞きたいんだけど……なんでメイド服だったんだ?」

「それは……あの……」

 

 学生服に袖を通した彼は真っ当な疑問を口にする。こちらも制服に着替えたユーフォリアは少しだけ、照れたように頬を染めた。

 

「……えっとね、その……朝奉仕」

「んぐェホッ!? そんな言葉を一体誰から!」

 

 突然の、彼女に似つかわしくない猥言(ピンクワード)に思いっ切り欠伸を仕挫ってしまい、勢いよく噴き出してしまう。

 そして、それにしては間違った事をしていた事に疑問を感じる。

 

「あのね、昨日の夜……どうしたらお兄ちゃんに喜んで貰えるかを考えて悩んでたらね……ナルカナさんが、『男が喜ぶ事っていったら、一ツだけ。そう、『朝奉仕』よ!前に男子学生から集めた資料の中に、そう書かれてたわ!』って。でも詳しい事は判らないらしいから、喫茶店みたいな事をするのかなぁって思って……」

「あんな奴の言った事を鵜呑みにしちゃいけませんっ! 忘れなさい、惜しいけど!」

 

――そしてどうせ教えるんなら、ちゃんと内容も教えとけよッ……!

 

 と、本気で悔しがった。

 

「それでね、一人だとどうしても恥ずかしかったから……アイちゃんにも手伝ってもらったんだ」

「そうか……だからアイもメイド服だったのか」

 

 視線を向けてみれば、やはり制服に着替えている……むす〜っと唇を尖んがらせた、銀色に煌めく満月が映る滄海の少女。

 アイオネアは頬っぺを膨らませたままで、金銀の色違いの眼差しでジト目を向けつつ首輪……瑠璃色の宝珠、透徹城が嵌められた首輪のアミュレット"全き聖(パナギア)"を撫でている。

 

「おーおーニーチャン、今日も朝から恋人と妹を侍らせてロリロリしてんじゃ……まぁ、ちょっと見て下さいよ、阿川さんちの奥さん! 腕組みどころか、恋人繋ぎですよ恋人繋ぎ!」

「あ……あはは、そうね……」

 

 その時、エレベーターの前で信助と美里を始めとする学生の一団に出くわして冷やかされる。

 それで鮮明に思い出してしまう、ユーフォリアと全力で抱き合っているところを、"家族"にバッチリ目撃された場面。

 

 驚いた表情のソルに絶、スバルにミゥ、ポゥ。実に面白そうな顔のサレスにヤツィータ、エヴォリアにルゥ、ワゥ。

 路上に落ちている汚物か、台所で最速の"ヤツ"でも見るような目で自分を見ているタリアにナナシ、ベルバルザードにゼゥと、彼女の肩越しに顔を合わせてしまった……その場面を。

 

「俺はロリコンじゃねぇ……好きになった相手が、偶然にもロリータだっただけだ!」

「ロリコンは皆そう言うんだよ」

 

 開口一番、軽口を叩いた彼に軽口を返す。普段と変わらずニヤつく信助は気安く声を掛けてきたが、美里はぎくりと身を固くした。

 

「……よう、阿川」

「あ……うん、お早う……巽」

 

 努めて平時通りに掛けた言葉に、みるみる青褪めていく顔色。

 あの襲撃戦に巻き込まれた為に、精神的後遺症(トラウマ)が出来た生徒も多数居ると聞く。

 

「ごめん……ごめん、あたし……巽は悪くないのに……ごめんなさい……」

 

 怯えるように涙ぐむ彼女もまた、そんな一人だ。仕方ないだろう、学生達は『戦争に協力』した事はあるが『戦闘をした』事は無いのだから。

 

「……いや、いいさ。それが正しい反応だよ、俺だって同じ状況なら引く自信がある」

「でも……でも……あたしがあそこに巽を連れてって……」

 

 今まで一番身近だった戦は、この旅の始まりであるミニオンの襲撃。それでも、軽傷を負った生徒が居たくらいだ。

 

――それが今回は、目前で致命傷を負わされて致死量の出血をした男を見て、しかもそいつが三日と経たずピンピンヘラヘラしてたら……まぁ、不気味だろう。

 

 両脇の二人から抜け出し、美里に近寄る。可能な限り、ゆっくりと……彼女の肩に手を置いた。

 

「だから、心配するなよ……それが正しい反応だって言ってるだろ? お前は何も間違ってない、むしろ間違ってるのは俺の存在だ」

「巽……」

 

 その時、エレベーターが到着した。開いた扉に学生達を乗らせて……彼は乗らない。

 

「空……どうした?」

 

 そんな彼を信助が見遣る。アキは手を振り、先に行くように促す。扉は乗る者はもう居ないと判断し、静かに閉じる。

 

「……大丈夫だ、償いは必ずする……それは直ぐ忘れられる痛みだから……安心しろよ」

 

 その僅かな間に、そう告げた。告げて――聞こえなくなった事を確認してから。

 

「それは……俺が()()()()()()()、忘れる痛みだからな……」

 

 決意の言葉……彼等を『元々の世界に送って』から神剣宇宙に出る事を決め……次のエレベーターに乗り込む。

 

「違うよ、お兄ちゃん……『俺が』じゃなくて、『俺達が』だよ」

「……ユーフィー」

 

 その時、握り締められる掌。絡み合う右掌から染み込む幸福感に、苦痛が和らいでいく。

 やっぱり自分はこの少女に――ユーフォリアにベタ惚れしているのだと。そう再認識させられた、そんな一瞬だった。

 

 レストランホールに到着した為に扉が開く。目の前では、学生達と神剣士達が食事を摂っている風景が広がっている。

 

「……よし、予定変更だ。今から……デートするか、ユーフィー」

「え……あ……う、うんっ!」

 

 だからこそ何の臆面も無く、後も先も無く……そんな誘いの言葉を口にして、エントランスホールへのボタンを押した。

 それに、彼の気持ちを察してか。ユーフォリアは一も二も無く賛同し、アイオネアは少し悲しそうな表情でレストランに姿を消す。

 

 少し肌寒い、異世界の風。掌を絡めて、その風を斬りながら二人歩いていく青年と少女。時刻は早朝。輝ける一日はまだ、始まったばかり――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 天空を吹く風が、大空を渡る白雲を運ぶ様に。アキとユーフォリアが駆け落ち(?)した後の、朝食時のレストランでの事。

 レストランへと集った永遠神剣の担い手達は思い思いの場所……大半の女性は望の側……で食事を摂っている。

 

「いやぁ〜、復帰した途端にもう大人気ね。流石というか何と言うか……ねぇ、タリア?」

「私に話を振らないでちょうだい……ただの節操無しでしょうに」

「ははは……あれですよね、こう……男として負けた気分になりますね、サレスさん」

「もう慣れてしまったのが悲しいがな……おや、アイオネアか」

 

 同じテーブルにつき、望ハーレムの面々に苦言を呈するヤツィータにタリア、スバルにサレス、絶にナナシ。

 

「お前が一人とは珍しいな……巽とユーフォリアはどうしたんだ?」

「…………」

「行ってしまいました……マスター、どうも様子がおかしいですね」

 

 そこに通り掛かったアイオネア。サレスと絶二人に声を掛けられた事にも気付かなかったのか、憔悴した様子でふらふらと歩き去って一番奥の、端っこの隅っこに位置取った。

 

「よぅ、アイ。一人なんて珍しいじゃねーかペッ!?」

 

 そしてそこで『精霊光の聖衣』を展開、ソルラスカが打ち当たった事さえ気付かないくらいに時空を断ち切って引き篭り状態と化す。

 

『ああ……御労しや媛樣。契約者は妾婦(そばめ)に入れ上げて媛樣を蔑ろに……』

『だから俺っちは反対だったんだ、あんなモテなさそうな奴と媛樣が契約されるなんて……! 見た事か、あの野郎……有ろう事か"剣"以上に"鞘"に入れ込みやがった……』

『ふふ……でも、それも男の甲斐性って奴さ。アタイは支持するよ、側室の数は男の勲章だろうさ』

『……いやはや、しかしあそこまで一途とはのう……男なら両手に華とか考えぬのかと儂は思うぞ?』

『だよね、可愛い女の子が仲間内に増えるのは大歓迎だよ。まあ、手を出さなければ』

 

 次々顕現する、輪廻鳳龍(アイオネア)の眷属たる臣従。白い光の鳳凰と蒼き比目の錦蛇、紅き隻翼の錦鷲と黒い闇の大海蛇、緑溢れる大地の幽角獣(ユニコーン)。ゆらゆらと立ち上る陽炎のような彼女の二重幻影(ドッペルゲンガー)

 一気に幻獣動物園と化した室内の一角、学生達は物珍しげにそれを眺めている。

 

「……違うもん……兄さまはとっても素敵な私の契約者だし……その兄さまが好きなのはとっても素敵な私の心友のゆーちゃん……だから悪いのは、そんな素敵な恋人の二人に嫉妬してる……私の方だもん……」

『『『『『……媛樣……』』』』』

 

 だが、伴侶と心友を貶めたそんな臣下達を諌めるかのように。傷心で在る筈の"刧初海の姫君"が口を開く。

 それに、臣下の随獣達は……揃って沈痛な面持ちで軽口を閉ざした。主たる彼女が望むのなら、彼等にとってそれこそ真実だからこそ。

 

「なるほど、つまりはユーちゃんと兄上さまが二人だけで何処かに行ってしまったで落ち込んでる、という訳ですね」

「あう……イルちゃん……」

「あらあら……朝からお熱いわね〜、あの二人」

 

 その隣のテーブルに座った黒髪の少女、第一位神剣【叢雲】の意志ナルカナの分身イルカナ。

 そして同じく席に着いた早苗教諭の言葉に、窓の外を眺めてみれば――ユーフォリアの手を引いて、歩いていくアキの姿が在る。

 

「にしても……意外。もっと淡泊な男の子だと思ってたんだけどね。釣った魚にちゃんと餌をあげる、立派な男性だったのね」

「そうだな、相当な猫っ可愛がり具合だ。もしフラれたら自決するんじゃないか?」

「昨日の夜もお互いの部屋に送り迎えしあって、中々離れなかったくらいだしなぁ……付き合った俺とスバルが何回、東館と西館を往復したと思ってんだ」

「そして離れ際、空君が精霊光を五回点滅させてました……あれって何だったんですかね?」

「まぁ、『ア・イ・シ・テ・ル』のサインなんて! 初カレ初カノで、きっと今が一番盛り上がってる時期なのね……アサシンと少女の、甘酸っぱい恋……映画みたいだわ」

「……犯罪くさいけど……あそこまで想われれば、女冥利に尽きるってモノでしょ。少なくとも、何処かのハーレム男よりはまともだわ」

 

 次々集まってくる非ハーレム組と男性陣。女性陣は概ね好意的に、男性陣は砂糖を吐きそうな顔で。

 

「……だからといって、自分の契約した剣を蔑ろにする理由にはなりませんよ。契約者としての自覚が足りないのではありませんかっ」

 

 そんな中、唯一腹を立てたような顔をしたナナシ。同じ永遠神剣の象徴としてアイオネア側に立っているのだろう。

 

「…………」

 

 しかし、そんな一同の声も届いていないのか。アイオネアはただ、己の主と友を見送ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 晴天に煌めく、如何な技術か無数の水晶じみた浮遊物がきらびやかに彩る白亜の都市の公園内。

 そのベンチに座ってブラック珈琲を啜りながら、隣に座る少女へと語り掛ける。此処までの道すがら買った、カフェオレを飲んでいる少女に。

 

「……さて、これからどこに行くか……行きたい所とか在るか?」

「う〜ん……そんな事言われても、あたしはこの世界の事はあんまり知らないし……」

「それもそうだよな……よし、観光パンフレットでも見て回るか」

「うんっ」

 

 緑化された公園内は朝の瑞々しく澄んだ空気に満たされ、散歩する住人の憩いの場となっている。

 正面の少し離れたベンチには仔犬を追ってはしゃぐ子供達を優しく見詰める父親と母親、隣のベンチの老夫婦は鳩のような鳥にパン屑らしきモノを与えている。

 

「…………」

 

 ありふれた日常の光景に、思わず目を細めてしまう。余りの眩しさに目を……心を、焼かれるかのようだった。

 

 それは……夜空に咲く大輪の花火と同じだ。永遠ではないからこそ、永遠よりも貴い。永劫の"刻"の流れから見れば刹那にすら満たぬが……一瞬だからこそ、鮮やかに煌めいて見える生命の虹色。同じ虹色でも、永遠ならば――それは、無色透明と代わらない。

 

 もう二度と、己の手には入らないモノ。永遠に眺めるだけの、その煌めきが胸を焦がす。それが郷愁なのだと理解したのは、つい最近の事。

 

「……お兄ちゃん、今……何考えてる?」

 

 パックのカフェオレを持ったまま、そう伺ってくる彼女。難しい顔をしてしまっていた事を反省して、表情を和らげて。

 

「んー……実はな、今キスしたら……ユーフィーの唇はさぞかし甘いんだろうな、とか考えてた」

「ほえ……うぅ〜っ!?」

 

 驚いてパックを握り潰してしまい、前にカフェオレをぴゅるーっと飛ばしたユーフォリア。

 からかわれた事に気付き、直ぐにぷくーっと頬っぺを膨らませて。

 

「だ、だったら今、お兄ちゃんとキスしたら……珈琲の味が……」

「ほろ苦い味がするだろうなぁ、試してみるか? 『大人のキス』で、になるけど」

「はうぅ〜っ……」

 

 反撃に反撃され、真っ赤になって俯いてしまった少女の頭を優しく撫でる。撫でつつ、ゆっくりと掌を下げていき……下顎を撫でるようにして顔を上げさせて頭の位置を動かせないように固定……少しずつ、顔を近付けていく。

 ユーフォリアは暫く慌てていたが…やがて瞼を閉じて『待つ』仕種を見せた。そして――

 

「「「…………(じー)」」」

「「…………」」

 

 自分達を見上げる、三対の瞳に気付く。御座りした状態の仔犬と兄妹らしい男児と女児の無垢な瞳が不思議そうに自分達を見詰めている事に。

 そして、二組の夫婦が微笑ましげに見守っていた事にも。

 

「……カフェオレのお代わり買いに行くか」

「う、うん……」

 

 それに、錆び付いたブリキの人形みたいに離れて……気恥ずかしさを隠す為に、連れ立って歩き始めたのだった。

 

「――お、そこ行く彼氏彼女〜! 二人の性活が潤う掘り出しモノが在るよ、さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」

「字が違うだろ! ってしまった、ツッコんじまった……!」

 

 と、公園を出た所の露店商の女に声を掛けられた。思わずツッコんでしまい、関係を作ってしまう。

 

「……い、異世界の珍品が、その……揃っているぞ……」

 

 薄桃色の髪の、やたら露出の多い服を纏った蠱惑的な女性。その隣には黒褐色の長髪をポニーテールにした鮮やかな緑色の瞳の真面目(おカタ)そうな女性が、全く同じ露出過多な服装で恥じらいつつも客引きを行っている。

 

「へぇ〜……もしかしてコレって、パーマネントウィルじゃ……って、むぅ〜っ!」

「……ごめんなさい、踏んでますよユーフィーさん!」

 

 それでついつい、目を引くEかFの立派な胸に注目してしまったのを見咎められ……思いっ切り、足を踏み躙られてしまった。

 

「さっきの、しっかり見てたよ……お熱い事で。そんなお二人には、これなんてどうだい?」

 

 と、差し出された小さな小さな箱。ベルベット地の少しだけ豪華なその小箱を開けば――

 

「わあ……綺麗……」

 

 と、ユーフォリアが思わず溜息を漏らすに値するだけの代物が顔を覗かせる。宝石は付いておらず、飾り気は少ないのだが……美しく、鏡の如く磨き上げられたシルバーの、強いマナの結び付きを感じるペアリング。

 片方は大きめの男性用、もう片方は小さめの女性用。詰まり……所謂エンゲージリングだ。それにしては質素だが。

 

「これはね、『ルータの指輪』さ。名匠ルータが晩年に作り上げた集大成たる魔導器。これを贈った恋人達はどんな苦境に曝されても、それを乗り越えて必ず結ばれる……って噂さ」

「素敵な話ですね……」

 

 うっとりと、夢見るような表情で指輪を見詰めているユーフォリア。そんな表情を見てしまっては、まかり間違っても『胡散臭せぇ』とは言えない。

 

「よくもそんな出まモゴモゴ……」

「綺麗だろ? 贈り物には最適だと思わないかい、彼氏?」

 

 その時、意味ありげに向けられた女の視線。『男の見せ処だよ』と、語りかける視線。

 言われるまでも無い、端から買うつもりなのだから。なので不敵な視線を返して、財布を取り出す。

 

「毎度あり〜、お代はお二人の愛の分だけ勉強させて貰って……これくらいで」

 

 突き出された請求書に記された額に、一瞬で真っ白に燃え尽きた。それを見遣り、店員が憐れむように瞼を閉じる。

 

――お、俺のバイト代の三ヶ月分どころの額じゃねぇ……! 俺が生涯かけて使うような額だぞ……!

 

 流石に、全身にじっとりと脂汗が浮く。ユーフォリアはまだ指輪に心を奪われているらしく、そんな彼の様子には気付かない。

 

「……あの~、この指輪なんすけど……もう少し安くなりませんか?」

 

 幾ら何でも、一介の学生に払えるような額ではない。恥を承知で、値切る事に決めて。

 

「おやおや、あんたのその子への愛はそんなチンケなモノなのかい? ナリはでかいくせに情けないね、男が女に金を掛けるのは当たり前だろ」

「いや、そりゃそうだけどコレ……俺の内臓を全部売っても購えない額だから」

 

 それにしかめっ面を見せた女店主はやれやれと大仰な仕種でもって、ユーフォリアに聞こえないように端正な顔を近付ける。

 

「仕方ないねぇ……よし、あたしも女だ。あんたの一番大切な持ち物と物々交換してやろうじゃないか。勿論あたしの眼鏡に適ったモノだけだけどね」

「……二言は無いでしょうね」

「当ったり前じゃないのさ。商人(あきんど)として交わした約束は――絶対に違えやしないよ」

 

 そうとなれば、話は早い。頭の中にある、"真世界"内の宝蔵品(パーマネントウィル)のリストから、幾つかの稀少品をピックアップして――。

 

「じゃあ『星降る野の氷玉』」

「駄目だね」

「なら『霊鳥ズメワデの魂』」

「足りないねぇ」

「抱き合わせで『勇ましい梨』と『梢で眠る猫』」

「馬鹿にしてんのかい?」

 

 旅で得た稀少品は出し尽くしたが、それでも彼女は首を縦に振ろうとしない。

 だが、アサシンは一度狙った獲物は仕留めるまで絶対に諦めない。

 

――クソッタレ、足元見やがって……! 端ッから対等な取引じゃねぇのは判ってたけど、まさかマジでケツの毛まで毟る気とはな……鈴鳴りの時といい本当、商人とは相性悪いぜ、俺。

 

 ちらりと窺えば、店主はニコリと不敵な笑みを返して来る。『鐚一文マける気はないよ』と。

 

「難しい事は言ってないだろう、あんたの――あの子への気持ちの分だけの代償を支払えば譲ってやるって言ってるんだよ。勿論、あたしの眼鏡に適う質と量のモノとだけ、だけどね」

 

 睦み合うような、面白がる声色に微かな反感を抱く。要するに、彼女は自分を測ろうとしている事を確信して。

 

「――全部だ。俺の蔵に収まる財の総てを代償として支払ってやる……それでどうだ」

「……ふふ、毎度あり〜」

 

 その、"男の壱志"を貫くが故に。結局ケツの毛の一本まで残さず、毟り取られてしまったのだった。

 

「お嬢ちゃん。太っ腹な彼氏さんからのプレゼントだよ。その指輪、持って行きな」

「えっ……い、いいんですか……?」

 

 少女の戸惑った上目遣いに、からからと笑う女店主。一方のアキはと言うと自暴自棄を起こしたかのように真世界の門を開いて、宝蔵どころか銃砲の類までもを軒並み引きずり出している。

 その横で女店員は、疲れたように溜息を吐きながらリストアップを行っていた。

 

「いいも何も、それはもうあたしの手から離れたもんさ。後は購入した奴の好きにすりゃあいいよ……あ、それとこれはサービスだよ。詳しい使い方は……」

 

 と、そこに女店主がユーフォリアの耳元に唇を寄せる。何か中位のサイズの包み紙を彼女に持たせると、コソコソと某かを囁いた。

 

「……判ったかい? ふふ、その後の事は、彼氏に教えて貰うんだよ」

「あ、あうぅ……」

 

 一言二言程囁き合うと、瞬間沸騰した蒼い少女に店主は悪戯っぽく微笑みかける。

 

「……なかなかに良い男を捕まえたじゃないか、みてくれの方は中の上くらいだけど……ああいう手合いは、一度惚れた相手にはぞっこんってタイプさ。がっちりハートを掴んで、しっかり手綱を握って、どっしり尻に敷いてやるんだよ」

「あ……は、はいっ……?」

「ユーフィー、買うモノ買ったし行くぞ。これ以上此処に居たら、身ぐるみまで剥がされちまうぜ」

 

 いきなりエールを送られて、目を白黒させるユーフォリア。そんな彼女の肩を抱き、寒くなった懐を温めつつとっとと退散する。

 

「またのご来店を〜」

「二度と来るかァァッ!」

 

 背中に掛けられた言葉へと、そう叫び返して。やがて見えなくなった頃、店員が微かに非難するような声色で店主に話し掛けた。

 

「……少しばかり、阿漕(あこぎ)が過ぎるのではないか。ユーラ?」

「んな事無いって、リーオライナ。男ってのはね、苦労してなんぼ。味があってなんぼなのよ」

「ふむ……彼は……相当な苦労人顔だった気もするがな」

 

 ユーラと呼ばれた女店主の返答に目をつむったままの思案顔で呟き返す、リーオライナと呼ばれた女店員。その彼女が目を開いて。

 

「第一、余り激昂させるのは良くないぞ。正直な処、生きた心地がしなかった。あの二人はどちらもかなりの使い手だ……私の【冤魂】では一合と撃ち合う事が出来ない程に」

「――だったら何だってんだい。こちとら『神』に立ち向かった男を知ってるんだ、力の差ごときに怖じけづきやしないよ」

 

 視界に入るのは、珍しく真面目な表情のユーラ。その意外な台詞を受けて、リーオライナはぽかんと口を開く。

 そして直ぐに――その表情を引き締めて。

 

「ああ、そうだな。だから、物語をハッピーエンドで終わらせる為に……待ち続ける彼女の為に、彼を……クリストファー・タングラムを探し出そう」

「……当たり前さ」

 

 それに、ユーラも笑みを返した。

 

 この物語の始まる、少し前に。その物語は、誰も望まぬ悲劇的な終わりを迎えた。

 愛する者を守る為に、自らの生命を投げ出した……【竜翔】の冒険者とある剣の巫女の話。

 

 彼女らはその結末を変える為に。一流の悲劇を、三流でも……誰もが笑顔で居られるようにする為に、世界を渡っている。

 だが……それは例えるなら大いなる海洋に生まれたさざ波のような。そんな、数値にも出来ないような努力だ。

 

 まあ、実は既に旅の目的は喪ってしまっているのだが。それに気付くのは、また後の話。

 

「さあさあ、その為の路銀稼ぎだ。リーオライナ、もっと肌を出すんだよ!」

「あっ、こら……私はそういうのは苦手で……!」

 

 空は何処までも、果てしなく青く。結晶の煌めきは何処までも透き通っていた。


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