静かな夜だった。
ガス漏れ――――キャスターの魔力蒐集の被害者たちのために、凛と衛宮士郎が呼んだ救急車が街を賑わしてはいるが、その程度。剣、槍、魔、狂、騎。その全てがこの街のどこかにいるはずなのだが、おそらく今夜衝突が起こることはあるまい。
ならば今夜は、この隙に衛宮邸に伺ってみるのも悪くない。家主たちが出払っている以上あの家は無防備だ。そして標的の一人もいる。あちらの家に篭られているよりはやり易い。多少騒ぎにはなるだろうが、今のうちに抑えておいて損はない。身代金の要求がない誘拐事件というやつは、なかなか解決しないものだ。
問題点は二つ。一つは彼女を蝕むモノの大元の動きが活発化すること。予定としては外側の力を削いでから内側の対処を考えていた。これを逆転させる場合、内側の異変を感知したあの老人がどう動くか予測し難いことだ。大人しく工房に篭っていてくれれば話は楽になるが、万一、一匹でもこの冬木……日本を囲む海を越えられるとこちらの消費が馬鹿にならない。ケチって一匹でも逃すようなことになれば更に話がややこしくなる。
もう一つの問題は、彼女を本来の主とする騎乗兵を敵に回すこと。アサシンもなしにサーヴァントとタイマン張れなどと、マスターの命令もなしに好き好んでやるようなことではない。
――――ん。その騎乗兵は食事中か。相変わらずの悪食ぶり、いや、美食家だな。だが食事を楽しむのならせめて後片付けくらい綺麗にやって欲しいものだ。食い散らかすというのはいただけないぞ。
まったく、余計な仕事を増やすな。これでは今夜は動けんではないか。――――我が事ながら度し難い。
空を蹴る。ひらひらと、鈍色のローブがたなびく。後ろに纏めた白髪も、空気抵抗にあって後ろと上に留まろうと尾を引くが、身体が前へ下へと落ちていくならそれに順ずるより他ない。
新都の路地裏。誰も気に留めない、留めてはならないと意識から除外する闇の中。倒れている人がいる。ひとがいる。ヒトがいる。誰もかれもが血を抜かれ、魔力を抜かれ、そのまま放置されていた。命に別状はない。そのあたりは心得ているのだろう。今のところは――――と注釈をつけなければならないことが腹立たしいが。
だがこの現状は宜しくない。老若男女、とはいかない。えり好みしたのだろう。主の趣味か、従者の趣味かはこの際関係ない。うら若い女性たちが路地裏に放置される。たとえ命が助かろうが、その後に負わざるを得ない傷というものを少しばかり考慮したらどうなんだ。男たちにとってもそうだ。どんな根も葉もない噂がまったく無関係で関わりもなく無責任に流されるか――――ああ、まったく。俺は何をしているんだ。
防ぎたいのであれば防げた。
――――却下。現状、無駄に身を危険に晒すことは看過できない。
無関係でありたいのならこんなところに来るべきではない。
――――却下。彼らは助けを求めてた。求められたならば応えることが■■の役割。
己が
了解している。ならば今夜は私の
ひとりひとりを抱え、本来いるべき場所へと送る。何かを記憶しているかもしれないが、そんなものはただの夢だ。悪夢は逆夢。そのうちいいこともあるだろう。明日は全身疲労で動けないだろうが、一日休めばおおかた回復する。もしそうならなければ大人しく病院にでも行っておけ。栄養剤を入れてもらえば済む話だ。治療費のことまでは面倒見きれん。脆弱な己の肉体とか精神とか魂とかを呪っておけ。
――――ん。気づいたのか? このタイミングで? お前、ちょっと一般人にしては鍛えすぎなんじゃないか?
「……アレ。私――――何して……」
これは夢だ。ただの夢で、目が覚めれば己がベッドだか布団だかに包まっている。だから何の疑問も抱くな。
「そっか――――あ、アンタ、誰?」
疑問を抱くなと言ったばかりだろう。名乗るような名などない。――――だが、そうだな、強いて言うなら。
「通りすがりの『正義の味方』だ」
少女は笑った。何言っているんだコイツと思いながら笑ったのだろう。そして気が抜けたのか、そのまま夢の世界に旅立ってしまった。
よき夢を。――――せめてこれくらい、赦して欲しいものだ。