私、遠坂凛は「ああやっぱりこうなたか」と諦観の念を抱いた。
想定内だ。むしろ想定通りだ。仕方ない。アレがコウなのはむしろ既定の事実であり、ソウならなければきっと明日は槍が降るだろう。この聖杯戦争において槍が降るなんて予言、冗談でも行うべきではない。なぜならばまさにそんなことが起こる可能性が十二分に存在しているからだ。故にコイツについては問題ない。問題としてはいけない。その全てを飲み干した上で、遠坂凛はこの聖杯戦争に臨み、そして勝利しなければならないのだから。
それでもコレを吐き捨てるくらいは赦されるだろう。きっと。
「どこまでも巫山劇た性能よね、この駄サーヴァント」
全く予期していなかった士郎の暴走。確かにアイツは未熟で、魔術師としての考えが足りないところがあるとは思っていた。だから就寝前に聞いた戯言を聞き流すくらいはやってやってもいいだろう、なんてくらいに軽く考えていた。まさかその戯言を実行に移す、しかもたった一人で敵本陣に乗り込むなんて、予想外も甚だしい。それこそ、自身の召喚したサーヴァントの馬鹿みたいなステータスの次くらいに予想外だった。
「それで、士郎は本当に自分の意思で出て行ったのね? キャスターに操られたんじゃなく」
「保証はしかねる。俺は奴が出て行ったところを直接目撃したわけじゃない。夜間見張りとして咎められるべき失態だが、俺が発見したのは柳洞寺までの道程半ばを歩いていた衛宮士郎だ。足取りはしっかりしていたが、それだけだ」
「どっちにしたって柳洞寺にまで行ってしまえば、無防備な士郎を術中下に置くなんて難しくないわ」
私たちは駆ける。夜を駆ける。深々とした静けさが耳に痛い。私たち以外の全てが平穏に包まれている町を掛ける抜けるとき、己が魔術師であることを否応なく突きつけられる。そしてその魔術師であるところの私が行おうとしていることが、本当に魔術師らしいのかという疑念が過る。
「同意見だな。そのままセイバーとの契約破棄などされたら目も当てられん」
「え――――」
「そんなことが出来るのかと問われれば出来るだろう。令呪の剥奪はマスター本人の許可さえあれば現代の心霊魔術でも可能なことだ。そんなことをして何になるというのなら、相手がキャスターであるということに意味が出てくる。相手が魔術師であるなら――――彼女を正式に奪うこととて可能だろうさ」
「まさか――――」
言葉とは逆に、その可能性の高さを自覚し、戦慄する。ではこのまま私たちが柳洞寺に向かった場合、最悪の敵と戦わなければならない羽目にならないだろうか。
「……っく、セイバーは」
「俺が衛宮士郎に気付いたのとそう間も置かずに異常に気付いた。そのまま彼女の魔力放出を最大限に発揮して衛宮士郎の後を追った。間に合うかどうかは、五分五分、いや、多少分が悪い」
ならば尚のこと、このまま向かうのは拙い。戦闘準備を整えているとはいえ、それはあくまで対キャスター用。対魔力の高いセイバーを相手取る準備なんて行っていない。いや、たとえ行ったとしてもたかが知れているというのが正解か。
「そこまで悲観する必要はない。セイバーは奪われているかもしれないが、彼女が易く屈するとも思えん。十全の力を発揮できないセイバーなら、俺でも足止めくらいは出来るかもしれん。ただし、キャスターとそのマスターの相手は……」
「そういうことなら任せなさい。今回最弱のサーヴァントが最優を抑えるって言ってるのに、暫定最弱のサーヴァントくらい私が何とかしてやろうじゃないの」
そんな、出来もしない啖呵を切った。魔術師である私は私の行動を否定している。今すぐ引き返せ。衛宮士郎とセイバーは諦めろと。でもそんなものは聞いてやらない。少なくともセイバーが奪われるなんて悪夢を放っておくことは出来ない。あとあのへっぽこ2号にはきついお灸を据えてやらないと気が済まない。だから2人とも、無事でいなさい。
「そうか。ではまず追いつけないとは思うが――――俺たちも急ごう」
そう言って、アーチャーは私を脇に抱えると、そのまま民家の屋根伝いにまっすぐお山へ進路を取った。
「ちょっと、こういうこと出来るなら先に言いなさいよ」
「悪い。急ぐべきかどうか、先に考えた方がいいと思って」
「……くっ、急ぐに決まってるでしょ。手伝ってあげるからしゃきしゃき跳んでいきなさい」
命令一過。私は魔術回路、そして魔術刻印に魔力を回し、強化の魔術を施す。他人の人体に対する強化魔術は難易度が高い上に、サーヴァントに対してそんなものが効くかどうかちょっと疑問だったけど、どうやら上手くいったようだ。私を抱えたアーチャーのスピードがスズメの涙ほど上昇した。
「お。流石だなマスター。敏捷E-がE+程度に強化されたぞ」
「やっぱりその程度なのね。まあいいわ、とにかく全力で急ぎなさい」
「了解!」
そしてついに、私たちは柳洞寺へと続く石階段にまで辿りついた。
覚悟はしていたが現状は壮絶。死屍累々。いや屍というより骨なのだが、その嘗ての兵士であったものが、石階段の両脇に堆く積み上げられている。まるで巨大なビーム光線でも受けたかの様相だ。下手人はセイバーだろう。そのうちのいくつかはまだピクピクと痙攣し、主からの命令を果たそうともがいているが、脅威となりえない以上構っている暇はない。残骸を無視して石階段を駆け上がり、山門を抜ける。
そして――――。
濃密過ぎる魔力が満ちた空間に、一瞬吐き気を覚えた。これが、キャスターの神殿か。
「む。凛、気をつけろ。これは高圧縮された魔力ぐわああぁぁぁぁぁ!!!」
てこら! 私に注意喚起するくらいなら自分の気をつけろ!
魔力を高密度に圧縮させた魔砲のクリティカルヒットを受け盛大に吹き飛んだアーチャーは哀れ星になった。――――令呪を確認した限りまだ生きてるみたいだから良しとしましょう。道中ちょっとカッコイイことを言っていたが私はもう騙されない。こんなことは冒頭述べた通り想定通りだ。後は現状が私の最悪の想定内なのかどうかということだけ。
空から降り注いできた圧縮魔砲は、別に私を狙ってのものではなかった。山門を抜けてすぐの広場一帯に、無差別に浴びせられたのだ。圧縮した魔力を無差別にぶっ放すなんてどれだけ魔力を溜めこんでいるというのか。想定の危険度を上方修正しながら周囲を見渡す。私に向けられたわけではないということは、少なくともキャスターに敵対する勢力が私以外にもいるということだ。希望はある。
そして見つけた。あの圧縮魔砲、ランクにしてAランク相当の魔術を一身に受けながら、一歩も引かず、傷ひとつ負っていない彼女の姿を。
「セイバー!!」
彼女は応えない。しかし彼女が守っている者がこちらに気付いた。言いたいことは山ほどあるが、とりあえず腰を抜かしつつもその目はしっかりしている。操られているわけではなさそうだ。攻撃を掻い潜り、最も安全地帯であるセイバーの背後に駆け込んだ。
「この大馬鹿士郎!! アンタ自分がやったことわかってんでしょうね!!!」
「遠坂なんでこ――――ぐはあっ――――シ、シロ……」
ついでに大馬鹿に対する鬱憤の一部でもさっさと返上しようと跳び蹴りをかまして地面に沈める。何か見られた気もするけどそれに対する文句も罰も矯正も後回しだ。
「凛。貴女が来たということはアーチャーは?」
「アレは当てにしないこと。さっき一発もらって吹き飛んでたから。死んでないけど」
「分かりました。ではしばらくは私の後ろに。あとシロウを見張って頂けるとありがたい。この際多少力技でも構わないでしょう」
私の乱入に慌てた様子もなく順応してくれるセイバー。士郎に対する扱いがミジンコ並みに低くなっているのはコイツの自業自得なので問題ない。
そんな単純な状況確認を終えるか終えないかの内に、ついに上空からの攻撃が止んだ。ホッとする間もない。あの上空に描かれた魔法陣は、座標固定型ながらかなりの高威力の魔術を展開するものだろう。私の知識にもない、おそらく神代の魔術。その魔法陣の上に浮遊する女。ローブを羽のように広げているその様は、まるで昆虫が威嚇しているようにさえ思える。まったく――――あまりの効率の悪さに浮遊魔術なんて発想とうの昔に廃れたっていうのに、そんな効率なんてみみっちいことを考えていないのか、それとも忘れ去られた時代には今よりよほど効率のいい式が存在していたのか。どちらにせよあんな平然と空を支配している魔術師――――キャスターの力量が伺い知れるというものだ。
「あら。鼠がまた一匹入り込んだようね。やっぱり竜牙兵如きではこの地の守りを任せることは出来そうにないわ」
「そんなに気にする必要ないんじゃなくて、キャスター。私の管理地で下手なことしちゃっている以上、敷金礼金耳を揃えて払って貰った後に問答無用で叩き出してあげるから」
「へえ。貴女みたいな小娘がこの地を管理しているというの? 宝の持ち腐れもここに極まれりね。なんだったら私が代行してあげましょうか?」
「――――! 御免被るわ。新都のガス漏れはともかく、学校にあんな馬鹿げた結界を張るような奴なんて、一分一秒生かしておく価値すらない」
「そう――――その程度なの。初めから決まっていたこととはいえ、交渉は決裂ね。ここで無様に消し炭になりなさい」
キャスターが言霊を紡ぐ。耳覚えのない、けれどその短い音の中にあらゆる本質が詰め込まれた神話時代の言葉。高速神言。工程にして
「遠坂、危ない!!」
いきなり士郎が突っ込んで来た。何をと思う間もなく、先ほどまで私がいた場所の地面が抉れている。セイバーは健在。ならば――――その脇を掻い潜ったのに他ならない。
「シロウ!! 凛!!」
セイバーも上空から直下するだけではなく、変則的な動きをした魔砲の動きに気付いたのだろう。じっと身体を盾にするだけではなく、動き、跳躍し、その手に握られている不可視の剣を振るって私たちへと降り注ぐ魔術の悉くを防ぎきる。金砂の髪が輝き、打ち合う鎧の鋼の音が、鈴の音にさえ聞こえてくる。鎧の下からのぞく青と白のドレスの舞は、まるで月下の舞踏会。
そういえば――――これは私が目にした初めての、神話の戦いだった。
時間は有限。何れこの舞は終わりを迎える。しかしそれは踊り手の疲労によるものではなく、踊り手へと向けた無粋な演奏が止んだから。セイバーはやはり傷ひとつなく、汗ひとつかかずそこにあった。
「流石、最優と名高いセイバーね。これほどの攻撃を受けて僅かばかりも損なわれていないなんて」
「貴様程度の術で私を傷つけ得ると思うなよ。キャスター。そろそろ手品も出尽くした頃ではないか?」
「生意気ね――――。でもそんな風に地を這い続けている以上、貴女に私を傷つけることなんて出来ないんじゃなくて? さあ。第二演奏を始めましょうか。一体何時までその後ろの足手まといを守っていられるか、とっくりと観察してあげる」
キャスターの言う通り。今のところ彼女の魔術はセイバーに傷をつけることはできない。しかし私や士郎は違う。セイバーは私たちを守り抜かなければならないのに、剣士たる彼女は上空にいるキャスターに届くだけの攻撃手段がない。
――――いや。そんな常識を覆す方法がないわけではない。そもそも彼女は、そんな常識になど囚われない、英雄という生き物なのだから。
「凛。しばし時を稼いでください。シロウ――――貴方には、後で言いたいことが山ほどあります」
「セイバー」
「ですから。今は貴方自身のサーヴァントを信じてください」
その言葉と共に、キャスターの第三爆撃が始まった。
セイバーはもう私たちを守ろうとはしなかった。不可視の剣を正眼に構え、少しずつ、そこへ収束させる魔力量を高めていく。正面からくる攻撃はまだセイバーがいるから心配ない。しかし、不規則な動きをする魔砲弾は別だ。蛇のように地を這い、鏡に跳ね返るように軌道を変えるそれは、一発一発が致命傷をもたらすキャノン砲に他ならない。
「――――
手に仕込んでいるのはこの十年をかけて私が魔力を溜め続けた宝石のうちの一つだ。それを使い潰して、私と士郎を覆う防壁を張る。
「……くっ!」
拙い。一撃で半分近く持っていかれた。長くは持たないとは思ってたけど、これほどとは。
「遠坂、上だ!」
士郎の言葉に半ば反射的に防壁を上に集中して重ねる。また削られた。けど、今のはよかった。削られ方がさっきの十分の一にまで抑制できた。守護対象を薄い膜で覆うより、盾の形状を取って集中運用させたほうが効率がいい。だけどこんな、上下方向には180度、前後左右に270度の集中砲火をひとつづつ弾くなんて。まず何処から襲って来るかが分からないと――――。
「今度は右、次は後ろだ」
「くっ、士郎、方向だけそのまま続けて」
やってやろうじゃない。このくらいのことが出来なくて、何が遠坂凛よ。
「セイバー!」
こっちは大丈夫だと。心配いらない。任せておけと。万感の思いを込めて彼女を呼ぶ。
セイバーは応えない。そんなものは必要ない。だってセイバーの応えは、彼女自身の行動によって示されるものなのだから。
風が巻き起こる。キャスターからの攻撃による爆風ではない。それはセイバーを中心に発生し、セイバーを守るかのように展開し、そしてまたセイバーの持つ剣へと収束する。魔力の風。彼女の――――宝具。
「――――
それは鞘だった。彼女は剣を鞘に収めたまま戦っていたのだ。今その鞘が解き放たれる。現れたのは、美しい、光の聖剣。
けれど今使うべきは剣ではなく、鞘。聖剣を纏っていた風の鞘が、ひとつのうねりとなって遥か上空に浮かぶ魔女へと襲いかかる。
「くっ、おのれこれしき……!!」
けれど魔女も然ることながら。風に晒され、風に煽られながら、その浮遊を維持し続ける。距離が開いていたためだろうか、あるいは物理的な衝撃を吸収させる術式がそこにあったのだろうか。上空の風は、地上の風より幾分凪いでしまっている。――――やはりダメなのか。そんなことは考えない。だってセイバーの背中は、あんなにも頼もしい。
セイバーが踏み込んだ。地を蹴った。私たちを守る盾がなくなった。でもそんなことを気にしてはいけない。己の身は己で守る。遠坂凛にはそれが出来る。ついでにへっぽこ一人くらいは守ってやれる。
セイバーが駆ける。地を蹴り、地を蹴り、そして――――風を蹴った。
「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおッ!!!!!!!」
「そんな、馬鹿な!?」
唸りあげる咆哮。騎士は空へと駆け上がる。風を蹴って駆け上がる。鞘から抜いた抜き身の剣が、すでに己の独壇場ではなくなった舞台から、ついには魔女を打ち落とした。
「くっあ、ああぁあッッッッ!!!」
翼を破られ、魔女は地へ沈む。ほどなく空の遊歩を終えた剣士も、鎧の重さをカシャンという音によってのみ感じさせる着地でもって、地上への凱旋を果たした。
「流石アタシのセイバー!」
「え。遠坂、の?」
「凛。流石にそれは……」
いいじゃないの、こういうときくらい。勝利はみんなで分かち合わなきゃ。そもそも今回のことは士郎が発端で諸悪の根源なんだからね。
「う。それは俺が悪かったけど、でもそれとコレとは別だろ。そもそも、アーチャーはどうするんだよ」
「アイツ運用効率だけが取り柄みないなもんだから、私がセイバーと二体同時使役したって文句は言わせないわ。いいこと? 今回は私もアンタをちゃんと見張ってなかったって落ち度があるから引いてあげるけど、今後こんな馬鹿な真似してみなさい。絶対にセイバーを口説き落としてやるんだから」
「……口説き落とされる気はありませんが。シロウはしっかりと反省して下さい。これは大前提です」
よしよし。言質は取っておきたかったけどそこまでは欲が過ぎるってものよね。とにかくこれで一件落着。終わりよければ全て良し。さっさと帰って――――。
ゆらりと。影が動いた。
私が気づけたのは単に位置が良かっただけ。士郎も、セイバーも、完全に死角だった。
倒したと思った。それは油断であり、慢心だった。幾ら戦士や化け物でないとは言え、私たちが戦っていたのは紛れもなく英雄と呼ばれるものだったのだから。
「危ない、シロウ!!」
セイバーは気づいた。あの角度で見えていたわけではないだろうが、彼女の直感が主に迫る危機を予測させ、そしてその身体を動かした。士郎に迫っていた歪な短剣を、セイバーはその身でもって防いだのだ。
「セイバー!!」
「くっ、これは」
「フフ。アハハハハハハ。油断したわねセイバー。でもこれでもう、貴女は私の玩具」
何のことだ。そんな短剣でセイバーをどうにか出来るなんて思えない。事実、セイバーは傷ひとつ負っていない。傷ひとつ、負っていないのに。
「セイバー、大丈……」
「シロウ。逃げて――――」
「令呪を持ってセイバーに命じます。さあ、私に従い、私の敵を打ち倒しなさい」
キャスターの腕が光る。そこに現れているのは赤い文様。
「セイバー、何で……」
どうして抜き身の剣が、士郎と私に向けられているのか。
「あ。そんな」
士郎の手。セイバーを従える、マスターの証たる三角の令呪。それが色を失っていた。
「――――
令呪の魔力はセイバーを縛る絶対の鎖となっている。けれど彼女は抵抗している。主替えなどに賛同せぬと。
「こんな――――ことで」
「抵抗する気? それならもう一画――――え? そんな。宗一郎様ッ!!!」
絶望が、私たちを襲い来るはずだった。令呪を二画も使われれば、私たちに活路はない。しかしキャスターは、いざ令呪に魔力を込めたと思ったそのままに、まるで私たちの絶望を写し取ったかのような悲鳴をあげ、忽然とその姿を消した。
そこには私と、士郎と、セイバーだけが残された。
この時点で決着はついていた。それは私の全く預かり知らないところで。故に結果を語るだけならば、きっとこの次の話は蛇足でしかない。けれど語ろう。これから起こる事象のすべての責任は、遠坂凛に帰するものなのだから。