私、遠坂凛は「ああ、そういうことなのか」と、どこか他人事のように納得してしまった。
私が召喚したサーヴァントは弱い。宝具のランクは出鱈目だが、それ以外のランクは逆の意味で出鱈目だった。だから白兵戦で他のサーヴァントに後れを取るなということ自体が酷であることも理解している。例えば魔術を封じられたキャスターや、隠れるところを失ったアサシンにさえ、いい勝負が出来る程度なのだろう。それでもアイツは聖杯を欲していると言った。この戦いで負けることを覚悟していると言いながら、それでも諦めるつもりはないと言ったのだ。その一点を論ずるならば、彼は遠坂凛のサーヴァントに相応しいと言ってしまってもいいだろう。
でも私はちゃんと考えてはいなかったのかもしれない。まともに戦っても勝ち目のないアイツが、ではどうやって勝ちを得ようとしているのかを。その一つは士郎やセイバーとの同盟だったのだろうけれど。ただそれだけの、他人任せな手段で十分だなどと考えられるほど、この戦争は甘くない。だから、いくらそれ以上を考えていなかったとは言ったって、その光景を見せられれば納得せざるを得ない。この弓兵が、この聖杯戦争においてどのような手段をもって勝ちに行こうとしているのかを。
魔術師である私は理解した。けれど問わねばならない。遠坂凛である私は問わねばならないのだ。
「いったい何をしているの。答えなさい、アーチャー」
キャスターが突然の転移を行ったところから話そう。あの時は、私も士郎もセイバーも、ただただ唖然とするしかなかった。それだけ、あの転移は突然のものだったのだ。
「セイバー!」
「近づかないでください、シロウ。キャスターがこの場にいないため、お二人がキャスターを害する敵ではないと誤魔化してはいますが、あまり余裕のある状態ではありません」
初めに我を取り戻したのは士郎で、その士郎の行動にセイバーも早々に自分の状況というものを申告してくれた。無様なことに、もっとも出遅れたのは私だ。
「令呪の縛りね。急な展開でついていくのがやっとだったけど。セイバー、今の貴女のマスターはキャスターということで間違いないのね?」
「――――遠坂、どういうことだよ!?」
「……間違いありません。それが彼女の宝具だったのでしょう」
あの歪な短剣。全ての魔術効果を破棄する
「まあいいわ。キャスターの正体については保留よ。彼女、一体何処に行ったの?」
「待ってください。――――パスは、あちらに続いています」
セイバーが示した先にはお寺の建物がある。本堂ではない。多分住職とか坊主とか柳洞君とかが住んでる居住区だ。
「寺の中の誰かが彼女のマスターだと仮定するなら、令呪で呼び出された? いえ、この神殿の中の移動だけならキャスターの魔術だけて擬似的な空間跳躍も可能か。どちらにせよ、マスターと合流したとみるべきね」
「シロウ、凛。お願いです。今はキャスターが他のことに気を取られている。ですから今の内に逃げてください。私は、貴方達にこの剣を振るいたくはない」
「そんなこと出来るか。帰るなら、セイバーも一緒だ」
「シロウ! そんなことを言っている場合ではないのです」
「いいえセイバー。そういうことを言っている場合なのよ。貴女はここで取り戻す。でないと、今生き残ったからって私たちに勝利はないわ。だから安心しなさい。キャスターを倒して、貴女を解放してあげるから」
その発言は不用意だったのだろう。一瞬、セイバーの殺気が増した。言葉ですら、キャスターを倒すなんて言ってしまえば敵判定を受けるようだ。もっとも、それはすぐにセイバー自身の意志によって抑えられてしまったけど。
「キャスターを追うわ。セイバーはここに留まって。キャスターとの繋がりが切れたら、直ぐに来るのよ。貴女は単独行動のスキルなんて持っていないんだから」
「遠坂。俺は――――」
「行きましょう、士郎。ここに残ればセイバーの負担になる。帰れなんて言ったってアンタは聞かないでしょう。だから一緒に来て。そしてキャスターを倒すの。返事は聞かない。ことここに至って腑抜けたこと言い出すなら、貴方はここで落ちなさい」
「――――分かった」
本気かどうかはわからないけど、返事だけは合格点だ。セイバーを奪われて思うところもあったのかもしれない。
合図もなく、私たちは一目散に駆け出した。建物の中がどうなっているかはわからなかったけど、士郎は何度か来たことがあるのか、迷うことなく進んでいる。静かだった。外でのどんぱちなんて誰も知らないかのようにみんな熟睡している。おそらくキャスターの魔術なのだろう。呼吸をしている以上生きているには違いないから、それらを無視して駆け抜ける。
向かうべき場所に検討がついているわけじゃない。けれどこの静寂の中で、かすかなざわめきが確かに起こっていた。慎重に、ざわめきの元を辿る。それは誰かの声で、悲鳴だった。その声に導かれるように歩を進め、次に異常を感知したのは嗅覚。鉄の――――いや、血の匂いがしたのだ。
そして私たちはその部屋に辿り着いた。
和室だった。この建物の中には和室しかなく、板張りか畳敷きかの違いを言えば、畳張りの部屋だった。どこの家にあってもおかしくないような、広さに特徴もないような、和室。その部屋へと続くふすまを開けた。
「な――――」
言葉を失った。そこには3つのヒトガタがあったのだ。
一人はキャスター。一瞬見間違いかと思ったのは、フードに隠れていた可憐と言っていい顔が露わになっていたから。惨状に心折られ、涙を流し、開けっ放しの口からは意味を成さない嗚咽を漏らしている。けれどその身体はまるで彫像のように固まり、指一本動かせずにただ一人を凝視していた。
一人は男。キャスターに凝視されている男。磔にされた男。その両腕も、両足も、肩も腹部も胸も、いくつもの鉄剣に串刺しにされ、壁に縫いとめられている。血塗れで、力なく伏せられた顔は、彼に意識がないことを示していた。その人に覚えがあった。いつも、毎日見ることのあった人だった。今日だって、その人の授業を受けていた。――――葛木宗一郎。私たち穂群原学園2年A組の担任。確かそんな人だった。
最後の一人は、私がよく知っているはずの奴だった。鈍色の簡易な鎧と、同じ色の外套を纏った弓兵。現代服を着ていない今は、その顔をやはり同じ色のフードで隠している。初めから何一つ役に立たないサーヴァントだった。けれど何度か助けられたこともあった。初めから正々堂々としたタイプではないだろうとは思っていた。けれど何度かその手にボロボロの剣を握り、私の期待に応えて決して勝てない敵に立ち向かわせたこともあった。
だから私は冒頭の台詞を言う。コイツが今何をしているのか、冷静に考えればあまりに簡単なことだったというのに。コイツの手は、葛木の胸に刺さった鈍の剣を握っていたのだから。
「……アー、チャー?」
私の問いに、反応を示したのはキャスターだった。
「ハ、アハハッ、アハハハハハハ!! なあに、そういうこと? そういうことなの?」
まるで狂ったように、もしかしたら事実狂っていたのかもしれない。キャスターは彫像のまま、ただ言葉だけで嗤う。その姿はあまりに異様だ。本当は腹を捩って嗤い転げたいだろうに、まるで何者かにそう命じられてでもいるかのように、彼女は身体を動かさない。
「アーチャー、止めろ。先生を放してくれ。今ならまだ、助かる」
その異様なキャスターをまるで無視して、士郎がアーチャーに語り掛ける。何のことかと一瞬迷った。――――助かる? 誰が? その疑問は、血塗れの磔と成り果てている葛木をよく観察し、氷塊した。かれはまだ生きているのだ。あの状態で。急所は悉く外され、いつ死んでもおかしくない状態で。例えば今アーチャーが手にしている剣を、ほんの僅かでも動かしでもしたら、すぐにでも死に至るということの状態で。
士郎の問いに、キャスターの嗤い声が途絶えた。
「――――と、いうことだ、キャスター。お前やそこの未熟者の見立て通り、この男はまだ生きている。処置さえ誤らなければ後遺症すら残らないだろう。こちらの要求について考える時間は十分に与えたつもりだが?」
そんな――――あまりにも場にそぐわない、涼しい声を聞いた。
「アーチャー!!」
もう一度呼ぶ。今は、この男が私のアーチャーであるということをとにかく確認したかった。
「……そう悲壮な声を上げるな、凛。普段の冷静な君は何処に行った? もっとも、俺に見せる君はいつだって、余裕とか優雅とかには無縁な女の子だったような気もするな」
「巫山劇ないで。マスターの私が命じているのよ。現状を報告なさい」
「――――報告すべきことなど見たままだ。俺はキャスターのマスターを人質に取り、彼女に自害を迫ってる」
やはり、そういうことなのか。
「……その男がキャスターのマスターですって? 葛木先生が魔術師だったなんて、私は終ぞ知らなかったのだけど」
「魔術師ではないよ。確認したが令呪も持っていなかった。故に正規のマスターではなく、逸れサーヴァントであったキャスターを拾っただけなのだろう」
「それでよくマスターだって……!」
「ずっと見ていたからな。前に言わなかったか? 俺は目がいいんだ。衛宮の家から柳洞寺を視認できる。結界の中までは正しく把握していたとは言い難いが、この男が何度かキャスターと接触していたことは知っていた。もっともそれでも半信半疑。君が言うようにこの男は魔術師ではない。だから君に伝えるべきではないと思っていたし、もし伝えるにしても正式に柳洞寺に攻め入るか、マスターを炙りだすかの方針が決まってからだと考えていた。ちなみに確信に至ったのは先ほどだ。外での戦闘に気付いた寺の住人はこの男だけであり、しかもこの男はキャスターの手助けに向かおうとしていた。マスターであることは、本人の口からもたらされた情報だよ」
「それなら彼を人質に取ったって意味がない。令呪の縛りもなく、魔力供給だってしていない。操られているだけの可能性だってある。キャスターにとって彼はなんの価値もないわ」
「魔力供給がなかろうが、現世への頸木は単独行動のないサーヴァントにとって命綱だ。それに――――そんな理由をわざわざ考えなくとも、現状を確認すればこの男がキャスターにとって、何の価値もない人間だなどとは思えないだろう?」
キャスターは、磔になり死に瀕している葛木から目を離さない。指一本動かせないのは、どんなに僅かな動作だろうが行った瞬間に彼の命が尽きると宣言されているからなのだろう。それはサーヴァントとマスターの関係としては歪に過ぎる。サーヴァントは自らの現界のためにマスターを守る必要があるだけで、自らの身を挺してマスターを守ることはあろうとも、自らの身を捧げてマスターを守るなんてありえない。特にあんな、裏切りの象徴のような宝具を持つキャスターでは考えられない。だから彼女は、己の身も、マスターの身も双方損なうことなく窮地を脱する術を考えていなければならない。けれどそれが適わなければ、己の身だけでも保全する選択を行わなければおかしい。
「さて、マスターへの報告は以上でいいか? 思わず余計な時間を与えてしまったけれど、これ以上の猶予はないぞキャスター。人間という奴はその身に流れている血液をそれなりに失っただけで、その機能を停止させてしまうからな」
畳敷きの和室は葛木のものと思われる血に染められていた。どれだけの血を流したのか見当もつかないが、磔にされた葛木からはさらに血が流れ続けている。肉体生命の維持が不可能となる量に達するのは時間の問題なのだろう。
「――――私がこの身を捧げたとして、貴方が宗一郎様を助ける保証などないのではなくて?」
「それは信じてもらうしかないな。何なら、ほら。そこに俺のマスターがいるわけだから、令呪で命じさせようか?」
「嘘吐きの言葉を信じられるとでも? そんな無意味なことをさせる気はないわ」
「めったなことを口にするなよ、キャスター?」
「ええ、そうでしょうとも。でも恨み言くらい言わせて頂戴。貴方が最後に聖杯をその手に収めることがないように、器の中から呪っていてあげるわ。――――お嬢さん。そして、坊や」
彫像のように固まっていたキャスターが、不意に動いた。動かないことが世界として正しくあるべき姿であったのに、その理に背いた以上キャスターはもう長くない。それでもキャスターは、己の寿命を対価に私たちへと語り掛ける。
「宗一郎様のことを、お願い。絶対に助けて。本当に――――現世にまで迷い出て、最期にこんな、なんの確証も持てない、藁に縋る以下の思いを抱えて逝かねばならないなんて」
それは諦観。私たちに託していながら、彼女は葛木が助かるなんて欠片も信じていない。でもたとえ信じられなくても、彼女に与えられた選択肢はたったひとつ。希望などない。あるのは絶望だけ。でもきっと、そんな絶望、彼女は飽きるほど経験してきていたのだ。だからこの結末が――――どれほど受け入れがたいものであろうと――――受け入れるしかないと理解している。
彼女の腕が光った。そこにあるのはセイバーの令呪。その刻印に、彼女が新都の人々から集め溜めた魔力が流れ込んでいく。
セイバーなら、このキャスターを救うことが出来るのではないか。一瞬私はそう疑って、キャスター自身がそんなことを信じていないと理解した。だから命じられる内容なんて、たったひとつしかありえない。
「令呪をもってセイバーに命じます。今、すぐに、私を――――殺しなさい」
魔力の渦がセイバーを呼ぶ。突然の召喚に彼女は現状を理解していない。けれど令呪の命令は絶対で。何の理解も出来ぬまま、彼女は仮初の主をその手に掛けた。
「ああ――――私の、望み。さっきまで、叶っていたのに」
その言葉を最後に、キャスターは死んだ。その瞳は、最期の最後まで、たった一人の男を見つめ続けていた。
それが結末。私たちはキャスターを屠り、聖杯への道を一歩進んだ。振り返ることなど許されない。聖杯戦争は長いのだ。長い長い夜の続きは、また次回にしましょう。