色々あったが、解決した   作:華月鳥

24 / 25
2月6日
024_約束ノ夢


 ――――夢を見た。

 どこか遠い、誰か知らない亡霊の、夢を見た。

 

 雨が降っていた。豪雨でもなく、しとしとと、じめじめと。

 倒れ伏したそいつはまるで濡れ鼠。誰もそいつを助けなかった。そんなところまで来てしまったそいつを、もう誰も助けることが出来なかった。

 

 ある女性がいた。『幸福』な女性だった。その『幸福』を得るまでに一生分の不幸を乗り越えた女性だった。

 その女性が手を差し伸べた。その行為には何の打算もなかった。ただ純粋に、女性はそいつを助けたいと思ったらしい。女性にはそいつを助ける手段があったから、何の躊躇いもなく自然に、手を差し伸べていたらしい。

 そいつは彼女の手を取った。それが始まり。それも始まり。

 

 ――――ノイズ?

 少し、あるいは長い、時間が経った。

 

 そいつには何もなかった。何も、何一つ持っていなかった。何もかも、なくしてしまっていた。

 

 平和な日々が訪れた。

 傷ついたそいつを彼女とその家族が受け入れた。若い夫婦と、幼い息子。妻の姉と、従者が一人。ささやかで幸せな家庭だった。

 従者の列にそいつは加えられた。赤子だった息子が少年へと成長する過程を、そいつは見守った。

 

 その世界では誰かが死んでいた。理不尽に殺されていた。

 悪人によって殺される人。愚か者によって殺される人。災害によって殺される人。

 助けを求めても救われない人々。助けを求めることすら出来ない人々。

 その全てに、誰もが目を背けていた。ここに『正義の味方』はいなかった。

 ただ目の前の『幸福』を守るだけが精一杯の、当たり前の日常があるだけだった。

 

 そいつは平穏を与えられた。そのうちに、家族として迎えてくれた者たちに恩返しが出来ないかと考えた。けれど、そいつは何をすることもできなかった。

 そいつはすでに、家族に『幸福』を与えることが出来ていたのかもしれない。けれどそいつはそれを理解できていなかった。

 かつては『幸福』を知っていたはずだった。今では『幸福』を与えられていたはずなのだ。けれどそいつは『幸福』がどんなものであるかを忘れていた。それが『幸福』とは気づかなかった。

 

 約束された日常。繰り返すだけで進んでいく日々。明日もまた日常であることを、誰もが信じて疑わない。

 そこには『理想』も『願い』もなかった。『理想』も『願い』も必要なかった。『理想』も『願い』も、持ってはいけないものだった。

 

 だから、いつしか破綻は訪れた。

 

 ある雨の日のことだ。そいつは少年に尋ねられた。「幸せか」と。

 「何故そんなことを聞くんだ」と、そいつは少年に問い返した。「つまらなそうだから」と、少年は言った。

 つまらないわけではなかった。この平穏がどれほどの価値を持っているかも理解できていた。けれど答えは返せない。なぜならそいつは、決して『幸福』ではなかったからだ。

 そいつはその問いから逃げるように、家を空けた。

 

 雨が降っていた。豪雨でもなく、しとしとと、じめじめと。

 雨の中で、そいつはいつしか『理想』を思い出した。

 雨の中で、そいつはいつしか『願い』を思い出した。

 だから、『理想』が許容できないこの場所にはいられないと思った。

 だから、『願い』が叶わないこの場所には留まれないと思った。

 濡れ鼠のそいつが帰ってきたとき、家族はそいつを温かく迎えた。けれどもう、そいつは旅立つ決意を固めていた。

 

 『理想』を切り捨ててしまえばよかったのに、そいつはそれが出来なかった。

 『願い』を切り捨ててしまえばよかったのに、そいつはそれが出来なかった。

 平穏と『理想』を両立することは難しかっただろうけれど、出来ないことではなかったのに。

 平穏と『願い』を両立することは難しかっただろうけれど、出来ないことではなかったのに。

 

 再び雨が降ったその日。

 そいつは黙って家を空けた。誰にも何も言わなかった。引き留められることが分かっていた。そうでなければ、今一度巻き込むことになるだろうと予想していた。今度は一人で行こうと決めていた。だから、誰にも何も言わなかった。

 けれど気づいた者が一人いた。彼女の夫の男だ。

 そいつはその男のことが嫌いだった。平穏な日常ではむしろ好ましいと思っていたのに、思い出した『理想』と『願い』は、その男を心底憎んでいた。男はそいつの『理想』を裏切っていたから。男はそいつの『願い』を邪魔立てしたから。

 男はそいつを引き留めた。そいつは折れない。折れるわけがない。だから、先に剣を収めたのは男のほうだった。

 そして、そいつは男と『約束』を交わした。必ず帰ると『約束』してしまった。『理想』を貫き、そして『願い』を叶えて

再びこの平穏へ戻ってくると『約束』したのだ。

 

 そうしてそいつは旅立った。 『理想』と『願い』を抱えながら、そいつは『約束』まで背負ってしまった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。