ごそごそごそ。
ああ。死ぬかと思った。いや、実際死んでいた。上手く死ぬことができたみたいだ。あの槍兵が獲物を逃がすなんてありえない。それこそ一度死んで、蘇るくらいのことをしなければ逃げることもできないのだから。
廊下に転がったマスターである少女であったモノを見る。綺麗な死体だ。心臓を一突き。よかった、これなら簡単だ。
彼女は俺を恨むだろうか。恨んで当然だな。きっと酷く怒られるだろうけれど。きっと許してくれないだろうけれど。それでも、彼女がマスターでよかった。本当に、そう思う。
風穴に手を置く。別にそんなことをする必要はないのだけれど。今は、そこにない鼓動が、再び伝わってくるという瞬間に触れていたかった。
「さあさ。戻っておいでなさい、なんてな」
無意味な呪文。ちょっとやってみたかった。素敵な魔法。俺には絶対に使えない。
「――――
俺の呪文を紡ぐ。己にのみ許された呪文。己にのみ許された奇跡。――――いや、誰であろうと許されざる奇跡。
手のひらに鼓動を。流れを。熱を。止まっていた時間が動き出す。
鼓動とほとんど同時に、胸が少し上下した。きっと軌道は血まみれだろうから、ちゃんと拭っておこう。息苦しさで目を覚ますなんて、そもそも寝起きの彼女にはつらいだろう。というか、そんなふうに目を覚ましたら、俺が何されるかわからない。うん。本当にわからない。
つ――――と。こんなものか。よし、目覚める気配はないな。ああ、これで安心だ。
と。彼女から零れ落ちたものに気づいた。正確には彼女の手のひらから。槍兵から逃れるために使おうと思って握りしめていたのだろう。タイミング悪く使いようがなかったもの。その赤い宝石が、ポロリと落ちたのだ。
悪戯を思い付いた。宝石に手を伸ばし、ソレを懐へと滑り込ませる。そして彼女のポケットの中に、別の宝石を入れておいた。さて、彼女はいつ気づくだろうか。今夜は流石に目を覚まさないかもしれないから、お楽しみは明日以降だと、楽しい未来絵図を描いていたら。
かつかつかつ、と。音がした。
その音がこちらへ向かって来る。さてどうしよう。
その音がこちらに気付いたようだ。よしこうしよう。
「少年。もし君が『正義の味方』なら、どうか我が主を助けてやってくれないか?」
間抜け面を浮かべた、いつか至る「正義の味方」は、否応なく運命の夜を迎えることになるのだろう。もっともそれは、次の話だ。