俺、衛宮士郎はその日、運命と出会った。
俺はお人よしだと言われることがある。別に自分ではそうだと思っているわけではないが、困った人がいるなら助けたいと思っている。どうしてそんな風に思うのかは色々と事情があるのだが、今は置いておく。重要なのはその日、俺はいつものように助けられるものなら助けたいと思った、ということだけだ。もし俺がまかり間違ってそう思わなかったらきっと、俺はこの運命と出会うことはなかったんだろう。
ある日の土曜日。学校としては最近の物騒な時勢を鑑み、速やかなる帰宅を推奨していた。だが、その日俺は友人に頼まれ弓道場の掃除に明け暮れていた。ちなみに俺は弓道部員ではないが、元弓道部員だ。弓道場の掃除をしなければならないという義務を負っていたわけではないが、どこに何があるとか何をしないといけないかとかは知っている。何も知らないで掃除をするよりはよっぽど適任者だ。
また、その日掃除を行うのは俺一人だった。だから、誰に迷惑がかかるわけでもないので、ちょっと気合いを入れて普段はやらないようなところまで掃除をしておこうと思った。
で。日も落ちきりそうな時刻。いい加減やりすぎかと思って、掃除道具を片づけ家に帰ろうと思った。のだが。
弓道場を出て、校庭を横切る。別にそこには誰もいなかった。だから、そのまま校門を出て帰宅しようとしたとき、俺は音を聞いた。
どごん。という音だ。校舎から聞こえた。
まさかまだ誰かいるのだろうか。あれほど早く帰宅しろって言われていたのに。もう完全に日も沈んでいる。最近は物騒だし、少し心配だからちょと様子を見てみよう。もし注意して帰ってくれるならそれに越したことはない。何だったら家まで送ったって構わない。
だけど、異常を感じ取れなかったわけじゃない。校舎に入った時点で嫌な予感がした。プレッシャーを感じていたともいう。校舎を進む度に、もっとはっきりした異常に気付いた。ところどころ窓が割れていたり、消火器が外れていたり、掲示板が傾いていたり。その異常は僅かだった。何者かが争った形跡、とまではいかない。多分、争うことすらできなかった形跡だ。
そして俺は、校舎に残った、危険に身をさらされている誰かを探すために、彷徨った。
そして俺は、彷徨った果てに、少女を見つけた。死んでいるようにぐったりとした、けれど確かに命の鼓動を抱いた少女と、その従者を。
***
さて、少しだけ補足をさせてもらおう。
この時点で校舎には我々しかいない。少年と、少女と、亡霊だけだ。少し時を遡ればそこに槍の英霊もいたし、彼は校舎を去る直前、迷い込んだ彼を認知していたのだろう。むしろだからこそ、早々にこの場を切り上げた。任務は命じられた以上の戦果をもって達成されていたのだから、当然だ。
奴は校舎には彼女であった死体が残るのみだと知っている。故に、彼女の死体は彼によって発見されるだろうと考えただろう。しかし、その死体がただの殺人事件の被害者だという偽装を行わなければならないのは、彼の英霊ではなくその役割を負った者だ。神秘が漏洩するような痕跡は残していないのだから、槍兵は彼を見逃した。奴は別に殺人狂というわけではないからな。結論から言えば「ざまあみろ」だが。
***
家に戻った俺は、来客用に押し込めていた布団を敷いた。アーチャーはその布団に遠坂を横たえる。
「よし。とりあえずはこれでいいな」
「でも、本当にコレでいいのか? 医者とか、病院とか、せめて手当とか」
「傷は塞がっている。医者も病院も必要ないさ。戻ってこられるかどうかは彼女の気力次第で、その点については何ら心配していない」
確かに、ちょと前まで死んでたなんて嘘のように呼吸は安定しているし、血色もいい。傷も塞がっていた。いや、傷なんてまるでなかった。
――――傷がないって知ってるのは、ちょっとした事故だ。血塗れの制服を脱がし、汚れを拭い、姉代わりの虎が置いていった女性物の服に着替えさせるという一連のイベントはアーチャーが進行させていたわけなのだが、間が悪く遭遇してしまった。もちろんすぐに目は逸らしたぞ。手伝ってくれるとありがたいが、そこまで無理はしなくていい、というのはその時のアーチャーの言葉である。煩悩退散。
でも、アーチャーの手際は従者の鑑のごとくテキパキと、だけど本当に大切そうに遠坂を労わっていたから、ああ、こいついい奴なんだなって思えて、俺は安心してその場を任せることが出来た。
「ん? でも俺ん家に運んだのは何でだ?」
「お前をつれて彼女の家に入るのはリスクが大きいからな。あの家、部外者にはトラップハウスになってる。かといって、あの状況を見られた上でお前を放置なんてありえないし、処置をするのは主義じゃない」
「処置?」
「目撃者を消すってことだ。物理的に」
「……」
絶句である。
「もちろん穏当な処置もあるぞ。記憶を消すとか。俺はそんなに器用じゃないから、彼女の目が覚めたらそうしてもらえばいい。こっちのことなんて、知らないほうがいい類のものだ」
「こっちって――――魔術師のこと、とか?」
「なんだ、お仲間だったのか」
当てずっぽうに言ってみたけど、どうも正解だったらしい。
もちろん何も考えずに言ってみたわけじゃない。とりあえず遠坂に問題がなさそうだと安心したことで、状況を冷静に分析する余裕があった。そして、アーチャーが自らを亡霊だと名乗ったこと。秘匿しなければならない存在であること。それらの情報を整理した結果、自らの養父から教わった裏の世界のことについて思い至ったのだ。
「じゃあ、お前はマスター候補ってとこか。この家にサーヴァントの気配はないし。……まさかアサシンのマスターだとか言うなよ?」
アーチャーは何か冗談めかして尋ねてきたが、何のことを言っているかさっぱりわからない。それを確かめようとして。
カランカラン、と。
結界が鳴いた。
「――――そこにいろ。隙を突いて逃げろ。参加する意思がないなら、せめて出揃うまで教会に保護してもらえ」
それ以上を言わせず、アーチャーは剣を手にした。
錆びついた剣だった。
ボロボロの剣だった。
今にも折れそうな剣だった。
そして。赤い閃光が、彼を襲った。
「ち。一日に二度も同じ相手を殺すことになるとはな」
天井から現れた、青い獣。真紅の獲物を持った、槍兵。
対峙する鈍色の弓兵。
あの一撃を受けて、彼の剣はまだ折れなかったようだ。しかし、そのボロボロの剣で何ができるというのだろう。
「だったら見逃せ。言っておくが、俺と戦ったってお前を満足させるようなことは出来んぞ、ランサー」
「言うじゃねえか。ま、そいつに関しては俺も同意見ではある。でもなあ、俺は確かにテメエを殺したし、あの嬢ちゃんも殺したはずだ。なのに何で生きていやがるのか。糞マスターが調べてこいだとよ」
「さあな。聖杯が奇跡でも起こしたんじゃないのか?」
「ぬかせ」
真紅の槍が舞う。何気ない一振りだ。槍兵――――ランサーにとっては虫を払うかのような動作だっただろう。しかし。
「くっ」
アーチャーがその範囲にいる以上、彼は対処をしなければならない。避けるか、受けるか。簡単に分ければ二種類の選択肢があるわけだが、避けるは選べない。単純に、アーチャーはランサーのその何気ない一振りの速さについていけてない。
故に受ける、を選択した。しかしこれもよくない。ランサーのその何気ない一振りを受けるには、アーチャーの筋力は脆弱すぎた。せめてもう1ランクあれば。せめて受ける武器がもっと沢山あれば。話は別だっただろう。三合とせずアーチャーはバランスを崩され、蹴りを入れられ、中庭に吹き飛んだ。
「アーチャー!!」
思わず駆け寄る。アーチャーは「何故逃げない」という意味を込めて睨んできた。言葉での忠告もいえない。ごほごほと、呼吸を整えるのに精一杯だ。
「んあ? 仲間か?」
「た……だの、巻き込まれた。見習い、魔術師だ」
ようやく声が出せるようになったアーチャーが、ランサーの言葉を訂正する。
「マスターでもない。神秘の漏洩については、気にしなくていい」
その言葉はつまり、衛宮士郎を見逃せということで。
「さあ。俺の秘密が知りたいんだろう。いくらでも、掛かってくればいい」
その言葉はつまり、衛宮士郎など構うなということで。
「やめろよ。アンタもうボロボロじゃないか」
「それがなんだ。サーヴァントってのは戦うもんだ。戦って、唯一の景品を手に入れようとしている。邪魔だからどけ。こんなやろう。ひとひねりだ」
「ほう。ようやくまともなこと言うようになったな。いいぜ。だったらひとひねりにしてみな!」
ランサーが跳ぶ。アーチャーは自身のボロボロの剣を握ったままだったが、構えることすらできていない。だから、このままでは、アーチャーは死ぬだろう。人ではないといった。亡霊だといった。初めから死んでるのだと。でも人の形をしたものが殺されるのだ。
アーチャーのだらんと垂れ下がった腕に握られている剣を奪う。夢中でそれを前に構え、ランサーの槍を防ぐ。
腕がしびれた。肩が外れたかもしれない。骨だって、罅のひとつやふたつ、入っていてもおかしくない。
それでも、士郎はランサーの槍を防ぎ、そのまま一歩踏み込んだ。
「たわけが!」
叫んだのはアーチャーだ。その罵声を背後に、一歩を踏み込み、そのまま手にした剣をランサーに振るおうと腕を振り上げ。その体勢のまま豪快に吹き飛んだ。槍の柄が、横なぎに腹を振りぬいたのだ。
***
衛宮士郎には何が起きたのかもわからなかっただろう。槍は確かに防いだはずなのに、防いだ位置にあった槍が、次の瞬間には己の腹にめり込んだのだ。別におかしなことは何もない。ランサーは防がれた槍を引き戻し、それを振るって衛宮士郎を吹き飛ばした。単純に、速かっただけの動作。
「いい踏み込みだったぜ。無謀で、蛮勇だ。それで生き残れるんならな」
「ランサー、そいつは!」
「剣を掴んで向かってきたってことは、餓鬼だろうが鼠だろうが敵だろうが。つまんねえことを言うつもりか、アーチャー」
「ああ。言わせてもらうさ。お前の相手は俺だろうが」
「ふん。気迫でいうなら坊主の方が生きがよかったぜ。ああいう輩は、気づかないうちに大化けするもんだ」
ランサーは大化けする前に仕留めるべきだ、と言いたかったのか。それとも、大化けした後に殺り合いたい、と言いたかったのか。それはランサーのみが知る感情で、俺が知るところではない。
「なら」
「あん?」
「いや。それでも、俺や今のアイツでは、貴様を満足させることなんぞ出来んだろう」
「ふん。また命乞いか、見苦しい」
「そうじゃないさ。お前、魔術師っていう人種の常識を知っているか?」
このランサーには生前の行い故にキャスターの適正がある。故に、魔術師自体には全く縁がないわけではないが、魔術師の常識といわれると、すぐには何のことかわからないだろう。神秘の秘匿ひとつをとっても魔術師の常識である。では俺は。何をもったいぶって言おうとしているのかというと――――。
「魔術師って輩はな、足りないものは、他所から持ってくるもんだ」
そういう。魔術師の常識。絶好のタイミングでの、誘導。
ランサーは、衛宮士郎が吹き飛ばされた先を見た。どうやらあの男は土蔵にぶち当たり、その中に逃げ込んだようだ。なぜわざわざ、ランサーに逃がすつもりはないだろうが、まだ外に出たほうが逃げ切れる可能性が高いというのに。では、逃げたのではなく何かを求めたのではないか。例えば武器。自分たちでは及ばない相手と戦うための手段。ありえない。例えばあの土蔵にグエネートランチャーでも仕舞っていようが、ランサーならそれを避けて獲物を刈り取るだけの機動力がある。そしてこと機動力という点について、ランサーに追いつ縋るものなど、そうそう思い付かない。例えば、そう。例えば、機動力だけではなく、攻撃力も、状況の変化に見合った判断力をも持ち合わせた、自分たちと同じような武器でもない限り。
「まさか――――」
槍兵は、駆けた。
***
武器。武器が欲しい。自分でも戦えるような、武器。
スパナ。竹刀。木刀。その全てが土蔵にある。そのどれもが、あの槍兵には届かない。銃火器の類は流石にないし、あったとしても使いこなせるとは思えない。でもこのままやられっぱなしなのは嫌だった。逃げるなんてもってのほかだ。アーチャーは、そして遠坂は、きっとまた殺される。そんなこと、許せるはずがない。
だから探した。武器を探した。でも、己に扱うことのできる武器などない。
「よう。お目当てのものは見つかったか」
気軽に、まるで友人にでも尋ねるかのように、青い死神が問う。
「なんなら見つかるまで待っていてやろうか。その代り、とびっきりのを用意しな」
どうやらすぐには襲い掛かってきそうではない。だがその余裕が焦りを生む。
「アーチャーは」
「テメエが心配するようなことはねえよ」
肯定なのか否定なのか。わからないことが、余計に焦りを掻きたてる。
手にはスパナしか持っていなかった。今手にしているもので、一番硬い。それだけしか利点のない、武器。リーチも足りない。頑丈さだって、あの槍に比べれば鉄屑だろう。
「――――
それをほんの少しだけ、魔術で強化する。失敗することの多かった魔術だが、どうやら何年かぶりに成功したようだ。構えを取る暇はない。自然体のまま、ランサーへと駆け出す。
「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「チッ! 期待させやがって。だがまあいい。来い、坊主!!」
狭い土蔵の中で、柄の長い槍は適した武器とは言いがたい。故に、これが同レベルか、多少格上の相手であれば、この選択は間違っていなかっただろう。もちろん、この槍兵は多少などという言葉で表すことのできる相手ではない。だから結果は必定。武器は飛ばされ、槍は穿たれ、血が舞い散る。そして二撃目は、確実に俺の命を喰らうだろう。
その場に、その剣が、なければ。
命を刈り取る赤い刺突を、跳ね飛ばす銀の斬撃があった。身に纏う鎧の、鉄の音は鈴の音。空に浮かぶ満月のごとく。黄金に輝く少女が、俺に向けてこう問うた。
「問おう。貴方が、私のマスターか」
俺はその日、運命と出会った。