機動戦士ガンダム UC.0095 -幽玄の亡者- 作:一一人
長く閉じていた瞳を開けるかの如く、レーリ・ライプニッツはゆっくりと感覚野を広げていった。徐々に体を包む凍てついた空気は深海の水に変わり、自分を包む硬い殻のような無骨で無機質なコクピット内の内装は剥がれ落ちて、果てなく広がる深海の様子が広がった。光の届かない深海であっても、レーリはその様子がはっきりと知覚できた。ずっしりとのしかかる水圧も、コクピットの中の圧迫感に比べれば気になるものではないし、むしろレーリにとっては指圧マッサージの様な心地よささえあった。
岩礁の隙間に身を潜めてからしばらくが経つ。本来ならば、今頃は転任先の仲間に迎えられ、上手くすれば歓迎の会が開かれている最中だったかもしれなかった。いや、状況が状況であるからそのような晴れやかな事はされないかもしれなかったが、少なくとも暗い海の底で息を潜めるなんて事をする必要はなかった。
数キロ先をゆったりと泳ぐ三つの人型、それも全長二十メートルはあろうかという巨人の存在が、レーリ達をここに押し留めている理由だった。実際のダイバーと同じような動きで、センサーガンの銃口をそこかしこに向け、まるで何かを探すように泳ぎ回っていた。バイザーの顔には一切の表情がないが、抜け目なく辺りを探している様子の中に混ざる殺気が伝わる。その探し物がレーリ達自身であるのは当然の事のように分かっていたが、自分たちに殺気が向けられている事を客観的に感知するのは快いものでは無かった。
その“人”達がこちらにセンサーガンを向ける度にレーリは緊張に身を強ばらせ、恐怖に全身が粟立つのを感じていたが、それはあくまでも肉体の話であって、レーリの意識を支配するようなものではない。身体に意識が支配されている、むしろその事の方がレーリに軽い恐怖を与える要因だった。
その“人”達を屍にする、あるいはここで“人”達追跡の手を上手く撒く事が、今のレーリ達に与えられた任務であるが、周囲へくまなく殺気を向ける“人”達に今近づくのは躊躇われた。一瞬の内に事を済まさなければ彼らの後ろにいるもっと大きい者に見つかるのが早まってしまう。それはほとんど賭けに近かったが、そうしなければならない理由があり、今はわずかな隙が生まれるのを待つ他なかったのだ。
絶え間なく放たれる殺気に全身を射抜かれながら、レーリは岩礁の隙間にその身を埋め続けた。
不意に何者かの視線を感じ、ブローレン・サンダース少尉は思わず無線機に手を伸ばした。何者か、それは紛れも無く奴らの生き残りのうちの一人、いや複数人のものであるのは間違いなかった。だが、こちらが探知できない場所から一方的に見られているとでも言うのか。
ジオン残党の水中用の機体に搭載されている物をゆうに超える索敵範囲を持つ〈アクアジム〉を感知するなど、ニュータイプでも無ければ不可能な話だった。ニュータイプの感知能力が水中でも役立つかは、専門家でもないブローレンには皆目検討がつかなかったが、それを差し置いてでも納得させるだけの説得力がニュータイプという言葉にはあった。
だが、同時にブローレンの経験がその思考を否定していた。連中は長年ネズミのように隠れ、こそこそと活動していたのだ。仮にニュータイプがいるのならもっと大がかかりな反抗があってもおかしくない。どだい、主な戦場が宇宙に限定される今、ニュータイプを海中のような辺境に投入するなんて、よっぽど大局を見る目がないか気が狂っているとしか思えなかった。同時にそんな辺境で探し物に明け暮れる自分の身に哀愁を感じていた。
どんな土地でもモビルスーツのパイロットとしての責務を全うすると、我ながら青臭い決意していたのはハイスクールを卒業した頃だったか。思い出すだけでも笑いがこぼれる程に、あの頃は自分を過信していた。数時間の捜索任務に余計な妄想を膨らませるあたり、忍耐力という初歩的な点においてですら及第点に遠く及んでいなかった。
ふと、モニターの隅に同じく捜索に明け暮れる、肩にハートのマーキングを施した〈アクアジム〉が写った。ジョニー・バース隊長の機体だ。その動きからは、明らかな苛立ちが見えていた。辺りに向けるセンサーガンの動きも心做しか粗雑に思える。搭乗前に聞いた話だと、今日が恋人の誕生日らしい。本当なら今頃基地からさほど遠くない海辺のレストランで食事を楽しんでいるのに、などと言っていたのを思い出す。ブローレンは流石に嘆息を隠せなかった。第四海洋機動隊、というかそもそも自分たちが属するリオデジャネイロ基地自体が左遷先のような体を示していて、士気がどうのなんて言うものではないのは事実だったが、今は実際にジオン残党を追いかけている訳であって、少なからず実戦の機会があるわけだから腐った態度をするのは褒められたものでは無かった。さらに、そんなのが直属の上司である事がこの上なく疎ましかったのだ。
それに反して……。ブローレンの後方で懸命に、目を皿のようにして必死に捜索を続けるルーベンス・リチェロ軍曹はまさに軍人の鑑と言うべき勤勉さだった。絵に書いたような勤勉な新米がいつまでそのシャカリキが続くか、なんていう整備班と古参パイロットたちの間での賭けもあった。ブローレンは、半年にコインを一枚賭けていたが、いつの間にかその事すら忘れられる程に時間が流れていた。
こんな近くにいながら、声を交わすことすらな叶わない、そんなもどかしさが苛立ちを加速させるのが自分でもわかった。目標発見、あるいは何かしらの緊急を要する事態以外は無線を使用するなと念を押されている孤独な状況で、ジョニー・バース大尉以下、第四海洋機動隊は数日前に襲撃したジオン残党の拠点の生き残りを追撃する任務に就いていた。もっとも、そのジョニー大尉がこの様子ではその命令の威厳など、ただの飾りに近かったが。
事の始まりは数日前。一般人からの通報を受けて、ブローレン達の第四海洋機動隊はジオン残党兵のアジトを襲撃した。そこは寂れた港町で、水中用のモビルスーツなどを隠しておくのにうってつけの場所だった。拠点を叩いたのは良かったのだが、連中は一年戦争来の旧式の潜水艦であるユーコン級で逃亡を図った。しかし、航行性能の差は歴然としていて、逃亡が不可能に近いのは明らかだった。さすがに向こうも馬鹿ではない。殿役のモビルスーツがブローレン達の母艦であるジュノー級〈フライフィッシュ〉を攻撃しはじめた。執念、という表現が相応しい執拗な攻撃を受け、〈フライフィッシュ〉はユーコン級をロストしていた。
その後、攻撃を行ったモビルスーツたちまでもが泡のように姿をくらましたため、こちらもモビルスーツを用いて追跡を行わざるを得なくなった。その後二度の見張りの交代を経て現在に至る。
今考えれば、連中がこの海域に留まり続けている確証はなかったが、間違いなく母艦の上官たちはこの付近の海底に着底、潜伏していると思い込んでいる。海域を離脱している可能性の方が低いのは事実だったが、そう決めつけて疑わない上官たちに対して、「愚か」という感情しか抱けなかった。そして、そんな自分の方がよっぽど愚かだと自戒して、余計に気分が重くなる。そんな思考の堂々巡りを幾度繰り返しただろうか。溜まり続ける鬱憤はジョニー隊長程ではないにしろ、そろそろ行動に出ていてもおかしくはなかった。事実、フットペダルを踏む足は貧乏揺すりを耐えて微かに痙攣しているし、アームレイカーを握る指も、先程から今朝聞いたラジオのナンバーを刻んでいる。そんな自分の様子にさっきより大きなため息が漏れた。
腕時計を見れば、あと十数分で捜索番の交代の時間だった。交代作業中にも監視ができるように訓練はしているが、やはり一番手薄になるのはそのタイミングだと思われる。向こうがこちらを認知しているならば、恐らくはそのタイミングを狙うだろうと言うのは思考せずとも自然と理解していた。そのタイミングにすら動きがないのならば、やはり連中は既にこの海域にはいないのだろう。そうブローレンが思考をまとめた時だった。
けたたましく鳴り響く警報音がブローレンの耳朶を打った。センサーガンが捉えたものでは無い。機体に元々備わっているサイレントソナーが反応したものだった。
計器が示す方向を向くと、視界は白い閃光に包まれた。しまった、という言葉が頭を駆け巡るより早く、機体を衝撃が襲う。
(なんだ、今のは!?)
無線機のスピーカーからジョニー大尉のがなり声が鳴り響く。強烈な閃光に奪われた視界を必死に見開き、ぼやける世界の中で起こった現象を整理する。まず、見えたのは無数に来襲する小さな魚雷の群れだった。
撃ってきた……!やはり奴らにはこちらが見えている……!ブローレンがそう理解するのに時間はかからなかった。なぜ、どうやって、それがわからずとも、陥っている状況の深刻さが脳髄に染み込み、不意のうちに身体を震わせる。
迫る魚雷はさながら回遊する小魚の如く広がり、そして大型の肉食魚のような凶暴な殺意の塊となって押し寄せる。はじめにその餌食になったのはジョニー大尉だった。右腕、両脚を穿たれたジョニー機はコントロールを失って爆発の衝撃で水中を漂った。そしてその後から押し寄せる第二波に全身を喰われ、コクピットに突き刺さった魚雷は、その内部を灼熱の竈に変えた。轟音とジョニー大尉の断末魔の悲鳴を拾うと、ジョニー機に据えられていた無線機はその役目を終えた。
タンクに残されていた空気を消費して燃える炎は〈アクアジム〉を内部から誘爆させる。膨張した内部装甲が外の耐圧装甲の拘束を引きちぎり、爆発の光がそれらを飲み込んで膨れ上がった。水圧に負けてすぐに収縮する爆発だったが、その際に放たれた、さっきの閃光より幾分も控えめな光に照らされ、ブローレンにさらに周囲の状況をよく知らせた。
押し寄せる魚雷の群れはジョニー機の爆発の衝撃によって殆どが明後日の方向へ向き、そのうちのいくつかをあらぬ場所で起爆させた。散発的な光がさらに周囲を照らす。ルーベンスの機体も幾つかの魚雷を受けて中破。バックパックを失って自力航行が出来なくなっていたが、それは自分が押し上げるなりして連れていけばいい。
だが、一番の問題は数十キロ先に、新たに現れた別の熱源だった。数は二つ、恐らくは今の魚雷攻撃の主だろう。ブローレンはさっきの感覚が再び蘇るのを感じた。やはり奴らには見えていたのだ。
接近する熱源の速度は速かった。やはり旧式とはいえ、ジオンの水中用モビルスーツの性能は驚異的だ。振り切ることは不可能だし、逃げれば奴らは〈フライフィッシュ〉を襲うだろう。なんとか通常の運用に足る程度の損害で済んでいるが、直衛機の半分が割かれてる状態で攻撃を受ければ、酷ければボカ沈を喰らってもおかしくはないだろう。どだい、ここで逃げたところで追撃を喰らえば、ひとたまりもないのは明らかだった。
この身を呈してでも奴らを止めなければならない。今ではすっかりなりを潜めた、ブローレンの密かな軍人魂が首をもたげた。いくら、気に入らない上司の死とはいえ、味方を討たれた衝撃は生半可なものでは無かった。それに、ここで敵を討てなければジョニー大尉の恋人にも面目が立たない。
ブローレンは〈フライフィッシュ〉に緊急コールを送ると、使うなと厳命されていた無線機をとった。
「ルーベンス、聞こえるか」
(無線機に異常なし。聞こえます)
こんな非常時だと言うのに、やはりルーベンスの応答は模範通りのものだった。妙な苛立ちと感心が綯い交ぜになりながらもブローレンは続けた。
「敵との距離が九百を切ったら、角度三十で魚雷を出来るだけ水平に撒け。魚雷コンテナは無事だろう?」
(了解、少尉は……!?)
ルーベンスの返事を警告音がかき消した。熱源の接近を示すものだった。もともと表示されていた二つの点より遥かに近い場所に突然現れたその点は後続の二機とは比較にならない速さで近づく。
それはすぐにカメラが捉えていた。赤銅色に近い、暗赤色を纏ったそれはモビルスーツでは無かった。尖った嘴を備える流線型の機体は、いつか資料で見た〈グラブロ〉や〈ビグロ〉という一年戦争時代のモビルアーマーに似ていた。そして、それの特徴はもう一つ。
「ルーベンス!」
ブローレンの目の前でルーベンス機を叩き割る、二つの大きな腕だった。大きくひしゃげたルーベンス機は爆発することもなく、全身から血のようにオイルを垂れ流しながら漂流を始めた。
ルーベンス機の残骸やブローレン機には見向きもせず、そのモビルアーマーは音も無く泳ぎ去っていく。いつの間にか熱源マーカーも消え、そのモビルアーマーの存在を示す証拠は目の前に遺された惨状だけだった。
身体を襲う強烈な吐き気に耐えながら、静音航行時に出せる最大のスピードで海域を離脱する。後続機の離脱を確認してから、レーリは震える手で〈サイコ・ソナー〉のスイッチを切った。スイッチを切ってからも吐き気や不快感、身体を軋ませる不調が止むことは無かった。
予測射線軸に三機が収まるタイミングで新兵器、クラスター魚雷を撃ったところまではよかった。だが、放たれた子魚雷は地上や宇宙で使うクラスター爆弾と違って水流の影響を受ける。初弾の炸裂時の衝撃で発生した予測出来ない乱水流によって、その後にいた機体には予想されたよりもずっと少ない数しか到達しなかった。そして、一機目のパイロットが絶命すると、その魂の残響がレーリを掠めて行った。
〈サイコ・ソナー〉はサイコミュの感応範囲と感度を水を媒介にすることによって飛躍的に高める新兵器だったが、稼働できるのは水中のみという致命的な欠陥を抱える上に、感応範囲内は使用者の精神とシンクロしてしまう副作用もあった。範囲内での爆発は精神を焼き爛れさせ、衝撃は精神を揺さぶる。
ただでさえ〈サイコ・ソナー〉の副作用を抱えているというのに、そこに絶命時の苦悶に蠢く魂の苦痛を共有する羽目になるというのは、まさに泣き面に蜂であった。
その想像を絶する苦痛に耐え、生き残った二機を潰すべく、打ち合わせ通りに飛び出して片割れを撃破。
だが、直接自分の手で人を殺すとなると、一機目の時とは比べ物にならないぐらいの不快感が身体の中で沸き起こった。本来ならばここでもう一機も潰す予定だったが、既にずたずたにされた精神と身体がそれをさせなかった。最後に残された僅かな理性が、敵の母艦は生き残った一機と残骸を回収することを優先するはずだ、と結論づけ、仮に仲間に責められたとしても反論する材料になると算段をつけた。
レーリはヘルメットを外し、無造作に後ろで束ねた髪を解いた。額に浮かんだ脂汗が滴り、ノーマルスーツを不快に濡らす。だが、〈サイコ・ソナー〉という人智を超えた不快を極めたものの中にその精神を置いていた身としては、むしろ快適に感じた。
「慣れ」とは恐いものだ。
ランデブーポイントに近づいたのを確認すると、レーリは〈ゼー・フィン〉の速度を落とし、後続の二機の〈ズゴック〉のマーカーに目を向けた。
苦痛による精神的な疲労と状況終了の安堵からか、レーリの意識はそこで途切れた。
(つづく……多分)