機動戦士ガンダム UC.0095 -幽玄の亡者-   作:一一人

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第一章

 

 ひんやりとした空気が肌を覆う。ふわふわとした感覚が身体を包んでいるのがわかった。

 まるで水に浮いているみたいだ。

 ぼんやりとした意識でいながら、その中心の要になる部分でははっきりとそう知覚していた。恐らくは人間の生物としての本能だろう。どんな環境においても無意識で最低限の状況把握を行う。天敵がいなくなった人類において本来は必要ない機能だが、絶え間のない戦争や日常に潜む凶刃への恐怖がその退化を拒んでいるのだろう。

 皮肉な事に人間が人間の天敵という事か。

 取り留めのない思考の中にそんなフレーズが思い浮かんだ。

 笑えない冗談だった。実際、自分は何度も死中を潜ってきたし、何度も命を奪った。生きるため、とは言っても自然界における食物連鎖ではなく、自分たちが属する組織同士の利己的な争いによって引き起こされた醜く悲惨な戦争。

 視界の隅で光った閃光を見逃さなかった。

 飛びくる光条をすれすれのところで回避する。漂うデブリの影から飛び出した“巨人”はその大きな得物を投げ捨てると、腰から別の得物、ビーム状の刃を持つ斧を取り出し、全力の突進で距離を詰め始めた。次の一撃に賭けるつもりのようだ。

 勝機を焦ったな……!

 我慢比べに等しい、長く退屈な時間を耐える事が出来る方が勝利を手にする。いつだったか誰かから聞いたそんな台詞を思い出した。

 迫る“巨人”を正面に捉えながら宙を滑る。手にしたビームサブマシンガンは必要ない。 

(覚悟しやがれ!)

 相手の声が響く。上等だ、かかってこい。

 “巨人”が、先程まで自分が身を潜めていたデブリを通り過ぎる時、閃光が“巨人”を襲った。

(!?)

 相手の驚愕が手を取るようにわかる。ざまあみろ。冷静な人間こそが勝利を手にするんだ。

 隠していたシュツルムファウストの餌食になった“巨人”が煙の中から姿を現す。片腕は捥げ、両足も膝から下を失っていたが、その突進は止まっていなかった。だが、そこまで含めて計算のうちだった。

 “巨人”が煙の中にいる間に持ち替えていた、相手と同じビーム・アックスを展開し、“巨人”の腹を掻き斬った。

 “巨人”が火を吹いて爆発四散するのと同時に、目の前に『simulation finished』の文字が踊る。

(お前は軍神かなにかかよ) 

 モニターに映ったヴァルター・マルクスが苦い顔をしていた。本当に呆れきった顔がおかしく、ユルゲン・アクスマンは笑顔を返事にした。

 

 

 勝負を持ちかけてきたのはヴァルターの方だった。これから訪れる予定の〈パラオ〉で遊ぶ金を、どちらか負けた方が奢ると言い出したのだ。

 ネオジオン残党、世間のいう『袖付き』に属するユルゲン達は司令本部直々の通達を受け、資源衛星〈パラオ〉に向かっている最中だった。〈パラオ〉は『袖付き』が主な拠点にしている資源衛星で、住人の殆どが『袖付き』関係者か、ジオン共和国本国のシンパだった。

 そんな〈パラオ〉での集合時間は明後日の明朝で、今二人が乗っているシャトルの到着は明日の正午過ぎ。一晩余裕があるという事から、〈パラオ〉の歓楽街でひと息ついて行こうと言うのは、あらかじめ出発前から決めていたことだった。

 そんなシャトルの旅の最中に、ヴァルターは件の勝負を持ちかけてきた。長旅の退屈凌ぎであるのは明らかだったが、ユルゲン自身も退屈だったのは事実で、売られた勝負を買わない程つまらない男ではなかった。

 そして、その勝負の手段として用いられたのが二人と共に運ばれている、もう二人の“巨人”こと、AMS-129〈ギラ・ズール〉だった。

 パイロット達の訓練用に搭載されているシュミレーター機能を用いた一騎打ち。本来、シュミレーターは事故の危険がある模擬戦に変わる訓練手段として作られたものだったが、その出自も相まって限りなくリアルな戦闘を体験できる。

 シュミレーターゲームは以前から暇がある時におこなったことがあるもので、勝率は正確な数字ではなかったが、ほぼ五分五分だった。そして、ジリ貧の退屈試合を防止するために時間制限を設けた上でコクピットに入って―見事、ユルゲンが勝利を収めたのであった。

 勝負の喜びがなかった訳ではなく、鼻高々の心持ちであったが、勝負が終わってコクピットを出ると急に不安な気持ちが夏の入道雲のように心を覆いだした。というのも、司令本部が自分たちのような下っ端も下っ端な二人を機体付きで呼び寄せるなど前代未聞だったからだ。『袖付き』の中でも外郭組織に近い、偽装運送会社『ルーブルズ』に所属していた二人はその中でもモビルスーツ整備士としての仕事が主だった。勿論、人手不足の『袖付き』の、しかもその中の下っ端組織である『ルーブルズ』ではパイロットすら不足していたため、有事にはモビルスーツに乗ることは覚悟していたが、そもそもそんな有事に巻き込まれることすら経験した事がない二人である。そんな二人が組織の本部、〈パラオ〉に呼ばれたと言うのは光栄とも言える反面、言葉の裏には厄介事の後始末に使われるという意味合いを探すのも無理はなかった。『ルーブルズ』の仲間達も笑顔で喜んでくれていたが、その笑顔の何割かは自分でなくてよかったという安堵が含まれていたのは想像に難くない。

 そして昨日二人を迎えに来たシャトルは民間の貨物船をチャーターしたもので、ますます不安な気持ちは膨らんでいた。とにかく、この先に待ち受けている人、命令、出来事、全てが今の経験でまるで推し量るのができなかった。

「気持ちはわかるぜ」

 いつの間にか無意識に窓の外の星々に目を向けていたユルゲンの肩に、そっとヴァルターの手が置かれた。

「俺ら、自分で言うのも恥ずかしいぐらいの下っ端だからな。上の連中は何を考えて俺らを呼んだんだかな」

 どうやらヴァルターも同じことを考えていたらしい。だが、ユルゲンと違ってその感情を顔に出さない。豪快で快活、まさにヴァルターにこそ相応しい表現だった。ユルゲンはそんな親友を持ったことを誇りに思い、同時にそんなヴァルターの性格を羨ましく思っていた。

「ありがとう、もう大丈夫だ」

「だけどよ……」

「気にするなよ、平気だからさ」

 ユルゲンは強がって笑ってみせると、返事を待たずにモビルスーツコンテナを去った。珍しく神妙な声のヴァルターの言葉が耳に残っていた。

 

 

 それからはお互いに話す事も無く、二人を乗せたシャトルは〈パラオ〉に到着した。

 〈パラオ〉はアステロイドベルトから移送された小惑星によって構成されている。シャフトで繋がれた、三角錐状の〈カリクス〉と小岩塊〈カローラ〉三つから成る〈パラオ〉は、全長が三十数キロメートル、最大直径が十五キロメートルにも及ぶ。〈カリクス〉にはコロニーのような居住ブロックが二つ埋め込まれ、そしてそれと同じように回転して重力を発生させていた。人口は三万人ほど、鉱山業が主な産業だ。港にはマスドライバーも設置されていて、良くも悪くも〈袖付き〉拠点であるに相応しい見た目をしていた。

 ユルゲン達と一緒に運んできたコンテナのモビルスーツは工廠に運ばれ、メンテナンスを受けるらしい。今まで一度もろくな戦闘を行ったことのない機体の何を整備するというのか。そもそも、自分たち自身が整備士として責任を負って面倒を見てきたと言うのに、それ以上に施すものがあるのか。わからない。どだい、なぜ呼ばれたのか、なぜ自分にお鉢が回ってきたのかすら見当もつかない不可思議な事態である。そんな事に気をやる必要も無いのかもしれない。少なくとも、隣を歩くヴァルターは気にしている様子はなかった。

「おい、見ろよユルゲン。あれエレカとか言うやつじゃねえか!?」

 電気自動車を見て子供のように目を輝かせているヴァルターを見ると、深刻な思考を巡らせる自分の方が馬鹿なのではという気分になるが、シャトルの中でも見せたようにヴァルターも、ただ楽観的なだけではなくて、この先待ち受けているかもしれない大きな不安の前に少しでも羽根を伸ばそうとしているだけに過ぎないのだ。そもそも、この〈パラオ〉では端からその予定である。自分の妙に心配症な性格を恨みながら、前を行くヴァルターの背中を追った。

 

 

 ☆     ☆     ☆

 

 

「大佐殿、ご気分でも悪いのですか」

 若い声が耳元に聞こえ、ウォルガント・リュードは目を覚ました。

 いま自分がどこにいるのか、何をしているのかが咄嗟に判別できず、思わず頭を上げると、額に鈍い痛みが走った。

 いつの間にか二段ベッドの下段で寝ていたウォルガントは上段を支える骨組みの鉄筋に額をしたたかに打ち付けていたのだった。

 その様子におろおろとする若い男が目に入りそちらを向くと、〈袖付き〉の制服を着た割りには幼顔の少年の顔が目の前にあった。

 むっと篭った部屋の空気を吸ったウォルガントは、あらためて少年と目を見合わた。少年が差し出す本を受け取りながら、〈袖付き〉の軍艦に乗せられて彼らの拠点である〈パラオ〉に向かっているという自分の所在をようやく思い出していた。

「海洋戦闘理論」と表紙に書かれた味気ない、いまどき珍しい紙刷りの本は、ウォルガントが現役潜水艦長だった頃からの愛読書だった。〈パラオ〉までの暇つぶしのつもりが、いつの間にか寝落ちてしまっていたらしい。

「さすが大佐殿、難しい本を読んでいらっしゃいますな」と言った少年の目は、珍しいアナログ媒体への好奇の色と、興味のない分野へ向けられる無関心の色が混ざっていた。

 紙媒体はミノフスキー粒子や軍事利用される電磁兵器の影響で破損の恐れがある電子データより信頼性が高いという点において、重要な資料や書類においては今でも採用されているが、私用されるものの多くは殆どが電子媒体に置き換えられている今、彼のような反応は珍しくはなかった。現役時代に部下だった奴にもそんな目をしたやつがいたな。確か名前は……。 

「あと十分ほどで到着します。もう少しお待ちください」

 と言いおいて部屋を出ていく少年の声でウォルガントの思考は止められてしまった。歳だな。そう独りごちたウォルガントは今ここにいる理由をふと思い出していた。

 

 

 始まりは突然訪れた。サイド1の一角でほそぼそと〈ライン〉と名付けた喫茶店を営んでたウォルガントの前に、スーツを着た三人の男達が訪れた。平日の昼間の時間帯にビジネスマンの利用がないわけではなかったが、明らかに堅気の人間ではない雰囲気の三人の様子は、同様に堅気ではなかったウォルガントの皮膚をチリチリと刺激していた。

「ウォルガント・リュードさんですね?」

 様子を伺おうと厨房を出たウォルガントに先頭の男が手元のメモに目を落としながら尋ねた。無言を返事にすると、その男の左後ろにいた金髪の男が一枚の紙を差し出した。

 そこに書かれた名前には見覚えがあった。かつてウォルガントが旧公国時代に世話になっていた、演習や教育訓練の策定を任務とするジオン幹部の一人の名前だった。その男はウォルガントが喫茶店を経営しているきっかけを作った男でもあり、何かと恩や借りがある人物だった。

 ウォルガントはかつて、一年戦争と呼ばれた人類史上最悪だったと言われる戦争において、地球連邦に対して挑んだジオン公国の地上部隊、その中でもこと海中のエキスパートだった潜水艦部隊のうちの一つ、「デッドフィッシャー隊」旗艦である〈デッドフィッシャー〉の艦長を務めていた。終戦前、主な戦場が宇宙へと移行したことに合わせ、宇宙軍の艦を任されたのだが、その際に捕虜となり、終戦後も身柄を拘束されていた。陰惨な暴力や非人道的な尋問などが繰り返される中、送り込まれた収容施設で大規模な反乱、脱走事件があり、それを手引きしたのがその書類に書かれた名前の男だったのだ。

 それから十五年もたった今、彼は何を、どうしてこのような物々しい方法で自分に伝えようというのか。今でこそ既に存在しない組織の上司とはいえ、人間として尊敬や恩義のある人物からの手紙とあって、ウォルガントは緊張の面持ちでその先を読んだ。そしてウォルガントはその内容に首をかしげたのである。

「非常に高位な人物が君に会いたがっている。そちらに寄越した迎えと共に〈パラオ〉まで来て欲しい」

 すでに軍籍のない男が『高位』という人物とは誰なのか。そして、なぜその人物は自分に会いたがっているのか。疑問が解決したと思った途端に湧いた新たな疑問に、ウォルガントの頭は思考をやめていた。これ以上考えても答えは出ないだろう。老いた考えというだけではなく、今までの経験からして、自身の考えでは及ばないことは逆立ちしても理解できないということを知っていたのだ。それを理解するためには書かれた通りに男達について行くしかない。それに、差出人の男への恩義からもその要請に背くわけにはいかなかった。

 ウォルガントは無期限休業の張り紙を出すと、すぐに身支度をして〈パラオ〉への旅路についたのだった。

 目的も理由もわからないまま、〈パラオ〉を目前にしたウォルガントは背後に人の気配を感じた。

「逃げ続けるのですか、兄さん」

 公国軍の制服を着た男、ホルスト・リュードはウォルガントの肩に手を置いた。それを合図にしたかのように、ウォルガントは蝋人形のごとく体を強ばらせた。

「私は構いませんよ。貴方が決めたことだから」

 そうだ。ウォルガントは頷く。私は逃げ続けてきた。もちろん固まったその首が動くことはない。ウォルガントのうちに収まる魂が頷いていた。

 だが、決して今は逃げている訳ではない。

「いや、逃げている。貴方が呼び出された理由への追求だけではない。貴方は以前にも同じように必要とされたのにも関わらず、そこから逃げるためにとある責任を背負った。そして、その背負った責任の重さに耐えられず、今度は責任から逃げるために貴方を必要とする声に応じようとしている。だが、それで苦しむ人はもういない」

 だからなんだ。動くことを禁じられた口は声を発しない。それにも関わらず、ホルストはその聴こえない声を聴きとって、その唇を歪めた。

「いつまでくだらない茶番を続けるつもりなんですか?貴方の行動で救われるのは死んでいった仲間じゃない。これから死ぬ仲間でもない。貴方の記憶、プライド、良心。それだけだ。全ては貴方のエゴなんですよ。スペースノイドの自治独立を発端とした一年戦争の駒の一つでしかなかった貴方は、公国のために『ジーク•ジオン』を叫びながらも結局は自身の事しか考えていなかった。収容所時代に苦しんだのはなんの為だったか。いいですか、兄さん。公国時代最終期、皆が狂気に魅入られて狂い踊っていたのは事実だ。だが、その中で急造された特攻用特殊モビルスーツに乗った子供達を艦から送り出した、いや、追い出したのはほかの誰でもない、貴方自身なんだ。せいぜい、貴方に会いたがっている『高位な人』に絶望されないといい」

「いい加減にしろ!」

 手が肩を離れると同時に体の自由を取り戻したウォルガントは、立ち上がりながら背後を振り返り叫んだ。だが、そこには誰もいない。ウォルガントを長年苦しめる幻影だった。あの日から付き纏う、最も身近で二度と分かり合えないだろう人物。

 叫び声の残響が小部屋な中に反響する音を聴きながら、ウォルガントは再びベッドに腰をおろした。今度は後頭部を上段ベッドに打ち付け、響いた鈍い金属音は、叫び声の残響と共に合わさって奇妙な二重奏を奏でた。

 

 

 ☆     ☆     ☆

 

 

「なぁ、俺達何をしに来たんだっけ」

 埃をたてながら行き交う人々に視線を向けながら、ヴァルターは呟いた。路地の地べたはビルに入っている料理屋から出る排水のせいで湿っていたが、ユルゲンとヴァルターは関係なくそこにしゃがみこんでいた。ここ以外に行き場を失ってしまったからだ。

 数時間前、ヴァルターに連れられて呑気に暖簾を潜った店で事件は起きた。

「おい坊主。てめえら仕事はどうした」

 士官級の制服を着た屈強な男に囲まれたユルゲンは、酒の勢いもついた男達の剣幕に尻込みしてしまっていた。しかし、一方のヴァルターは関係なしに、口を開いた男をにらみ返していた。

「俺らは『ルーブルズ』所属の技術員だ。偉い人に呼ばれたからここにいる。ここにいる事が仕事だ」

 ヴァルターが反論し始めた段階でユルゲンは肝をつぶしていたが、すぐに飛んできた拳に完全に怯みきってしまった。

「ガキが生意気を!」

 鍛えられた腕から繰り出される拳はなかなかの物でヴァルターは軽く数メートルを飛ばされ、椅子と机に激突した。流石に士官級を相手に反撃を試みるほどヴァルターも馬鹿ではなかった。しかし、一度興奮しだした酒の入った男達の勢いは止まらず、なにもしていないユルゲンにまで手を出したのだ。

 すぐに自警団が飛んできたが、相手が相手だったせいで、まともな謝罪もされないままその場はお茶を濁されてしまったのである。

 ほかの店に入ろうにも二人の噂は既に広まっており、自分の店で面倒を起こされるのを嫌ったのか門前払いを食らったり、逆に好奇の目の客たちに集まられ落ち着いて食事をすることもできず、結果としてこの繁華街の中で居場所を失ってしまったのだった。

 先ほどの暴行のせいでヒビが入った腕時計を見れば、時間はすでに日付が変わりかけている。この時間から新規で客を取るような敷居の低い店は少ない。休むはずがかえって疲労してしまった二人は揃ってため息をついた。

「俺先に宿舎に行ってるよ」

 シャワーも浴びたいしさ、と続けたユルゲンは立ち上がった。こんな目に逢いながら、というか逢ってこそ未練が残るヴァルターは娼婦宿を探す気でいるらしい。好きにしろと言わんばかりにユルゲンは路地裏をさり、まばらになり始めた人通りに入って行った。

 そろそろ店じまいをはじめる食堂を横目にふらふらと歩いていたユルゲンは大変なことに気がついた。

「あれ、ここどこだ……」

 決して方向感覚が鈍いわけではなかったが、特別地図が得意という方でもないユルゲンは、複雑な構造をしている上に辺りが暗くなった歓楽街特有の構造に、完全に翻弄されていた。うろうろと道を行ったり来たりしているうちにも体の疲労は貯まる一方で、シャトルの旅にさっきの騒動、そこに加えて歩き疲れたと来たユルゲンは限界だった。再び路地裏を選び、少し休みをとろうと体を横たえて、そこで意識が途切れた。

 

 

 柔らかなピアノの旋律が耳に入った。優しい曲調だ。以前どこかで聞いたことがある気がする。確か、実家で母親が聞いていたはずだ。曲名は……。

「夜想曲」

 ユルゲンは自分のつぶやいた声に驚いた。涙をこらえている時のように震えていたからだ。

「あら、気が付いた?」

 再びユルゲンは驚いた。背後からかけられた女性の声、そして自分は柔らかいソファーの上で眠っていたのである。

「あの、これって……」

「ショパンの『夜想曲』。旧世紀のクラシック曲を知ってるなんて、貴方よほどの物好きね」

 振り向いたユルゲンに返事をしたのは、金髪で白い肌の女性だった。来ているのはラフなシャツと軍でも使うカーゴパンツ。白いシャツはぴっちりとしていて、女性特有の凹凸を強調していた。年頃の男子であるユルゲンには刺激が強く、思わず視線を逸らした。

「気にしないで、あたしがおせっかいでやった事だから」

「おせっかいって……」

 意識とは別に上ずった声を抑えながら訪ね返したユルゲンは部屋を見渡した。シンプルな作りの部屋は落ち着いた色のインテリアで統一されていて、件の「夜想曲」の元のステレオセットもその他分にもれず、シックなデザインだった。隣に据えられた棚にはびっしりと音楽ディスクや旧式のカセットなどが並べられていて、この女性が音楽好きであることを物語っていた。

「路地裏で倒れていたんだもの、そりゃあ見知らぬ人でも心配になるわよ。さしずめチンピラにでも絡まれたんでしょう?」

「まあ……そんなところです」

 本当のところは厳密に言えば違ったのだが、大体の概要は間違ってはいないし、仮に本当のことを説明しようとすれば相当に骨を折ることになるので、ユルゲンは曖昧な返事でお茶を濁した。

「若いからって無茶しないのよ?」

 救急箱をとってきた女性に、寝てる間に貼ってもらったのであろう額のガーゼを替えてもらうと、ユルゲンは思い出したように腕時計を見た。針は四時半を過ぎたところをさしていた。約束の時間にはまだ間に合う時間だ。ユルゲンはシュメリアと名乗った女性の提案を受けて、朝食を共にすることにしたのであった。

 

 

 ☆     ☆     ☆

 

 

 生温い人工対流風が頬を撫でて過ぎ去るのは、サイド1をはじめとしたコロニーとほとんど変わらない。ウォルガントは今さらになって着て来た服のセンスのなさに我ながら辟易していた。

 妻子のいない中年男、しかも軍をリタイアして喫茶店を経営しているとなれば仕方のない部分ではあったが、件の「高位な人」とやらが待ち合わせ場所に指定してきたのは、恐らくは彼の住処である屋敷だった。高級な建物が軒を連ねる中で着るべき服ではなかったと後悔にも似た念が首をもたげるのは至極当然であった。

 しばらく歩いて、待ち合わせ場所である屋敷を目の前にしたウォルガントは息を呑んだ。「高位な人」、それはこの人を事を表していたのか……?

 そんな逡巡を巡らせる間に屋敷の扉が開く音が聴こえた。

「君がウォルガント・リュード中佐か。待っていたよ」

 姿を現した男、すらりとした長身でいながら逞しい身体が纏う軍服が示す階級は大佐であった。ウォルガントはその男、ゼヴェル•ハイファへ反射的に敬礼をしていた。

「どうやら自己紹介の手間は必要ないようだ」

 その通り、ウォルガントはこの男の事を知っていた。

 ゼヴェル・ハイファ。ジオン共和国の財界の三本の指に入ると目されるハファイア家の人間だ。〈袖付き〉をコントロール下に置きたいというジオン共和国の思惑によって差し向けられたうちの一人であったが、決してただのぼんぼんと言うわけではなく、年上兄弟に恵まれなかったゼヴェルはジオン共和国内での出世の道を閉ざされ、結果として〈袖付き〉にあてがわれてしまったという不幸な男だった。長くジオンという枠組みから離れていた身でもこの程度の情報を見聞きする人物であることからも、いかに名の通った男であるかが推察できた。

 ウォルガントはハイファが返礼するのを待ったが、ハイファは気にする様子もなく階段を降りると、ウォルガントの前を通る時、もういいと言わんばかりに手を振ってみせた。

「私は正規の軍人じゃない。そんなに気負うことはないさ」

 にこやかなままそう言うと、ハイファはついて来いと目で合図を送った。

 それに従い、ウォルガントはハイファが出てきた玄関とは別の一見ただの物置部屋にも見える出入り口に通された。中は独立した居住スペースのようになっていて、使用人に充てがわれる部屋であることがわかった。

 こんな所に呼んで何を話そうというのか。よもや喫茶店で出していたコーヒー、あるいは紅茶の味が気に入ったから毎日作れとでもいうのではあるまい。そんな現実味のない想像は「ウォルガント・リュード中佐」というハイファの声でかき消された。

「階級は公国時代のものです。今はただのしがない喫茶店のマスターですよ」

「ああ、知っている。実に美味しいコーヒーだった。だが、今回はその公国時代の中佐に頼み事があって足を運んでもらったのだよ」

 公国時代の中佐、その言葉を胸中に繰り返しならがら意味を咀嚼しようとしていたウォルガントは、「ニュータイプの存在を信じるか?」という突拍子もない質問に「ええ、まあ…」戸惑いの混ざった返事を返した。

「困惑するのも無理はない。知り合いのアナハイムの役人にこの間似たようなことを聞かれてね。私も似たような返事をしたよ。彼はジオンの人間、それもある程度立場のある人間には誰でも同じ事を聞いているようだが。まあ、今はそれはいい」

 ハイファはそこまでいうと咳払いをひとつ挟んで「ニュータイプ論の根幹にはジオニズムという思想が存在する」と続けた。

「だが、現在において両者ともその意味が本来の通りに使われていることは殆んど無い。ニュータイプは無敵のエースパイロットと同義にされ、ジオニズムはジオンという一年戦争の悪役を産んだ忌むべき思想、というのが世の風潮だ」

 近くにあったソファに座ったハイファは、ウォルガントに対面の椅子を勧める。ウォルガントは机を挟んでハイファに向き合った。

「我々はいつの間にか、連邦からの自治独立という当初の志を忘れ、百二十億の人口を抱えた地球圏の経済維持のために緊張を演出する、連邦やそれに属する者達の都合のいい道具に成り下がってしまった」

 顔を合わせてから程度の差はあれ、常に温厚そうなにこやかな表情を常としていたハイファの顔に初めて影が落ちたのを見た。声も従って陰鬱な気分を含み、古ぼったいながらどこか明るさのあった部屋の空気との温度差を作っていた。

「フル・フロンタルという男を知っているか?」

 再びの質問に、ウォルガントは無言の頷きだけを返事にした。

「私と同じようにジオン共和国から送り込まれた男だが、彼は私とは思想が根本的に違う。フロンタルはシャアというを失ったネオ・ジオンを再び纏め上げるための錦の御旗となる男だ。だが、彼もかのシャア・アズナブルとは大きく違った。去年の一件で私は確信したよ」

 クラップ級撃墜の話か、ウォルガントはいつかの新聞の記事を思い出したが、薄く笑ったハイファに見据えられ、体が硬直するのを感じた。ハイファのそれは最後に見て久しい、ジオン公国軍人の瞳だった。

「宇宙世紀0100年の節目を持って我々ジオン共和国は仮染めの自治権を失い、名実共にジオンの名は忘却の運命をたどるだろう。その前に連邦も、フル•フロンタル率いるネオ・ジオンもそれぞれに行動を起こそうとしている。だが、そのどちらの未来にも元来のジオンの影はない」

 微笑を消し、ウォルガントから視線をそらしたハイファは、窓の外の手入れされた庭に目を向けた。庭の中心に据えられた噴水の頂上に掲げられたジオン公国のエンブレムがその瞳に映る。

「水が高いところから低いところへ流れるように、この現状や未来は当然の帰結として存在するのかもしれない。だが、それでも私はあの戦争に意味があったと信じている。いや、信じたい」

「申し訳ありません、大佐。なぜ私は本日ここに呼ばれたのでありましょうか?よもや、このようなニュータイプ論や戦争論をするためではないでしょう?」

 話の腰をおるようにして口をついた言葉は、おおよそ上官に向けての態度ではなかった。だが、ハイファははじめに「正規の軍人ではない」と言った。故に多少の無礼は問題にされないだろうし、どだい、自身が現役を退いた身であるのだ。いまさら軍規などをいちいち話題にする人間でもなかった。

 しかし、それ以上に、このハイファという男はウォルガントに、そのように自ら口を開く機会を待っていたように見えたのだった。

 そして、実際にその通りに、ハイファは最初の通りのにこやかな表情を被り直していた。それは紛れもなく謀反を企てる聡将の顔のそれであった。

「仮に大佐が私の経歴を評価し、このようなお話をされているのだとされたら、それは筋違いであるとしかお答えできません。私は確かに一年戦争後のジオンからは身を引いておりましたが、それは自分自身の都合でしかなく、大佐のような志があってのことではありません」

 沈黙が部屋を包んでいた。ハイファは微笑を浮かべたまま、なにか伺うようにウォルガントの顔を凝視していた。ウォルガントはウォルガントで、流石に言い過ぎたのではないかと内心に焦りを覚えていた。その矢先に、ソファを蹴って立ち上がったハイファに、思わずウォルガントは怯んでしまっていた。

「……やはり、君は私が見込んだ通りのようだな」

 思いもよらないハイファの言葉に、聞き返しそうになったウォルガントは、「命令を伝える、ウォルガント中佐」というハイファの有無を言わさない強い口調に姿勢を正した。

「貴官には、複数名の兵員を伴った地球降下の任を与える。その後、降下ポイント付近で待機させる地上残存勢力のユーコン級潜水艦に艦長として乗船。既にこちらの新型兵器と運用要員に実地テストを兼ねて先行してもらっている部隊だ。彼らと合流後、準備が整い次第、地球連邦軍リオデジャネイロ基地の沖合にある秘密工廠で建造中の新型潜水艦の強奪の任務を遂行して欲しい」

「は!」

 と応じたはいいが、ウォルガントにとって未だ現実味のない話でしかなく、耳に残るのは受け入れようにもどのように取り扱えばいいのかわからない単語ばかりで、この先に起こるであろうことの予測すらおぼつかない状態だった。

 まず理解できたのは、懐かしいユーコン級の艦長を再び任せられた事、その為に地球に降りる事、そして新型兵器を用いて地球連邦軍の新型潜水艦の強奪を行う事。

「新型兵器?」

 その言葉が含む一抹のきな臭さに、ウォルガントが無意識に口にした途端、「サイコ・ソナーだ」とハファイアが返し、ウォルガントは顔を上げた。

「サイコ・ソナー……?」

 サイコ、の名前が示すところを見ると恐らくはサイコミュを応用した兵器であることは察しがついたが、ソナーと言う単語と重ねたところで共通根は見い出せない。聞き間違いかと疑ったウォルガントは、あからさまな困惑顔をハファイアに向けた。

「〈ハマーンの遺産〉と呼ばれる物のうちの一つだ。今はそんな物にすがるしかないのが私の実状って事だよ」

 最後の言葉に若干の不安を感じないでもなかったが、ともあれ、喫茶店のマスターは今日でしばしの小休止だ。店の今後を考えないでもなかったが、今は再び動き始めた軍人としての自分の今後を考えるので精一杯だった。

 

 

 ☆     ☆     ☆

 

 

 集合場所で再開したヴァルターは絵に書いたような仏頂面をしていた。無理もない。結局、まともに相手をしてくれる店を見つけられなかったヴァルターは、ユルゲンのあとを追って充てがわれた宿舎に戻ったのだったが、そこはもぬけの殻で、心配のあまり一睡もできずに集合場所で待っていたら、当の本人は金髪の美女と共に現れたのである。疲れのあまり怒る気力すらなく、その表情で怒りを表現するのが精一杯なのであった。

 ユルゲンと共にやってきた金髪の美女こと、シュメリア・アルトメリーも、集合をかけられたうちの一人だった。それを知ったのは朝食の最中だった。

 路地裏でユルゲンが寝こけていたのを見つけたのも、招集前の最後の夜ということで行きつけのバーで送別会を開いてもらった帰りでの事だったのである。だが、本拠地から召集されるシュメリアでさえも、任務の内容を聞かされていないと聞いたとき、ユルゲンはますますの不安を抱かずにはいられなかった。

 腕に巻いた腕時計がアラームの電子音を奏でると同時に、三人の頭上を走る人工太陽ユニットが僅かな光を帯び始めた。集合時刻前五分毎に設定していたアラームの内、最後のアラームだった。一晩かかって冷やされた空気に身震いをした頃、舗装された道を這うタイヤの音が静寂の中に響き、エレカの接近を三人に伝えた。

 近くで行われている工事の資材を椅子替わりにしていた三人は思わず腰を上げた。

 曲がり角から現れたトラック型のエレカが近付き、目の前で止まった。見た目は工事で使うエレカその物だったが、ブレーキ音すら立てずに静かに止めたその技術と、窓ガラスから覗く運転手の男から漂う独特な雰囲気からユルゲン達が待っていたものである事は疑いようはなく、男が後ろを指し示すのに従ってコンテナが乗せられた荷台に向かった。軍用の頑丈な扉が音もなく開き、中から袖付きの士官服を着た青年が顔を出したのはその時だった。

「アクスマンとマルクス、アルトメリーだな?」

 押し殺した声に無言の敬礼を返事にした三人を見て頷いた青年は手招きをすると、コンテナの奥に下がった。それに続くようにユルゲン達は荷台に上がった。

 コンテナに入ると、既に中にいた十数人の視線に一斉に射抜かれ、ユルゲンは思わず足を止めかけた。かろうじて後ろから押すヴァルターに促され、手近に空いていたスペースに腰を下ろした。コンテナの扉が閉まるや否や、エレカは再び無音で動き出した。

 明かり一つないコンテナの中で誰も口を開かない異様な時間が過ぎていった。

「……なあ、ここまでする必要あるのか?」

 ヴァルターがユルゲンの心情と同じ事をヴァルターが小声で囁いたが、ユルゲンが口を開く間もなく「機密保全の為だ」という声が答えた。

 ようやく闇に慣れ始めた目を凝らすと、どうやら今の声の持ち主は初めに扉を開いた青年だったようだ。

「恥ずかしながら今の〈パラオ〉、というよりネオ・ジオンには相当数の間者が紛れている。その目を掻い潜った上でまで行う必要のある作戦に登用されたんだ。貴様らは誇りに思ってもいいが、絶対に死んででも役目を果たせ」

 一口に喋ったきり、青年は再び黙り込んでしまった。

 ヴァルターは思いもしなかった内容の発言に目を白黒させていた。勿論ユルゲンもそうだった。聞かされた現状も初耳であった上に、抱いていた靄の向こう側にあった事実が予想以上の重さを持っていたのである。

 突然に胸をおおった不安に、思わず手をきつく握りしめたが、奥底にうずまき始めた冷たいものを払拭するには効果がなかった。

 スロープを登ったり降りたりするのを車体の傾きで伺いながら、エレカに載せられてから約三十分経った頃にコンテナの扉が開かれた。目が眩むのを耐え、荷台から降りたユルゲンの目の前にあったのは無重力区間の入口だった。昨日〈パラオ〉に来た時に使ったポートとは違い完全に軍用であるらしく、元々無骨な機械扉は装飾の類が一切排除されており、機能性だけが追求されたものだった。

 一行は青年の先導に従い無重力区間に入ると、各々は隔壁に設えられたリフトグリップを握り、一列になって進んでいく。細長い通路を抜けると視界は大きく開けた。入り江のように窪んだ地形に上から箱を被せたような構造になっているドッグは二重のエアロックの内部にあり、ノーマルスーツを着ていない状態でも移動することが出来る。

 ドッグの内部には艦艇だけではなく、モビルスーツの姿も見えた。しかしその多くが旧式の改造機で、一部の機体に至っては過去に受けた損傷も仮の装甲で覆っただけだったり、酷いものは損傷しているのが常と言わんばかりの様子だった。ユルゲンはなるべくそれらを見ないように前の人の背中だけを追っていた。

 その後何度かリフトグリップを乗り換え、一行は次第にドッグの末端に近づいて行った。周りに見える機体や艦艇も数がどんどん減る中、進行方向に一隻の場違いにも思える宇宙船が見えはじめた。軍用ポートの中でひときわ異彩を放つそれは、ユルゲン達の『ルーブルズ』のものとは違うが、系統としては似通ったネオ・ジオンの偽装運送会社の貨物船で、四つの大型のコンテナを積み込んでいる最中だった。

「おい、あれって」

 ユルゲンのすぐ後ろにいたヴァルターが気付いたように、積み込まれているコンテナのうち二つはユルゲン達が持ち込んだ〈ギラ・ズール〉の物だった。残りの二つも恐らくはモビルスーツが格納されているのだろう。

「やっぱり俺ら戦うのかな」

「馬鹿言え、どうせ本業のパイロットがいるんだろ。こんな大袈裟な任務でパイロットのうち二人が未経験だなんてお粗末すぎるぜ」

 ヴァルターの言う事も尤もであったが、今まで自分達が整備してきた者に他人が乗るという事にユルゲンは寂しさに似たものを感じていた。整備士としてはそれが当たり前であるのだが、実戦経験が無いだけではなくそもそも整備士も志してなった訳では無く、違和感を感じるのは当然でもあった。

 大きく『ファルシュ貨物』のロゴが書かれた貨物船は、旧式の垂直離着陸(VTOL)船の改造機で、単体での大気圏離脱や再突入能力に加えて大気圏航行能力は勿論の事、大気圏内での着陸時に垂直になる必要が無いようになっていた。勿論、大気圏離脱時には垂直姿勢である必要があるのだが。

 船内に入った一行は一息つく暇もなく出航準備に駆り出された。というのも、客室のない貨物船を使用するために再突入の際の安全性を確保するには人数分だけ本来の乗組員を除外する必要があった。多少座席数は多めに作られているが、だからといって休んでいようものなら白い目で見られるのは当然の事で、誰もが言われるまでもなく作業の手伝いをしていたのだ。

 出港後、艦内の確認作業を割り当てられたユルゲンが座席に戻る頃には既に〈パラオ〉は米粒ほどの大きさになっていた。

 諸々の作業にひと段落がつくと一行はブリッジに集められた。クロム•ルールグ大尉と名乗った青年の説明では目的地までは一週間ほどで着くという。と、そこでユルゲンは一人の男が目に止まった。一行のほとんどが十代から三十代程度に見える中でその男だけが四十代、もしかすると五十代に入っていてもおかしくない容姿であったのだ。シュメリアを含めた他の人間もその男が気になるのかちらちらと視線を向けているのがわかる。その男はと言うと、時折クロム大尉の説明を手帳と照らし合わせている素振りを見せていて、恐らくは今回の不可解な招集について何かしら関係しているのは明らかだった。その矢先に、クロムの「では、これより今回の転属についての説明に入る。ウォルガント•リュード中佐、よろしくお願いします」という言葉に促され、例の男がクロムの傍らに立った。中佐という階級に一瞬ユルゲンは身をこわばらせた。ジオンという枠組みに属してこの方1度として佐官レベルの軍人と関わりを持ったことが無かったのであるから当然だ。

「私が今回の現地指揮官を務めるウォルガント•リュード中佐だ。集合時に手間を取らせ申し訳なかったが、先ほどクロム大尉が説明した通りの理由があったことを理解して欲しい。それでは早速だが本題の説明に入る。

 今回我々が行うのは、遠くない将来に想定されるジオン軍地上残存勢力と我々ネオ・ジオン残存勢力共同の総力戦に向けた地上戦力の強化である。

 皆も知っての通り五年後にはジオン共和国の自治権が失効し、我々ジオン人の存在は歴史の中に埋もれてしまうだろう。連邦もその為に徐々にではあるが我々の首を絞める力を強めている。暗い未来を少しでも良い方向に導くため、我々は立ち上がらねばならない。

 その第一陣として志ある一部の地上部隊と協力し、我々は地上兵力の向上、及び洗練化に務めることになる。地球降下後の任務などについては本部の司令を踏まえて追って説明する。ひとまずは以上だ。なにか質問は?」

 一息にそれだけ喋ると、ウォルガントはユルゲンにちらりと鋭い視線を送った。自分に向けられたその視線に心当たりのないユルゲンは内心ぎくりとしたが、すぐにウォルガントは他の人間に目を向けていた。

 気のせい、にしては随分と意思のある視線だったように思う。だが、その真意は全く見当がつかないし、心当たりもない。どだい、何かを期待されたところで自分に出来ることなど無いに等しいのだ。逆にそれを見越した視線だったのか?

 考えれば考えるほどに無限に堂々巡りを繰り返す思考を打ち消したのは天地が翻るかのような強い衝撃だった。

「なにをしているか馬鹿者!」

 ユルゲンの頬を張ったのはクロムとは別に士官服を着た青年だった。

「エセル•リトパイン中尉だ。今回この隊の風紀将校を努めさせていただく。今のように上の空であったりその他公序良俗に反するような事を含めて任務に支障が出るような行為には厳正に対処する。マルクス技術少尉、後ほど私の部屋に来い。いいな?」

 なるほど、風紀将校としての初任務として見せしめに使われてしまったのか。自らの不甲斐なさに舌打ちしたくなったが、それ以上に聞き捨てならない言葉を聞いたような気がしてユルゲンは思わず聞き返していた。

「え……少尉……?」

「そうだ。今からその説明をする所だったんだがな……」

 答えたのはエセルではなくウォルガントだった。胸ポケットから折った紙を取り出すと、それを開き皆に見せた。

「本部からの通達だ。今回の転属をもって下士官は少尉へ進級。士官以上の者はそれぞれ一級ずつ進級扱いとする。なかなか異例の特進だが、それだけ期待されているという事を自覚してほしい」

 ウォルガントが言い終わるや否や、一行はそれぞれ思い思いに喜びの顔をしていた。

 ユルゲンもその肩にヴァルターの腕が回り、「やったな」という声に頬を緩めた。

 

 

 その後、いくつかの留意事項を伝えられた後、ユルゲンはたっぷりとエセルに小言を言われ、数回頬を張られた。本人も進級の喜びもあり気合が入っているようで、なかなかの拳だったが、その手はウォルガントによって止められていた。

「君が例のパイロットの一人だな?」

 ウォルガントの問いと共に放たれた視線に先程と同じものを感じたユルゲンは頷きだけを返事にその顔を伺った。その様子が不服だったのか、再びエセルが睨んだが、流石に指揮官からユルゲンを奪いとってまで拳を叩き込むような事はしなかった。

「勝手を詫びるが、君達の機体は改造が施されている。申し訳ないが、地球までの間に完熟訓練をして欲しい」

「改造……?」

「ああ、我々が合流する地上残存兵力は水上部隊だ。きちんとした戦略連携を取れるように〈ギラ・ズール〉にも水中用の改造がなされたという訳だ」

 運び込まれた四機ともにその改造が施されているらしく、完熟訓練にはヴァルターや残り二機のパイロットも参加するらしい。

「はっ」と応じたユルゲンに、ウォルガントの背後のエセルがニヤリと笑う。

「それは都合がいい。私もパイロットだ。先の続きは訓練の中で行おうではないか」

 その言葉にユルゲンはあからさまな嫌な顔をしてしまったが、ウォルガントの笑い声で怪訝なものに変わった。

「それはどうだろうな?」

 その言葉の意味するものはわからなかったが、ユルゲンは厄介な事になったと自分の身を呪ったのであった。

 

 

 ☆     ☆     ☆

 

 

「ブローレン少尉」

 リオデジャネイロ基地の廊下を歩いていたブローレンは自分を呼ぶ声に足を止めた。

「どうした、カドナ」

 声の主、カドナ•バーティエ軍曹を振り返るブローレンに、カドナは一枚の書類を突きつけた。

「いい天気ですね」

 つまりは書類を読めということか。「そうだな」と返したブローレンは窓の外の海ではなく、受け取った書類に目を落とした。

「……っ」

 恐らくは内容を知らないであろうカドナは顔を顰めたブローレンの様子に目を光らせていたが、自分が関わるべきではない事に無闇に首を突っ込まない程度には聡い人間だった。

 数日前、ジョニーとルーベンスを目の前で失い、自身の機体も大きく損傷させて帰還したブローレンは任務を失敗した事の責任を押し付けられかけていた。

 本来ブローレンは責任を問われる立場ではないが、現場の指揮官の女性と基地司令の男は愛人の関係にあり、ほとんどすべての責任をブローレンに押し付ける形で事を終わらせようとしていた。

 しかし、「あれ、それっておかしくありません?」と声を上げた者がいた。

「デヴォンさん、これはうちの問題だ。貴方に口出す権限はないはずだが?」

 基地司令、アイザック•シークス大佐はため息交じりに声の主、デヴォン•クロウズへ苦言を呈した。無論自分の責任であるのは明白だが、それが当たり前のようにまかり通る程、リオデジャネイロ基地は腐敗が進んでいたのだ。郷に入っては郷に従え、と言わんばかりの論調に、意外な事にデヴォンは口を緩めた。

「じゃあ、こうしましょう。ブローレン君の籍ををうちで預かりましょう。それならば問題ありませんね?」

 デヴォンは連邦政府が進める、ある計画を主導する〈特務機関ODO〉の首席監査官を務めていた。軍属ではないため階級や交戦権こそないものの、政府直属の組織である〈ODO〉にはある程度の人事権を含めた特権が認められていた。〈ODO〉の活動目的は公にされていないが、活動の拠点としてリオデジャネイロ基地が提供されていたのであった。

 そのトップであるデヴォンが特権を行使し〈ODO〉預りとなれば、ブローレンへの責任追及は少なくとも一時的に不可能となる。ブローレンはひとまずの身の安全に胸をなで下ろしたが、同時にそこまでするデヴォンの真意が掴めずにいた。

 勿論、アイザックにデヴォンの特権行使を阻害することは出来ない。

「……」

 無言に怒りを表したアイザックは、一方で面倒を嫌いその日の内に書類を纏めた。そうして、ブローレンは〈ODO〉の一員となっていたのだった。

 〈ODO〉がリオデジャネイロ基地を拠点にしているために今まで通りの生活を続けていたし、デヴォンの配慮でブローレンは少尉扱い、部隊所属もそのままにされていた。

 その矢先の書類。主はデヴォンであるのは言うまでもない。厄介な身をわざわざ匿うようにして配下に置いたデヴォン。ブローレンはその魂胆を自分を便利に切り捨てられる駒に扱う程度だと推測していた。しかし、訝しげに読んだその中身は、ブローレンの予想を大きく裏切るものだった。

(ブローレン君へ。君を〈ODO〉の新型モビルスーツの試験責任者に任命したい。ついては信頼できるパイロットを三人集めて欲しい。詳細は後ほど説明する。以上)

 モビルスーツ小隊を失った責任を責められた人間に、新しく責任者にしたいとは。あてつけ、嫌がらせか。ブローレンが疑うのも無理はない。

「少尉?」

 流石に心配になったのかカドナがブローレンの顔をのぞき込む。同期を失わせた責任の一端は確かに自分にある。やむを得ない状況だったのは事実だったが、ブローレンはカドナへの負い目を感じられずにはいられなかった。

 無言で首を振ったブローレンは窓に視線を向けた。カドナが言うように外はいい天気だったが、ブローレンの奥に渦巻く不安を表すように、水平線を覆うように積乱雲ができ始めていた。




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