学園祭から一夜明け、翌朝。博士の隣にある工藤家のチャイムが、久方振りに音を鳴らした。鳴らした人物は勿論、蘭。学園祭時、新一と再会を果たした彼女は、コナンと共に工藤家にやってきて、彼と共に登校するために来たのだ。久し振りの『日常』を取り戻すように…。
彼女は何度も鳴らし続ける。少しして、チャイムの向こうから返答が返ってきた。それはやはり、彼のもの。しかし、その声が信じられないのか、何度もチャイムを鳴らし、それに何度も、眠たげな声で返答をする新一。それでも彼女は信じられないのか、耳を当てて声を確認しだした。遂に返答がなくなったと思えば、玄関が開く音と共に近づく足音。それに気付き鳴らすのをやめた瞬間、門越しに制服の上着とネクタイを着けていない新一が、食パンを持って現れた。
「だぁ、うっせえなぁ!!一回鳴らしゃ分かるっつの!!」
彼はそのまま離れて家の中へと戻り始める。それを見て、蘭は門を開けて、慌てて彼の背中に声を掛ける。
「ねえ新一!ちゃんと分かってる?今日の学校の予定!」
彼女は門を閉めようとしたが、慌てているために半開きになってしまい、それを一緒に中に入ったコナンが代わりに閉めた。その目線の先にあるのは、蘭と会話する新一だ。
「んなもん去年と一緒で、どーせ皆んなで学園祭の片付けすんだろ?」
そして彼は玄関扉を開けて、蘭に振り返り、準備するから玄関で待ってるように言って、家の中へと戻ってしまった。扉が閉まり、彼女は目をパチクリ。しかし、幸せそうな笑みを浮かべ、扉を少し開ける。隙間から覗いてみれば、彼が欠伸をしながら家の奥へと向かう後ろ姿が観れた。
(いるいる、新一だ…夢じゃない!本当に、帰ってきたんだ…!)
扉を閉めて、その事実を漸く、1日かけて漸く実感した彼女は、嬉しそうな満面の笑みをコナンに向けた。
「良かったね!コナンくん!!」
しかし、そこにはコナンはいなかった。
新一は洗面台で姿を整えていた。鏡越しの姿には、本当に嬉しそうに、ニヤニヤしながらネクタイを結んでいた。
「…やっぱりいいよなぁ!本当の体は…」
「ーー調子に乗ってんじゃないわよ」
後ろからの唐突な声に、新一は驚きを表すも、その声が誰のものかを理解し、表情を硬くして振り返る。
「は、灰原…」
やはりそこにはコナンの姿をしたーー哀がいた。
「貴方、何様のつもり?貴方の正体があの子にバレなかったのは、私が調合したあの解毒剤と、博士が作ってくれた『マスク型変声機』で、私が変装したお陰でしょ?舞台の上で、コッソリあの子にだけ会う約束だったのに、あんなに大勢の前で堂々と姿を表すなんて…」
しかも哀はまだ知る由もないことだが、忘れる事が一生できない瑠璃もいた。誰かが忘れても、彼女だけは確実に生き証人となる。情報規制は目暮のおかげでなされるだろうが、それがなければ、彼女はもしかしたら誰かに言ってしまっている可能性もある。
それを知ってる新一は、苦笑いしか浮かばせる事ができない。それでも一応、言い訳をする。
「いや、悪かったよ…事件の真相が分かったら、抑えが効かなくなっちまったんだ。それにまさか、あの解毒剤で完璧に元の姿に戻るとは思わなかったし…」
それに冷ややかな目を向ける哀。それでやっぱり不味かったのではと思い、正直にそう問いかけた新一に、哀はあきれた様子で返す。
「あの大阪のお友達に感謝するのね。貴方が倒れたあと、彼、私に事情を聞いて、事件のことは漏らさないようにって、皆んなに呼び掛けてたから」
しかし、それでどこまで口止めが効くかは分からない。学生の中にも噂好きの女子というのはいるのだ。内緒よと言いながら、どんどんその話が広がっていくことなど、よくある事である。
「…事が落ち着くまで、この格好であの子の家に居候してあげるし、咲にも、ちゃんと説明しておくから」
その彼女の言葉に、ふと新一は疑問に思う。それをそのまま、彼女に問いかけたーーなぜ、ここまでしてくれるのか、と。それに背を向けていた哀は目を見開き、固まる。それに気付かないまま、彼は続ける。
「解毒剤が出来たんなら、お前だって直ぐにでも元の身体に戻りたいんじゃないのか?咲の奴だって…」
それに1つ息を吐き出し、新一を見ながら哀は答える。
「…馬鹿ね。貴方の正体がバレたら、私や咲にも火の粉が飛んでくるかもしれないから、協力してあげてるんじゃない。それに、貴方が飲んだのは『試作品』。私が使うかどうかは、今後の貴方の体調をじっくり観察してから決めさせてもらうつもりよ」
そう言って彼女はまた背を向けた瞬間、新一から名を呼ばれ、少し頬を赤らめながら振り向けば、新一は苦笑いで一言。
「『コナン』の声で女言葉使うのやめてくんねーか?…気持ち悪くってよ」
「あら、私は結構気に入ってるけど?」
そう言って哀が背を向けて歩きだし、新一は整えた髪をグシャグシャと掻きむしった。
通学途中の間も、蘭は仕切りに新一に話しかけ、現在の話題はあの学園祭の話になった。
「それにしてもビックリしちゃったよ!!黒衣の騎士の中身が、新一に変わってるんだもん!ロクに台詞なんか覚えてないのに、よく代役なんかやる気になったわね!」
「え?」
「あのまま台本無視して劇続けてたら、滅茶苦茶になってたわよ?」
新一はその言葉に素で驚き、園子に対して少し文句を言いたくなった。なぜなら、あの時、園子から言われたのだ。『黒衣の騎士』はイキナリ姫を抱きしめて、キスをするのだと。それまでの間は一切喋っては駄目だと。
その時のことを思い出してムスッとした表情を浮かべる新一に気付かず、どうだったかと問い掛ける蘭。それに劇のことかと問い掛けると、蘭の役である『ハート姫』の感想を聞きたいらしい。
「べ、別に、だからどうっていう訳じゃないけどさ…」
蘭が少し照れくさそうに言うと、新一も慌てて思ったままを言うことにした。
「あ、ああ、あのドレス姿、良かったよ」
「え?」
そこでついに恥ずかしくなったのか、ニヤッと新一は笑った。
「『馬子にも衣装』って感じで、イケてたぜ?」
それに褒めてるつもりかとジト目の蘭に、笑うだけの新一。そして路地を通過しようとしたところで、歩美が『コナン』に声を掛けた。そちらに目を向ければ、歩美の他に元太、光彦、そして珍しく目を見開いてこちらを呆然と見る咲がいた。
「あっ!コナンくん!!」
「おはようございます!!退院おめでとうございます!!」
その瞬間、新一が元太達に声を掛ける。
「おう!オメー等、元気にしてたか?」
そこで新一の姿をようやく捉えた元太達。しかし、彼らは目を見開き、ジッと新一を観察していた。それに気付き、疑問に思ったところで、元太が『コナン』に問い掛ける。
「おい、誰だよあのニーチャン」
「博士ん家の隣に住んでる高校生だよ」
「お前達も見ただろ?『工藤家』。あそこが、あそこがこの人の家らしいぞ」
先程まで呆然と新一を見ていた咲が、咄嗟にフォローに回った。それに『コナン』と新一が目を向ければ、咲からは『あとで詳しく聞かせてもらうからな』と分かりやすく視線で責められた。
「ああ…あの幽霊屋敷の」
「そういえば、灰原さん、風邪でお休みするって!」
なのになんでお前はそんな姿でいるのかと、うるさい視線を『コナン』に向けてくる咲に、それをスルーする『コナン』。そんな子供達の輪を感慨深げに見つめたあと、咲に目を向けた新一。彼女の元気そうな姿にホッとすると共に、あの病院で哀から語られた事が思い返されたーー。
解毒剤の試作品を試すことを決意し、それを哀に伝えたあと、彼女はそのまま部屋を出るために背を向けた。しかし、フッと足を止めたと思えば、コナンにまた顔を向けて、話しだす。
「そうそう、咲のことだけど…子供達からは何か話しを聞いてる?」
「咲の…?いや、何も…まさか何かあったのか!?」
コナンが慌てて問い返すと、勤めて冷静な姿の哀が口を開いた。
「何も…と、言いたいところだけど、咲は、あのキャンプの事を『何も』覚えてないのよ」
「はっ…何も?」
「そう、なにも」
曰く、彼女の記憶はキャンプの日の事が丸々消えており、その翌日に学校に来た時、彼女は子供達に謝っていたのだ。『唐突に熱を出して休んでしまったみたいで、すまない』と。
「私はその朝から、彼女の兄弟の、修斗さんだったかしら…あの人から博士に連絡があって、それで一応理解してたから良いけど、子供達は何のことだからサッパリ状態。私がフォローに回って、キャンプの日の出来事を覚えてないことは説明しておいたから、せめて言うとしても、キャンプの思い出くらいにしておいてよ?」
「お、おお…」
哀の言葉に、コナンは頷くだけ頷いた。どうして記憶が失くなっているのか、彼は知らないのだから仕方ない。それを理解し、哀は溜息をつく。
「…貴方の所為ってわけじゃないけど、貴方が撃たれて、気絶して、その後に地面に倒れた事が彼女の『トラウマ』を刺激したのよ。精神的な余裕は、まだ咲にもなかった。だから、精神が壊れる前に、彼女は無意識に記憶を封じ込めた…彼女にも一度あったことでしょ?」
哀のその『彼女』が誰を指すかなど、1発で彼は理解したーー蘭だ。
しかし、その『トラウマ』を抱えている事など、彼が分かるわけもない。彼に非はないのだ。
「…なあ、その『トラウマ』になるような記憶って…」
「……私が話して良い事かは分からないけれど、それを避けてもらうためにも、言っておくわ」
そこで漸く哀はコナンと視線を再度、合わせた。
「…彼女の『トラウマ』は、彼女が依存していた2人の人物ーーテネシーと、その部下だった燕さんを、その手で射殺したことよ」
今現在、目の前で子供達と話している彼女には、何の陰りもない。なぜならそれは、『忘れているから』。
(一番の依存先だったテネシーって幹部を射殺、その後の依存先だった燕って人物を最後に射殺して、組織から逃亡…どう考えても、その最後の仕事で精神が壊れちまったってとこなんだろうけど…なんでその2人は殺されたんだ?)
新一には理解出来なかった。組織の事を考えると、理由があっての事だろうとは考えるが、その理由が、彼には分からない。理解出来ない。
そこまで考えていた時、蘭から声を掛けられて、漸く意識を考え事から外へと戻した。
「ほら!私達も早く行かないと!!遅刻しちゃうわよ!?」
そうして先に歩き出す彼女に、声を掛ける新一。
「ああ、待ってよ蘭姉ちゃん!」
「フグゥ…!」
その声掛けは何処か幼さのある声で、咲は思わず吹き出すのを堪えようとしたが、少し出てしまった。声を掛けられた蘭はといえば、意味がわからないと言いたげな表情で、新一もやってしまった事にすぐに気付き、冗談だと濁し、吹き出した咲を目敏く睨み、一言二言彼女と会話して高校へと向かった。
クラスへと入れば、クラスメイトの男子達が新一達に夫婦で登校かと茶化しを入れ、新一は照れながらも否定する。それにニヤニヤした表情で上辺だけ納得し、唐突に話を変えた。内容は、新しく入った英語担当の教員のこと。
「そういや、今度きた英語の先生、イケてるぜぇ?ナイスバディの外人さ!!」
そう言って胸のあたりをジェスチャーで表す男子生徒達に、新一はちょっと嬉しそうにする。まだまだ男子高校生。そう言う下世話な話は大好きなお年頃である。それを面白くないと感じたのか、蘭は新一の耳に口を寄せた。
「ちょっと、私、まだあの話聞いてないんだけど…」
「話…?」
「ほら!なんか大事な話があるって言ってたでしょ?」
「ああ、その話なら…」
そこで新一が蘭の耳元に口元を寄せて、蘭にしか聞こえないぐらいの声で話すと、蘭は目を見開いた。が、そこで周りを見てみれば、他のクラスメイトが2人の話を盗み聞こうと体を寄せており、それを新一が追い払った。しかしそれを他所に、蘭は考える。今言われた言葉を。
(今夜8時、米花センタービル、展望レストラン…?)
その後、授業も滞りなく進み、2人は一度帰宅。そして改めて蘭は似合うようなドレスを着て、新一と共にビルへと入り、展望レストランへと辿り着く。そして2人は、ガラス前の席に座り、食事を堪能し始めたーーそれを嫌そうに見つめる、黒のカジュアルな服を着た修斗の視線には気づかないまま。
「…なんであいつがいるんだよ」
「ちょっと、修斗?どうしたのよ、頭なんか抑えて…頭痛?」
修斗が新一の存在に気付き、この先の展開が読めてしまって痛む頭を抑えれば、向かいで一緒に食事を堪能していた、ライトオレンジのカジュアルエレガンスなドレスを着た梨華が少し心配そうに修斗を覗き込んでくる。それに大丈夫だと笑って頭を撫でながら、頭から新一達のことを一時追い出す事に決めた修斗。そんなことには気付かず、蘭がレストランの値段が高そうだと心配すれば、新一は父親・優作のゴールドカードを懐から取り出して見せつけた。それを見て、道楽息子と揶揄う蘭。それに、息子ほったらかして外国に行っている親の方が道楽だと拗ねたように言い、その姿を見てふふっと彼女は笑った。
「本当にコナンくんとそっくりね!」
それに彼はギクリと体が固まった。そんな彼に気付かず、コナンの両親が外国に行っていること、そのコナンが新一だと思っていたと暴露する。それに、少し気まずい思いを抱く新一。それに気付かないまま、蘭は続ける。
「新一、きっと大変な事件に巻き込まれて、姿を隠さないといけなくなって、博士に作ってもらった薬かなんかでちっさくなってるんだって…ふふっ、馬鹿みたいでしょ!」
女の勘とは恐ろしい。なぜなら、あながち間違ってないのだから。博士の作った薬ではないが、大変な事件に巻き込まれて小さくなり、姿を隠して生きてきていたのだから。
「でも不思議よね?こうやって新一が帰ってきたあとであの子を見ると、全然別人に見えるんだもん」
「バーロォ、当たり前じゃないか…」
実際に別人なのだが、彼女は知らない。新一も彼女の鋭さに、乾いた笑いしか出ない。
「それで?」
そこで蘭から声を掛けられ、蘭の方へと視線を戻せば、そこには満面の、嬉しそうな笑顔を浮かべた、いつもよりもっと綺麗なーー蘭がいる。
「なんなの?話って!」
そんな蘭を見て、照れてしまう新一。頑張って新一はその『話し』をしようとするが、出てこない。目線をそらし、ずっと頑張って話そうとしていたら、食事が運ばれてきてしまった。そこで食べる事を先に優先してしまい、話がまた遅れてしまう。兎に角、会話を続けようと彼は自身の好きなホームズの話をし、蘭も楽しげに聞き入り、なんとなく気になって見てしまっていた修斗は、唇の動きから理解し、ここでその会話してどうするんだと、新一の意図を完全に読み取った上で心の中で叱咤した。
「ーーで?」
「えっ」
蘭がまた笑顔を浮かべて問いかけ、新一がまた固まれば、彼女は顔を新一に近づけて再度、問い掛ける。
「話ってなんなのよ?」
そこでまた言おうとするが、言葉がやはり出てこなかった。それに蘭は溜息をつく。
「はぁ…もう、言いにくいのは分かるけど、男なら男らしくハッキリと言いなさいよ」
それに彼はドキリとし、修斗は余計に頭を抱えた。
「ーー休学中のノート見せてくれって!」
それに新一は予想外の言葉が蘭の口から出た事で目が点になり、修斗は逆に新一が不憫に思えて、彼にしては珍しく他人の為に涙が出そうになった。そんな修斗を不思議そうに見る梨華。
「ちょっと、本当にどうしたのよ。なんで急に目頭を押さえてるのよ」
「いや……今後ちょっと、優しくしてやろうと思って…」
「はぁ?」
梨華が訝しげな様子を見せている間に、蘭がきっとそんな事だろうと思って、コピーを取って持ってきたと言い、新一もそれに乗ってしまい、尚更彼を可哀想に思ってしまった修斗であった。しかし、直ぐに新一がそうではないと言い、それに蘭が驚き、それを気にせず、彼が蘭を食事に誘った理由を言おうとしたところでーーレストラン内に、女性の悲鳴が、響き渡った。
「なに?今の悲鳴…」
「き、きっと、誰かがゴキブリでも見つけたんだろ…」
(それだったらこのレストランは終わってるんだが!?)
新一がいる時点でこの展開をなんとなく予感していた修斗が、新一の言葉に内心でツッコミを入れる。勿論、悲鳴の理由はそんなものではなく、エレベーターの中で人が死んでいると、レストランにやって来た1人の男が口に出す。それでもなんとか言おうとするが、拳銃で会社の社長が頭を撃ち抜かれたと話し、頑張って続けようとするその姿勢に、本当に珍しくも内心でさめざめと泣くのは修斗である。
「…無理しちゃって」
「ぇ…」
「事件の事が気になってしょうがない癖に」
蘭のその言葉は図星で、それでも新一が言い訳をしようとする。それに蘭が背中を押す為に、待っていると言った。
「私は誰かさんと違って、逃げも隠れもしないから…さっさと行って来なさいよ、探偵さん?」
「…」
「ほら、私の気が変わらないうちに、行った行った!」
「ら、蘭…」
その蘭の思いやりに、新一は有難く思い、直ぐに戻ると行って走り出す。それを微笑ましそうに、それでもどこか寂しそうに、見送る蘭。それを見ていた修斗は溜息ひとつ。
「…罪な男だなぁ」
「さっきからなんなのよあんた、気持ち悪い…」
「お前なぁ…俺だって他人に同情することもあるんだが??」
「はいはい…はぁ、でもこれじゃあ、直ぐには帰れないわね…まあ、彼がいたから、すぐ解決するでしょうけど」
口元をナプキンで拭いながら梨華が言い、修斗は少し目を見開いた。
「なんだ、覚えてたのか」
「悲鳴が聞こえた瞬間に、後ろ向いたらいたんだもの。少しびっくりしたわ」
「アメリカの時に会ったんだったか?…よくよく、ウチとアイツも縁があるなぁ」
そう言いながら溜息をつく修斗。新一と会っても事件に巻き込まれるばかりで、彼にとっては嘆きたくなるような相手だからこそ、疲れたような溜息しか、吐き出さなかった。
事件現場に目暮と共にやって来た彰と瑠璃は、射殺死体のあるエレベーターに到着した。そこには、エレベーターの後ろ側に背中を預けて座らようにして頭を撃ち抜かれた、ネクタイを少し緩めている遺体だった。
「はい、また悪夢ファイルに追加されました」
「おい、現実逃避するな、瑠璃」
遺体に対して合掌した後、現実逃避をし始めた瑠璃に、松田が叱咤を入れる。勿論、彼女は直ぐに現実へと意識を戻したが、彼女はこの東都の事件の多さに、そろそろ怒りが湧きそうな状態である。
「被害者は『辰巳 泰治』58歳。ゲーム会社の社長だそうです」
「発見したのはあの3人」
高木の近くにいた伊達が目暮に言って顔を向けた先には、2人の女性と1人の男性。
「3人とも、この被害者のゲーム会社の社員で、このエレベーターで、会社へ忘れ物を取りに行く為に乗ろうとしたら、遺体を発見したとのことだ」
「忘れ物?」
目暮がそれに疑問を持てば、先に聞いていた高木が、ここのレストランで行われていた、会社創立20周年記念パーティーで渡す予定の、花束を取りに行こうとしたと話す。また、その会社がここの24〜36階に入っており、遺体が入っているエレベーターは、会社専用のエレベーターだったらしい。そう説明する高木。
「辰巳さんは体調が悪くて、会社に寄ってから帰ると言っていたそうです」
「ふむ、服も乱れとるし、どうやら犯人は金目当ての…」
そこで目暮の言葉が止まり、首を傾げる瑠璃。すると、目暮が前に似たような事件がここであったのではないかと言い始める。彼がまだ新米刑事の頃で、妙な若い男が割り込んできたと言い始めたあたりで、若い刑事組の高木、瑠璃が苦笑いをし、伊達と松田、そして発見者に話を聞き終えて、近くに戻って来ていた彰が肩を竦めた。20年前と言えば彼らはまだ小学生だ。
そんな時、瑠璃がふっとエレベーターに視線を戻せば、そこには見慣れぬ姿の、ちょっとオシャレをした青年が1人。
「ーー申し訳ありませんが、金目当ての犯行の線はないと思いますよ」
「そうそうそう、こんな風に…!?」
そこで漸く高木と目暮も気付き、エレベーターの中へと視線を向ければーー新一が、被害者の遺体を見ていた。
「犯人が金目当てで拳銃を所持していたのなら、ターゲットを人気のない場所に誘導する筈です。殺害後に、金目の物を探すつもりだったのなら、いつ誰が動かすかも分からないエレベーターの中は、最悪の場所」
「た、たしかに…」
「それに、金目当てでも、シャツの裾の釦まで外しませんよ」
そこで彼は振り向きーー目暮達には漸く、それが誰かに気付けた。
「そう思いませんかーー目暮警部?」
「く、工藤くん!?」
そこで彼はまた、自身の名を伏せるように言い、またなのかと目暮が呆れたように言う。それを彰がまた訝しげに見つめていた。
「で、工藤くんはなんでここに?」
「蘭と2人で食事してたんですよ」
「あれ、小五郎さんは??」
「そうだぞ。それに、高校生がこんなところで食事とは…」
瑠璃が疑問を浮かべ、目暮が呆れたように言えば、新一は頬を照れ臭そうに掻いた。
「いえ、ここにしたのはちょっと訳ありで…」
「訳あり??」
瑠璃が首を傾げ、伊達と松田がそれ以上突っ込むなと肩を掴んだ時、規制線の向こうから、茶髪の女性と男性が3人が走って入ってきた。
「パパ…パパ!!?」
茶髪の女性が遺体に近付こうとしたのを、咄嗟に高木と彰が抑えた。それでも遺体を彼女は見てしまい、何故、父親がと、彼女はそう叫んだ。そこで、男性のうちの1人が、ここで別れた時には元気な姿だったのにと口にし、そこで彼らが最後に社長の姿を見た人々だと理解した目暮が確認のために問い掛ける。それに彼らは最後に見送ったのは自身達で、その直後に娘である茶髪の女性が現れ、2人の男性の後ろにいた、背の高い顎が少し割れた男性が、祝辞の打ち合わせを2人で、このエレベーター前でやったと言う。その後、パーティー会場に行ったと話す。
「その間、誰がエレベーターに乗った人は?」
「いえ、誰も…」
彰の問いかけに、その男がそう返す。時間は分かるかと目暮が問い返し、男が記憶を遡り出したところで、女性が涙を浮かべながら振り返る。
「20時半よ!パーティーのクラッカーが鳴ってたし、時計の針がそうだったから間違いないわ!」
その言葉に新一が少し反応する。彼女の両腕には、どこにも時計はなかった。
「ちょっと待て。あんた、腕時計なんて巻いてないじゃないか…どこで見た?」
「『大場』さんの腕時計が見えたのよ!彼が私のピアスを触った時にね!」
「え、『触った』?」
瑠璃がそこで『大場』らしき男である、顎が割れた男を見た。
「彼にか?」
伊達が改めて聞けば、女性はうなずいた。
「ええ、そうよ。ここで彼にプレゼントをもらったのよ。『君が着けているピアスと同じ、ピンクパールのネックレスだよ』って!」
そこで彼女が改めて泣き出してしまうが、彰達の中では疑問が湧き上がった。
「…伊達さん」
「なんだ?」
「ナタリーさんがいる貴方に聞きたいんですが…一見しただけでピアスの種類、分かります?」
「お前や修斗じゃないんだから、そう分かるわけねぇよ」
「じゃあ、なんであの男が分かったのか…」
そこで他の男2人が他の社員に知らせてくると行って現場を出て行き、大場が女性を連れて行こうとしたところで、新一が高木に何かを耳打ちするのが彰達の視界に収まった。それは大場にも見えたようで、彼が振り返り、何かと聞けば、本当に文字盤が見えたのかと高木が問い掛ける。それに女性がちゃんと見えたと叫ぶ。彼の説明では、彼の時計は蛍光塗料が付いており、薄暗い中でも見えるとのこと。瑠璃達が来た時にも薄暗い廊下の中、彼らに見えたのはそれが理由だと言う。薄暗くしていた理由も、社長命令であり、何かの催し物をしようとしていたらしいと大場は話す。それでも変だと新一が言い、また高木に耳打ちをはじめ、気になった目暮と彰達が耳を寄せて聞く。そこで大場が何が変なのかと言うと、時計を付けた腕でピアスを触っても、文字盤は見えないと、新一が実戦してみせる。左手を彼女の右耳のあたりに持って行っても、確かに見えない。しかし大場は笑って言うーー左腕を左耳に持っていけば、見えるだろうと。
「え、わざわざ左耳に持っていったんです?」
「何か文句があるのかな?」
「あ、いえ…ちょっと違和感を持っただけなんで、今は気にしなくていいですよ」
瑠璃の言葉に大場が首を向けてそう言い、瑠璃もそう返す。そもそも、その茶髪の女性の耳のピアスが見えているのは左耳だけ。だから左で触ったのだと言う。そこで違和感の正体に気付いた瑠璃が問いかけた。
「右は?」
「は?」
「右手はどうしたんですか?」
「それは僕も気になりますね。右手はどうされたんですか?」
「おいおい、確かに右手の方が触りやすいが、もしかしたら何か持ってて、塞がってたって事もあるだろ?」
瑠璃と新一の言葉に、2人を宥めるような言葉を言いながら、ニヤリと笑って同じく追求する松田。伊達も彰も止めに入らない。追求をやめては逃げられるだけである。
蘭が残されたレストランでは、彼女は外の夜景を見ながら、新一の『話し』がなんなのかを、改めて考えていた。そこでふっと1つの可能性が浮かんだ。それはーー。
(もしかして、太ったって言おうとしたとか!?)
そう思った時に、彼女の想像の中の新一が、呆れたように彼女に向けて太ったのではないかと言った。そしてそれはあり得そうだと蘭は思ってしまった。
(確かに最近、ウエストやば気味だし…)
けれど、わざわざ食事に誘ってそれはないだろうと考えた。わざわざ誘った挙句にそれを言うなら、とんだ最低男である。
そこまで考えた時、彼女の所にウェイトレスがやって来た。そのウェイトレスはデザートを差し出そうとしたが、それに蘭は待って欲しいと頼んだ。新一がーー連れが戻ってくるまで待って欲しい、と。
「さっきの悲鳴聞いて飛んでいっちゃって…あ、でも彼、探偵で、直ぐに解決して来ると思いますから」
その言葉にウェイトレスは少し固まるも、ふふっと笑って了承した。それに蘭がなぜ笑っているのか、どうかしたのかと聞けば、ウェイトレスは答える。
「あ、ごめんなさい。前、ソムリエに聞いた『伝説のカップル』が貴方達に余りにも似てたから」
どうやら、蘭達が座っていた窓際のその先は、そのカップルがちょうど座っていたらしく、20年前のその彼氏も探偵で、事件を解いて戻って来た時、大声で告白したと言う。だからこそ蘭に、覚悟しておくようにと揶揄い混じりの笑顔で伝え、最後に応援の言葉を残して去っていった。
それにまさかと何度も考え、もしかしてと考えたが、そんな訳ないかと一蹴してしまった。
それを見聞きしていた修斗と梨華は呆れ顔。
「…おいおい、彼女、気付いてないぞ?」
「他人の事は敏感で、自分の事には鈍感みたいな。まあ、そこが可愛い所だけど…所でさっきの話って、本当なの?」
梨華が真剣な表情で修斗に問い掛ければ、修斗は目を細めた。
「いやまあ、噂では聞いたが…それが本当だったとして…お前、俺にされたいのか?兄の、俺に?それともーー自殺してしまった、彼氏の和樹に?」
大場は新一達を責め立てる。自分が右手に拳銃を持っていたとでも言いたいのか、と。しかし、誰も拳銃を持っていたとは一言も言っていない。勿論、遺体を見た以上、そう言う風に考えてしまうのは仕方ない。
新一もまた、自身はそんな事を一言も言ってないと弁明し、少し子供らしく首を傾げて、持っていたのかと問い掛けた。それに大場が一体この青年は何なのだと、怒りを目暮達にもぶつけた。それに新一が、自身は新米警官だと偽り、同意するように目暮を促した。これには目暮達も空笑い。そこで女性が大場には犯行は無理だと言う。それは、3人で見送った後、大場が彼女とずっといたからだと言う。
「どこにも寄りませんでしたか?」
「彼に貰ったネックレスをつけに、トイレに寄ったぐらいよ。序でに口紅も付け直したから、2、3分かしら。壁越しに話してたから、いたも同然だわ」
それに瑠璃が頭でツッコミをいれた。口に出さなかったのは、余計な一言は嵐を招くと学んだ為である。
(いや、犯行時間によってはトイレで拳銃捨てたとかあり得るんだけど!?てか、いたも同然って何!?喋ってただけで彼の動きを見てないのに何の証拠にもなってないんですが!?)
「瑠璃。顔、顔に出てるぞー」
そこで伊達がコソッとそう耳打ちし、ハッと瑠璃が我にかえり、女性と大場を見れば、まるで安心したように互いに笑みを浮かべて見つめ合っている。それがなぜか眩しく見えて、腕で目を隠した瑠璃。
「…いや、お前何してんの??」
「ミナイデクダサイ松田さん。今、彼氏いない暦年齢な私には、眩しい光景が目の前にあるんです」
「刑事だから目を背けんな。真実を見ろ」
「事件の真実はちゃんと見ますデス」
その時、大場達の後ろから1人の警官が現れた。報告によれば、サイレンサー付きの拳銃と空薬莢が、このビルのゴミ集積場で見つかったとのこと。ダストシュートから犯人が投げ込んだのではないか、と警官が言った。そこで彰が発見者達に、このフロアにダストシュートがあるかを聞けばーートイレの側にあると、答えた。
「成る程。会話しながらでも捨てられるって訳か…」
「おいおい、どうやら君達は、俺を犯人にしたいらしいが、なら俺がどうやって降りていった社長を殺害したか、説明してくれよ。僕は彼女とずっと一緒にいたんだ。それに、僕が撃ったなら、袖口から硝煙反応がーー」
「あ、消せる説明は出来るんで、そこだけ説明していいならしますよ?」
大場の言葉を遮って瑠璃が言えば、それに驚いたように目を見開く大場。それに首を傾げる瑠璃。
「え、ダメですか?」
「いや、いいんじゃね?殺害方法はともかく、消せる方法があるのは本当だしな」
「ど、どうやってかね!?」
目暮がそこで瑠璃と松田に詰め寄った。それに驚いた瑠璃が、慌てて説明を始める。
「め、目暮警部も最近経験したじゃないですか!!傘で自身を覆って硝煙反応を自身に付着させない方法!!それを応用したんだと思うんです!!例えば、サイレンサーの付いた銃口のあたりを袋で覆うとか!!」
「ッ!?」
それに大場が少し驚いた様子を浮かべるが、新一以外、気付かなかった。それでも兎に角、硝煙反応の有無は確認しようと、目暮が警官に指示し、警官が大場を連れていった。その背中に着いて行きそうな女性に新一が声をかけた。ちょっとした確認である。その内容はーー。
「貴女、もしかしてキスしませんでした?エレベーターの前で、大場さんと」
「ま、まさか見てたの!?」
新一の小声での問い掛けに、彼女は少し照れた様子で新一に同じく小声で問い返す。それに新一は、女性が口紅を塗り直すのは、食事かキスをした後だと、母親が言っていたと話す。それで、どうやっていたかと新一が問えば、彼女は新一の左腕を取り、自身の頭に回して、耳の辺りを塞ぐような形にした。それを見ていた高木と瑠璃が頬を赤らめ、見入っていた。その間も新一の問いは終わらず、エレベーターに背を向けていなかったか、いつも隠れてこんな事をしていたのかと問えば、女性も少し頬を赤らめて、全てに肯定した。そこで高木が止めに入ろうとしたが、新一がそこでお礼を言って彼女を解放した。そこで彼女も正気に戻ったのか少しむすっとした表情で離れ出したが、そこで新一が最後に1つ質問したいと止めた。彼女もそこで振り返る。
「そのピアスも、もしかして大場さんの贈り物ですか?」
その問いに、女性は不敵に笑って否と返す。
「残念でした。このピアスは、今日、ここに来る前にに衝動買いしたピアス。プレゼントじゃないわ」
その答えを聞き、女性に礼を言ったと共にーー新一の中で、疑惑が確信に変わった。
(やっぱりそうだ。間違いない。社長を射殺したのはあの人ーー大場さんで、間違いない!!)
最近、シリアスモードに疲れてしまったのか、北星兄妹の長男と次男と長女と次女が漫才しだしてもう手に負えなくなり出す気がします…もうマトモなのは雪男くん、君だけだ!!頼むからこの兄妹をまとめてから!!まあ無理な気もしますが。