Armored Core Memoir of the Abyss   作:K-Knot

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Alone

 暗い暗い海の底に誰も住んでいない、住んだことのない崩壊した巨大な都市がある。

 更にその奥深くに冷たい海水に沈んだ巨大な機械があった。

 

 そこにある幾つものひび割れたスクリーンの一つに、光が灯った。

 

 そして最後の言葉をゆっくりと呟くように、文字が浮かびあがる。

 

 『MISSION COMPLETE』

 

 

 

 

 ――――――――なぜ?

 破壊されて完全に停止し、そこに宿っていた全ての意識は消え去ったというのに、どうしてまた光が灯ったというのか。

 

 一体何が、『それ』をまた起動したのか。

 

 深淵に一人、ただ待ち続けている。

 

 

 

 

************************************************

 

 

 

 

 誰かが俺を呼んでいる声が聞こえる。

 何もかもが終わってすっかり忘れてしまった物の声だ。

 

 今になって思い返すと――――あの10ヶ月は本当に夢幻のように駆け抜けていった。

 身も心も全てを焼き尽くすような日々は目まぐるしく過ぎて、今ではただの思い出になってしまった。

 

 ああ、そうか。俺を呼んでいるのは――――

 

 

 

「…………」

 波が引くように眠気もなく目覚めることはたまにある。

 コチコチと音を鳴らす壁掛け時計を左目で見ると夜中の4時だった。

 頭が乗せられて痺れた左腕を動かす。

 

「セレン」

 そのまま腕を引っこ抜いてもセレンの頭は枕に落っこちるだけでなんの反応もない。

 ちょうど今が一番深い眠りについている時刻のようだ。

 起こすのは悪いか――――と思ったが、確かに何かに呼ばれた気がした。

 だから目が覚めたんだ、と考えてガロアはもう一度セレンの身体を揺らして起こした。

 

「なぁ、セレンって」

 起き上がると毛布が落ちた。

 まだ冬ではないが、何も着ていないと流石に少し肌寒い時期でもある。

 起こすなら毛布をはがすべきか、と考えたがそれはやめた。セレンが目を細く開けたからだ。

 やはり自分と違ってかなり眠りが浅い。

 

「……?? ぁ……? なに? 朝か……?」

 とはいえ完全に寝ぼけています、といった顔で起き上がって時計を見たセレンはすぐに恨めしそうな顔でガロアを見た。

 

「いや……。俺のこと呼んだ?」

 

「…………呼んでないぃい……」

 その言葉を言い切る前にセレンは枕に頭を投げ出して眠りに落ちてしまった。

 間延びした語尾がそのまま寝息になっている。

 

「…………。……?」

 露出した肌にしっかりと毛布をかけてガロアも横になる。

 確かに何かに呼ばれた気がしたんだが――――と考えて30秒もせずに意識は闇に落ちた。

 寝付きの良さは20歳になっても相変わらずだった。

 

 

 

 

 

*****************************************

 

 

 その三時間後、ガロアは自然に目を覚ました。

 鼻をすすり、そろそろ暖房を付けようかなどと考えつつ服を羽織りながら寝室から出ると、朝から元気に動き回っている物体がいた。

 

「オハヨウゴザイマス! 今日の天気は晴れ、お洗濯日和デス」

 

「そうか。じゃあ朝飯食ったら洗濯しようか」

 はたきでキャビネットの上にある写真立ての隙間の埃を払っているウォーキートーキーの頭に軽く手を置く。

 そこに飾られているのはガロアやセレンの写真ではなかった。

 

「…………」

 鼻歌(?)を歌うウォーキートーキーの上から手を伸ばして写真立てを一つ取る。

 そこに写っているのは何やら巨大な魚を持ってカメラに向かって笑うオッツダルヴァとメルツェルだった。

 

 あの戦いの後――――生き残ったリンクスたちは少しずつ散っていった。

 彼らは浄化が済んだ後の地域を調査して回り報告をしているのだという。

 二人で世界を歩き回り、その地域に自生している植物や、再び繁殖を始めた動物の頭数を調べたりしているわけだ。

 新しい地域に行く度にオッツダルヴァは写真を手紙に添えて送ってくる。そのどれを見ても、彼が今の自分の人生を楽しんでいることはよく分かる。

 別に約束をしているわけでもないのだが、行く先々でよくウィン・D・ファンションに会う、と手紙には書いてあった。

 なにやら冒険家をしているとのことだがはっきり言ってそれがどういうことだかよく分からない。

 

 一度だけガロアとセレンが住んでいるここ――――フランスにオッツダルヴァとメルツェルが来た時、彼らは立ち寄っていった。

 写真を飾っていることを知るとオッツダルヴァは今にも泣き出しそうな顔で喜んでいたが、正直なところ未だに『兄』という感覚は分かっていない。

 だがそう悪いものでもないとも思っている。

 

 この家はラインアークを出る前にセレンがなんの相談もなく突然購入した。

 当然の如くその金はガロアのものなのだが、相も変わらずガロアは金に頓着は無かったのでそこはどうでもよかった。

 しっかりリビングがあり、寝室があり、各々の部屋があり――――なによりも空き部屋がいくつかあるのはそういうことなのだろう。

 そこが埋まるのはいったいいつになるのだろうか。

 

「アア、そうデシタ。ガロア様、コレヲ……」

 

「ん? ああ……。そっか」

 ウォーキートーキーから受け取ったそれを見ても特に感動も感想もなく、当然だなと思うばかりだった。

 要約すると、高校卒業以上の学力を有していることを認める、と書いてある。つまるところ、高卒認定試験のようなものの結果だった。

 身体を治し、ここに来るまでに何度も何度もセレンに口を酸っぱくして『大学に行け』と言われ、ガロアもそれに反対する理由はなかった、のだが。

 何しろ高卒だの中卒だの言う前に幼稚園すら行っておらず、もっと言えば戸籍すらも無かったのだ。

 

(そっか、二年も経ったのか)

 来年には21歳になる。ようやく色々と落ち着いてきたが、まともに生きるとなってからはまたある意味で戦争だった。

 

 戸籍を取得するにはどうしたら、と悩んでいるところにやってきたのがまたまたウィンだった。

 曰く『お前の祖父母は生きている。DNAからも間違いない』と。戦争屋となり散々人を殺してきて今更どの面下げて『孫です』なんて会いに行けばよいのだ。

 嫌で嫌で仕方がなかったが、セレンに引きずられてアルメニアの大牧場まで会いに行った。

 

 予想に反して、自分が何者かを話してすぐにその老夫婦は疑いもせずに信じた。自分はあまりにもその会ったこともない両親に似ていたのだという。

 こちらのお嬢さんはどちらさま、と聞かれ……色々と経緯を話すと長かったので一言『嫁です』と言ったら老夫婦は泡を吹いてぶっ倒れた。

 そりゃそうだろう。息子夫婦と共に死んだと思っていた孫が生きていて、十数年経って嫁を連れて会いに来たのだから。

 ちなみにセレンもぶっ倒れた。そうやって誰かに紹介するのは考えてみれば初めてだった。

 

 戸籍を取得するための話も無事に終わり、帰りに今は亡き両親の写真を渡された。

 確かに、自分もセレンも一目で分かるほどにその写真に写る男女は自分の両親だった。

 その写真はコピーをとって、オリジナルの方をオッツダルヴァにあげた。自分が持っているよりもいいと思ったのだ。

 

 

「……朝飯作るか」

 誰に言ったわけでもない独り言なのだが、ウォーキートーキーは返事をするかのようにカメラアイを点滅させた。

 キッチンに向かう前に机の上に置いていた眼帯を右目に付ける。義眼もあるにはあるのだが、丁度コンタクトをする人間が家ではメガネをかけるようなものだ。

 片目しか無いのももう慣れた。少しずつ前進しているし、少しずつ、まともな生活になっていく。

 

 

 音がうるさかったのか、匂いが寝室まで届いたのか。

 朝食が出来上がる直前になってセレンは起きてきた。

 

 顔を洗ってきたセレンは皿の並べられた机の前にのっそりと座ったがまだかなり眠そうだ。

 

「目ヤニついているぞ……」

 機械の右手の親指でセレンの目元をこする。

 左脚は膝から先が。右腕はまるごと。人工皮膚に覆われて見た目では分からないがそのすぐ下は機械造りの義肢だ。

 

「……昨日変な時間に起こされたから眠い……寝ぼけていたのか? 呼んだか、なんて」

 

「……うん」

 気のせいとは思えないほど、はっきりと呼び声が聞こえた気がしたのだが――――と考えながら席に着く。

 

「夢にも私が出てきたのか?」

 

「……うん。そう」

 ガロアは明らかに成長していた。

 例えば、こういう相手を喜ばせるウソを咄嗟につけるようになったことなどもその一つだ。

 そしてその言葉が嘘だと気づいた様子もなくセレンは上機嫌になった。

 

「なら許す。飯食べたらもう少し寝る」

 

「うん。あ……そうだ。ほら」

 今朝方来ていた認定証の中身は言わずにセレンに差し出す。

 あまりにも当然だと思っていたから忘れるところだった。

 

「ん? ……そうか! 後は来年に大学に入るだけだな!」

 

「…………」

 パッと目を覚まして喜ぶセレンを見て微笑む。

 初めて出会った日から順調に心の中は侵略され、今ではセレンが喜ぶ顔を見たいが為に何事も頑張るようになった。

 ならばここまでこつこつとやってきてよかった。

 

「……少し浮かない顔をしているな?」

 

「俺は……今まで学校なんてもんに行ったことがないから……少し不安だ」

 自分は元々一人で生きてきた超個人主義者だったし、養成所もすぐにやめてしまったからとことん集団生活に向いていない。

 なのに今更そんな普通の人生を送る人々の中に合流してやっていけるのか、考えれば少し不安だった。

 

「なんだそんなことか……。そんなもん、私だって行ったことないぞ! 安心しろ! ………………あれ?」

 完全に間違った励まし方をして混乱し始めたセレンを見てガロアはもう一度笑った。

 

「……食べようか」

 

 いただきます、と二人同時に言うのを聞いたウォーキートーキーはどこか満足そうに充電器のある部屋に入っていった。

 簡単に作った朝食はすぐに食べ終わり、皿を片付けたガロアはテレビの前にあるソファに座った。

 ガロアは普段天気予報とニュース以外はテレビは見ないがこの曜日のこの時間だけは別だった。

 

「寝るんじゃないのか?」

 てっきり寝室に戻るのかと思っていたセレンは何故か隣に座った。

 ぴったりとくっついて座っているのではなく、いくらかスペースが空いている。

 

「寝るよ」

 躊躇することもなくセレンは頭を膝の上に乗せてきた。

 寝るってここでか、と思いながらも寝やすいように腿から力を抜く。

 

(昔の俺に言っても信じないだろうな)

 運動のしすぎで体力を使い果たして気絶し、セレンに背負われて帰ったあの頃を思い出す。もう六年も前の話だ。

 何よりも違うのは、自分の身体がここまで回復してからセレンが明確に甘えるようになったことか。

 誘惑でもからかいでもなく、ただ甘えるという行為はこうなるまでされなかった。

 

「…………。……」

 耳に指先で触れるとそっと手を退けられた。

 細めた横目で青い瞳がこちらを見ている。今はだめだ、と無言で言っている。

 セレンは普段は耳を触られるのを嫌がる。また後でということなのだろう。別に自分も今その気があるわけではないが。

 

 もうセレンは23歳なのだがますます美人になったように思える。

 出窓の側に置いてあるアルメリアの花が綺麗にみずみずしくその存在を主張しているのはセレンが毎日愛情を注いでいるからだ。

 祖父母の牧場で見た羊や牛も自分が知っている動物よりもずっと綺麗で毛並みが整っていた。

 物も植物も動物も、そして人間も。愛情を注げば注ぐほど綺麗になるものなのかもしれない。

 

 ただ座っているだけでも退屈なので、まだ少し早いがテレビを付けた。

 

『――――ので、地球の環境が回復している今だからこそ、人間も環境の保護に努めるべきなのです! 放っておいてはまた自然が消えてしまう!』

 

『いや、さすが……自然保護活動家の意見は的を射ていますな』

 

(ん?)

 朝のニュース番組だというのに司会の男性に早口でまくし立てる男はどこかで見たことがある。

 思い出せ、そんなに知り合いはいないはずだ――――と脳細胞に活を入れたらぼんやり思い出してきた。

 

(あ! ORCAにいた奴だ……)

 ラインアークで何度か見た顔だ。それに一度だけ戦ったことがある。

 何発もコジマミサイルをぶっ放していたのに、それが今では自然保護活動家とは一体どうなっているんだ。

 しばらくボケーッと見ていてチャンネルが違うことに気が付く。いつの間にか寝付いていたセレンを起こさないようにそっとチャンネルを変えた。

 

『ハッハー!! 見ろやこの僧帽筋!!』

 

『ウリャァッ!! ドーザーダイエットで目指せ体脂肪率0%!!』

 

(…………)

 丁度やっていたそのCMはかなり前からよく見る。

 そしてそのCMに出てくる人物も知っている。片方は戦場で倒したカラードの傭兵だし、もう片方はかつて食堂ではっ倒したORCAの団員だ。

 彼らがどうしていたかなど小指の爪の先ほども興味なかったが、どちらも強かに生きているらしい。

 

『ドーザーダイエットを始めたこの女性!! 先日家に侵入した強盗三人を素手で撃退!! 最早おっぱいまで筋肉だ!!』

 

『筋肉がついてから最高の毎日です!』

 

『どう最高なんです!?』

 

『筋肉がつきました!!』

 

『ムゥウン!! 見ろやこの腹斜筋!! お電話はこちら!!』

 

(暑苦しい……)

 嫌なら見るなは正論だが、よほど売れているのか四六時中CMが流れているのでゲンナリしてくる。

 だがもう少しだ、と思っていると目的の番組が始まった。

 

『表の顔はうだつの上がらない宇宙探偵! しかし裏の顔は不埒な悪をしばき倒す銀河戦士!』

 

(お。始まった)

 勇壮な音楽とともに始まったその番組はガロアの人生で一番縁遠いと言ってもよい、子供向けヒーロー特撮番組だった。

 ならば何故毎週必ず観ているのかというと。

 

『この悪党め! お天道様は見逃してもこの俺が許さん!! とっちめてやる!! 変身!!』

 

「…………」

 この番組の主役がガロアの数少ない友人――――ダン・モロが務めているからだ。

 いったいどういう経緯でこんなことをやっているのかは知らないが実に楽しそうに演技に打ち込んでいる。

 元々背も高く、少し筋肉を付ければスタイルがよくなる素質があったダンは今、個性派俳優として人気を博している。

 現代の子どもたちに一番好きなヒーローは、と聞くと誰もが彼の名を挙げるという。夢を叶えたのだ。

 

 内容にさして興味がある訳でもないのだが、数少ない友人の頼みなのだ。

 数少ない、と言っても自分は彼にとってはたくさんの友人の中の一人なのだろう。

 もう今の世の中は自分よりも彼のような人間のほうが生きやすい。

 とてもよいことだと思う。

 

 ――――自分は日の当たる場所で生きていていいのだろうか?

 そう思うことなど多々ある。だがダンを初めとしたリンクスたちがそれぞれ自分の居場所を見つけて生きている姿を見ていると自分も生きていいのだと感じる。

 何よりも今の自分のこの命は自分だけのものではない。番組も終わりテレビを消して、眠っているセレンの横顔を眺めていると世代遅れのケータイが震えた。

 

 

「どうした?」

 

『お久しぶりです。お体の具合は如何ですか?』

 

「ああ、大丈夫」

 つい先日電話してきたばかりだろ、と心の中で思った電話の相手はリリウムだった。

 

 

 ひょっとして戦争が終わって一番忙しい日々を過ごしたのは彼女なのかもしれない。

 まだ自分が義肢を付けてようやく歩けるようになったかどうかぐらいの時期だった。

 王小龍と電話が繋がらない、と彼女がぼやいたのだ。メールの返信はあるのだけれど――――、とそこまで聞いて激しい違和感を感じた。

 過保護と言ってもいいくらいにリリウムを可愛がっていたのに、戦争が終わって呼び戻すどころか距離を置き始めるなんて。

 

 自分の嫌な予感はいつも当たるから。

 まだ顔に大火傷の痕が残っていることも気にせず、説得も半ばに彼女を強引に引きずって、混乱するセレンと一緒にリリウムを連れて王の住む屋敷のあるウクライナへと飛んだ。

 

 果たして、悪い予感は当たっていた。

 ろくな延命装置もなく、酸素吸入器だけを付けて横になっている死にかけの老人がそこにはいた。

 誰にも何も言わずに死に行くつもりだったのだろう。リリウムを連れてきた自分を見て王は目で文句を言っていた。

 だが死の淵の後悔を直前に体験したガロアは自分がしたことが間違いだとは思っていなかった。

 

 突然の現実に固まる彼女をその場に置いて、ガロアとセレンは外に出た。

 BFFの重鎮、王小龍が亡くなったのはそれから二日後のことだ。ギリギリの滑り込みだったが、それでも気が付けてよかったと今でも思っている。

 

 大きいのは葬式ばかりでそこに来る人々の大半は悲しんでいるようには見えなかった。

 哀惜の念を持っているように思えたのはむしろ――――ORCAの老リンクスや、カラードに謀反したかつてのGAのリンクスなど、王に敵対していたはずの人物達だった。

 

 その場に来ていたウィンに『なぜお前がリリウムといる!?!?』『がっ、ぐっ、だがよくやった……ぬぁああ!!』『やっぱり許せん!!』などと意味不明なキレ方をされたことも覚えている。

 たとえ戦争がなくとも人はいつかは死ぬものだ。そうは分かっていてもこの少女はこれからどうなるのだろう、と涙に濡れて小さくなっているリリウムを見て思った。

 

 唸るほどにあったはずの王の遺産は、今までの悪行賃だとばかりにむしり取られるだけ取られて何も残らなかった。

 金も、家も、家具も。自分たちにはそれを止める権利が無かった。

 

 だが王小龍はそこまで予期していたのか。

 彼がリリウムに持たせていたカードの中に残っていた金だけは別だった。

 そこに入っていたのは一生を生きていくには到底足りないが――――例えば数年間大学に行ったり、あるいは起業してみたり――――つまり自己実現し自立して生きていくには丁度よいくらいの金額だった。

 お前の足で立って生きろと。無言の遺言のようだった。むしろ莫大な遺産は遺さないことを望んでいたのかもしれない。

 

 それからほんのしばらくの間だが、リリウムは自分たちと一緒にいた。

 放ってはおけない、と言い出したのはセレンの方だった。遅まきながら恋というものを多少なりとも理解していたガロアは、セレンの胸中に複雑な思いがあることを分かっていながらも、それでもセレンがそう決断したことを尊重した。放ってはおけないと思っていたのは自分も同じだったから。

 大変なことには大変だっただろう。名門一族の令嬢であるはずの彼女には、僅かな金以外に何も残らなかったのだから。

 だが彼女はウィンをはじめとして沢山の人間に支えられ助けられた。ただただ単純に、それは人柄ゆえだろう。

 

 そして彼女は今、一人で暮らして自分よりも一足先に大学で医学の勉強をしている。

 そっちのほうがずっといい、と誰もが口に出さずに思っていた。

 

 

 

 

『何かあったらすぐに言ってくださいね』

 と、電話の向こうで言うリリウムは自分たちの家からそう遠くはない場所に一人で暮らしている。

 時折気になって訪れる自分たちの倍の頻度で世界を飛び回っているはずのウィンが訪ねてくるらしく、一人でもそう寂しくはなさそうだ。

 

(普通に医者に行くよ)

 気が向いたときには家に招待して一緒に食事をしたりしている。彼女もまた友人の一人といえるだろう。

 セレンがおかしいのか、それとも女性はそういう生き物なのか。リリウムを呼ぶか、と提案するのは毎回セレンなのだ。

 

『いいお医者様をたくさん知っていますから!』

 

「そっちかよ」

 相も変わらずのどこか抜けた天然っぷりが思い切り出ている会話を続ける。

 

 大学では王に習ったチェスを友人と楽しんでいるとか。近所のパン屋で新しく出たカレーパンが激辛で美味しいとか。

 そんな中身のあまり無い話をしばらくして電話を切った。

 

 

 

「大学で好きな男は出来たかな」

 目を覚ましたセレンが顔をこちら側に向け、唇をガロアの下腹にくっつけながらそんなことを聞いてきた。

 

「さぁ。そんな話はしたことないけど」

 

「出来てもお前には言わないよ」

 

「なんで」

 

「それで『ふーん』って言われればいよいよそれで終わりだから。そしてお前はそういうことを言う奴だってリリウムも分かっているから」

 

「……ふーん」

 

「…………」

 

「そろそろ洗濯しなくちゃ……」

 

「ん? うーん……」

 返事はするが、人間の言葉が分かっているのにあえてパソコンの前に座って邪魔する猫のように動かない。

 分かっている。セレンは嫉妬している。本音を言えば自分以外に目を向けてほしくないのだろう。

 だがそれでは人間としては破綻しているから、何も言えないのだ。今日の夜はきっとたくさん噛みつかれる。

 

(待てばいいかな……洗濯しなくちゃいけないのに……。……いや、雰囲気が……)

 自分も一緒に横になったり、そういうことをしなければテコでも動かないといった空気を出している。

 なんだかもやもやするから満足させろ、と言っている。黒い髪を越えてそっと耳に触れると今度は嫌がらなかった。

 

(朝からか……)

 とはいえ自分だって嫌なわけではないから別に構わない。

 昔からそうだが、自分はセレンのワガママを聞くのが好きだった。

 

(それが俺を止めたりしなければ)

 と、大事な場面では全く彼女の言うことを聞かなかったことを思い出しながら行動に移ろうとした時、ウォーキートーキーが部屋から出てきた。

 

「アノ……ガロア様。お電話ガ……」

 

「え? いや来てないけど」

 不満を隠しもしない表情でセレンがどいたのと同時に携帯を取って開くが、別に何も変わったことはない。

 

「イエ、ソノ、ガッ、ガガガ」

 まさかバグか?

 そう思った瞬間にウォーキートーキーのカメラアイからホログラフィックの映像が飛び出してきた。

 

「おぎゃああああああ!!」

 

「だぁあああああ!!」

 そこに映し出されたのは巨大な目だった。

 セレンと二人で心臓に大打撃を与える絶叫をしているとソレは話し始めた。

 

『朝から仲睦まじいこと結構ねぇん』

 

「……頼むから普通に連絡してくれないか」

 カメラから引いたのか、そこに映っていたのは相変わらずどぎつい化粧をしているあのオカマ、アブ・マーシュだった。

 

『そろそろ子供は出来たかしらん?』

 

「……まだ精子が作れるようになっていないんだよ」

 

『あら~~~~いいんじゃない? 避妊もしなくていいしぃ』

 

「こいつ……」

 今その場にいるならビンタの一発でしてやったであろう声でセレンが唸る。

 

『ガロアくんの子供……いやぁ~~~~ん!! 見たい、見たいわぁ~~ん!! もうすっかり孫を待つおばあちゃんの気持ち!!』

 

「おばあちゃんはワタクシです! そこは譲れまセン!!」

 

「ややこしいから黙っていてくれ! 出来たとしてもお前には会わせん、変態め」

 

『あら~? 性格的に、自分の育った場所に一度は家族を連れてきそうだけどねぇん。ガロアくんなら』

 

「…………」

 そう、実は今この変態はガロアの育ったあの森の家に住んでいる。

 ガロアに義肢を渡す時に言ったのだ。隠遁生活がしたいからあの家が欲しい、と。

 今までにしてもらったことの対価を考えれば彼が元々は敵側だったことを考慮しても断ることはできなかった。

 それに、家は人が住んでこそ家なのだ。

 

『ガロアくんのベッド少し小さくて寝にくいわぁ』

 

「あ゙――――!! 俺の部屋!!」

 元々ガロアの部屋だった小さな屋根裏部屋はいかがわしいポスターと、何が何やら分からない怪しげな物体に埋め尽くされ、見るも無惨に魔改造されている。

 

『本は捨てたりしてないから大丈夫よん』

 

「ああ、もう! 要件はなんだ!!」

 尋ねた瞬間に空気がピン、と張りつめた。

 何かが起きる。そう思うと同時にアブは無表情で質問に答えた。

 

『管理者が起動した。あたし達には分かる』

 

 日の当たる場所で生きていけることが出来たとしても。

 どこかに必ず蠢動する闇がある。いつかは必ず光をも飲み込む。

 

「…………」

 

「なんだと……ガロアが完全に」

 

『ええ。破壊されたわ。つまりね、『何か』が目的を持って起動したのよ』

 

(…………あの声は……)

 自分は生まれたときから生きるために戦い続け、いつの間にか自分は戦いの中心――――最早戦いそのものになっていた。

 あの声は。自分を闇の中から呼び続けるあの声は。今は懐かしい――――

 

(戦場からの呼び声!!)

 鳥肌寒気立ち、赤い髪が逆立った。

 強く手を握りしめたら義手が軋む音がしてセレンが瞳孔を小さくしてこちらを見てきた。

 

『目的は不明だけど。今は滅びたロスト・テクノロジーと世界をひっくり返すほどのオーバー・テクノロジーの宝庫よ。誰がそのデータを欲しがっても不思議ではない』

 

「なぜ……それをガロアに言う……」

 

『あたし達ではなんとか出来ないことは分かっているんでしょう? 心臓が爆発して無駄死にするだけねぇ』

 

「…………」

 

『だとしたら、責任はあなたにあると思わなぁい? 神殺しのガロア・A・ヴェデット。ではよい一日を』

 相変わらずほとんど会話の出来ない男だった。言いたいことを喋り散らかしてブツッ、と切ってしまった。

 まるで今までの平和な日常を断ち切るかのように。

 

「…………」

 

「…………う……十年二十年でどうなる話じゃないんだ……放ってお」

 

「だめだ。出来ない」

 セレンが何を言うかなど予想がついていた。

 こればかりは数年前から同じだから。

 

「お前がまだ戦う理由があるのか!? 十分やってきたじゃないか……これ以上身体が削れたら……いや、それだけじゃ済まないかもしれないのに」

 

「顔を治しても。歯を入れ直しても。手足を付け直しても。俺が戦士だった過去が変わることはない」

 ガロアの夢、望む世界は極めてシンプルである。それは子供の頃から変わらない。

 自分を愛してくれる人とずっと一緒に生きていきたい。それだけなのだ。そして今それが脅かされるかもしれないという。

 もちろん無視して自分の中で無かったことにすることも出来る。しかしそれが原因で取り返しのつかない状況になった時、結局ツケは全部自分に返ってくる。

 あるいは知らなかったのならばそれもよい。例えば大地震や火山の噴火のように。天命というものだ。

 だが知ってしまったのならば。もう無視はできない。

 

「…………。…………!」

 視線を下げて数秒間目を泳がせた後、セレンはスイッチが切り替わったかのように鋭い目でガロアを見た。

 

「……。俺はセレンの性格を知っている。もう何年も一緒にいるから。そしてセレンも俺の性格を知っているはずだ」

 セレンがその腕を上げる前にガロアは手首を押さえていた。足を振り上げる前にセレンの膝に足をかけて行動を封じる。

 話が通じないとなれば実力行使。ずっと前からそうだし、ここに引っ越してきてからも手足の飛ぶケンカをしたことは一度や二度ではない。

 どういう性格か、何をするかなんてすぐに分かる。

 

「どうして……ようやく、ここまで来たのに!!」

 机の上に置いてあった認定証をセレンが指差す。

 だがもう何をどれだけ言っても変わらない。何よりも、自分のことは自分が分かっているから。

 

「そうやって生きてきたから、いま俺はここにセレンといる」

 

「…………」

 カチカチと歯が鳴る音が聞こえるほどにセレンは震えていた。

 今まで自分は何度も死にかけてきて、その度に胸の内側が千切れそうなほどの不安を与えてきたことは知っている。

 もう二度と思い出したくもないトラウマだろう。だが、同様に自分もセレンに対してそんな目に遭ってほしくないと思っていることは分かっているはずだ。

 

「でも……変わったこともある」

 

「……え?」

 

「死んでもいいなんて思っていない。何があっても絶対に生きて帰ってくる。一人にはしない」

 自分の命は自分ひとりの物ではないと、もう知っている。

 だからこそ、愛する人間を失わないために戦うのだ。お互いにひとりぼっちの命ではないから。

 

「…………」

 

「だから無理はしない。一人で無理だと判断したら世間に事実を公表して対処してもらう。必ず帰ってくるから」

 

「…………。必ずだって、もう一度言え」

 数十秒以上目を閉じて黙っていたセレンが、結局折れて頷いたのを映す視界の端にある認定証は努めて意識から消した。

 普通の生活とやらも終わりだ。やはりこうなるのだ。今まで生きてきた足跡を消すことなど出来ないから。

 そして、どんなに口先で否定しても、セレンだってそれを分かっているのだ。

 

 自分の愛する人が今の自分を作った。

 自分の一部なのだ。だから、それまでの自分を捨てたら――――自分の中に宿った自分を愛する人達のかけらも消えてしまう。彼らが生きていても、死んでいても。

 そんなことはしないし、させない。自分がただ肉を食い散らかし生きるだけの獣ではなく、誰かを愛することを知っている人間だと思うのならば。

 

 

**************************************************

 

 数十分後、ガロアは軽い荷物を持って玄関先に立っていた。

 喉を裂いて出てきそうなほどに言いたいことが溢れているのをぐっと堪えているセレンを前にして。

 

「ほら……ちゃんと帰って……学校に行くっていうなら、自分の格好に頓着を持て……」

 遠出をするためにクローゼットから出した厚手のコートを着たガロアを、セレンが手で軽くはたいて埃や毛玉を落としている。

 自分にも出来ることだがせめてこれくらいはやらせてやろうと思って、あえて時間をかけているのが分かるセレンに任せるままにしていた。

 

「…………」

 ガロアの隣には充電器を入れた風呂敷を抱えたウォーキートーキーがいる。

 『ワタクシもついていきマス。ガロア様にムチャはさせマセン』と言ったのだ。

 自分としては残っていてほしかったが、セレンにとってはそちらの方が安心のようだ。

 

「料理も分からん。掃除は出来んし、洗い物は苦手だ。私は一人じゃ生きていけない、生きていけないんだからな。絶対に帰ってこいよ」

 

「…………。利き腕が吹っ飛んだのは不便だけど、もう慣れた。今となっては左手が残っててよかったと思う」

 

「……?」

 

「帰ったら指輪を買いに行こう」

 どうせさり気なく一人で買いに行こうとしても自分は隠し事が下手だし、セレンはそういうことに関してやたら勘がいいからすぐにバレる。

 いつか言おうと思っていたが、それならば今がいいだろう。

 

「………………え? ゆ、指輪ってそういう指輪か? え?」

 

「他の人なんて考えたこともないから……逆に一人に決めるんだって考えたこともなかったけど。必要だよなやっぱり」

 

「……」

 今日の感情の上下が激しすぎてショートしてしまったセレンの手を取る。

 あまり長くそんなことをしていると行きたくなくなってしまうから手短に。そう思いながら話を続ける。

 

「セレンの白い手に似合って、ずっとつけていても違和感のないやつをオーダーメイドしよう」

 

「……お前、なんだか女の扱いがうまくなって……なんかヤダ」

 

「?」

 

「これで大学に行くとか……それはそれで不安だ」

 

「……行ってくる。一人にさせてしまうな。ごめん」

 

「……変だよな。昔は普通に送り出せていたのに、出来なくなっているなんて。待っているから。……行って来い」

 

 二回ほどまばたきをしてから手を離したら、セレンがキスをしてきた。体温を感じる前に唇が離れていったのは、セレンが気を使っている証拠なのだろう。

 いつもはどうとも思わないドアをゆっくりと開き、後ろを見ないようにして閉じる。

 普段通りにはどうしたって出来ない。そうして帰らなくなった父の背中を今でも覚えているから。

 もう二度とあんな思いは――――セレンをこの世界に一人にはさせない。自分は絶対に生きて帰る。

 

(帰ったら大変だな)

 掃除に洗濯に洗い物。

 そして何よりもセレンのことだ。たくさんワガママを聞いてあげなくてはならない。留守にして不安にさせた分だけ、一人にさせた分だけ。

 生きるんだ、と考えたら心臓がきゅっと痛くなった。

 

「ワガママになるのは心を開いている証拠デスヨ」

 

「人の心を読むな。……行くぞ。空港へ」

 

 そうしてガロアは再び歩き出した。

 呼び声のする方へ。すなわち、戦場へ。

 何が待ち受けているかは、まだ知らない。

 

 

 

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