まず投稿が遅れたことにお詫びいたします。
言い訳になりますが今作の結末を当初予定していたものから大きく変えたためです。
当初はほのぼのした山なし谷なしをイメージしていましたが少しシリアスを加えようと思います。タグ修正も致しました。
突然の変更なので違和感を感じられる方もいらっしゃると思います。申し訳ありません。
それでも見ていただける方がいらっしゃるのならこれからもよろしくお願いします。
日光がサンサンと照りつける快晴の空。晴れすぎ、というのも考えものではあるが出掛けるにはうってつけの天候だ。気温もそれなりに高く、これから来るであろう夏本番の猛暑を連想させる。チェスターたち使用人が着ている制服もそろそろ煩わしくなってくる頃だろう。だが、残念なことに執事服に半袖ではない。ジャケットこそ脱ぐが、カッターシャツとベストに締めつけられることに変わりはないだろう。
「行ってらっしゃいませ、フローラ様」
「お気をつけて」
誰が見ても文句のつけようがない完璧な礼儀作法で自身の主であるフローラを見送るチェルシー。チェスターもチェルシーほどでないにしろ、十分な気品さを放っている。そんなブランケット姉弟の挨拶を受けたフローラは何故だか不安そうな表情をしていた。
「フローラ様?何かありましたでしょうか?」
チェルシーが無作法をはたらく筈がない。つまりはフローラが芳しくない表情を浮かべているのは自身のせいだ、と瞬時に判断したチェスターはその旨を問う。しかし、返ってきた言葉はチェスターの予想の斜め上をいくものだった。
「お金は持った?」
はて、お金?その言葉の真意はどういうことだろうか。チェスターはお金関係のことを頼まれた記憶はない。そもそも執事ではあるが未成年であるチェスターはお金関係のことには一切関わっていない。主に家事が中心なのだ。まあ、隣にいる実姉はすでにオルコット家の金融関連の仕事も手伝ったりしているらしいのだが。
「ちゃんと行先は調べた?交通機関は?人が多いだろうからお姉ちゃんから離れちゃダメよ?」
狼狽え続けているフローラを見つめること数秒。ようやくフローラが言いたいことが分かってきた。何を隠そう、今日ブランケット姉弟は初めて家族旅行に出かける。旅行と言ってもあくまで日帰り、そこまで遅くなるつもりもない。せっかくだし二日休みを取って泊まろうかとも考えたがフローラに却下された。
『子供だけで外泊なんて許されないわ。万が一事件に巻き来れたら……誘拐!?ダメだわ、危険すぎる!!』
なんとかハーティが収めてくれたけどあのままいけば外出自体無しになったかもしれない。ハーティには感謝しないといけない。一応フォローしておくと心配性が過ぎるだけで普段のフローラはもっと威厳漂う高貴な人だ。もっともチェスターたちの前ではそうはいかないらしいが。
詰まる所、過保護全開のフローラは自身が出掛ける直前になってもチェスターたちに確認を促しているのだ。その様子から本人たち以上に緊張しているのは言うまでもない。
「フローラ様、心配し過ぎです。二人ともしっかりしているんですから何も心配いりませんよ」
「そ、そうかしら?でも電車を使うのでしょ?混んでいるだろうし、もし二人の身に何かあったら……」
ずっとこの調子である。さすがのハーティも溜息をつかずにはいられない。
「そうだわ!ハーティ!あなたが車で送ってあげれば……なんなら同行すれば――」
「フローラ様。それではせっかくの旅行に水を差してしまいます。それにチェスター君はともかくチェルシーもいます。何も心配する必要はありません」
今の発言に聞き流せない箇所があったような気がする。そんなことを考えていたのがバレたのかチェルシーが周りに気づかれないように脇腹を小突いてきた。おそらく「口出しせずに見守れ」とのことだろう。
しばらくしてようやく決着がついたようだ。どうやらフローラが折れたらしい。未だにその顔には納得していない様子が窺えたが、それも一瞬。すぐに平静を取り戻したようだ。こういった切り替えの早さも女性当主として必要なことなのかもしれない。
「二人とも帰るときには連絡しなさいね。あと、もし何かあったときもすぐに連絡しなさい。たとえ仕事中でもすぐに――」
「フローラ様!」
「わ、わかってるわよ」
ハーティに連れられるようにして渋々車内に乗り込むフローラ。その様子は厳格な女性当主のものではなく、一人の親のようにチェスターには映った。なんとなく慌てているセシリアと重なり、微笑ましい。それはチェルシーも同様だったようで、自然と目を合わせ、呆れるように二人して笑った。
「「行ってらっしゃいませ、フローラ様」」
今度こそフローラを見送るため頭を下げる。車のエンジン音が消えるころにようやく頭を上げる。視線を戻したと同時に隣から小さな笑い声が聞こえてきた。
「どうしたんですか、姉様」
「フフ、ただ……いい人だな、と思っただけよ」
それに関してはチェスターも素直に同意する。チェスターたちのことを我が子同然に接してくれるフローラに感謝しないわけがない。きっと母親がいればこんな感じなのだろう。たとえ本当の母親を知らなくとも、そこに寂しさはない。少なくともチェスターはフローラのことを本当の母親のように思っている。そしてそれはフローラも、チェルシーだって同じなのだから。
「それではチェット、そろそろ私たちも行きましょうか」
「はい」
先を行くチェルシーの後を追いながら内心チェスターは浮かれていた。それも仕方のないことだろう。だって今日は特別な日。初めての家族旅行なのだから。
「早く行きましょ、姉様!」
「チェット、まずは着替えないと。それとも久しぶりにお姉ちゃんが手伝ってあげましょうか?」
「えぇ!?」
「フフ、冗談よ」
チェルシーはいつもの余裕を崩さない。対するチェスターは「敵わないなぁ」と漏らすが、冗談めかしく笑う彼女もまた、浮かれている様なのだが、それにチェスターが気付くことはなかった。
◇
薄暗闇の中、独特なブザー音が鳴り響く。緊張感がまるで纏わりつくように場を、空気全体を支配する。
チェスターたちはイギリスではかなり有名な劇場に来ていた。観客であるはずのチェスターですら飲み込まれそうな空気感。その中でこれから演技を行う役者たちのプレッシャーは計り知れない。無意識のうちにそんな彼らを尊敬してしまうのは致し方ないことだろう。
「大丈夫?」
隣に腰掛けているチェルシーが少し心配そうに声を掛けて来る。しかし、存外チェスターはこの空気感が嫌いじゃなかった。いや、むしろ好きな部類だと言える。まだ始まってすらいないにもかかわらず期待に胸を躍らせている。そんな様子を察したのかチェルシーはこちらに向けていた視線を微笑ましいものを見る目に変えたのが分かった。
本日の演目は『ロミオとジュリエット』。現代では恋愛の面が色濃く描写されたり、ハッピーエンドとして脚色されたりでイメージが湧かない方もいるかもしれないが、元はシェイクスピア原作の悲劇である。シェイクスピアと言えば『リア王』、『マクベス』、『オセロー』、『ハムレット』の四大悲劇を連想する場合が多い。だがそれは『ロミオとジュリエット』が他の四作品に比べ劣っているわけではない。悲劇そのもののアプローチが異なるのだ。
当人たちではどうすることもできない状況。回避しようのない絶望。どうしようもない悲劇。
故にこの作品は別枠として捉えられる。
「……」
この劇を提案したのはチェルシーだった。特に反対はなかったが、子供向けの作品ではないなと子供ながらに思ってはいた。自身が他の同年代の子より大人びていることは何となくだが感じている。そしてチェルシーはおそらくそれ以上。しかし、シェイクスピアと言えば大人でも頭を抱える程難しい作品が多い。正直なところ退屈せずに最後まで見られるかという不安はあった。
だが、それが杞憂であるとすぐにわかった。緞帳が開いた瞬間、込み上げて来る衝動を感じたのだ。
◇
結論を言うと最高だった。チェスターは生の演技に触れるのも劇場の世界観を知るのも初めてだった。自身が今まで知りもしなかったものがこんなにも素晴らしいものだったとは、そう考えると綻ばずにはいられなかった。
「ふふ」
「ん?どうしました?」
「あまりにも嬉しそうだから、つい」
確かに少し浮かれ過ぎていたのかもしれない。意識を切り替えるため頭を振ろうとするがそれは添えられた手によって遮られる。
「良いじゃない。チェットは子供でしょ?」
なかなかに頭にくる言葉だったが不思議と抵抗する気にはなれない。
「でも、少し意外だわ。チェットはこういう話は苦手だと思ったのだけど」
ドキリとした。確かにこの作品は面白かった。感動もした。さすがに名作と語られるだけあると思った。でも、少しだけ、ほんの少しだけ欲を言うなら……。
「…そんなことないですよ?」
「ウソ」
「……そんなことは」
「そう?でも私はハッピーエンドの方が好きよ」
さらりと零れた言葉にチェスターは呆気にとられてしまう。それは間違いなくチェスターも感じていたことだし、何より子どもっぽく思われたくなくて言わなかったことだ。当のチェルシーは微笑みを崩すどころか、いつにも増して楽しんでいるようだ。
「どうかした?」
「い、いや、別に」
「……?」
何となくだが大人の余裕とはこういうものなのかと感じた。それと同時に自身が同じことをしても子供っぽいとしか思われないだろうと結論付ける。……軽く、いや、そこそこショックを受ける。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫ですよ。ただ少し、この世の理不尽に憤りを……」
「?」
疑問符を浮かべているチェルシーというのもなかなか珍しいものだが眺めているわけにもいかない。ここは早く話題を変えた方がいいと直感が告げている。伊達に十二年間弟をやっているわけではないのだ。
「姉様、次はどちらに――」
「チェット」
遅かったか。僅かながらトーンが下がったような気がする。別に何もやましいことは考えていなかったが、目の前に腹を立てた人がいると過剰に慌ててしまうのが人間というものだ。恐る恐る振り返るとそこには激怒した……というより、ちょっぴり拗ねた様子のチェルシーがいた。
「口調」
「へ?」
あまりに唐突な言葉にチェスターはすぐには理解出来ずにいた。一体何が至らなかったのか必死に思考を巡らすが、如何せん頭が回らない。
(くちょう?……口調?)
「今はプライベートなのよ。堅苦しい敬語は無し。昔みたいに"姉ちゃん"と呼びなさい、いいわね?」
「はぁ!?」
突然の申し出、もとい命令に大声を上げてしまったチェスターを誰が攻められよう。もちろんそれは目の前の実姉である。叫び声を上げたチェスターの口に強引に指を当て黙らせる。若干影のある笑顔で「うるさい」と注意されれば無言になる他ない。対照的に胸中は騒がしい。
(いつもは敬語じゃないと怒るのにどうして!?というか姉ちゃんっていつの話!?……あ、笑顔怖い)
「せっかくの外出なのだからいいのよ、今日だけは。でも女性の笑顔が怖いなんて言うものじゃないわよ。お世辞でも褒めなきゃモテないわよ?ふふ、懐かしいわね、一年位経つ
のかしら?ほら、呼んでみなさい」
お得意の読心術と女性特有のお喋りスキルが噛み合えばこんな神技も可能らしい。チェスターの思考を片っ端から拾ったうえでのマシンガントーク。すごいね、女性って。
しかしどうやら読心術ではないらしい。ただ単に心の声が漏れていただけなのだが、この愚弟は気づいていない。チェルシーは心底呆れたように頭に手を当てて考えていた。主にこの愚弟が社会に出たときのことを。
「さあ」
「え?」
「だ・か・ら」
「……」
その眼は言外に呼ぶことを強要している。さすがは十二年来の付き合い、これくらいの意思疎通は朝飯前である。そんな彼にも理解できないことはある。主には今の状況。しかし聡明なチェスターはここで呼ばないことの方が後々厄介なことになると身に染みて知っている。とすれば取るべき行動は思考ではない、実践だ。ここまでの思考時間はたったの2秒。目の前の姉に異常なし。非常に優秀と言える。
「……ね、姉ちゃん」
「ふふ、なに、チェット?」
いや、お前が呼べって言ったんだろ!とは口が裂けても言えない。今のチェルシーは何故かは知らないが最高に機嫌がいい。触らぬ神に何とやらだ。
「夕飯前には帰らなきゃダメなんだよね?」
「大丈夫よ。フローラ様には"お姉ちゃん"から言っておくから」
やけに"お姉ちゃん"に力が入っていたのは気のせいだろうか。これはもしやそう呼べということなのか?
「あ、あの姉ちゃん?」
「なーに?」
「僕、お姉ちゃんなんて呼んだことないよね?」
「そーねぇ。なら今呼べばいいんじゃないかしら?」
「え?」
横暴だ。これが世にいう独裁政治というやつか。しかし、無情にも目の前のチェルシーは最高の笑顔であった。内訳は小悪魔6割、無邪気さ4割と言った具合か。
「ふふ、どうしたの?恥ずかしがることないのよ?」
目の前の小悪魔、もとい悪魔は膝を少し折り、チェスターの目線に合わせると頭を撫で始めたではないか。完全に子供扱いしているのが分かる。それはもはや姉弟のそれではなく、親子のそれに近い。ここまでは耐えたが、これはさすがにチェスターの琴線に触れた。
「知らない!姉様なんてもう知りません!」
最終奥義、拗ねる。
「くくっ、ごめんなさい、調子に乗り過ぎたわ」
「フン」
思いっきり顔を背けると多少悪気があったのか少し慌てた様子のチェルシーが目に入った。その顔には満面の笑みが浮かんでいるし、笑いを堪えているように感じるが、反省はしているようだ。……たぶん。
「機嫌を直して」
「フンだ」
「お詫びと言ってはなんだけど、いいお店予約してるから」
「食べ物で釣ろうったってそうはいきませんよ」
チェルシーの提案を食い気味で否定する。背けた顔はそのままに腕をわざとらしく組んで不機嫌のポーズを全力でアピールする。
「そう、残念。チェットの好きなハンバーグなのだけど」
「うっ……ま、まあ、せっかくの外出ですから、仕方ないので機嫌を直してあげないこともないですけどぉー」
「ふふ」
「今笑いましたね!子供っぽいって思いましたね!別にハンバーグに釣られたわけじゃないですから!!」
「そういうことにしましょうか」
「もう!」
結局店に着くまでチェスターの機嫌は直らなかった。もっともそれは店に入った途端改善されたとか。思わず笑ってしまったチェルシーにまたチェスターが機嫌を悪くしたらしいが、最終的には二人はいつも通り笑顔だった。
いつもと変わらないような、いつもと違うような、そんな時間を二人は過ごせたのだった。
◇
灼熱。目が覚めて一番初めに抱いた感想はそんな言葉だった。宙に放り出された衝撃と耳を劈く金属音の後、意識が飛んだのを覚えている。今の状況は見えてはいるが理解するに及ばない。周囲から聞こえる悲鳴にも似た叫びが否が応でも事態の深刻さを伝えてくる。地獄なんて生温い。自身の持ちうる語彙では到底表現できないような悪夢。目の前の光景はそのレベルのものだった。
オルコット家当主であるフローラ・オルコットは電車に乗っていた。我が子のような存在の使用人に夫と出かけたらと提案された。それは突拍子もない発言だったし、そもそも休みが取れるかどうかすら危ういほど多忙を極めていたはずだ。しかし、奇跡でも起こったかのように今日、あの子の誕生日に休みを取ることが出来た。そしてそれに合わせるように夫も無理して休みをつくってくれた。そんな日に、そんな特別な日に……。
今の状況を表すことはとても簡単だ。一言で済む。
そう、事故だ。たまたま夫婦揃って出かけた今日という日に不運にも列車の事故に遭遇し、巻き込まれた。何万分の、いや、何億分の一。そんな天文学的な確率の不運。
フローラはそれでも自身を不運だとは思わない。そもそも不運なんて言葉で片づけていいものじゃない。これは運命。もはや決められた出来事のように思えて仕方なかった。
「……っ」
声を上げようとするもそれは叶わなかった。腹部に大きな裂傷があり、大量の血が流れだしている。もう、呼吸することすら煩わしい。医療知識の全くない人が見ても一目でわかる傷。そして全員が同じことを思うだろう。
――――――――――――――――――ああ、私は助からないな。
「……がっ…う、ぐっ」
それでも血反吐を吐きながら辺りを見回す。いるはずの人の姿を求めて。
ふと、感覚のほとんどなくなった自身の肩に僅かな重みを感じた。その正体はすぐに分かった。
「……あ……の、どっ」
掠れた声を、言葉にすらなっていない音を、それでも彼女は紡いだ。そして理解した。何故自分が傷を負っているのか。何故夫が背中にもたれかかってきているのか。この状況で何故フローラがまだ生きているのか。全て、理解するに至った。
アーノルドはフローラを背後から抱きしめる形で鉄柱に貫かれていた。それはアーノルドを貫いてフローラへと及んでいたのだ。ガラス片が突き刺さり、すぐ近くにはすでに火の手が迫っている。それでもアーノルドに動きはない。ただ、動きがあるのは血だけだ。
「……うっ、うぅっ」
この時フローラはようやく自身の内から込み上げてきているものの正体を悟った。悲しみ、怒り、そして後悔にも似た憤り。全てがない交ぜになって内から溢れ出す。
「………あぁ、あっ」
地獄にも似た光景を目にしても、自分自身が怪我を負っても、それでも感じなかった絶望を。今この瞬間、確かに実感していた。
(ああ、こんなにも……私はあなたのことを……)
そして想うのは残してしまった子供たちの姿。浮かんだのは命より大切な我が子の顔だった。
(ごめんなさい、セシリア。親らしいこと何もできなかった。寂しい思いばかりさせて……ごめんなさい)
途切れ行く意識の中、最後の力を振り絞って自身の肩に置かれたアーノルドの手を掴む。
最後に浮かんだのは誰だったか。
(…私は……後悔………してない、から)
その言葉は誰に向けてのものなのか、それは分からない。
意識が途切れてもなお、その手は繋がれたままだった。
イギリスで起こった越境鉄道の横転事故。イギリスの長い歴史上最も凄惨で大規模な鉄道事故。死傷者は百を優に超え、街を抉った。二次災害の火災が発生し、街を燃やした。セシリアの両親であるフローラとアーノルドも事故に巻き込まれ、帰らぬ人となった。一瞬で全てを奪い去っていった。
たった一瞬で―――――――――。