「随分と、好き勝手をしてくれたらしいな……」
《隻腕の剣聖》は、自身が有する巨大な剣を顕現させながら小次郎の間合いまで踏み込んだ。
それは真っ当な剣士の物と比べれば遥かな広大さを誇っているが、小次郎であればその距離を詰めるのは容易い。並の者であれば一瞬のうちに首を刈り取られるだろう。
無論、ヴァレンシュタインとてそれは承知している。珠雫に敗れたとはいえ、それは相性の悪さ故。
彼は剣聖と呼ばれるに相応しい技量と観察眼で、目の前の侍が極まった剣士であることを理解していた。
小次郎は、それを理解した上で迷いなく自身の手の内に入り込んできたヴァレンシュタインに応えるように、物干し竿を構える。
「なに、若人たちの邪魔になりそうな“きな臭い”輩を見掛けたのでな。早々に退場願ったまでのことよ」
「吐かせ。貴様は闘争を愉しんでいる。我々が精鋭を送る度に、喜び勇んでいたのだろう?」
小次郎はその整った相貌に笑みを浮かべる。
実際、その通りと言う他にない。
初めこそ、露払いなどという建前を使っていたが、今では“ついで”でしかない話だ。
見抜かれた……というのは正しくない。元より小次郎に隠す意図などないのだから。
「返答は不要だ。答えずとも分かる」
ヴァレンシュタインは大剣を構えると、小次郎へと斬りかかる。
片腕とはいえ、その剣戟一つ見ても彼が一線級の剣士であるのは一目瞭然だ。
豪剣と呼ぶに相応しいそれは、彼我の体格差、得物の重量差を第三者の目から見たなら、とても受け切れるものではない。
ならば、躱す以外の選択肢は無くなるところだが。
あろうことか、小次郎は正面から受け止める。
魔力量で小次郎がヴァレンシュタインと互角以上ならばそれも不思議なことではないが、そもそもがその魔力において小次郎は大きく劣っている。
故に、それは純然たる技量によるもの。しかしそれは、ヴァレンシュタインにとっても今更不思議なことではない。
「やはりか。その魔力量はFランク相当だ。貴様、あの《落第騎士》と同じタイプの伐刀者だな。——その剣技、私としても興味がある」
「《隻腕の剣聖》殿に関心を持たれるとはな、恐悦至極とはまさにこの事よ」
小次郎はヴァレンシュタインの大剣を苦もなく受け流すと、返す刀で首筋に斬りかかる。
跳ねるように振るわれた長刀は、しかし敢え無く防がれた。
滑らせるように逸らされた刀身、ヴァレンシュタインは半ば強制的に剣を振り切った形へと持っていかれていた。
刃渡こそ近しい両者の得物だが、軽さという面でのアドバンテージは日本刀にこそある。打ち合う際とは異なり、このとき武器の重さはハンデに変わる。
取り回しで劣る大剣では追いつくのは不可能と思われたが、剣聖は当然、己の武器を熟知していた。
大剣を手元に引き、刀身を“担ぐ”ように身体を回転させ、剣の腹で小次郎の一刀を跳ね上げる。
都合、敵に背を向けるような体勢になるが、身体を回した勢いで合間に蹴りを放って牽制。無論、小次郎は難なくそれを躱してみせたが、致命的な隙を潰すことには成功した。
ヴァレンシュタインは剣を持った右手……右半身を極端に前面に出した構えを取る。隻腕はどう言い繕ったところで弱点だ。
ヴァレンシュタインの腕前を以ってしても、どんなに素早く反応しようとも、左への対応は右のソレに比べてほんの“半瞬”遅れてしまう。
達人を相手にしてその遅れは命取りとなる。
ヴァレンシュタインは未だに小次郎の間合いのうちに留まっている。否、留まらざるを得ない。
ここで距離を置けば、彼よりも間合いの狭い自身がそのまま嬲られることになるのを承知しているからだ。
「——」
裂帛の気合いを込めて斬りかかった。
小次郎を相手に生半可な一撃を放つのは即ち、敗北を意味する。塩をくれてやるのと変わらない。
一合、二合と、次々に斬り結ぶ両者の動きは、もはや素人では目で追うことも不可能だろう。
この様子だけ見るならば、彼我に戦力差はなく。
互角の勝負をしているかのように思えるが、その正体はあまりに一方的なもの。
(——なんとふざけた技量だ……!)
実状、斬り合いになっていることこそが奇跡。
剣聖は一太刀合わせる度に命の危機に瀕していた。
己が持つ長い戦闘経験を総動員させ……半ば“勘”にも等しい、しかし確かな洞察眼で補強されたそれにより持ち堪えていた。
現在、ヴァレンシュタインは自身の全魔力を身体強化に当てて何とか対応している状態だ。
そうでなければ小次郎の動きには追いつけない。
小次郎の身体能力は魔力の強化無しに英雄に匹敵する程のものだ。そもそものスペックに大差があるために、それ無くしては対応できない。
彼と魔力を使わずに僅かでも立ち会いが出来たのは、今現在のところ誰一人としていない。
あるいは、剣武祭で急成長した一輝や現世界最強の剣士であるエーデルワイスならばその限りではないが。
そのうえ、この侍は。
(この期に及んで本気を見せない気か)
全力であればとっくにヴァレンシュタインは追い込まれている。
ヴァレンシュタインの剣技ではエーデルワイスに迫れないのと同じで、彼の剣技では小次郎には遠く及ばない。
埋めがたい程の隔絶した実力差が、そこにはある。
本気を出さないというのは間違いで、出す必要が無いというのが正しいのだろう。
しかしそれほどの力量、思わず《比翼》を比較に出してしまうほどの大きな力を持ちながら、ヴァレンシュタインの目に映るこの侍は歪であった。
ヴァレンシュタインの審美眼が確かならば、こと経験において言えば、自身が格段に優っていた。
力に見合わない経験値、素直に受け取るならば、驚くべきことにこの剣士は。
(まるで——実戦を経ないままでここまで至ったかのような)
不意に、刃が閃いた。
小次郎は雑念の混じったヴァレンシュタインの剣を隙と見るや、刀で払いのけ、首筋を狙い澄ます。
今や剣聖の手札全てを使ってようやく追いつける程に引き出された剣筋を前にして、余所見をする余裕などなかった。
ヴァレンシュタインは自身の考察を迂闊と断じる。
先の油断以上に、小次郎を試そうなどと考えたそのときこそを、だ。
既に対応するには遅く、物干し竿はヴァレンシュタインの首を両断せんと迫り。
「——!」
しかし——剣聖の首が落ちることはなかった。
「……全く私は愚かだった。敵の力を過小に見誤るとは」
かの剣士の力を試すのに、自身の“剣士としての技量”では遠く及ばない。
小次郎が本気であれば、刀を合わせることすら叶わず、一刀のもとに斬り伏せられていたはずだ。
——故に、全力を以ってして挑む他ない。
「加減はお互いさまだ、無礼とは思わん。しかし、私と純粋な剣士である貴様では相性が悪すぎる。“試す間も無く”殺してしまっては我ら《解放軍》に引き込むべき手練れかどうかも判断できないのでな」
「なるほど、そのような意図であったか。聞き及んでいた剣聖殿の能力を、いつになっても使おうとしなかったのは……」
《隻腕の剣聖》ヴァレンシュタインは、剣士である以前に伐刀者であり。
その能力こそが、彼の戦士としての本質だ。
「貴様の斬撃がどれほど鋭かろうと、私には傷一つ付きはしない」
「……っ」
次の瞬間、小次郎の足元がどうしようもなく不確かなものとなる。
「ほう、堪えたか。それだけでも貴様の異常さが理解できる」
「……面妖な力よな。“摩擦”を操るという言葉の意味は解っていたつもりであったが……中々に厄介なものだ」
摩擦係数ゼロ。
それは通常であれば立つことすらもままならないものだ。
理論上、地面に完全に垂直に力を掛けたならば滑ることはないが、言うは易しとはまさにこのこと。
小次郎はその超人的な体感覚によって、どうにかそれを保っていた。
涼しげな外見とは裏腹に、内心には確かな焦りがある。
「或いは貴様の能力次第ではそれも覆されていたが……貴様はFランクだ。身体能力強化以外には有り得ない」
物理的な接触の伴う戦闘において、ヴァレンシュタインの能力は最強に近い。
剣技を極め、しかしその為に剣技以外の“何か”を持ち得ない小次郎と彼の相性は——最悪に等しい。
「さあ、どうする“魔剣士”? この状況、打破できるというならやってみせるがいい!」
もはやヴァレンシュタインに侮りはない。
小次郎がこの悪状況を覆す可能性すら視野に入れて、最大限の警戒を示す。
甘く見ることは出来ない。常識を超越した技術は、高度に整備された現代世界すらも脅かすのだから。
既に《比翼》のエーデルワイスという存在が君臨している以上、他に居ないとは言い切れない。
「知らぬ間に、随分と買われていたようだな……。しかし、そうか」
正面からの白兵戦において、小次郎は“あの戦争”の中であっても、かの不死身の大英雄を除けば最強に近い存在であった。
しかし、その誰も彼もが彼を打倒する手段を持ち得ていた。
この無名の剣士は、無名であったがために弱点が多い。
遠距離からの襲撃には躱し、斬り払う以外の対応策はなく。距離を詰めることができなければ、敗北は必至となる。
搦め手に通じる相手には抵抗することすら危うい。
それは、素直に、根底の感情を語るならば——屈辱にも等しいことであった。
苦汁を舐め、辛酸を飲み、唇を噛み締めた。
自身の一生では、それ等に及ばなかったのか……と。
であれば、さらなる修練を。さらなる苦難を乗り越え。
超えるしかない。上回るより他ない。
サーヴァントであった以前ならともかく、受肉した今ならば話は別だ。
言い換えれば、“欲”が湧いた。
——自身はまだ、“天下一”になれるのではないか。
超えられなかった障害を乗り越え、より高い次元へと駆けることも出来るのではないか。
それは、この世界に降り立った小次郎にとっての最初の感情だ。
「打ち破れぬか。——試させてもらうとしようか」
《隻腕の剣聖》の警戒は正しい。
その強者を見分ける嗅覚は、長きに渡って戦いの場に身を置いた彼のような戦士が持つ、特有のものだ。
この侍は、未だ諦めてはいない。
逆転の一手を秘めている——いや、手繰り寄せようとしている。
それ故に剣聖は全力を尽くし、侍を殺しに掛かる。
剣鬼が追いつくか、剣聖が突き放すか。
この勝負はそういった追走劇に他ならない。
二人の戦いは詰まるところ——その一点に集約される。