落第騎士の師匠《グランドマスター》   作:Wbook

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引き続き不定期投稿です。

※H29.3/20…修正を加えました。


剣士

 ヴァレンシュタインの能力は、こと物理的なものに限定すれば攻守ともに万全であり、常識的な価値観で評価したなら——ほぼ、最強に近い。

 

 摩擦を無くせば、銃弾であれ刃であれ、彼の表面をただ滑り抜けるだけに終わり。

 大剣が繰り出す斬撃はあらゆる物質の分子の隙間をすり抜け、対象を抵抗なく両断する。

 

 これを破るには本来、自然干渉や概念干渉、因果干渉系の能力が必要となる。

 

 如何に物理的なダメージを防ごうとも、火炎を浴びせられればその高熱に焼かれてしまう。空間ごと破壊するような常識外の一撃ならば物理的な接触を断つ意味もない。

 如何に強力な物理攻撃を放とうと、概念的な守りであればそれを通さないだろう。そして因果に干渉する者が相手ならば、必ずしも必殺とは言い難い。

 

 しかし小次郎は、その一つたりとも持ち合わせてはいなかった。

 

 それ故に、選択肢は初めから限られていた。

 

 その一つは撤退である。そして、これは恥じるべき行為ではない。

 まともに考えれば、実力の上下を無意味にするほどに相性の悪い相手と戦うのは愚行と言える。

 

 通常、相手がヴァレンシュタインであればそれすらも難しいところだが。

 

 

「……些か不自由ではあるな。空でも飛べたならともかく、翼も持たぬ我が身では叶わぬか」

 

 

 二歩三歩と感触を確かめるように足を進めると。

 無造作に、刀を一振りする。

 

 

「不自由だと、よくもぬけぬけと……。軽々しく適応しておきながら白々しい」

 

 

 摩擦ゼロという極地で刀など振るえば、当然その反動で身体は滑り出し、何かにぶつかるまで止まることはない。

 

 しかしこの男は、その反動を“地面に対して垂直に逃す”ことによって容易く克服してみせた。

 同じ原理で垂直方向に発生させた力の流れを推力へと変換して歩いたのだろう。傍目にはただ何気無く歩いているようにしか見えないほど自然に。

 

 理屈だけは解る。どのような膂力であれ受け流す小次郎であれば、その程度の力の流れを操ることなど造作も無いのだろう。

 如何なる技術を用いてそれを成し遂げているのかは理解し難いが。

 

 なんであれ、小次郎は地面の摩擦係数の有無など、“不自由”と感じる程度の障害としか見ていない。

 ただ逃走するだけならば今すぐにでも可能であった。

 

 しかし。

 

 

「だが、それが出来たところで貴様には私を斬ることは出来んぞ」

 

 

 元より、強者との果たし合いを求めるこの侍に——そんな“無粋”な選択など出来るわけもない。

 

 小次郎がこの場を去るのは、《隻腕の剣聖》を上回ったその時か……もしくは、力及ばず斬り捨てられた場合のみだ。

 剣聖は人として見たなら犯罪者であり、異端者だ。しかし武人として見るならば、やはり一角。

 

 

「私には、お前が倒せぬ……か。果たしてそれが真実か、それは決着の暁にはっきりすること」

 

 

 完成された武人、それこそがヴァレンシュタインだ。

 

 彼は、彼の人生において最強に近しい姿を現時点で曝している。

 若者達とは異なり——今こそが、この剣聖と斬り合うに相応しい時なのだ。

 

 退くことなど到底有り得ない。

 打ち倒し、その屍を乗り越えずしてなんとする。

 

 

「困難とは挑むものよ。——なぁ、剣聖殿」

 

 

 摩擦が無効である以上、刃物は刃物としての役割を果たしようがない。

 しかし、忘れてはならない。今の小次郎はサーヴァントではなく、伐刀者なのだ。

 

 それを加味すれば、手が無い訳ではない。

 

 

「がっ——」

 

 

 その瞬発力はこの期に及んでさしたる衰えを見せず。

 

 駆け抜け様、物干し竿はヴァレンシュタインの首を斬り裂いた。

 しかし、そこには血の一滴足りとも流れておらず。

 

 ——ソレと同色の光が、僅かに飛び散っただけであった。

 

 

「……ふん、そう簡単に倒れてくれる筈はないと思っていた。易々と決まってしまっては拍子抜けというものよ」

「貴様と同じような考えの者など、これまでごまんと居た。“幻想形態”とは姑息な真似を」

「兵法とは、元来姑息なもの。褒め言葉として受け取っておこう」

 

 

 幻想形態の霊装により精神ダメージを与えて意識を奪う。これならば摩擦の有無は関係ない。そもそも敵対者との“物理的な接触は無く”、肉体自体は傷つけずに通り抜けるのだから。

 あるいは、能力の性質によっては幻想形態すらも無効化されかねないが、剣聖の力はその類ではなかった。

 

 そして、如何に魔力で大幅に負けていようとも身体能力、何よりその技量は人類の規格からかけ離れている。その鋭過ぎる斬撃は、ステラ・ヴァーミリオンの魔力防御すら突破した。

 

 その一刀が、ヴァレンシュタインに通らない筈もない。

 

 単純ながらも、確かな効果を持つ選択肢の一つであったが、ヴァレンシュタインは当然それを見越していた。

 彼の長い人生において、それを試みた伐刀者は何人も存在した。

 命を奪わないことを主目的とした幻想形態を攻性に応用するというもの。それには事実として効果がある。

 

 手痛い反撃を食らった苦い記憶を糧に、決して意識を手放さないために、決死の覚悟以上の強靭なる意思の力を得るために、半ば拷問じみた精神鍛錬を自身に義務付けた。

 

 しかし、そもそも常人ではヴァレンシュタインに斬りかかることすら難しい。

 そんな……弱点とすら言えない、僅かな突破口。

 

 強さを至上とするヴァレンシュタインにはそれすらも認められなかった。

 どのような苦しみを味わおうとも、その抜け道を潰さずにはいられなかった。

 

 

「まさかこの程度の策が貴様の切り札ではないだろうな。だとすれば期待外れもいい所だ」

「なに、小手調べといったところよ」

「それを聞いて安心したぞ。——遠慮する理由が無くなった」

 

 

 その構えは、ヴァレンシュタインにとって必殺たるもの。

 

 

「《山斬り》」

 

 

 背筋に走る悪寒。小次郎の判断は早かった。

 

 全力での回避。すなわち、形振り構わぬ逃げの一手。

 目に見えぬソレは、しかし恐ろしいほどの脅威である。

 

 小次郎が直前まで立っていた地面は底が見えないほど深く、そして驚くほど鋭利な斬撃痕が刻まれていた。

 

 

「これがお前の……《隻腕の剣聖》の秘剣か。なんと凄まじい斬れ味よ。これならば文字通り、山すらも切断出来よう」

 

 

 その想定は実に正しく。

 《山斬り》は現実に“山”を斬り飛ばした実績がある。

 

 この伐刀絶技に掛かったならば、硬度も規模も全くの無意味。ヴァレンシュタインの能力が届き得る範囲であれば、射程すらも自由に操る。

 

 自身の能力を最大限に活かし、長きに渡る鍛錬によって磨き上げられた必殺の斬撃。

 ヴァレンシュタインという武人が完成させた奥義。

 

 謂わば、彼にとっての——究極の斬撃。

 

 

「やはり躱すか。Fランクで大した防御を持たない貴様を仕留めるのに、大振りは要らない。細かく、丁寧に——確実に両断する」

 

 

 一太刀でも避け損なえば、彼の言う通り小次郎の身体はいとも容易く斬り裂かれるだろう。

 

 むしろ、大仰な一撃こそ無用な隙を生む原因となる。

 《山斬り》が広範囲攻撃を可能としているとはいえ、それは“線”での話だ。簡単とは言えないが、回避は可能である。

 

 ヴァレンシュタインは小次郎を高く評価しているために、少しでも隙を作るのを嫌ったのだ。

 

 一撃では追い切れない。

 だからこそ、いくつもの斬撃を重ね、追い詰める。

 

 

「今の私は、《解放軍》のヴァレンシュタインではない。貴様という個人を斬らんとする——“剣士”、ヴァレンシュタインだ」

 

 

 ……或いはそれは、力以外の何物も信じようとはしなかった男の、最期に残った“情念”であったのかもしれない。

 

 老成に入った彼の精神は既に凝り固まっていた。

 もはやどのように解きほぐそうとも、その偏った信念とも言えない妄執は振り払えないだろう。それほどまでに腐り果てていた。

 今この時、俄かに“人道”に立ち戻ったことすら奇跡と言える。……些か、血生臭い人道ではあるが。

 

 小次郎という異端の剣士を前にして、実力を試すためとはいえ、“剣士”として彼と立ち会ったが故に起こった、二度とは無い偶然。

 

 

「佐々木小次郎を名乗る貴様の正体には、既に興味はない。用があるのは剣の腕だけだ。さあ見せてみろ、貴様の本領をな……!」

 

 

 今この時、彼は《解放軍》の中核たる《十二使徒》ではなく、一介の剣士である。

 

 故に目の前の侍を斬り捨てるべく、純粋な力だけで押し切る道を捨て、先ほど小次郎に言い放ったような“姑息とも言える戦術”すら用いるだろう。

 

 ——その戦力は変わらずとも、勝利を手繰り寄せるため執念が違う。

 

 必殺の威力を持つ《山斬り》を次々と小次郎に向かって放ち続ける。

 その嵐の中を神がかった足捌きで躱す小次郎だが、それは綱渡りにも等しい真似だ。

 

 一度でも身体操作を誤り、態勢を崩したならば、それを復帰させる前にヴァレンシュタインによって細切れにされるのは必然だ。

 加えて、決め手に欠ける小次郎には、接敵したとしてもヴァレンシュタインを倒すことができない。

 

 

「どうした、佐々木小次郎! 逃げるばかりで芸が無いぞ!」

 

 

 ヴァレンシュタインの挑発を気にも留めず、小次郎はひたすらに斬撃を回避し続ける。

 

 迂闊な動きを見せれば、すぐさまヴァレンシュタインは小次郎にトドメを刺すだろう。

 しかし、小次郎が逃げの一手を取り続ける限りは、彼も勝負に出ることは出来ない。まかり間違って反撃を受けたとしてもヴァレンシュタインの能力であれば問題は無いように思えるが、彼は決して楽観視はしない。

 

 一度目、二度目は無事だったとしても、三度目も同じだという保証はない。

 

 予感にも等しい、不確かな危機感ではあるが、無視は出来ない。

 この剣士ならばその万が一も有り得る……ヴァレンシュタインはそう考えていた。

 

 

「……“振り”を見るだけでは測れぬな。同じ剣筋であっても射程は変幻自在か」

 

 

 ——そして、その予感は実に正しい。

 

 

「しかし範囲こそ自在だが……“厚み”はその剣の重ねと変わらぬようだな」

 

 

 ヴァレンシュタインは未だ剣を納めてはいない。

 彼の斬撃は確実に小次郎に狙いを定め、両断せんと迫っている。

 

 だというのに、小次郎は足を止め。

 

 

「《山斬り》——ここに破れたり」

 

 

 瞬く斬閃。しかしその軌跡は目では追い切れず。

 

 とはいえ、その現象が如何に不可思議か。

 それは《山斬り》の使い手たるヴァレンシュタインこそが、最も正しく理解していた。

 

 

「きさ、ま……! “受け流した”のか。私が放った、斬撃そのものを……!」

「縁あって不可視の剣を相手取ったことはあったが、飛ぶ斬撃を捌いた覚えは無かったのでな。些か手古摺ったがそれもここまで——もはやその剣、私に届くことはあるまい」

 

 

 小次郎はただ逃げ回っていた訳ではない。

 

 目視することは叶わず、刀で受ける訳にもいかない……そんな《山斬り》という伐刀絶技の特性のために、小次郎は回避に徹する他なかった。

 故に彼は、発想を変えることにしたのだ。

 

 斬撃そのものは見えずとも、《山斬り》によって“地面や壁、周囲の構造物に付けられた傷跡”は違う。

 

 ヴァレンシュタインの大剣と、《山斬り》が付けた傷跡。

 彼の剣が振るわれた時から傷跡が付くまでの時間を測り、斬撃の速度を算出。

 それらの情報を元に、《山斬り》のスペックを把握した。

 

 そして、見極められた剣戟など小次郎にとって障害足り得ない。

 

 決して切っ先には触れず。

 斬撃の“腹”に剣を滑らせ、逸らし、上空へと打ち上げたのだ。

 

 

「……妖怪か、貴様は」

 

 

 その技量——まさに神域。

 人の身に余る行いは、それすなわち怪異に他ならない。

 

 《山斬り》を攻略されたこと自体は、ヴァレンシュタインにとってやはりとも言える出来事。

 しかし、まさかこのような人外じみた方法で突破されるとは思いもよらず。

 

 

「やれやれ、誰も彼も人を化物の如く……。私は人でしかないのだがな」

「怪しいものだ。怪異の類に“化かされている”と言われた方がまだマシだろう」

 

 

 ヴァレンシュタインは小次郎へと斬りかかる。彼の判断は早かった。

 

 《山斬り》が効かない以上、今の距離を保ったところで事態が膠着するだけだ。であるならば、大剣本体が届く間合いにまで踏み込まなければならない。

 かの伐刀絶技は大雑把に言えば剣そのものの延長線でしかない。だから、その斬れ味は彼の持つ剣にも宿っている。

 

 単なる直線でしかない《山斬り》では届かずとも、手元で操れるクロスレンジでの戦いならば話は違う。

 

 

「——ぐが……っ!?」

 

 

 ——はずだった。

 

 

「技とも言えぬ無様な剣だが、効果は覿面か。しかしやはり……これでは単なる“棒振り”よな。皮肉ですらないときている」

 

 

 小次郎の剣は、ヴァレンシュタインの左肩を強かに打ち据えていた。

 普段であれば斬撃に回されるはずのエネルギーが、打撃に集約されたそれの威力は凄まじく、ヴァレンシュタインの身体は半ば陥没していた。

 

 

「斬れぬというなら、“斬らなければよいだけ”のこと。幸いにも“動く的”は幾らでもあったのでな。鍛錬には不自由しなかったとも」

 

 

 その言葉を聞いたヴァレンシュタインは即座に理解する。

 

 

「寸分違わず完全なる垂直で打ち込まれる刀……やけに手慣れた一撃だと思えば——貴様、“実験台”にしていたのか。我々《解放軍》と《大国同盟》の工作員を……!」

「《隻腕の剣聖》の話は黒鉄珠雫から聞いていたのでな。あるいはと思い、丁度良くそこらをウロついていた不審者相手に試してはいたが——何とも幸運なことよ。待ち望んだ剣聖自身が私の前に現れたのだからな」

 

 

 絶句。しかし、それならば疑問が残る。

 

 

「ならば何故、あの一太刀で勝負を決めなかった……。幻想形態で無くともあの瞬間であれば、容易く私の首をへし折ることが出来たはずだ……」

「いや何、お前を倒すのはあの《山斬り》を破った後と決めていた。もし仮にあの一撃で決着がついたならば……それはそれで、期待外れと捨て置くだけのことだったのでな」

 

 

 あの時、ヴァレンシュタインには僅かな隙があった。

 剣戟のみで遥か格上の小次郎と死合い、精神を疲弊させた後の能力発動。それは安心から来るほんの短い時間ではあるが、確かに彼の警戒心は薄れていた。

 

 それを見逃す小次郎ではない。故に、即座に首を断ちに来た。

 幻想形態ではなく、たった今用いた妙技を以ってすれば、確実に息の根を絶てていただろう。

 

 それをやらなかった理由は……しかし何とも小次郎らしい。

 

 

「く、くく……馬鹿か、貴様は」

 

 

 罵倒しながらも、ヴァレンシュタインが浮かべるのは笑みである。それを愉快と感じる自身の感情を堪えきれなかった。

 

 

「なんと非効率な! 一方では兵法を語っておきながら、その実、本来であれば最も潰しておかねばならない切り札を正面から打倒するとは!」

「それはそうとも。剣士であれ、槍兵であれ、戦いを楽しむものなど等しく大馬鹿者ばかりであろうよ」

「ふっ、違いないな。しかしこれで決着とは思うな。そう簡単に負けてはやれんぞ」

 

 

 果たして、それはどうか……そう告げるかのように剣戟を放つ小次郎。

 

 次々と放たれるそれらを、剣で受け、時には躱し。ヴァレンシュタインは——それでも守り切れずにいた。

 刃が閃く度に傷は増えていき、小次郎の剣が平時よりも少しばかり鈍ってある上に多少読みやすくなっているために致命的な一打こそ避けてはいるが、それも時間の問題。

 

 剣聖は徐々にその動きに精彩を欠いていき。

 

 そしてやがては——。

 

 

「楽しいひと時であったぞ、剣聖殿。——これで逝くがいい」

 

 

 脳天へと吸い込まれるように迫る一閃。

 既に防御は間に合わず、回避も不可能。そのタイミングは、実に致命的だ。

 

 だというのに、剣聖の口元は……俄かに歪んでいた。

 

 

「——待っていたぞ。この瞬間を……!」

 

 

 ヴァレンシュタイン、存命。

 しかしどうしてそのようなことが起こり得るのか。

 

 その答えは小次郎の手元にある。

 

 

「——ッ!?」

 

 

 冬木の聖杯戦争において。

 戦いの場で、ついぞ小次郎の手から離れることのなかったはずの物干し竿。

 

 それは今やヴァレンシュタインの遥か後方に打ち捨てられており。

 

 

「時間を掛けたならば——貴様は恐らく、コレにすら“適応”する!」

 

 

 故に必殺の一打が放たれるその時まで使わずにおいた。

 つまり、ヴァレンシュタインは——自身が追い詰められるこの瞬間すら予感していた。

 

 “霊装自体の摩擦係数をゼロ”にする。

 

 《山斬り》すらも囮として隠し持っていた、ヴァレンシュタインの真実の切り札。

 それは小次郎がFランクであり、魔力的な防御が脆弱であったがために可能だった限定的な絶技である。

 

 恐ろしきは、その戦闘勘。

 経験を積み重ねてきた彼が、剣士に立ち戻ることで発揮することが出来た危機察知能力だ。

 

 

「さらばだ、魔剣士。貴様は終生——最強の敵であった!」

 

 

 ヴァレンシュタインの身体も既に満身創痍。

 故に最後にして、渾身の一撃である。小次郎の疾さを以ってしても既に回避するには遅過ぎる。

 

 それを前に、小次郎は——。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 構える。

 その手は“空”であり、しかし何かを握っているかのような形を作っている。

 

 侍は常々考えていた。

 

 彼の秘剣はかつての強敵が語った現象に当てはめるなら、一息に斬り払っている訳でもなく。

 厳密に言えば、彼の持つ刀が分裂している訳でもない。

 

 ——並行世界から呼び込んでいるのだ。自身の太刀筋自体を。

 

 だとすれば、いま彼の考えている真似は不可能なことではなく。

 現象そのものを客観的に見たとすれば。剣筋を描く軌跡さえ再現したならば。

 

 “この世界の彼自身が刀を持っている必要性はどこにある”?

 

 

「秘剣——《燕返し》」

 

 

 かくして、剣聖の五体は砕かれた。

 

 一の太刀は存在せずとも、二の太刀三の太刀は最速を以って彼の大剣を追い越し、強かに総身を打ち抜いた。

 剣聖は完全ではないが故に、平時以上に理解を超えた剣技のカラクリを見抜くことは出来なかったが。

 

 自身の敗北だけは確かなことと、理解していた。

 

 

「——やはり貴様は、バケモノだ……」

 

 

 剣聖は血溜まりへと沈み——侍は、闇へと消え失せた。


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