「人間の力……ね。面白いじゃない、オウマ。アンタがそんな台詞を吐くなんて。でも、本気なの?」
それはまさしく絶対強者に相応しい傲慢さであり。しかし、確かな怒気を孕んでいた。
「——そんなちっぽけな力で、何ができるっていうの?」
少女は、信じられないとばかりに嘯いた。
かつて自身を破ってみせた一人の男は、王馬が口にした“人間の力”を生涯に渡り磨き続けた“修羅”である。
彼が強くなるためには、それ以外の道を許されなかった……。しかし、だからこそ“心の底から畏ろしい”。
ステラや王馬のような、魔導騎士として桁違いの才覚は言うに及ばず、平凡な一兵卒にすら数段劣る僅かばかりの素養だけしか持たなかった男が……しかし自分自身を諦めずに、ひたすらに研ぎ続けた巨人殺しの刃。
彼が、この世でもっとも強い“人間”になろうとした証であり。
——彼は現実にその刃を形として、世界に刻みつけてきた。
それに比べれば、王馬の口から出た“力”の……なんと軽やかで、か細いことか。
今更教えられるまでもない。そんなものは、とうの昔に教えられた。
最愛にして最強、好敵手たる修羅に。あるいは、その師である魔剣士に。身震いするほどの、自身では理解すら及ばない研鑽の数々を。
それらに刻まれた“恐怖心”は——いまだ消えてはいない。
「アンタ如きに、その力を語る資格があるとでも?」
「……どうだかな」
折れた脚、砕かれた腕に大気圧をかけ、即席のギプスで固定し戦力を一時的に回復させながら、王馬は答える。
明確な解を口にしないのは、王馬自身にも分からないためだ。
散々突き離し、一方的に嫌悪し、嘲笑し続けた弱者の力。それが今になって、自身の味方になってくれるものかどうか。
口で言うのは簡単だ。しかしだからこそ。
「それを、この場で証明する……!」
覚悟の言葉とともに。
万に一つ、あるいは億に一つの勝ち星を拾うべく、王馬は駆ける。
竜と化したステラの前で脚を止めることは、即ち敗北……ひいては死を意味する。
技に長けた一輝や小次郎であれば、もっと巧いやり口も思いついたのやもしれないが、少なくとも王馬にはこれしかできない。
撹乱しようなどとは考えていない。否、そんなことは王馬には不可能だ。
所詮、王馬は武骨者に過ぎない。
対策すら不要と断じ、学ぼうともしなかった戦術。この場で下手に複雑な罠を張るのは下策と言える。
生兵法では、目の前の竜は墜とせない。
故に、単純であっても、穴だらけであってもいい。思いつく限りの手段を全て試す。元より有効かどうかなど、王馬の知識とこれまでの経験では判断できないのだから。
息吹を掻い潜り、爪をしのぎ、顎より生還し続け、その首を落とす機会を探り出す。
戦いの中で——勝利を手繰り寄せる。
「《無空結界》ッ!」
リング上全てを包み込む上昇気流。
その暴風は砂塵を巻き上げながら躍動し、内部の酸素を奪い取る。
ステラがどれほど怪物であっても身体構造上は間違いなく人類だ。酸素なくしては生きてはいられない。
風は程なくして、人間の生活圏として不適当となるほどに酸素を上空へと打ち上げるだろう。
それ故にステラは——。
「……ふざけているの?」
失望を、隠せずにいた。
先ほどまでの王馬であれば、このような“無駄”な技に労力を割くことはなかった。おかしくなったのは、あの戯言を口にし始めたときからだ。
確かにこの技であれば、いずれはステラを行動不能に追い込むことも可能だろう。
しかしそれは、あくまで彼女がこのまま何もしなかった場合に他ならない。
それが分からないほど血迷っているのなら、王馬のそれは口ばかりの悪足掻きでしかない。自身に一度は勝利してみせた、純粋な強さを求めるストイックなあの男であればともかく。
目の前のこの男に、自身の前に立つ資格などない。
「《暴竜の咆哮》」
爆風は、全てを容易く吹き飛ばした。
《暴竜の咆哮》は、魔力の瞬間出力量の上限一杯まで一気に放出するだけの簡単な魔術だ。
しかしそのため、発動は凄まじく早く、威力も高い。
これは、《煉獄竜の大顎》すら食い破る力を持つ《風王結界》であったならいざ知らず……主目的がそもそも防御ではない《無空結界》如きには防ぎきれない火力であった。
それを理解していたからこそ使わなかったのだろう《無空結界》に、追い詰められたこの場面で頼ろうなどと。
浅ましいにも程がある。
土煙が吹き荒れ、一時的に視界が閉ざされるが、広範囲攻撃を得意とするステラに目くらましなど意味がない。
だからこそ、この策に意味を持たせようとするならば、王馬が襲いかかってくるタイミングは一つ。
「そこぉ!」
それは即ち、彼女が広範囲攻撃を放つ直前。
リング上の全てを焼き払われる前に、ステラを斬り捨てるより他ない。
その証拠に、ステラは自身の背中に迫っていた確かな質量を持つ物体を蹴り砕き。
「——なっ!?」
それは、ちょうど人間大に砕かれた“リングの破片”であった。
しまった……とばかりに、ステラは自身の愚を悔やむ。目先の怒りに邪魔され、この策の本質を見誤った。
本来であれば、ステラが破片と王馬を誤認することなど有り得ない。彼女は魔力感知にも優れているのだから。
しかし今は、このリング内には王馬の魔力が不自然なほどに充満している。その上、王馬本人も魔力を隠しているため、居場所の判断が付かないのだ。
《無空結界》とは、そもそもこのための伏線。目くらましというステラの読み自体は当たっていたが、実際の効力はそれ以上。
ステラが放った《暴竜の咆哮》により掻き消され、破られた《無空結界》。しかしそれはそもそも、“初めから破らせるつもり”で張っていたものであった。
王馬は、結界が破壊され魔力が四散するのに紛れるようにもう一つの結界を張ったのだ。
あまりに脆く、気にするのも愚かなほどに弱々しいそれは、しかし確かな効果を示していた。
視界の封鎖以上の目くらまし。それこそが王馬の策略だ。
こうなってはもはや、《暴竜の咆哮》を放つのは愚策である。《暴竜の咆哮》は王馬の結界と周囲に漂う砂煙を吹き飛ばすことは出来るが、彼自身となれば話は別。
他の魔術では間に合わず、咆哮程度では苦もなく突破され、王馬は《天照》で自身の首を取るだろう。
破片と王馬では空気を割く音が異なるため、それを頼りにしようとも考えたが、王馬は仮にも《風の剣帝》。
空気抵抗を操るなど造作もないはずだ。
「案外小狡いじゃない、オウマ……!」
そうしている間にも、破片によるフェイントは続く。
王馬にステラの防御を突破できる技があり、尚且つ全てが不意打ちとなるこの状況では、フェイントと分かったとしても対処せざるを得ない。
まかり間違って彼の間合いに収まったなら、手傷では済まない可能性もある。
しかし、“礫”も無限ではない。持久戦となれば、有利なのは地力で勝るステラの方。
そのことは王馬も分かっているはずだ。そうである以上、彼女が焦る必要はない。
王馬は近いうちに、勝負を仕掛けざるを得ない。それを待ち構え、噛み砕けばいいだけのことだ。
ステラは落ち着いて自身に向けて投げつけられる破片を処理していく。油断せず。スピーディに。円滑に。出来得る限り隙を排して。
その行動こそが、王馬の待ち望んでいたものと知らずに。
「——《紅蓮の皇女》。貴様のその慢心、突かせてもらう」
次々に飛来する破片。それらを隙無く破壊するために、作業的な迎撃となっていたことが仇となる。
別方向から飛んでくる破片に素早く対応するべく背を向けたそのとき。
——砕かれたソレの裏から音もなく襲い掛かる剣士の存在に気づけなかった。
そうして王馬の刃は、寸分違わずステラの頭上に振り下ろされ。
「……この、化け物が……!」
あろう事か、防がれる。
ステラの魔力は、彼女の五体全てを余す事なく人外のそれへと変質させていた。
それは腕力、脚力に限らず——咬筋力に至るまで。
あまりに非現実的なステラの行動と、それを実現させる非人間的な彼女の能力に、王馬どころか会場中が絶句を余儀なくされた。
そも、凡俗であればその発想すら浮かばない。
そのうえ彼女は、受け止めるだけで収まるほど生易しくはない。
強化された膂力を存分に発揮し、《龍爪》を咥え込んだまま、“体重400キロを超える”王馬の身体を玩具のように振り回し、リングに叩きつける。
そうして彼の全身がボロ雑巾のように薄汚れた頃になって、ようやく刃を吐き捨てる。
最後まで刀を手放さなかった王馬は流石という他ないが……。
「その程度でアタシを落とせると思ったら、大間違いよ」
被害は甚大。その一言に尽きる。
両手両脚をへし折られ、肋骨は無事なものの方が少なく。頚椎は重度の捻挫を引き起こしており、全身余す事なく内出血で赤黒く染まっている。
初めの決意など何処へ行ったものか。
裏を返せば、たった一つの策を終えることすら出来ないうちに満身創痍と成り果てていた。
慢心とは、絶対な格差の元に生まれるものだ。
如何にそれを突こうとも、たった一つでも誤れば、それだけでちっぽけな人間など簡単に踏み潰されてしまう。
「アンタの負けよ、オウマ。もう指一本動かせは——」
しかし、それは屈して良い理由にはならない。
王馬はまたも立ち上がる。もはやこれまでと思われた、その瀬戸際から。
再び骨格を固定するが、もはや風のギプス程度では収まらず。
《天龍具足》により自身を封印していた際にも等しいほどの圧力で、全身を無理矢理押し留める。
それは平時ならいざ知らず。
今の王馬の身体では、地獄の苦しみ以上の痛みを伴うが。
その程度の苦しみは、とっくの昔に味わい尽くしている。
「俺の、限界を……貴様が決めるなッ!!」
必殺のための策は、まだ尽きてはいない。否、“終わってはいない”。
ズタボロの身体では既に埒外の筋力を発揮するには足りず。しかしそれではステラには対抗できない。そして、たとえ普段通りの実力を引き出せたとしても、彼女とは勝負にならない。
——自然、王馬の身体は求めた。足りない力を補うべく……最適な太刀筋を、最適な足運びを。
膂力を以ってして可能としていた剣戟を、それなくして可能とし。尚且つ、より鋭利に研ぎ澄まし。
身体はそれを支えるべく、より有効な体捌きを追い求め、躍動する。
王馬という剣士はステラという天敵を得たことにより、此処に来て一層の飛躍を遂げつつあった。
「シィッ!」
斬りかかる王馬に、ステラは眼を見張る。
その太刀筋は先ほどまでの黒鉄王馬のモノではない。刀という武器の特性上、王馬の剣は初めから力任せのソレとは違っていたが、これはそもそも“質”が違う。
むしろそれは、彼の弟である《無冠の剣王》を彷彿とさせ。
「なかなか味な真似してくれるじゃないっ!」
王馬が成長したというなら、ステラもさらにギアを上げるだけだ。
後に控える一輝へのリベンジマッチ。それは確かに、ステラにとってもっとも大事な試合である。
しかし、それに気を取られて敗れたのでは本末転倒。足元を疎かにすれば、痛い目を見るのはステラの方だ。故に、改めて意識を切り替える。
やはり《風の剣帝》は、侮れない騎士である……と。
躱しながら思う。今の王馬の剣からは、試合が始まったときよりさらに隙が減っている。
既に、拳で弾くには少々荷が重い代物と化していた。
「傅きなさい。《妃竜の罪剣》」
腹に突き立てて消え失せたはずの大剣が、再び姿を現す。
これで、決勝戦のために残していた伏線が無駄となった。これによりあの照魔鏡の如き洞察眼を持つ男にはバレたはずだ。彼は、それに気づかないほど甘い男ではない。
そもそも《竜神憑依》を発動させる際に、霊装を身体に突き立てるモーションなど必要ないことが。
《無冠の剣王》に対する必殺の一手。その一つが潰れることとなったが、構わない。
ステラは会場のどよめきを気にも留めず、王馬と剣を合わせる。
試合前の彼からは予想も出来ないことだが、彼の剣はステラの剣を逸らし、受け流しながら、間隙を突くように斬り返す。
そして、一太刀。また一太刀と合わせる度に彼の剣は洗練されていく。
それはあるいは——技の怪物たる、黒鉄一輝にすら追いすがる勢いで。
「——ッ」
全身が総毛立つのをステラは感じた。
彼女は、誰よりも一輝の力を知っている。そして、誰よりも彼の力を怖れている。
王馬は純粋な剣戟という点に限るとはいえ、そんな一輝に迫りつつある。
彼の技量がこのまま伸び続けたならば、果たして何処まで到達するのか。彼女にとってみても興味がないと言えば嘘になるが——それは恐らく叶わない。
惜しいことに、それを活かせるだけの体力が、王馬には残っていないのだ。
近いうちに、王馬は力尽きるだろう。
その証拠を示すかのように、技の冴えと比例して剣戟からは力が失われつつある。
進歩と衰弱が釣り合っているうちはまだいいが、王馬の体力は既に限界に近い。つまりは、このまま拮抗し続けたとしても、ステラの勝利は揺るがないのだ。
だが。しかしそれを——そんな無様な栄光を、この誇り高き皇女が認められるはずもない。
「アタシの全力を以って、叩き潰してあげるわ。消し飛びなさい、オウマ……!!」
天上にそびえる光の柱がそこにある。
それは、ステラ・ヴァーミリオンという竜が備える最強の一撃。
「《天壌焼き焦がす竜王の焔》————ッ!!!」
触れる物全てを灰燼と化し。空を突き破り、海原を割る灼熱の聖剣。
何人であれ、その規格外の暴力からは逃れられない。
だというのに——この騎士は。
「貴様なら、そうしてくれると信じていたぞ」
その相貌に、俄かに笑みをたたえていた。
*****
それに初めに気づいたのは、観客達であった。
その正体を目の当たりにしたなら、リングにいるステラに気づけないのも無理はないと理解できる。
むしろ、ステラだからこそ気づけずにいるのだ。
全身に灼熱を纏い、今まさに天を突く超大な焔の剣を携えた彼女だからこそ、その予兆を見逃した。
——リングに疎らに注がれる程度の“雫”では、彼女に近づく前に蒸発してしまうのだから。
*****
「平賀玲泉とて行ったことだ。よもや、反則とは言わないだろう」
諸君、忘れてはならない。
この剣帝は、人の身であるとはいえ、埒外の魔力を持って生を受けた魔導騎士。比べる対象が怪物であるために過小に見えたが、それは間違いだ。
——同じ策略でも、その規模は個人の“戦術”の域を大きく超えている。
「叩き斬ることくらいは出来るだろうが、流石の貴様でも……“海”は消し飛ばせないだろう?」
「アンタ、まさかずっとこれを……!?」
視界と魔力感知の封鎖による奇襲も。飛躍し続ける剣戟も。
王馬は真実、一つの策だけを完成すべく戦い続けていたのだ。
決して気取られることが無いよう……“傷ついたその身を囮”に、《紅蓮の皇女》を食い止め続けたのだ。
「《月輪割り断つ天龍の大爪》」
ここに来て、二つの風は一つとなる。
王馬が手にする野太刀を基点として巻き起こる幾万の斬風が折り重なった暴風の剣と、“湾岸ドームと……そこから程近い大阪湾を結ぶホースの役割を果たす巨大な竜巻”。
大量の海水を巻き上げ続けるソレと重なることにより、暴風の剣は——天を覆い尽くす“海流”の剣と化す。
「勝負だ——《紅蓮の皇女》」
もはや二の矢を継げるほどの余力は残ってはいない。如何にAランクの魔力量でも、これほど大規模な力の行使である以上、消耗は避けられないだろう。
これこそを“切り札”とする。
本来尽くすはずだった策の数々。
それらを使うには、王馬はあまりに傷つき過ぎた。
だからこそ、これに全てをかけることを王馬は決めたのだ。
「受けて立つわ——《風の剣帝》」
そして、ステラは絶対にその勝負から逃げはしない。
解っていたからこそ出来た策、肝心なところで人任せとなる不安定な策略。運の要素が絡む不完全な強さ。
以前の王馬であれば、唾棄して然るべきものだったはずだが。
——今は何故だか。
(爽快感すらある……!)
海流の剣と光熱の剣。
二つのぶつかり合いはしばし続き、そして拮抗することなく。
——両者とも、消滅した。
残ったのは海水が蒸発して生まれた大量の水蒸気だけであり。
リング内の状況は全く見ることが出来ず。
その中央で、王馬とステラは向かい合っていた。
「……どういうつもり。撃ち終わりの隙を狙ったなら、アンタに勝ち目があったはずよ?」
王馬は応えず、ただ笑みを深める。
彼はただ、刀を構えるのみであった。
その様子に、ステラはようやく合点がいった。
そして、この男の筋金入りの馬鹿さ加減に呆れ果てたような顔を浮かべつつ——内心では、それでこそ……とも思ってしまう。
——黒鉄王馬は、この期に及んで小細工による勝利を放棄する。
しかしそれは、人間の力の否定ではない。
「ここで貴様に勝ったとしても、“この俺”では“愚弟”に勝つことはできないだろう」
王馬の予測。それは恐らく、現実のものとなっていただろう。
確かに王馬は策を以ってステラを追い込み、勝利寸前まで辿り着いた。
だが、相手がステラではなく。たったいま王馬が使った人間の力を、生涯磨き続けた男が相手だとすれば。
——敗北は必至となる。
王馬の経験値では、一輝の洞察眼を超えることは出来ないだろう。彼も成長し続ける以上、その差は永久に埋まらないかもしれない。
しかし、いざその時が来てしまえば軌道修正など出来はしない。ここでステラに勝ってしまったならば、王馬は間違いなくその力に魅入られてしまっていた。
その力を、使わずにはいられなくなってしまうだろう。
「ああ、この力は偉大だ。認めるより他ない」
人の身で怪物を倒してしまうのも無理はない。
強く、誇らしく、輝かしい。その力は希望そのものであり、燻っていた王馬の“可能性”までも引き出してくれた。
どんな時でも、これさえあれば……と、頼ってしまう。
だが。
「——これは、俺の目指す強さではない」
そう理解してしまった以上、王馬は掴みかけた勝利よりも信念を取る。世間であれば、馬鹿な男と笑うだろう。
しかし、こんな男だったからこそ、“強さ”を手に出来たのだ。
それに王馬は、何も人間の力を捨てた訳ではない。
ただ少し、考え方を変えただけだ。
「“鍛え上げ、脅威に備える”のは人間だけだ。それが……俺の導き出したチカラだ」
神話の怪物は、身体を鍛えたりはしない。技を磨くこともない。魔術を磨くこともない。
彼らにとって闘争とは突発的に引き起こるものであって、痛い目を見た経験を教訓にすることはあっても、鍛錬など行う訳がない。
ならば、来たる決戦のために己を高みへ押し上げるその行為は——まぎれもなく、人が持つ特性の一つである。
数多存在する物語の中には、そのような者も居たはずだ。生まれ持ったものか、鍛錬により後天的に手にしたものかの違いはあれど、確かに存在したはずだ。
剣を持ち、槍を携え、あるいはその拳によって——竜をも打倒する英傑が。
人のまま、人智の及ばぬ怪物に真っ向から挑む大馬鹿者達の姿こそが、王馬の目指すべき英雄であり。
それを自覚してしまった王馬は、もう止まれない。
「——必ず、貴様を超えてみせる。このちっぽけな……人の身のままで!」
既にビジョンは見えている。
《月輪割り断つ天龍の大爪》と《天壌焼き焦がす竜王の焔》がぶつかり合ったとき、一瞬とはいえ確かに垣間見た。
自身を地の底へ縛り付ける——黒い鎖の存在を。
*****
七星剣武祭準決勝第一試合の結果は、ついに覆ることはなく。《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンの勝利に終わった。
終わってみれば、ステラは全くの無傷。
試合前と変わらぬ姿のまま、リングを後にした。
しかし、この結果を前にしても尚……彼女の完勝と言い切る者は少ないはずだ。
「——まさか、オウマちゃんがあそこまでやるとは……」
「ああ。どうやら以前、誰かさんにせっつかれたのが効いたようだ。なぁ、佐々木。……佐々木?」
「おいおい、どうしたんだよ色男。気分でも悪ぃのか?」
小次郎は頭を押さえたまま、リングを見据えていた。いや、まぶたこそ開いているが、果たして目の前が見えているのかは怪しい様子で。
彼女達が訝しむのも無理はない有り様だった。
「いや……。いや、どうということはない。ただ少し」
ステラの姿——竜となった彼女の姿を見たとき。閉じていたはずの記憶の蓋が、僅かばかりにこじ開けられ。
「——少し、昔のことを思い出していた」