落第騎士の師匠《グランドマスター》   作:Wbook

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偶然の女神

 ——復讐の聖女。

 

 竜の魔女と化した聖処女による、祖国へ向けた正当なる報復。偽典でしかなく、現実に起こり得るはずもないそれが形を成したとき、人理は揺らぐ。

 数多のワイバーンが空を覆い尽くし、人を攫い。時に現れる竜が人を、街を、国を焼き払う。

 邪竜の軍勢による絶対の蹂躙。

 

 それすなわち——邪竜百年戦争である。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「結局、王馬ちゃんは最後まで王馬ちゃんだった訳か。勝てない勝負じゃなかったってのに……。確かにアレは“闘技者”ってより“求道者”だねぇ」

 

 

 目先の勝利など捨ててやると言わんばかりにステラと真正面からぶつかり合い、そして砕け散った。

 

 一度は勝利の為に、自身の実弟である黒鉄一輝と同じ力に手を伸ばした。

 それは彼の中では革命に近い変化であり。限界に近かった身体でステラを抑えるべく引き出された底力は、一時的とはいえ彼の“最果て”に至らんばかりの勢いであった。

 

 しかし彼は、それを自らふいにする。

 

 強さに拘るあまり小さくなっていた視野を広げ、王馬は自身の力を押し上げたが、その本質はまるで変わりはしなかった。

 見据える範囲は広がったとしても、その方向までは変えられなかった。

 

 彼はこのまま王道を突き進むだろう。——その手が、頂へと届くまで。

 

 

「奴が筋金入りの頑固者なのはよく分かった。なんだかんだと言いつつも兄弟だな。少し方向性が違うだけで大差無いときている。どちらも馬鹿者なのは確かだ」

「ああ、大馬鹿さね。ウチやジジイとおんなじさ。当然、そこの侍も」

 

 

 フラッシュバックから立ち直り、普段と変わらぬ佇まいを取り戻した容顔美麗なる剣士……佐々木小次郎は、肯定を示すように俄かに笑みを浮かべる。

 

 

「なぁ、色男。アンタもステラちゃんには勝ち越してるんだろ。——アンタなら、今のステラちゃんをどう制するのか……興味があるんだけどねぇ?」

 

 

 成長を遂げたステラの力は、小次郎が破った中では最も格上である《隻腕の剣聖》ヴァレンシュタインすら力ずくで叩き潰すだろう。ヴァレンシュタインに勝ち目が無い訳ではないが、ステラの能力ならその程度はこなすはずだ。

 

 そのステラを前にして、小次郎はどう動くのか……寧音だけではなく、黒乃や南郷にとってみても興味深いものであった。

 

 

「ふむ。皇女殿が相手であれば……そうだな」

 

 

 別に勿体ぶる訳ではないが、その言葉が寧音の希望に沿ったものでは無いと解っていたが故に言を濁す。

 そして、少しばかり考えた後に出した答えは。

 

 

「——別に、どうともせぬよ」

 

 

 確かに、彼女の期待したものではなかった。

 

 小次郎は一輝と同じく伐刀者としての才を持たない、この世界でも稀有な強者だ。或いは、彼等以外には存在しない可能性も高い。

 だからこそ、彼等の戦術は似通うはずだ。

 

 小次郎がステラを攻略する所業はすなわち——一輝がステラとの試合をどのように戦うか、その予測であると考えたのだ。

 

 そのため、小次郎の答えは期待外れでしかなく。

 それどころか、すぐには理解の及ばないものであった。

 

 

「どうともしない……とは、どういうことだ、佐々木?」

「どういうことも何も、言った通りのことよ。確かに皇女殿は“竜”なのだろう。その膂力は並の怪物とは比べ物になるまい」

 

 

 しかし。

 

 

「卵から孵ったばかりの雛では、たかが知れる。羽ばたき方も知らぬうちならどうとでもなるというだけの話だ。——ファヴニールほどでは無いであろうよ」

 

 

 なるほど……と、納得できる部分もある。

 ステラはまだ自身の力を目覚めさせたばかりで、完全に制御が出来ていない。その真価を発揮するにはさらなる研鑽や経験値が必要となるだろう。

 

 あくまで、小次郎は正面から自身の技量を以って打倒する。

 ステラの“暴力”は確かに驚異的だ。しかし、飛び抜けた“技”というものは度々“暴力”を駆逐する。

 小次郎はまさに、その飛び抜けた“技”の使い手であった。

 

 だが、どうしても聴きなれぬ名詞が一つ。小さな声ではあったが確かに。

 

 

「ファヴニール……ってのは、何のことだよ? もしくは誰のことだよ?」

「……確か、ニーベルンゲンの歌で英雄ジークフリートに退治される悪竜の名前だったか。どうしてその名が出てくる、まるで“戦ったことでもある”かのような言い方だったが……」

 

 

 無論、本当に戦ったことなどあるはずはないが……と、黒乃。

 まさか、この侍が事実として何処かの世界で悪竜を相手に立ち回った“記録”を持つとは知るはずもなく。

 

 

「いや何、聞き覚えのあった中で強大な竜の名を出したまでのこと。……しかし、竜種が居ないとも限らぬだろう。この世の全てを解き明かしたわけでもあるまい。人の世と化した現代においても居座り続ける物好きが居るやもしれぬぞ?」

 

 

 小次郎が言うところの竜種が肉体を持って現存している可能性は限りなく低いが……ここが異世界である以上、断言はできない。

 

 半ば本気で口にしたように思える小次郎の様子に、周囲としては真贋が怪しく思えてくる。

 そもそもが正体不明であると言うのに、いちいち思わせ振りな態度や言動で掻き乱してくるため黒乃達からしてみると非常にたちが悪い。

 

 小次郎はその様子に苦笑を漏らし。

 

 

「戯言故、気にすることはない。ただ……」

 

 

 誰が意図した訳でもなく。伝承に記された史実、ましてや幻想ですらないが、それは確かに現実として起こり得た結果である。

 彼は、その剣戟によって偉業を成し遂げた。

 

 

「——竜殺しには、些か自信があるのでな」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「ふむ。やはり予測は正しかったか……」

「……改めて見ても末恐ろしいのぉ。以前立ち合った時より更に洗練されておる」

 

 

 《凶運》紫乃宮天音。

 彼の持つ《過剰なる女神の寵愛》は、自身に都合の良いヒューマンエラーを偶然に引き起こすことすら可能な強力な因果介入だ。

 間合いを詰めようにも足を挫き、あるいは滑らせ。魔術を使おうにも演算が狂い、不発に終わる。

 

 しかし、達人たる一輝には通用しない。

 天音の攻撃を躱しつつ徐々にその距離を詰めていき、既に何度も彼の身体に傷をつけている。

 

 天音のそれは、弘法に筆を誤らせ続けることの出来るもの。達人であっても人間である以上ミスを犯す。だが、それを苦にしないのが達人だ。

 弘法大師が筆を投げつけることにより足りなかった“点”を付け加え、修正したように。

 

 一輝もまた、エラーを修正し続けているのだ。

 

 天音の幸運だけでは、一輝の必然を躱し切れない。

 偶然は不確定だが、必然とはつまり……絶対に等しいのだから。

 

 

「幸運なだけで逃げ切れるほど、あやつの剣は鈍ではないぞ。悪童よ」

 

 

 小次郎にしてみれば、この結果は当たり前でしかない。

 一輝の刃はいずれ天音の身体に届き、斬り捨てる。幸運という以外に引き出しを持たない天音ではそれを覆すことは出来ない。

 

 しかし小次郎もまた、天音の《凶運》を見誤っていた。

 

 その直後に彼が“望んだ”願いは、凶悪そのもの。生命活動のエラー……強制的な心停止であった。

 

 如何に一輝と言えど心臓が動いていないのではどうしようもない。天音の考えは実に正しく、一輝は地面に膝をついている。

 勝利を確信した彼は余裕を持った足取りで一輝にトドメを刺しに向かった。

 

 ——それすらも、一輝は凌駕していたとは夢にも思わずに。

 

 《比翼》の剣技を習得した一輝の身体操作のレベルは、もはや自力で心筋を動かせる領域に至っていた。一度動かしてしまえば、あとは心臓本来のセーフティによって機能は復元する。

 

 《過剰なる女神の寵愛》は、この時点で無効となっていた。

 

 命を奪うという究極の因果干渉が覆された時点で、女神は勝利を諦めた。どのような幸運が訪れたとしても、天音では一輝に勝つことは出来ない……と。

 その証拠に、天音は一輝の一太刀で致命傷を受けていた。

 

 因果の改変など既に無意味であり、勝敗はついに定まったのだ。

 

 程なくして一輝の勝利が宣言される。

 試合は、あくまで小次郎に言わせればだが、順当な結果で幕を閉じた。

 

 

「心の臓を止めるか、行き過ぎた幸運というのも馬鹿に出来んな。そして、一輝も見事なものよ。止まったソレを再び動かすとは……やはり私は頭が硬い。そのような発想は浮かばなかった」

「普通は思いついたところで出来ないんじゃがのぅ。……お前さんは案外やってしまいそうじゃが」

 

 

 身内の勝利である。気が緩むのも仕方ないだろう。

 観客席という、戦いの舞台から離れた位置に居たことも要因の一つだろう。

 四人の伐刀者は、その決定的瞬間を見逃した。

 

 ——天音から立ち上る“黒い炎”。それに初めに気づいたのは、選手である《無冠の剣王》であった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「——危ないッッ!!」

 

 

 最初に標的となったのは主審であった。

 幸いにも危機を察知した一輝の手で救い出されたが、依然として事態は緊迫している。

 

 天音の身体から出現した、黒い炎の腕。

 

 黒い腕が通り過ぎた場所は風化し、ボロボロに崩れ落ちていった。

 それは留まることなく、緩やかな速度ではあるが確実に範囲を広げている。

 

 天音は能力の使用法を切り替えたのだ。

 

 今まで彼は、自身の能力……その副次効果のみを使っていたような状態に等しかった。それだけでも十分に強力であったために。

 しかし、今の彼は違う。《過剰なる女神の寵愛》の力を集約し、強制力を最大限に高めたのだ。

 

 黒い腕はまさに死神の手。——方法も過程も無視して、ただ“死”という結果だけを押し付ける代物だ。

 

 

「ちっ、最悪だ。対応が遅れた……!」

「ウチが行く、くーちゃん達は観客を守って——」

 

 

 生徒を守るため、形振り構わないと二人は決めた。既に勝敗が決している以上、介入することに問題はない。

 すぐさま寧音は観客席を飛び出そうとするが。

 

 ——それを、阻む者が一人。

 

 

「割って入るというなら……悪いが、通す気はない」

「なんの真似だ、色男! 返答次第じゃこの場で潰すぞ……!!」

「なんの真似……とは、こちらの台詞だな。——弟子の喧嘩だ、無粋な横槍は無用に願おう」

「はぁっ!? こんな時になに馬鹿なこと言ってんだい!?」

 

 

 小次郎の言葉は、あまりに非常識であった。

 

 寧音も黒乃も戦う者である以上、彼の言うことは理解できる。しかし、状況はそれを許さない。

 いま一輝に迫っているものは“死”そのものだ。

 試合に勝利した彼に、あれを止める義務など有りはしないと言うのに。

 

 

「馬鹿はそちらであろう。……見よ、あの面構えを。アレが勝負を投げた男の顔に見えると言うなら、そなた達の目は節穴よ」

 

 

 直後に巻き上がる魔力の奔流。

 

 《一刀修羅》。自身の全てをたった一分に委ねる伐刀絶技。

 生命の発露と呼ぶべき蒼き燐光は、こちらの不安など全て消し飛ばすかのようで。

 

 

「あやつは最後まであの悪童に付き合うつもりだ。それならば、こちらに手を出す権利など無い」

「黒鉄……あの大馬鹿が……!」

 

 

 黒乃が歯噛みする気持ちも分からないではない。一輝の行動はどう考えても愚か者のそれでしかないのだから。

 ここで死ねば、魔導騎士になる夢どころか、人生そのものをドブに捨てることとなると言うのに。

 

 

「その大馬鹿者に余計な負担を掛けないために動くのがワシ等の役目じゃろうて。……小次郎くん、無論手伝ってくれるのだろう?」

「構わぬとも。私では、せいぜいアレが迫っている者達を背負って逃げることしか出来ぬがな」

「十分じゃ。お前さんに背負われたなら滅多なことでは死なぬじゃろう」

 

 

 男達二人には、通じ合うものがあったようだ。

 彼らは生粋の武人であり、魔導騎士——小次郎は正確に言えば騎士ではないが——としての色が女達二人とは少しばかり違っていた。

 

 古めかしい……言うなれば、ホコリを被った師弟の観念。

 現代にもそれに通じるものはあるが、それを徹底する者は珍しい。

 

 その少数派こそが、この二人であった。

 

 

「……あー、ったくもう。なんかあってもウチは知らねえからな! 行こうぜ、くーちゃん」

「今回ばかりはお前と同意見だ。ちっ、馬鹿男どもめ……」

 

 

 この二人とて、彼らの言うことが分からない訳ではない。

 干渉できないと言うのは全くもってもどかしいことではあるが、そもそもそれを望んだのは一輝本人だ。

 

 邪魔立てするわけにもいかなくなってしまった。

 

 

「やれやれ……しばらくはぐちぐち言われそうじゃなぁ……。ワシらも行くか、小次郎くん」

「そうだな、ここで油を売っていても仕方なし。一働きするとしようか」

 

 

 小次郎は、その場を離れた。観戦より、約束させられた観客の保護を優先するためだ。

 既に小次郎の目はリングへは向いていない。

 何故なら、彼は微塵も疑ってはいないからだ。

 

 自身の弟子を名乗る騎士、《無冠の剣王》黒鉄一輝の勝利を。




少なくとも我がカルデアでは……。

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