要するに——刀身に歪みなし。全くの無傷での勝利である。
※H29.6/3…修正を加えました。
この戦い、最後まで理解し通した者が一人いた。
高い技量のため……ではない。無論低い訳ではないが、あの場に集った者達の中で言ったなら、純粋な体術の技量において最も格上は《無冠の剣王》黒鉄一輝であった。
彼女はその能力の性質故に、その“怪奇現象”の正体を察することが出来たのだ。
——《世界時計》新宮寺黒乃。
彼女は時間を操り、それ故に空間……ひいては次元にも通じる。
“世界”という、唯一無二の表現が当てはめられた彼女の能力は伊達ではない。“並行世界の運営”などという埒外の性能は無くとも、その歪みを見破る程度は出来る。
「なあ、くーちゃん。……あいつ、ほっといても良いのかよ」
消耗した今ならば……《夜叉姫》西京寧音は、暗にそう言っていた。
彼女もまた、世界の頂点に位置する《魔人》の一人。たとえエーデルワイス以上の剣客であっても、黒乃と協力したなら捕らえることは可能と、彼女は判断したのだ。
小次郎は自らが斬ったエーデルワイスを抱え、何処かに姿を消したが、今ならば追いつけるだろう。
彼女とて、無粋は百も承知である。気が向かないというのも事実だ。
しかしそれ以上に、佐々木小次郎という剣士に脅威を感じていたのも確かで。そのうえ、今ならエーデルワイスという大きなおまけが付いてくる。
「……手は、出すな。絶対にだ……」
「くーちゃん?」
黒乃は身体を小刻みに震わせ、顔を真っ青にしていた。
「お、おい……くーちゃん。どうしたんだよ?!」
全身にびっしりと冷たい汗を流し。
「剣技とは……“技”とは——極まると、こうまで理解し難いものになり得るのか……?」
《比翼》と名無しの剣士の決闘。その決め手となった《燕返し》。
誰もが“魔剣”のカラクリを見抜こうと頭を働かせたが、如何あっても見当がつかなかった。しかし、魔力も使わずに剣が三つに増えることなど有り得ない。
では、アレは一体……それこそが間違いであるとも知らず、知恵を巡らせた。
——この、新宮寺黒乃を除いて。
「あの刀は、“実際に増えていたんだ”」
「くーちゃん、さっきから何言って……」
「増えていたんだよ、寧音!」
学生の折からの親友。元はライバルであった騎士のあまりの剣幕に、寧音は狼狽えた。
一体黒乃は何を知ってしまったのか……尋ねるまでもなく、彼女は語り始める。
「……呼び込んだんだ……」
「はぁ? 呼び込んだって……何をだよ?」
「呼び込んだんだよ、あの男は!」
なんの能力も用いず。真実、自身の技量だけで。
「——“並行世界に存在する、自身の斬撃”をっ……!!」
《燕返し》が放たれた瞬間は、刀は本当に三つ存在していたのだ。
だからこそ不可避。だからこそ必殺。あの剣技にカラクリなど、はなから存在しなかったのだ。
「……なんだそりゃ。意味、わかんねえんだけど……」
「私にだって分かるものか……!」
しかし、あの時起こった現象だけは理解できた。その過程はともかく、結果だけは。
「“多重次元屈折現象”……とでも、呼べばいいのか……」
それは黒乃にとって単なる造語でしかなかったが、込められた意味に誤りはなかった。
「エーデルワイスがただ同時に見えるだけの連続剣に敗れたとは思っていなかったが……あの侍、怪物にも程があるぞ……」
「むつかしいことは分かんないけどさ……つまりアレか。あの色男、自力で刀を分裂させたってことかよ?」
「そうだと言っている」
ぶっきらぼうに応えた黒乃に、寧音は訝しげな視線を向ける。
ある意味、それも当然のことで。魔力の通わない神秘とは、この世界ではそれほどまでに受け入れ難い現象であった。
「……いや、ねーだろ。くーちゃんの勘違いじゃねえの?」
「私がその手のことで見誤ると思っているのか、馬鹿者。……認めろ、あいつは私達の理解を超えている」
理解出来ないといえば、エーデルワイスや一輝の技術もどのようにして可能にしているか想像も付かないが、小次郎のそれとはまた違う。少なくとも、その理屈は看破できるのだから。
剣が三本に増えたことが問題なのでは無い。それを、魔力も使わずに成し遂げた事実こそが逸脱しているのだ。
「……なんつーか、生まれる世界間違ってんだろ絶対……」
それはエーデルワイスにも言えることだが、人はそう簡単に音速で動いたりはしない。増してや、剣を分裂させたりはしない。
伐刀者としての能力を使ったなら可能かもしれないが。
「ともかく、あいつの正体はなんであれ——その真実を知ることは出来た。変に刺激して暴れられても敵わん」
「ただの剣技を以ってして“伐刀絶技”の域にまで至った《魔人》……か。まあ、今のところ無闇矢鱈と勝負をふっかけるでも無し。大人しくしてるっちゃあ大人しくしてる訳か……」
そうでなければ今頃、死体の山が積み上げられていただろう。動きが知られやすい表の世界の強者ならば尚更だ。
アレを倒そうとするなら、相性にも依るが正攻法は無謀に近い。搦め手に優れた人物であっても、腕が釣り合わなければ《覚醒》に至っていることも後押ししてソレごと叩き斬られるだろう。
やるなら、小次郎のスピードでも逃げ切れない程広範囲の飽和攻撃。それも範囲から逃れる他に躱す手段が無い類のもので無ければ意味がない。
弾幕や超大剣の形態を取るものは掻い潜られる可能性が残るからだ。
「しかし、そうまでする必要は無い。実質的な被害はゼロ……どころか、《同盟》も《解放軍》も奴には煮え湯を飲まされている。連中とて、少なくとも今すぐ佐々木を仲間に引き入れようなどとは思わない。そして——今回の一件も、公になることはないだろう」
正真正銘、佐々木小次郎という人物はこの世界の頂点の一人となったが……《連盟》としては、それを知られる訳にはいかない。
何せ、自身の無能を晒すことになり、統治の不完全を疑われる。——あんな埒外の剣士を、今まで自国で首輪もつけずに放し飼いにしていたのか……と。
小次郎は、エーデルワイスに勝利してなお……無名の剣士のままであった。
どうあっても隠し切れない破壊活動の成果が、無名の伐刀者一人の首では世間は納得しない。
だからこそ、《連盟》がいま小次郎に手を出す可能性はあり得なかった。
「つってもさぁ……ただじゃあ済まねえだろ、あいつも」
しかし、何事も今まで通りとはいかないだろう。
有象無象にとっては単なる浪人でしか無くとも、世界最強の剣士達が放つ荒れ狂う剣気の嵐を物ともせず、あの場を訪れた者達……そして、その背後に君臨する支配者達にとっては違う。
あの決闘はまさに、彼らにしてみれば世紀の瞬間であった。
「……私はもう引退した身だ。この先は、お前に任せる」
「……あいよ。やれやれ、この歳で追っかけじみた真似をすることになるとはねぇ……」
人の口に戸は立てられない。漠然としたものであっても、《比翼》の敗北はいずれ広まる。そして、彼女を上回る何かが居ることも。
噂の域は出ず無名のままであっても、かの《魔剣士》の存在は知れ渡る。
それにより、この先の世界がどのように動くのか。
「——見定めて、やろうじゃねえか」
*****
「なにそれ!! イッキずるいわよなんで起こしてくれなかったのよ!!」
小次郎とエーデルワイスの決闘の後。興奮覚めやらぬといった状態の一輝ではあったが、戦いが終わるとともに気力を使い果たして倒れた珠雫のために、すぐにその場を後にした。
本来あの場に居られるのは、一部の強者のみ。《白衣の騎士》は流石というべきか、平然と剣気を受け流していたが、珠雫はその基準に満たなかった。それでも傷だらけの一輝のことを想い、尋常ならざる覚悟で耐えていたのだ。
しかし、それも限界であったようで。
キリコとともに珠雫を連れ帰った一輝は、治療を受け。隣に寝ていたステラが目を覚ますと、事のあらましを話したのだ。
結果、非難轟々。胸ぐらを掴まれ前後に激しく揺らされている。
「で、でも……ステラは大怪我してたし……!」
「自分で斬り倒したくせに何言ってるのよ!! だいたい知ってたら内臓飛び出したって行くわよ!! カロリーメイト食べながら!!」
流石に無茶だと思った一輝だが、目の前の少女は竜。案外、やってのけるような気もした。
回復に使うカロリーを摂取したなら、多少の大怪我——矛盾する言葉だが——は苦もなく治癒してのけるだろう。
「く、悔しいわ悔しいわ! なんだってその瞬間に私はのんきに寝こけてたのよ!!」
剣客として、ステラの気持ちはよく理解できた。
少しばかり首の骨が折れそうなほど力が強くなってきたが、問題ない。最悪、再生槽にとんぼ返りする程度で済む話だ。
「……あの侍。本当に世界最強になったのね……」
騒いでいたステラの動きが、ピタリと止まり。
憂うような……しかし、確かな闘争の香りが匂い立つ複雑な顔を浮かべていた。
「アタシは間違いなく強くなった……今度こそ、あの男を驚かせてやる。そう……思ってたんだけどなぁ」
頂点は、いまだ遥か彼方にあり。
「……それは、僕も同じだよ」
いや、あるいは小次郎を目標としていた一輝の方が。
《比翼》の剣技を我が物とし、《七星剣王》にまで登り詰め——驕っていた。つけ上がっていた。
仮にこの独白を他者が聞いたなら、何を言うかと否定するであろう。しかし少なくとも、一輝自身はそう思っていた。
「僕たちはまだまだ弱い……。これでは、あの“魔剣”には届かない」
「……秘剣《燕返し》。イッキでも解らないの?」
「解らないさ、僕が簡単に見破れる程度ならエーデルワイスさん相手に必殺はあり得ない」
エーデルワイスは一輝を超える剣士だ。一輝もまた超人ではあるが、彼女の域にはいまだ及ばない。
実力も経験も、何をとっても劣るというのが現状だ。
「……でも、そうなると分からないわよね……。イッキの話だと純粋な技量においてはコジロウが先を行くとはいえ、決定的な差はないのでしょう?」
「うん、だから小手先の技は通用しない……はずなんだ」
「だったら……アレは単純に剣技ということになるのよね。——案外、タネなんて無かったりして」
ステラとて、不完全とはいえ《燕返し》を目撃した一人だ。頭を巡らせたのは彼女とて同じ。当然、答えは出なかったのだが。
そして、彼女に遅れたとはいえ完全な《燕返し》を見た一輝とソレで敗れ去ったエーデルワイス。体技という面では間違いなく世界最強クラスの二人の目を欺ける技などあるのか……ステラにはそれが信じられなかった。
であるなら、実際に三本に増えていたと言われる方が余程解りやすく。
「目の前で受けた《比翼》はともかく、全体図を見通した一輝にも見抜けなかったのなら……そりゃあアタシだって本当に分裂してるとは思わないけど、増えてるも同じじゃない?」
何のヒントも無しに限りなく核心に迫るステラ。
これは竜たる彼女の本能が導き出した答えであり、理性で戦う一輝のような騎士には計り知れない感性であった。
「……なるほど。タネなんて関係ないってことか。はなから三本あるものと考えて挑めば、何ということもない」
無論、口にしたほど簡単な所業ではない。大半は、強がりにも似た台詞。——しかし、不可能とまで思っていないのも事実。
魔剣に如何なる仕掛けがあったとしても。それは一輝が小次郎に追いつけないという証左ではない。
小次郎の《燕返し》は、彼の間合いで放たれたなら確実にこちらの命を刈り取る必殺剣だ。少なくとも、今の一輝には破れない。しかし、技である以上対策は取れる。
理性で考え過ぎるあまり。神がかった剣技に気を取られるあまり、その単純な“解”を見失っていた。
未熟は百も承知であったはずだ。
それでも……今はまだ遠くとも。遠いという理由だけで諦めるのは黒鉄一輝を、自身を否定することに他ならない。
彼はいつだって、自身の可能性を諦めず、信じ続けてきたのだから。
険しく歪めていた眉間に、柔和なものが戻る。
「その通りだ、ステラ。確かに師匠の秘剣は見切れなかった。けどだからって、必ずしも勝てないわけじゃない。こんなことも失念してしまうだなんて……まだまだ僕も未熟ってことかな」
「別に、大したことじゃないのよ。私にとってはイッキの剣だって、理屈は分かってても実行するのは不可能な魔術みたいなものだから」
視点が違っていたのだとステラは語ったが、それでも一輝は改めて目の前の少女に敬意を抱き。そして、彼女と戦い勝利したことを改めて思い出した。
「光栄だよ、君にそう言ってもらえて」
「当然でしょ。アタシに勝った騎士なんだから。——イッキはアタシの、“一番”なんだから」
はにかみながら告げられた言葉に、一輝の思考はショートした。今の一輝の頭からは、魔剣がどうのとか小次郎がこうのとかは綺麗に消失している。
いま彼の頭の中にあるのは、目の前の少女のことだけであり。
——その後、長い夜が訪れた。
*****
「——ここ、は?」
月明かりに照らされた一室。清潔感の漂う内装、真っ白なシーツが掛けられたベッドが、この場が病室であることを理解させる。
彼女もまた、隣に並ぶのと同じようなベッドに寝かされていた。
頭は然程寝ぼけていない。それほど長い間、昏睡していた訳でもないのだろう。
壁がけの時計を見れば、日付が変わり深夜を迎えた程度の時刻……あれから数時間と言ったところか。
「存外……優しい方なのですね、彼は」
斬ったなら、そのまま打ち捨てられるもの……と。そのまま、人生を終えるのだと思っていた。
「——別に、そなたでないなら捨て置いたとも」
「!」
窓枠に腰掛けるように佇み、彼は盃を傾けていた。
「……居たの、ですか」
「おうさ。居たとも」
無名の剣士、佐々木小次郎。
彼は、エーデルワイスの知るものと同じ、趣きある笑みを浮かべていた。