H29.6/3…加筆修正。
「あの後、月影殿を頼ってな。そなたをそこらの病院には入れられまいて」
エーデルワイスは、捕えることを放棄されたとはいえ犯罪者とされる人物であり。そのような彼女を一般の病院に連れて行くのは、少々思慮の浅い行為と言える。
故に小次郎は彼女と親交があると思しき月影のもとを訪れた。
結果として、それは功を奏する形となり。
彼女はつつがなく再生槽により治癒を受けることが出来、一命を取り留める。
“小次郎が信頼する医師”の診断でも、魔力と体力の消耗以外は健康そのものとされた。
——ただ一つ。
「……傷」
ただ一つ、左肩から右脇腹に抜ける形で残された刀傷。《燕返し》の三の太刀。本来ならソレは左右への離脱を阻む払いだが、エーデルワイスが最後まで回避すべく動いた結果、袈裟がけの軌跡を描いている。
再生槽を以ってしても消すことが出来ず、日本最高の医師の診断でも自然治癒は絶望的とされた爪痕。
「……迷信ですが。何かしらの強い情念を込めて付けられた傷は……消えないと聞きます」
「すまぬ。そのような傷を、女人の肌に残すつもりはなかったのだが……それは間違いなく私が付けたもの。言い逃れはせぬよ」
沈痛な面持ち……とは言い難い。自身がそれを悼むのは筋違いであると、小次郎は小さく頭を下げるだけであった。
それ以上は必要ないとも思っていた。未婚の若い女性に対して、醜い傷を刻むなど彼の流儀には反することだが、エーデルワイスとて戦いに生きる者。ある程度は覚悟しているはずだ。
そんな彼の考えを知ってか知らずか。ぶっきらぼうな謝罪を受け取ると、エーデルワイスは病衣から覗く傷跡に手を伸ばし、指でなぞる。
「……なぜ、そなたは微笑む。気分の良いものではなかろう」
「いえ、そうでもありませんよ。ただの傷であったならともかく——それほどに、貴方が私を想って付けた傷なのでしょう?」
そう思うと、不思議と悪い気分はしなかった。肌に傷……というのは、女性としての目で見ると確かに忌々しい。しかしエーデルワイスはただの女性ではなく、剣客である。
今の今まで彼女に傷をつけられる者が居なかっただけで、いざ付いたとなればそれもやむなし。増してや、それが彼の手で付けられたのなら尚のこと。
「——好敵手の刃。この身に留めておくのも悪くありません」
付け加えて、絆めいたものを感じている……などととは、奥手な彼女からは言い出せず。本心は濁して伝えてしまう。
しかし、それで良いのだろう。
「貴方が私を救ったのは……そういうことでしょう?」
無論。とばかりに彼は頷き。
「——そなたは、無くすには惜しい難敵故。命を拾ったなら、この先も……そう、望んでしまったのだ。剣士としては、少々未練がましい話だが」
剣士とは一瞬の命のやり取りに心血を注ぐもの。それを二度三度と求めるのは、潔しなどと言える訳もなく。
それでも世界が変われば、時代が変われば、道理もまた変わるもの。
そう、自身に言い訳をして主義を曲げてでも生かしたくなった。
「一輝と皇女殿のような関係に、年甲斐もなく憧れたのだよ」
互いに切磋琢磨し、より高みへと駆け上がるその姿の……なんと輝かしきことか。
アレこそは剣客が、闘争に身を置く者が望む最高の果たし合い。求めて止まない、理想像。
そしてそれは、拮抗し、尊重し合える相手が居てようやく成立するもの。
「そなたであれば。そなたとなら、高め合えると心底から理解したのだ。ふっ……儘ならぬものよ、最も斬りたい相手が最も殺したくない相手であるとは……」
一輝とステラもまた、このような心持ちで戦って居たのだろうか……と感慨に浸る。
倒したい相手ではあるが、打倒してしまえばそこまでだ。あの素晴らしい時間を分かち合った相手は消え去り、二度と会えない。
終生の好敵手と呼べる人物になどそう何度も出会えるものではないのだから、その虚無感は計り知れないだろう。
「それでも斬ろうというのだから、我ら剣客のなんと業の深いことか」
小次郎の口にしたそれは、自身のみを当て嵌めたものではなく。
「……そう、ですね。私も貴方と巡り会い、初めてソレを知りました。私もまた、罪深い者であると」
如何に慈悲深く、情け容赦を持ち合わせていようとも、エーデルワイスもまた剣士であった。
並び立つ存在を得た彼女は、やはり心根までも剣客で。
小次郎が口にした言葉に、ただただ同意する他なかった。
人斬りは悪である……それを自覚しながら、自身にとってかけがえの無い者すら剣の道として斬り捨てる。
その生き方は辛く儚く、そしてやはり正しいもの……所謂、王道ではないのかもしれない。
——しかし、それでも我らはその道に魅せられ、選んだのだ。
エーデルワイスは居住まいを正し、小次郎に向き直る。
「貴方の剣の深奥、確かにこの身で堪能させていただきました。その上で、“改めて”」
それは、決闘の折に声なくして交わされた言葉。彼女の確固たる思い。
「——次こそは、私が勝ちます」
その台詞に小次郎は思わず破顔する。
雅さを取り繕うことすら出来ず、彼は声を上げて笑ってしまうが……それも仕方がない。
彼女の発した決意は、まさしく彼の望んでいたものそのものであり。
「——出来るものなら、な」
我慢など、出来るはずもなかった。
*****
一輝とステラのような関係……という言葉に、高鳴った胸を悟らせなかったことは、自分でも良くやったと褒めてやりたい気分だった。
エーデルワイスは知っている。
あの二人は最強の好敵手であるとともに——最愛の伴侶でもあるのだ。
彼らのような関係を望む……それは、否応なく後者の関係を合わせて夢想させた。
初めて出会う、同等の男性。
剣士であると同時に、“女性らしく料理を嗜み、女性らしく甘い物を好み、女性らしく素敵な異性との出会いに憧れる”——一人の、女でもあった。
世界最強の称号……それは、彼女が望んで手にしたものではない。望まずとも、その手に収まったガラクタだ。
しかしこの度、そのガラクタが宝石となった。
それが誰のおかげであったか……言うまでもない。
(ササキコジロウ……)
自身を仕留めた秘剣の極意は、いまだはっきりと理解できない。剣が増えていたとしか思えず、しかし理性はそれを否定する。
ともあれ、それが一撃必殺の剣であることは明らかで。
——彼と自分の勝負を決定的に分けた、“趣深い”奥義である。
(いずれ、必ず——)
必ずそれを突破する。そう、決意を新たにした。
この“熱”を彼に伝えたい。しかしそのための言葉が浮かばない。
それでも、彼を繋ぎとめたい。彼の一番は、自分でなければならない。彼の全ては、自身に向けられなければ気が済まない。
この想いをどうにか伝えようと、エーデルワイスは口を開き。
「ササキ」
「——佐々木さん」
然して、それは阻まれる。
「貴方だって重傷だったのよ。魔力欠乏の症状も見られる。アルコールなんて以ての外です」
そう言って、小次郎の手から盃を取り上げる。
少女と言うには熟しており、女性と言うには物足りない。そんな、開花する寸前の花のような美しさを持つ彼女。
《白衣の騎士》薬師キリコ。
「薬師殿。今夜はすこぶる気分が良いのだ、多少の不養生は大目に見てはもらえぬか……?」
「ダメですよ。貴方が寿命寸前の老人か、末期ガンの入院患者なら考えなくもありませんが、健康優良児なら話は別」
病室には限りがあり、キリコの手は二本しかなく、彼女は一人しか居ない。
さっさと治る患者にいつまでもそれらを占領されては堪らない……と、彼女の目は雄弁に語っていた。
さしもの小次郎も、医師として在るキリコには逆らえず、なすがままといった風体であり。——エーデルワイスには、それが面白くなかった。
「……あの」
「ああ、エーデルワイスさん。貴方も目を覚ましたのね。今日のところは安静にしていてください。心配しなくとも、通報などしませんから」
何か一言。そう思いはしたが、素気無くあしらわれる。
「さあ、佐々木さんも病室に戻ってください。明日は一輝くんの祝勝会ですよ。貴方が行かなくてどうするんですか」
「そう心配せずとも、傷なら治って——」
「治っていると言ってもそれは傷だけ。体力の消耗までは回復できません」
深手こそ負わなかったものの、傷そのものの数で言えば圧倒的に小次郎の方が多かったのだ。
細かな傷ではあったが、数が揃えば侮れない。失血の量を考えれば重傷とも言える。なにせ、エーデルワイスとの戦闘に加えて、その後は彼女を担いで月影のもとに走り。その脚で取って返してキリコのところへ向かったのだから血も噴き出すというもの。
全力運動の繰り返しに出血多量では、英雄に匹敵する体力も流石に底をつく。神代の英雄や怪物に類する反英雄などとは違い、肉体を持つ純正の人類でしかない彼は、そこまでの消耗には耐えられない。
涼しい顔はしていたが、余裕があるというほどでは無かった。その結果、彼は当然。
「私をここに連れ去ってすぐに倒れたのを、忘れたとは言わせませんよ?」
ぶっ倒れた。それはもう見事に。抱えていたキリコを下敷きに床に突っ伏した。
「分かったらさっさと病室に戻って横になって下さい。それと、いちいちお姫様抱っこで誘拐するのはやめて欲しいのだけど。どこの王子様です貴方は?」
「お姫様抱っこ……!?」
突然声を上げたエーデルワイスに二人は思わず彼女の方を振り向いた。
「あ、い……いえ、なんでも」
「……へえ、“そうですか”」
クスッと笑みを浮かべたキリコの「そうですか」に込められた二つの意味——当事者たるエーデルワイスには手に取るように理解できた。
「とりあえず……佐々木さんは病室に戻ってください。明日の祝勝会で会いましょう」
ぐうの音も出ず、遥か年下の少女に言い負かされた侍は無言のまますごすごと退散する。盃を奪われ、少々恨めしげな視線を向ける程度が唯一の反撃とはなんとも情けない。
どこか超然とした雰囲気を醸し出していた彼は何処へやら。受肉して欲を出すのも、そういう意味では考えものである。
「さて……貴方も胸の刀傷以外は常識的な範囲の消耗ですから明日には退院できます」
キリコは根っからの医者であり、相手が彼女の患者である以上、彼女にとっては皆平等——病状による優先順位はあれど——である。
たとえそれが——たったいま見つけた面白そうなオモチャの類であってもだ。
「その後は、どうぞエストニアの霊峰へお帰りください」
どこか棘のある言葉ではあったが、それでいて微塵も不愉快そうでない辺りにキリコの本音は存在する。
「私は“彼”と、明日の祝勝会を楽しむので」
「……さ、ササキは貴女のような子供に粉をかけたりは……」
「あれ、私佐々木さんのことだなんて言ったかしら?」
「なっ!?」
「まあ、その通りなんですけどね。ほら、彼はあれで見目麗しいですから」
「〜〜ッ!?」
青くなったり、赤くなったり、終いには膨れてみたり。
何かしら言ってやろうという気概は感じるのだが、如何せん興奮のあまりボキャブラリーどころか言語が死んでいる。
浮世離れした美貌を持ちながら、いちいち表情を大きく変えるエーデルワイスは端的に言ってかなり……。
(面白いわね)
かなり、面白かったのである。
表情には微塵も出さず、心の中で密かに思うキリコ。その内心をどうやら読めていない様子の頭に血が上ったエーデルワイス。
キリコとてそれほど色恋沙汰を得意としている訳ではないが、エーデルワイスは年齢の割りに輪をかけて苦手としている様子。そしてキリコ自身は、小次郎に対して今のところ観察対象という以外の興味もサラサラ無い。
——となれば、ぜひ手伝ってやらねば。
「意地の悪いことを言うのはこの辺にして……どうですか、エーデルワイスさん。貴女も明日の祝勝会、来てみませんか?」
「え……?」
「貴女が居ることに不愉快を感じるような人は居ませんし、問題ないですよ。私の方から紹介しますから」
エーデルワイスにとっては正直言って渡りに船。捨てる神あれば拾う神あり。
しかし、話が美味すぎるのではないかという疑いも。
「私は医者ですよ。患者の精神面のケアも怠りません。心の持ちようは身体の回復にも影響しますから」
尤もらしい台詞ではあったが、エーデルワイスはこれを信じた。——否、信じてしまった。
「……あの、それではその……よろしくお願いします」
「ええ、任せてください。悪いようにはしませんから」
彼女はただ単に、面白いオモチャをそう簡単に手放したくなかっただけであり。
(さて、一輝くんに良いお土産が出来たわね)
——綺麗な笑顔の裏には、より一層素晴らしい
だからラブコメは苦手だと……。