落第騎士の師匠《グランドマスター》   作:Wbook

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其々の……

「ここに帰るのも、随分と久しい気がするな……」

 

 

 そこは、およそ人里とは呼べぬ山奥。そこに……ともすれば、寂れたようにも見える小屋がある。

 

 中天に浮かぶ月の明かりを除けば、星々の輝き以外には照らすものもなく。聞こえてくる音は、木々のざわめき、川のせせらぎ、虫の声、鳥の囀りに限られ。青々と生い茂った緑が、豊かな土が、濃厚な自然を香らせていた。

 

 男は一人、小屋の程近くにある……あつらえたような高さの石に腰掛け、杯を傾ける。

 

 月を見据え、風流に耳を澄ませるその姿は、和装も相まって時代を錯覚しそうになる。信条を体現するかのような風体……あるいはそれは、花鳥風月。

 

 風情がある……といえば、聞こえの良いほったて小屋。緑が豊か……といえば、長所にも思えるヒトの住まわぬ深山。

 男がそれらに囲まれた風景を絵画に閉じ込めたなら、一見の価値あるものに仕上がるだろう。

 

 全て、男自身が望み、そして叶えたこと。故に不満などあろうはずもない。……そう、不満は無いのだ。

 

 ——だというのに。

 

 

「ここは、こうも静かであっただろうか……」

 

 

 虫の声、鳥の囀りが酷く小さなものに思える。

 

 価値が落ちた……という訳ではない。この“世界”は儚くはあるが美しく、そして……この現代においては貴重なものだ。男が生きた時代を感じられる場所など、この時代においてどれほど残っているものか。

 男は、この場所を好いている。その気持ちに、一切の翳りはない。

 

 しかし。

 

 

「——狭い、な」

 

 

 ここには男が愛でるに足る花も、鳥も、風も、月もあったが……思い返せば、それしかない。

 

 いつも、男を心底楽しませてくれるものは外から来る。外にこそ……男を満たしてくれる歓喜がある。

 

 この山には——修羅が。竜が。剣聖が。不屈が。比翼が、居ないのだ。

 

 変わりのない箱庭は、いつの日も変わらぬ美しさを誇っているが……歓びを知ってしまった男には、酷く退屈なものであった。欲深な人の身は、どうしてもそれらに固執してしまう。

 人が……美味い食い物を、美味い酒を、上等な暮らしを、優れた異性を求めるのと同じく、剣士たる男は好敵手を求めていた。

 

 

「……それが解っただけでも、戻ってきた意味はあったのだろうな……」

 

 

 空になった盃に、なみなみと注がれる美酒。それを、再びあおる。

 

 たとえ自身の大欲を知ってしまおうとも、今はこの酒を……この鳴りを……この匂いを……この、月を。

 楽しもう。存分に、十二分に酔いしれよう。

 

 

「次は、いつになるのやら……」

 

 

 山奥での隠棲が、今の我が身にどれほど不向きなものかを彼は理解した。そして……闘いの中に身を置く彼は、都合よく次があるなどとは確信できなかった。

 男は間違っても無敵の戦士ではない。……死ぬ時は、それはもう呆気なく命を落とすだろう。

 

 ——来世になるやもしれぬ“次”を待つのは、些か徒労に過ぎる。

 

 故にいま、この刹那の彩りに重きを置くのだ。

 ひと時の休息の後には……新たな闘争を、強者を求めて世界を流浪するのも悪くはない。

 

 

「……そういえば、久方ぶりに仕事が来ていたな」

 

 

 世界というワードで思い起こしたのは、珍しい人物から届いた国外での“仕事”の依頼だ。

 

 以前、一度だけ警護の依頼を受けたのだが、その気持ちの良い人柄とあけすけな態度は好ましく。道中偶然に遭遇したテロリストを成り行きで制圧した際に腕を買われ、いたく気に入られたので記憶に残っている。

 熊か獅子のような出で立ちが印象的な大男で、それなりの技量を持つ戦士であることも見て取れた。

 

 どうやらお忍びの旅らしく、娘であろう小柄な女性の他には子飼いの護衛は数人しか連れていなかったのだが、立ち振る舞いから貴人であることは間違いない。

 偽名を使っていたため正体は不明だが、変装は比較的お粗末なものであったこともあり、調べようと思えばそれほど難しくはないだろう。まあ、調べようと思えば……ではあるが。

 

 

「まあ、明日で良かろう」

 

 

 所縁の薄い人物からの依頼だ。内容は気になるが、急ぎの用ではないだろう。

 少なくとも、晩酌を中断してまで見る価値はない。

 

 夜空の月を盃に写し、それを飲み干した男は気を取り直すように酒気の混じったため息を一つ吐き。空になったそれを満たすと、また月を眺めるのであった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 ズタボロの身体は、とてもでは無いが五体満足とは言えなかった。

 

 青年の四肢は人知を超えた膂力を誇り、魔力を計算に入れなければ、恐らくは純人類の中では最上位のものと思われ……彼自身も、そう自負していた。

 

 

「くっ……ふ、はは……これが、“奴”の言っていた、獣の力——人間の、限界かッ!!」

 

 

 まるで小山のような、そう評する他には無かった。

 

 眉唾ものの噂を頼りに未開の地へ脚を踏み入れた青年。彼の期待は、まさしくその小山にこそあった。

 驚くべきことに、この小山の主食は……本来であれば密林において最上位に位置する虎や象、熊だと言う。小山の食性を考えれば、偏食とも言えるが、巨躯を維持することを考えたならば無理もあるまい。

 そして、敵など有り得なかったのだろう。如何に猛獣、巨獣といえど勝負にはなり得ないことが解る。

 

 ——その身から放たれる、濃密な魔力の気配によって。

 

 木の実や果実、野菜を漁るよりは……滅多に襲われることのない君臨者達を仕留める方が余程栄養を得られる。この異常なまでの巨大化も、それが少なからず関係しているはずだ。

 目測ながら、体高は5メートルを優に超えている。体重に至っては、青年の異形の体躯を以ってしても勝負にすらならないだろう。

 

 膂力など語るべくもない、たった一撃……片手間のような、その場から飛び出しただけの突進で重傷を負わされた。

 

 

「これは、英雄どもが殺されるのも無理はないか……!」

 

 

 神話において、“彼ら”に殺された英雄もそれほど珍しくはない。殺されはせずとも、強敵として登場することは数多ある。

 

 原初、力の象徴とされた“彼ら”は人知れず生き残っていた。今ここに、青年の目の前にその存在を示していた。

 一線級の伐刀者ですらこの小山には劣るだろう。青年が持つ嵐の剣を純粋な力のみで易々と突破し、生半な攻撃など苦もなく弾く異形の身体を数十メートルに渡り吹き飛ばし、蹂躙した。

 

 単純な膂力に関していえば、目覚めたばかりとはいえ——ステラ()をも超越していた。

 

 

「だが、俺はこれを……これを、求めていたッ!!」

 

 

 ヒトの域を遥かに上回る大暴力。

 

 青年が追い求める純然たる強さには、このような埒外の獣を上回らなければ辿り着くことなど決して出来やしないのだから。

 他人は青年を馬鹿だと嘲笑うだろう。そのようなことなどせずとも、青年は強くなれるのだ。いたずらに身体を傷つけ続ける青年の姿は、常識人(頭の良い者)どもにはどれほど滑稽に映るものか。

 

 ——しかし、それがどうしたと言うのだ。

 

 大馬鹿で結構だ。青年の家系は、その系譜を正しく受け継いだ者たちはどいつもそんな大馬鹿ばかりだ。

 弱き者に生まれたにも関わらず、自らの可能性を何一つとして諦めなかった弟。誰よりも深い愛を持ち、才媛たるその身をさらに研ぎ澄ます妹。弱き者たちを守るべく、誰より厳しく努め、一時は息子すらも切り捨てた父。

 

 融通の一切利かない、とびきりの頑固者ばかりだ。

 

 思考を、想いを巡らせる青年に、然して……小山は容赦などしない。最強の野性は、目の前の小さな生き物を既に獲物としか見ていないのだ。単なる、たんぱく質の塊としか。

 どこの世界にも、獲物の前で座して待ち続ける獣は居ないだろう。

 

 体格に似合わぬ……否、その体格では有り得ない速度で青年に迫る。純粋な筋力だけでは不可能に近い。本能で魔力を使いこなしている証拠だ。

 

 感じられるその魔力量は、驚異のAランク。

 

 魔力とは、この星に対する影響力。その総量は、即ち是れ……運命の大きさに他ならない。

 ならばこの小山は、恐らくはこの密林だけに収まる存在ではない。放っておけば、“何か”しでかすはずだ。この凶暴性を見るに、良いことではないのは確かだろう。

 

 辛うじて突進を躱す青年、その背後の山脈が小山の一撃で大きく揺らいだ。

 

 

「このっ、バケモノが……!」

 

 

 青年は横っ腹を捌くように斬りつけるが、特異な成長を遂げた小山の毛皮は固有霊装をも寄せ付けなかった。しかしこれにより青年は理解した。

 この小山の能力は《防御》の概念、故に自重と巨体の運動を邪魔する空気抵抗や重力から“身を守る”ことによりズバ抜けたスピードを確立し、伐刀絶技による嵐や直接的な剣戟を弾き返すことが出来たのだ。

 

 身体能力でこの小山を超える生き物など存在し得ないことを考えれば、攻撃力に不足することもない。それも含めて、完全な能力体系だ

 

 

「ふん、超え甲斐がある……!」

 

 

 元より圧倒的な存在を求めていた青年は、歓喜を露わに小山へ躍り掛かった。

 

 

「さあ、いくぞバケモノ——神話の狩猟を再現してやるッ!!」

 

 

 黒々とした毛皮。隆々とした筋骨。強靭な牙。猛々しい魔力。神話の先達にも劣らぬ威容——正しく小山は、魔猪の一角であった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「——その程度か?」

 

 

 男は自らに襲いかかってきた者達を易々と退けると、そう吐き捨てた。

 息のある者は憎悪の篭った目で、呪い殺さんばかりに男を睨みつけていたが、瀕死の身体は意志を反映してはくれなかった。

 

 

「殺してやる……殺してやる……!!」

「貴様には、無理だ」

 

 

 逆転の目など一つもなく。男は、刺客達を処断した。——自らに、枷を掛けたまま。

 

 そうして男は修練に戻る。

 

 ひたすらに剣を振るい、身体を駆動させる。その繰り返し。ただただ、日がな一日それを続けるだけ。特別なことなど有りはしなかった。

 

 

「——まだ、足りん」

 

 

 なまじ、強力な力を持っているが故に疎かにしてきた剣技。磨き始めるのが遅すぎたとは思わない。ヒトの一生は短い……短いが、だからこそ凝縮される。

 

 何物をも退け、何物をも断つ。凡そ物理法則に則った戦いにおいて無敵に近かった己が能力。それを……あろうことか、力の信奉であるはずの男が、封じたのだ。

 

 ——ただ一心に、強くなるために。

 

 不自由を強いられる戦闘、単なる雑魚を相手にしても命の危機を感じねばならない非充実感。

 男が力を封じたという噂はすぐに広まった。

 

 すると、有象無象が押し寄せた。恨みを持つ者、男を倒して名を上げようとする者、時には同じ組織に属する者すらも。

 

 男本来の実力であれば歯牙にも掛けない連中であっても、能力を封じた自身には、気に食わないことに相応しい相手であった。

 それでも羽虫が如き相手であれば、苦戦することなどないのだが。——時折、上物が訪れる。

 

 ハンデを負った自分では殺されかねない相手、能力の相性で勝ちを拾っただけの強者。しかしそんな相手だからこそ、男が斬り結ぶ価値がある。

 鍛錬だけで大成できるほど、男は才に恵まれてはいない。

 

 ——かの《魔剣士》に及ぶには、数多の死線をくぐるより他なかった。

 

 そう、噂が広まるキッカケを作ったのは……そもそも男自身である。

 

 

「もっと……もっと強き者を……!」

 

 

 ほんの一時だけ立ち戻れた、純粋な剣士としての自分。腐り果てる前の、精気に溢れていた自分。

 《魔剣士》との死合が呼び起こした、とうの昔に消え失せたはずの自身の正体。

 

 ——取り戻さねば、ならない。

 

 漠然と……男の本能が、それを求めた。力の信奉者としての自分よりも、ただの剣士としての自分こそを。

 

 あの悪意の塊に救われた命。その場で投げ捨ててしまおうかとも思ったが、どうせ捨てるのならば……と、開き直った。

 死んだ気になって、磨き上げようと。身体を。技量を。何よりも、心を。

 

 ここに居るのは勇名を馳せる《剣聖》ではない。——一人の、名もなき《剣士》である。




本編は進め過ぎると今後困るから進めたくないのだ……

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