「……ふっ、《比翼》よ。私はいま、どうしようもなくそなたに焦がれているぞ……。この目に映る夜景が霞むほどにな……」
ホテルの上層に位置する、夜景が美しいという以外に取り立てて長所のない一室。
小次郎にはそれで十分であったが、その華やかさも今の彼を慰めることは出来なかった。
——自身と互角。
なんと胸の高鳴ることか。
死合うならばやはり、拮抗する者でなくてはならない。
才能豊かな、道半ばの者達を相手取るのも感慨深いことではあるが、やはり自分は指導者ではなく闘技者だ。
強敵と交わす刃にこそ——己が本性は顕れる。
「……いかんな。これではどうにも寝つきが悪い……。無作法ではあるが、“つまみ食い”でもするとしよう。明日の試合、万が一邪魔にでも入られては、つまらぬしな……」
——その夜、
全員、息はあるものの、逃亡を封じるためか両手足の骨を折られた状態で警察署の前に無造作に転がされていた。
俄かには信じ難いが、抵抗の痕跡が一切見られないことから、おそらく幻想形態の霊装によって気絶させられた後に痛みを感じる間も無く——刹那のうちに四肢を叩き折られたものであると推察された。
逮捕された解放軍の面々に尋問を掛けたところ、全員が揃って敵の姿を確認しておらず、気づけば警察署の前に居た……という類の供述をしているため、捜査は難航。
捕縛された部隊の半数近くは伐刀者であったということもあり、警戒は厳に行われた。
少なくともこの大阪に——それを一方的に蹂躙できるだけの存在が潜んでいると判明したからだ。
「……そなたとて、何の感慨も抱かず一輝を生かした訳では無いのであろう、《比翼》よ? 興味を持ったならば、先を見たくなるのが人の性……。それまで私は、こうして露払いでもして暇を潰しておくとしよう。あまり、待たせてくれるなよ……」
まあ、しかし。
「手加減の鍛錬にはなったか……。“斬れぬ”斬撃——もはや打撃でしか無いが、やってみるものよな」
*****
「……ほう。流石だな、諸星よ。槍という間合いの優位を加味しても、一輝を相手によく立ち回る」
小次郎は二人の試合を俯瞰する。
会場を包む大歓声、それを上げる人々の中に紛れる。
気配を消せばそこに『虚無』という矛盾が生まれてしまう。故に、違和感なく。過剰でも過少でもなく平均的な気配を洩らし、一体となる。
この場において、小次郎という“異分子”は存在しない。少なくとも、尋常の者ではその異常を認識できないだろう。
「やはり、中々の槍捌きだ」
無論、未だ成熟には遠く、聖杯戦争にて立ち合ったランサーほどでは無いにしろ。
その槍の冴えは彼らの世代では並ぶ者がいない程の代物だ。
「そら、一輝よ。忘れてはいないか、そこは——“虎穴”だぞ?」
*****
選りすぐりの槍術、《三連星》を囮とした《ほうき星》。
それらを伏線として、霊装すら食い破る伐刀絶技《暴喰》を放つ戦略眼。
その強さを支える強靭な精神力は何処から湧き上がるモノなのか。
甚だ興味が尽きないが、《七星剣王》が学生騎士としての高みに居るのは明らかであった。
一輝の照魔鏡の如き観察眼を以ってしてもその懐は果てなく遠い。だが、それを考慮したとしても。
「……どうしたというのだ?」
一輝の動きは目に見えて精彩を欠いていた。
意識と動作がまるで噛み合っていない。しかし未熟によるものでは無いだろう。
身体制御において他の追随を許さない、あの《無冠の剣王》に限って、それは無いと断言できる。
頭の回る者であれば、《比翼》と立ち合ったという情報を元に推理し、その極まった剣技を受けたことによってボクシングにおける“パンチ・アイ”のような症状に罹ったのでは無いか、と疑うところだが、小次郎は違う。
実際、医師である薬師キリコなどは真っ先にその可能性を視野に入れていた。
——ここにきて、小次郎の経験の少なさが浮き彫りとなる。
名のある英雄達にも劣らぬ破格の才覚、魔技とまで称される人外魔鏡の剣術。
二つを兼ね備え、尚且つ。死後、亡霊として実戦経験も皆無のままに参戦した聖杯戦争において、何の躊躇もなく斬り合いを演じてみせた精神性。
身体が硬直するほどの“恐怖”など、経験則として持ち合わせておらず。
故に、たとえ“パンチ・アイ”という単語自体は知っていても、結びつくことはあり得なかった。
ただ……それも幸いと言うべきか。
一輝を苦しめる“異常”はソレとは違う。
余計……否、深い知識、経験を持っていなかった為に結果として小次郎は、不純を排し、真実の一部を掴もうとしていた。
「……心身共に万全。で、ありながら、思考と身体は噛み合わず……か」
だとすれば、“ズレている”のはどちらだ。
鍛錬や肉体の成長によって身体能力は向上しているのだろうが、ここ数ヶ月で起こる小さな変化程度ではあの一輝が見誤るとは思えない。
何より、先ほどまでは十全に戦えていた以上、有り得ない可能性だ。
「……ならば——“頭”か?」
単純な消去法でしか無いが、馬鹿には出来ない。
正しく、一輝の不調の原因は頭——“脳”にある。
しかし、前情報の一つも無い小次郎には確信など持てない。その正否を確かめる術が、手元に無かったのだから。
*****
一輝の狂った歯車が噛み合った瞬間、勝負は一方的なモノとなった。
小次郎ですら思わず眼を見張る。
一輝の剣は、それほどまでに大きく飛躍した。この一瞬で、別物と呼べるほどの太刀筋を見せつけたのだ。
「《比翼》の剣技……か。くくっ、一輝の奴め……楽しませてくれる……!」
解説者が博識で助かった。アレが《比翼》の剣技であるなら、見て生き残っている者も少ない筈だというのに、よくよく縁に恵まれた。
何せ、小次郎にはその剣の“理”を理解することが出来ても、正体までは分からなかったのだから。
零から全速に至るまで、加速というモノが一切存在しない異形の剣術。
「なるほど。些か雅さに欠ける剣ではあるが……なるほど、理には適っている」
とはいえ、ただ一輝の剣を眺めているだけではこれ以上の詮索は不可能だ。
小次郎はエーデルワイスのことを知らな過ぎた。調べて分かることでもない為に、仕方のないことではあったが。
「ここはてっとり早く、“知っている者”に語らせるのが吉……か」
*****
「——エーデルワイスの剣技は普通じゃないんだ。0から100への極限の静動を生み出すには、連動する筋肉を瞬時に全て同時に動かし、刹那のうちに全筋力を集約させる必要がある。そして、それを成すには通常の人間の発する脳の信号量では足りないのだ」
「ほう、なるほど。つまり一輝はその信号を変えたという訳か。存在しない物は作る他ないからな……」
「ああ、通常の脳信号とは別に瞬発力と情報密度に優れた『戦闘用の信号』を奴は生み出したんだろう」
「しかし……それならば、何故今まで正常に機能していなかったのか……」
当然、それにも納得のいく理由が存在した。
「一輝はエーデルワイスとの戦闘の記憶を失っていた。身体も同様だ。しかし脳は別。勝負所で高まった集中力が要因となり——『戦闘用の信号』を発信してしまったんだ。当然、一輝の身体はそれを忘れていたが故に、通常とは異なる信号を理解できなかった」
「合点がいった、噛み合わぬ訳よ……。やはり原因は頭にあったか」
「ああ。…………ところで、お前は誰だ」
観客に紛れてしれっと黒乃に近づき、素知らぬ顔で会話に侵入して来たこの男。
敵意も悪意も感じなかったために放置していたのだが、いつまでも知らないふりもしていられない。
「あぁ、これは失礼した。拙者は単なる観客故、気に召されることはない。なにやら興味深い話が聞こえてきたので、好奇心を抑えられなくてな」
これほど分かりやすい嘘というのも珍しい。
何せ、話を聞いていたらしい珠雫と有栖院が凄まじく微妙な顔をしている。
どう見ても顔見知りだが、正体を話す気は無いらしい。その上で、“単なる観客”という言葉にこうもあっさり表情を崩してしまうような存在なのは理解できたが。
とりあえず、“疚しい”ことがあるのは間違いない。
「まあ、一応捕らえておくか……」
黒乃は自身の霊装である白と黒の二丁拳銃を顕現させ、小次郎に突きつける。
実際問題、この侍は一般的に伐刀者として認識されないFランクでありながら、Aランクのステラをノーリスクで一蹴するという、魔導騎士制度に真っ向から喧嘩を売っているような存在であり、尚且つ無資格で躊躇なく固有霊装を振るっている完全無欠の犯罪者だ。
少々強引ではあるものの、魔導騎士として正しい行為だ。ほぼ確信に近いレベルで疑いに掛かっている辺り、黒乃も只者ではない。
現行制度を鑑みると、九割九分の割合で小次郎が悪いため、不当とは到底言えなかった。
「ふむ、それは困る。おかげで疑問も晴れたのだ——さっさと退散するとしよう」
「なにを——チッ!」
しかしそれも、捕まらなければ何のこともない。
小次郎の姿は黒乃の視界から消え去っていた。が、そこは仮にも元世界三位。
すぐさま自身の後方へと照準を合わせ、《クイックドロウ》を放とうとするが。
「やめよ、《世界時計》。ここで騒げば試合の邪魔となる」
「…………」
「ふっ、そう疑ぐるな。私とてあの《世界時計》と死合う機会とあっては捨てるのも惜しい……。が、それは今でなくとも良いこと故」
男の言葉を鵜呑みにするつもりは黒乃には毛頭なかったが、一理あるのも事実。
しばし思考を巡らせた後。
小さなため息とともに黒乃は銃を納めた。
「いいだろう……七星剣武祭の間は貴様の正体は詮索せずにおいてやる……」
「おお、それはかたじけない。ご配慮、感謝する。祭りの後であれば——むしろこちらから願い出たい程だ」
小次郎の余裕とも取れる台詞に、黒乃は眉間のシワを深くする。
「おっと……どうやら敵意までは納めてくれぬようだな……。では、宣言通り私は退散しよう。さらばだ、《世界時計》」
小次郎の姿は文字通り影も形もなく搔き消える。或いは自身と同じ時や空間を操る類の能力か……と、黒乃は熟考に入りかけるが、すぐさま正気に戻る。
(アレはまた来るなどと吐かしていたな……。なら、いま考えることではない)
今は自らの教え子の趨勢が決まる大事な試合の最中だ。
あんな男に、いつまでも構っているわけにはいかないのだから。
——それはそれとして。
「……お前達、あとで話はしっっっかりと聞かせてもらうからな」
それはそれとして、理事長に下手な隠し事をするような生徒の躾は——十二分にしておかなくてはならない。
*****
今の、瞬間移動の如き小次郎の所業は、極めて優れた体技と、明鏡止水による気配遮断の合わせ技に近い。
タネも仕掛けもあるまやかしだ。
同じような真似をしてみせる有史以来最速の英雄、アキレウスのソレとは異なり、純粋な速度のみによるモノではなく、また移動距離も劣る。
とはいえ、A+の敏捷ステータスは決して伊達ではなく、数値上は冬木の聖杯戦争で最速のサーヴァントとして、召喚されたランサーたるクー・フーリンすらも上回っていた。
しかし同等のステータスを誇るアキレウスとは異なり、小次郎には俊足の逸話など無い。得意とする分野が異なるため、比べること自体が間違っているのだが。
やはり——その真髄は剣技にある。
*****
試合は《無冠の剣王》の勝利に終わった。
一時はエーデルワイスの剣技を思い起こした一輝の圧倒的な優位と思われたが、蓋を開けてみれば勝負は決着の瞬間まで定まってはいなかった。
しかし結果として、一輝は《七星剣王》の幾十にも及ぶ罠を突破し、勝利を掴み取ったのだ。
「一輝よ。もはや初めて出逢ったあの日とは別人と成り果ててしまったな……。しかし、それは私にとっても喜ばしい。確信しているとも、お主なら必ず——我が剣を振るうに相応しい武士となることを」