「……そろそろ、良いのではないか? あまり離れると会場に戻るのも面倒だ」
「おめでたいな。——まだ、戻れるつもりでいるのか?」
そこは湾岸ドームから離れ、七星剣武祭の最中であっても人通りの少ない港湾施設だ。
需要に欠けるため、停泊する船舶が入ることも稀なそこは、なるほど確かに——荒事には向いている。
「なに、狭い世界で生きる頑なな“童”に“手解き”をするだけならば、それほど時間はかかるまいて……」
「弱者がよくほざく……」
《龍爪》を。《物干し竿》を。
二人は自身の霊装をほぼ同時に顕現させた。
共に刀剣であり、分類もまた大太刀、または野太刀と呼ばれる代物だ。
であるにも関わらず、リーチの差は約50cmにも及ぶ。
小次郎の《物干し竿》は世で知られているソレよりもさらに長く、五尺余という長大なものであるためだ。
「もしや……と思いもしたが、やはり貴様の魔力量はFランク以上の何者でもない。あの愚弟の審美眼も当てにならないな。《比翼》と互角だなどと——馬鹿にするにも程がある」
剣武祭の開催前日、一輝の後を追っていた際にそれを聞いた王馬は、僅かなり興味を抱いていた。
或いは、何か“力”を隠しているのでは無いかと。しかし、それも彼は杞憂と判断した。
それ故の無礼千万。侮りとは違う嫌悪だ。
「御託が多いな、《風の剣帝》よ。そんなにも語らいを好むとは……ふむ、意外と可愛げがあるではないか」
王馬が《真空波》を放ったのはその直後だ。
苛立ちからか、それを隙と見たためかは分からないが、風の刃は真っ直ぐに小次郎に襲いかかり。
「——」
そして、“断ち切られる”。
「……貴様、何をした?」
「見てわからぬのか。——斬り捨てたまでのことよ。私とて“空”は斬れぬが、押し込められ形を与えられたソレならば、その限りでは無い」
王馬は思わず目を見開いた。
言葉通りに受け取るならば、この男は何の能力も用いずして——単なる剣技によって真空を切り裂いたというのだ。
確かにFランクの能力にそのような対応力があるとは思えず、今はそれを受け入れる他ない。
しかし、如何なる“業”を以ってすればそのような行為が可能なのか。
理屈すら理解できない“理合”に、ふと冷たいモノが頬を伝う。
(……冷や汗? 俺が、このペテン師を相手にか……)
——王馬は自らを解放した。
「おお、コレがお前の真実か。なるほど面白い! 鍛錬のためにここまで身体を苛め抜くか。聞き分けのない童と侮ったことは非礼であったな、黒鉄王馬よ」
《天龍具足》。それは王馬の身体を押し込め、引き千切り、潰し、砕かんとする王馬自身がかけた枷だ。
早々に解放してみせたのは、弱者と断じた相手を一瞬でも“畏れ”てしまった自身への憤怒から。
そして——その“畏怖”を、正しいものと認めてしまったためだ。
「俺を惑わすな、妖怪……!!」
「妖怪とは散々な言われようだ。生まれは単なる農家の餓鬼に過ぎぬのだがな」
人外の膂力を存分に発揮する王馬は目の前の侍を叩き斬らんとして、豪剣を振るう。
並の伐刀者であれば一つ一つが必殺となり。
受けたところで霊装ごと斬り捨てられるのが必然である恐るべき暴力を——小次郎はこと無さげに、正面から打ち払う。
「大した膂力よ。“こちら”に来てから、ここまでの豪剣を受けるのは初めてだ」
「何を訳の分からんことを……!!」
時に空を切り、時に刃に流され、或いは受け止められる。
鍔迫り合いなど、膂力の差一つ取ってみても有り得ないというのに、事実として目前でそれは起きていた。
その動作——どういう訳か一切が判別できず。しかし王馬に解る範囲でも余裕が見て取れた。
(……手を、抜かれている……?)
これだけ軽々とあしらわれているにも関わらず、小次郎からは反撃の一つも飛んで来ない。
警戒しているのだと判断できないこともないが、仮にも《風の剣帝》だ。それは違うと、明確に理解できる。
「力を信奉するばかりの童かと思っていたが……存外、見れる剣ではないか」
王馬の繰り出す黒鉄の剣の数々を吟味するかのように律儀に受けて立つところが、彼のプライドを激しく傷つけた。
身を焦がす激情を、然して内側に押し留め、ますます太刀筋を鋭く研ぎ澄ます。
「しかしまだ序の口……あの“
通常の人類の規格を超えた王馬の肉体は確かに並外れているが、神代に於いても最強と称される豪打をキャスターの援護があったとはいえ、単なる刀一本で受け切った小次郎にとってはまだ不足だ。
小次郎は知らないことだが、神代と人の世では人類の肉体性能は大きく異なる。現代人は神代の人々に比べ、余りに“弱過ぎた”。
相手が大英雄ともなれば、その隔絶した性能差は最高峰の天賦を有する王馬であっても易々と埋められるものではなく。
故に、小次郎から見れば——彼は未だ未熟でしかなかった。
「頑ななだけのお前では、我が間合いに踏み込むのは至難であろうよ」
「黙れ、《月輪割り断つ天龍の——」
——閃き。
「ッ!?」
幻想形態の《物干し竿》が王馬の首を断ち切った。
本来、王馬ほどの実力者の首を唐突に斬り捨てることなど不可能と言える。
だがしかし、今回に限っていえば相手が悪い。
どのような達人であっても見切ることの出来ないとされる小次郎の剣技。
それは間違いなく人類最高峰と言えるものであり、本来であれば膂力に加え、英雄の技量を以って相対するものだ。たかだか十数年の人生で追い縋れる者など、人類史を見渡してもそうはいない。
「——ほう、まだ立つか」
「ぐっ……何故、殺さなかった……」
小次郎にその気があれば今の瞬間にも、王馬を仕留める事ができた。
王馬とて自身の肉体を無敵とは思っていない。
何も幻想形態で精神ダメージを与えるだけに留める必要はない。彼の肉体を傷つけることは不可能ではないのだから。
鋼の如き肉体も、鋼を斬り捨てる剣客相手には不足であり。そうでなくとも、筋繊維の間をすり抜けるように肉体を貫けば、心臓に手が届く。
彼の前に立つ侍は、恐らくそれを容易くやってのける。
「なに、仮にも出場選手であるお前をこんな野良試合で退場させるのは忍びなかった故だ。そうでなくとも、“後に強者となり得る”であろう若人だ。ここで仕留める道理は無かろうよ」
「……この俺は、強者ではないと言うのか」
無論。答えるまでもないとばかりに小次郎は王馬を一瞥する。
「没頭せよ。お前の剣は——あまりに底が浅い。“究極の一”と呼べるまで磨き上げ、出直すが良い」
晩年まで独力で鍛え上げたとはいえ、ただ一度の果たし合いも経験する事なく神の領域に踏み込んだ桁外れの天稟を相手取るには、単純に“鍛錬”が足りていない。
如何に膂力と魔力で優っていようとも、埋め難いほどの技量の差がそれらを覆してしまう。
剣技を蔑ろにしている訳ではない。
事実、《比翼》の剣技を手にするまでの一輝とは拮抗していたのだから。
故に、圧倒的に足りていないのだ。
この“魔剣士”を相手取るには。——王馬の短い人生で積み重ねた研鑽では、切り崩せない。
『騎士の力』に拘る余りに、道を狭めていた。伐刀者である以前に、自身が人であることを忘れていた。
最も重要な——『人間の力』を軽んじていた。
佐々木小次郎と黒鉄王馬では初めから、人類としての位階が異なっていたのだ。
「…………」
自身の肉体を死を厭わず鍛え上げ、“進化”したとすら思っていた王馬であったが。
それは驕りに過ぎず、未だ人類の枠組みを外れていなかったことに愕然とする。
「肉体を如何に鍛えたところで所詮は人間よ。それを上回る強大な獣が相手であれば歯牙にもかけまい。故に、我らは戦う術を磨くのだ」
生半な獣であればその限りでなくとも、“幻想種”と謳われたモノたちならば話は変わってくる。
王馬同様、人外の膂力を秘めた英霊達ですら、その鍛え上げた“技量”を以ってようやく打ち破ることの出来た最強の獣達だ。
力及ばず、それらに蹂躙された英傑も少なくはない。
今の世には存在しない彼らだが、それ故に王馬は力を履き違えた。
「——今のお前に、斬る価値などない」
『強さ』を絶対の価値観とする《風の剣帝》。
彼にとっては、これ以上ない程の侮辱の刃。それを以ってして小次郎は王馬を斬り捨てた。
*****
「ふむ、間に合わなかったか……。一輝の妹の試合くらいには間に合うと思っていたのだが」
港から会場まで戻ってきた小次郎であったのだが、一輝が0コンマ8秒という大会最速勝利記録を打ち立てたことということも相まって一歩遅れる形となった。
実際のところ、小次郎が王馬を降した時点で珠雫の試合は決着が付いており、幾ら急いだところで間に合いはしなかったのだが。
「やれやれ……しかしまあ、あの“求道者”もこれで少しは柔軟さを得ることが出来たなら良いのだが……」
王馬のひたすらに強さを追い求める様は、勝利を求め兵法を操る武芸者とは異なり、差し詰め“僧侶”の如きものだ。
純粋過ぎるが故に、厳し過ぎるが故にこれ一つと決めてしまった道から外れることが出来ずにいる。
それは勿体無い。兵法とは彼の言う小手先の技術である以前に、小手先の技術に惑わされないための対抗策でもあると言うのに。
「しかしまあ、それでも道を変えないと言うのなら……」
それはそれで興味がある。
あの男が傑物たり得るのは小次郎としても認めるところだ。それだけの空気を纏っている。
王馬が王馬として、その道を極めきったとしたなら。
「私の思いもよらない——未開の境地を見ることになるやもしれぬな」
小次郎が示した以外の、王馬自身の究極。
仮にそれが存在するならば、見てみたいと思うのが、武人たる小次郎の率直な望みであった。
「《紅蓮の皇女》、《風の剣帝》、《剣士殺し》、《浪速の星》、《雷切》。それに《無冠の剣王》か」
無論、いま上げた以外の戦士達もまた、先の見えない未完の大器だ。
完成していないが故に、その絵の全貌が見えない。ある意味において、これほど面白いものはない。
先人たる小次郎にとってそれは、見切っても見切ってもそれを超えてくる——そんな剣戟に等しい興味の塊だ。
「私もそう落ち落ちとはしていられぬな。私には、この剣以外の何物も与えられてはいないのだ。——故に、この道において……私の先を行かせるつもりは到底無い」
受肉したこの身は、成長を赦されないサーヴァントのそれではない。
——若人達よ、来るなら来るがいい。
——しかし忘れるなかれ。進歩は諸君らだけの特権ではない。
「——我が剣技、未だその最果てに在らず」