「——あああぁぁぁ!! もう、どうすれば泣き止むのよッ!?」
「ス、ステラ、落ち着いて!!——って、あっ!?」
ステラがデパートのトイレで偶然にも発見し保護した伐刀者の赤ん坊。
どうやら《空間移動》系の能力者のようで、それをコントロール出来ず、女子トイレに居合わせたステラの前に転移してしまったようだ。
事態を把握し、迷子センターへと赤ん坊を連れ立って居た一輝、ステラ、サラの三人であったのだが、突然赤ん坊が泣き始めたのだ。
どうやら周囲に母親がいないことに気がついてしまったようで——。
「ちょ、あの子どこに!?」
パニックになった赤ん坊はまたもや転移してしまった。
それも、場所は最悪。さらに発見も遅れてしまい。
「ステラ、あそこだッ!!」
「へっ、ああああ?! なんだってそんなところに!!?」
よりにもよってこの大型デパートの吹き抜けのド真ん中。
既に落下を始めており、一輝の速度を以ってしてもギリギリ間に合わない。或いは《一刀修羅》を使えたなら話は別だが。
《一刀修羅》を使える一輝を複数創り出せるサラならどうにかなるとも考えたが、その為には《幻想戯画》を描き上げるだけの時間が必要なため不可能だ。
万事休すではあるが、行動しない訳にはいかない、そう思い立ち、手すりに足を掛けて飛び降りようとした一輝は。
「——奇妙なこともあるものよな。よもや赤子が降ってくるとは」
自身の隣をすり抜けた後に、背後からかけられた声に振り返った。
「……で、この赤子はお主の子か、一輝?」
「いや違いますからね」
美麗な容貌を備えた長髪の侍、佐々木小次郎。
小脇に一升瓶とツマミ、加えて赤子を抱えて参上する。
*****
「どうやら、間一髪といったところか。やれやれ冷や汗モノよな。……これ、お主そろそろ泣き止まぬか」
どうにかこうにか迷子センターに辿り着いた一行は、事務所の奥にある預かり所に居た。
赤ん坊はといえば、小次郎の手の中に収まっているが。
まるで泣き止む気配はない。
子供を育てた経験はおろか、子守りの経験すらない小次郎だ。少しばかり堪えるものがあるらしい。
せめてもう少し分別のつく齢ならば、などと考えもしたが是非もなかった。
「泣く子には勝てぬか、いや。子でもこさえたならば或いは……まあ、詮無きことよな」
格好つけたところで腕の中で騒ぐ赤子には手も足も出ない。
内心の冷や汗をひた隠しにするので精一杯。余力も雅さを保てるほどでは無かった。
「みてられない。かして」
「あっ」
「サラ!?」
任せておけないとばかりに、小次郎の腕に抱えられていた赤ん坊がサラの手により素早く取り上げられた。
「アンタ非力なんだから危ないって! 落っことしたらどうすんの!」
「だまってて。貴女は少し声が大きい」
「うっ」
至極真っ当な諫言とサラの今までに無い強い眼光で牽制されて小さく呻くステラ。
サラは赤ん坊を優しく抱え直すと、ソファーに腰掛けた。
「だいじょうぶ。貴方のマンマはすぐにもどってくるから」
「……あう、あう?」
頭を撫でながら落ち着いた口調で語りかけると、赤ん坊は嘘のように泣き止んでしまった。
「泣き止んだ……」
「サラさん、すごいな。慣れてるの?」
「別に。……ただ、世界を回りながらいろんなものを観察してきたから。言葉がわからなくても、なんとなく考えてることがわかるだけ。この子は自分の親が居なくて不安だった。そんなときに周りが取り乱したら余計不安になる。落ち着かなきゃだめ。騒がなかったぶんそこの人の方がマシ」
「……ふむ。そういうもの、か」
「「ご、ごめんなさい」」
マシとは言われたものの特に何も出来なかった小次郎は素直にそれを学び、ダメ出しを食らった二人はたじたじといった様子で頭を下げた。
一輝と小次郎はともかくとして、ステラの方は複雑である。
子守りという母性の象徴のような行為において、後塵を拝するどころか邪魔者にしかなっていないという状況だ。
よりにもよってアトリエで“致す”ことも辞さないと語るサラ・ブラッドリリーに、バストサイズ以外でも敗北を喫することとなったステラの女としての悔しさは相当なものである。
しかしまあ、どうしようもないので赤ん坊はサラに任せるしかない。腕力には一抹の不安が残るが、自分や他の二人が抱えているよりは安心できるし、万が一落としそうになったなら誰かしらがフォローするはずだ。
「……そういえば。貴方は誰?」
そう、この二人が出会うのはコレが初めてのこと。
小次郎の方は一方的に知り、興味を持ってもいたが、サラが暁学園の側に立っていることもあって顔を合わせる機会がなかったのだ。
「おお、これはすまん。礼を欠いていたな。私は佐々木小次郎という者だ、サラ・ブラッドリリー殿」
「私のこと、知ってるの?」
「私は単なる剣武祭の観客だが、そなたは有名人故。顔を知っていてもおかしくはあるまい?」
……決して嘘ではないが、単なる観客というだけでは説明不足にも程がある。
一輝は苦笑するだけで済ませていたが、ステラの方は苦虫を口いっぱい噛み潰したような顔をしていた。
「……たしかに。でも、単なる観客っていうのは嘘」
「ほう? 何故そう思うのだ、ブラッドリリー殿」
サラは武人ではない。本来なら、荒事に関わるような人種ではない。
彼女は何処までも“画家”というある種の文化人でしかないのだ。
しかしそれ故に、小次郎は興味を持っていた。戦う者ではない彼女が、自身を一体どういう存在だと定めたのか。
その審美眼に、一定以上の好奇心を抱いていた。
「貴方からは——《比翼》と同じモノを感じる」
一輝とステラは、その言葉に思わず目を見張り。
「でも、少しちがう気もする。にてる。けど、エーデルワイスの方が慈悲深い」
一輝も彼女が世間で最悪の犯罪者と語られている一方で、立ちはだかった明らかな格下である一輝を見逃そうとするだけの情けを持つことを知っている。
しかしだからこそ、納得のいく評価である。自身の師は、穏やかなばかりの男ではない。
「ちょっと。確かにゴザルはムカつく奴だけど、悪い奴じゃないわよ?」
「うん、私もそう思う。……でも、彼はなんだか達観し過ぎてる」
その通りだ。一輝も逡巡なく同意できる。
小次郎は一輝ですら見通せない高みにいる剣士だ。既にそれは明鏡止水の境地を迎えている。それは一種の悟りに近いものだ。
温厚なのはそのためであり、しかし真実の姿は武人そのもの。
もし仮に一輝やステラが“手合わせ”ではなく“果たし合い”を挑んだならば、いまの彼らの首と胴体が繋がっていたかは怪しいと一輝は読んでいた。
もっとも実際のところは将来性を惜しんで生かして返す可能性が高いのだが、それは一輝の知らぬところだ。
故に、本人の口から言わせるならば。
「ブラッドリリー殿の見る目は実に正しい。——人を斬る以上、何者であれ悪であろうよ」
他ならぬ世界そのものによって最強と定められ、本人の望む望まざるを問わず、“絶対者”として君臨しているエーデルワイスとは異なるスタンス。
小次郎は、常に自身を“一個の人間”以上には見ていない。
人斬りは悪である——両者ともに心身が正しく極まった人物故に、それを罪だと認めている。
君臨者であるエーデルワイスは上位者であるため、真に寛大で、ヒトである小次郎は同等であるが故に相応の容赦しか持ち得ない。
ただ、それだけのことなのだろう。
「エーデルワイスさんを“剣神”とするなら、師匠は“剣鬼”。同等であっても立ち位置が違う。……こんなところかな?」
「ん、そのたとえは私の感性と一致する。……師匠?」
初めから名乗ればすぐ済む話であって、壮大な思考の果てに辿り着くような難題ではないのだが。
サラの本質を見抜く力が優れていたためにややこしい話になってしまった。
一輝は苦笑いを隠せずにいた。
「ああ、うん。彼は僕の師匠でもあるんだ」
「……つよいの?」
どうやら本質は見抜けても巧妙に擬態する小次郎の実力までは見通せなかったようで。
「エーデルワイスさんに匹敵すると、僕は考えてるんだけどね」
知らず知らずのうちに真相を掴んでいたことに気づいていなかったらしい。
しかしどうやら一輝を高く評価している様子のサラはその言葉を信用し、あまつさえこんな事を。
「……《無冠の剣王》とは別の意味でモデルになってほしいかもしれない。《比翼》と向かいあった状態で」
「それは少々、いやかなり難しいであろうな……」
何せ——どちらか片方は首だけになっている可能性が高いのだから。
「は、ははは……。そ、そうだよサラさん。無茶言っちゃいけないよ」
「いや私は一向に構わ——」
「そ、そうよ! 良くないわ、無茶を言うのは!」
「むう、残念。でも一人ずつでもいい」
後に続くであろう言葉を予想“出来てしまった”一輝とステラは顔を青くしながらサラを抑え、小次郎に二の句を言わせないように専念した。
爆弾というか核弾頭を撃ち込んだ当の本人は事態に気づいていないようで、釈然としないステラではあったが。
努力の甲斐あって、サラのアトリエで血みどろの惨劇が起こる可能性を未然に防ぐことには成功したのでヨシとする。
と、ホッと一息ついたところで。
「うー、ぱい! ぱいっ!」
サラに抱かれていた赤ん坊が、彼女の胸をさすり始めた。
「あはは。これはアタシでもわかるわ」
「ふむ……どうやら乳が欲しいようだな」
「じゃあ、係の人にミルクを作って貰おうか」
当たり前だが、ステラもサラも母乳は出せない。
そのため、一輝が粉ミルクを貰いに行ったのは正しい行為なのだが。
あろうことか、サラは自身の乳房を片方だけ露出させたのだ。
「なんと!?」
「ちょ、サラ!? アンタなにを——」
「うるさい」
再び黙らされたステラは三度は繰り返すまいと口を押さえた。
「……お乳はでないけど、こうしてるだけで安心すると思うから」
赤ん坊は腹を空かせていた訳ではなく、温もりを求めていたのだ。
サラはその優れた観察眼で理解していた。
サラは赤ん坊に授乳の真似事をしながら歌を歌い始める。
高度な英才教育を受けた皇女であるステラにしか分からなかったが、それはイタリア語のようで。
いわゆる、子守唄であった。
小次郎と、もちろん一輝にもその意味は分かりはしなかった。
しかしその旋律が、全ての世界に共通する……言語を超えて伝わる感情が込められており。
その温かみを感じ取ることは出来た。
それはおそらく——母性、と言うのだろう。
*****
「……寝ている、ようだな?」
赤ん坊が寝息を立てる頃には、サラの腕力に限界が来たようで小次郎に預けていた。
これで小次郎が和装などしていようものなら、さぞや絵になったことだろう。
まあ、少々雅すぎる子連れ狼だが。
「……しかし皇女殿。そなたが寝るのは論外ではないかと、拙者は思うのだがなぁ」
「あ、はは……」
あろうことかこの皇女、ステラ・ヴァーミリオンは赤ん坊につられて眠りについてしまったのだ。
今は一輝の膝の上ですやすやと寝息を立てている。
「一輝、ブラッドリリー殿。私は一旦ホテルへ帰る。荷物を置いて来ねばならぬのでな」
小次郎は一輝に赤ん坊を渡すと、ソファーから立ち上がった。
「……ああ、そうそう。今回もまた伝言を頼むとしよう」
「えっ」
——それを聞いたステラが荒れ狂い絶叫するのは、この時から分かりきっていたことであった。
*****
『皇女殿もブラッドリリー殿を見習って、少しは剣筋以外も磨くのだな。——“ぴょんぴょん”などと言っている場合ではないでござるよ』
『聞いてやがったわねあのゴザルぅぅぅぅう!!!!』