「ばいばーい!」
小一時間ほど松月で他愛のない話をした後、曜ちゃんはバスにて家へ帰っていった。
「……結構金飛んだな」
僕は幾分か軽くなった財布を眺め、苦笑い。
予定ではみかんジュースだけだったのだが、松月に着くや否や二人はみかんパウンドやタルトを頼み始めた。
結果、予算を大きく超えてしまい、今に至る。
安易に奢るなど言ってはならないのだと僕は今回の事で学んだ。
「ごちそーさまでしたっ、春太くん」
隣を歩く千歌ちゃんは、お腹を擦りながら満足げに笑う。
っ
「はは……どういたしまして」
まぁ、喜んでくれているならいいか。
少し歩くと見えてきた内浦の海。
今日も相変わらず綺麗だ。陽も良いぐらいに落ちてきて、みかん色に染まる海。
何度見ても飽きないその景色の傍らに、一人の少女。
「桜内さん、かな」
後ろ姿しか見えないけれど、多分、彼女だ。
以前海に飛び込んだ時のように、静かに海を眺めている。
「行こっ、春太くん」
「は、はい」
僕の手を引き、彼女にバレぬよう気配を隠しながら背後に迫る。
そして、何を思ったのか千歌ちゃんは桜内さんのスカートの裾に手を掛けて──。
「まさか、また海に入ろうとしてるの?」
大胆にも、上に引き上げた。
見えたのは、桜色の少し大人っぽいレースの下着。
止めるまでもなく、驚いた桜内さんはスカートを手で抑えるとこちらに振り返った。
「してないですっ! ……って」
千歌ちゃんだけだと思ったのか、僕の姿を見て硬直。
口を開いたまま、みるみる内に頬が紅潮していく。
「……み、見た?」
──ここは素直に見たと言うべきか。それとも、見てないと頑なに認めないか。
どうする?
脳内に浮かび上がる二つの選択肢。
僕が選んだ答え、それは。
「えっと……可愛い下着ですね」
素直に認めることだった。
ここはあえて褒める方向に。
でも、その選択肢は間違いだったみたいだ。
「っ……!」
その直後、左頬に走る衝撃。
結構な威力があり、一瞬気が遠くなった。
「ちょっ、梨子ちゃん! 私が悪いんだよ! 何も叩く事は……!」
「だ、大丈夫です。見た事は見たんだし」
手で制して、無理やり笑顔を作る。
「あ……ごめんなさい、私……!」
「いえ、大丈夫ですから気にしないでください」
ほんとは無茶苦茶痛い。頬をぶたれた事なんて生まれてこの方一度も無かった。相手が女性とはいえ、こんなに痛いとは……。
何だか妙な空気になり、それを変えようと千歌ちゃんが声を上げた。
「えっと……そう言えば、海の音は聞くことは出来た?」
「……ううん、まだ」
そう簡単に聞けるものでは無いのだろう。
第一、海の音が何なのか分からないし。
だが、千歌ちゃんはそれに心当たりがあるらしく、じゃあ、と腕を後ろに組む。
「今度の日曜日のお昼に、ここに来てよ。海の音っていうの、聞けるかも知れないから」
「でも……聞けたらスクールアイドルになれって言うんでしょ?」
交換条件として提示したのだろうと、勘付く桜内さん。確かに、それなら丁度良い。
「うん、だったら嬉しいけど……けどね、その前に聞いて欲しいのっ、歌を」
「……歌?」
「梨子ちゃん、スクールアイドルのこと全然知らないんでしょ? だから、知ってもらいたいの!だめ……?」
知ってもらって、気に入らなければやる意味はない。
本心からやりたいと思わなければ、きっと続かないだろうし。
「あのね、私ピアノやってるって話したでしょ?」
「うん……」
「小さい頃からずっと続けてたんだけど、最近いくらやっても上達しなくて、やる気も出なくて……それで、環境を変えてみようって……。だから、海の音を聞ければ何かが変わるのかなって……」
その為に東京からこっちに越して来た、ということか。それなら、海に飛び込もうとする気持ちも少しは分かる気がする。多分、彼女は焦っているのだ。
変わると信じてやって来たのに、未だにその成果が挙げられないことに。
「変わるよ、きっと!」
千歌ちゃんは真剣な眼差しを桜内さんに向けて、その手を取る。
「簡単に言わないでよ……!」
手を振り解こうとして、けれど、千歌ちゃんはその手を離そうとはしない。
「分かってるよ。でも、そんな気がする」
根拠のない言葉ではあったが、どこか説得力のある千歌ちゃんの言葉。
クスりと笑い、目を伏せる。
「変な人ね、あなた。……でも、スクールアイドルなんてやってる暇はないの、ごめんね……」
さっきよりかは柔らかくなった彼女の反応。
後一押しってところだろうか。
「んー、分かった! じゃあ、海の音だけ聞きに行ってみない? スクールアイドル関係なしに!」
条件を無しにして、彼女に問い掛ける。
流石にこれなら大丈夫なんじゃないだろうか。
「聞きに行くだけ行ってみるのも、ありなんじゃないですか?」
渋る彼女にひと押し。
俯くその顔には、迷いがあった。
「ね、いいでしょ?」
ついに根負けしたようで、短いため息の後、彼女は顔を上げて一言。
「ほんと、変な人……」
呆れた様子で、微笑んでいた。
後、一、二回で終わります。多分。