僕と千歌、時々みかん。   作:猫の缶詰(新品)

25 / 25
上里 春太

  ──深い深い、海の底。

 いつまでも沈み続けて、上から射していた太陽の光はいつしか届かなくなっていた。

 

 周りが見えなくなってから、だいぶ経つ。

 それでもまだ身体は沈み続ける。

 今僕は目を開けているのか、それすらもわからないくらい曖昧な意識の中、ふと、どこからか声が聞こえてきた。

 

 ──おーい、ハル。

 

 聞き覚えのある、どこか懐かしい声。

 その声に応えようとするけれど、上手く声が出ない。

 

 ──ほら、いくぞー?

 

 ……何だろう、この感じは。

 懐かしくて……寂しくなってくる。

 

 ──おぉ、上手い! じゃ、次はハルの番だ!

 

 視界が少しずつ、明るくなってきた。

 地面に立っている感覚も、その手に持つボールの感触も鮮明になっていく。

 

 僕の視線は低く、その先には──父さんがいた。

 黒縁のメガネの冴えない顔付き。背はそこまで高くなくて、体格も普通。でも、声がすごく優しい。

 聞いているだけで安心するような、そんな声。

 

「どうした? ほら。投げてみろ」

 

 手を鳴らし、微笑む父さん。

 

 これは、過去の記憶。

 確かここは……家の近くにあった公園だ。 

 あまり休みが取れなかった父さんが、珍しく休みを取って僕を連れてやって来たのだ。

 たまには親子らしくキャッチボールをしたいがために。

 

「ハル? 具合でも悪いのか?」

 

 心配そうに、僕を見つめる父さん。

 

 大丈夫だよと首を横に振って、僕はボールを投げた。

 でも、力が弱くてとてもじゃないが父さんまで届きそうにない。

 

 放物線を描いたボールはすぐに地面に落ちて、コロコロと。

 

 今の自分なら、当たり前に届く距離。

 それが、この時の僕にはあまりにも遠くて。

 

「良いぞ、その調子だ!」

 そう言いながら、拾い上げたボールを僕へ手渡した。

 

「ちょっと疲れたな……うん。何か飲み物買ってくるから、そこのベンチで待っててな」

 

 僕の頭をくしゃくしゃと撫で回し、段々と遠くなるその背中を見えなくなるまで見つめていた。

 

 それから、言われた通りにベンチに腰を下ろして空を見上げる。

 空は今と何ら変わりない、いつも通りの青色。

 けれど見えているそれは過去の景色。

 公園を囲むように植えられた木も、遊具も、走り回って遊ぶ子供達も全てが僕の記憶の中にある過去の一部。

 

 当然……今の僕に見えている父さんの姿も。

 

「ほら、お前の大好きなみかんジュースだぞ」

 

 ヒンヤリと冷たい缶を僕へと渡して隣に腰掛けた。

 余程喉が乾いていたのか、早速プシュッ、と小気味良い音が鳴り、ブラックの缶コーヒーを一気に飲み干す父さん。

 

「ふう……苦いな。やっぱコーヒーは微糖じゃないと」

 

 じゃあ、何でブラックを買ったのか。そんな疑問が頭を過るものの、今の僕には口出し出来ない。

 僕はというと、プルタブに苦戦して指を痛めていた。

 

「あ、悪い! 子供にはこれ固いもんな。っと、ほれ」

 軽く開けて、それを両手で受け取る。

 

 500mlの缶と言えど、この時の僕にはかなり大きな物で、両手でやっと持てるくらい。

  

「おいおい、溢してるぞ」

 苦笑しながらハンカチで拭い、それから僕が飲み終えるまでずっと僕の方を見ていた。

 

「やっぱりハルは、お母さん似だな。目元とかそっくりだ。それに、みかんジュース好きだし。……俺の要素はどこにあるんだろうな?」

 

 まじまじと見つめては笑い、ほっぺを突かれた。

 何だかくすぐったくて、自然と笑いが出る。

 

「まぁ、性格の良さが俺に似ればいいか、うん。……そんじゃ帰るとするか! 日も落ちてきた事だし」

 

 いつの間にか空は夕陽色に染まり、僕は父さんにおんぶされながら帰路に着く。

 

「……なぁ、ハル。今度また休み取れたらさ、今度は公園なんかじゃなくて、遊園地に行こうな。もちろん、母さんも一緒に」

 

 確かこの時、母さんはパートで外に出ていた。

 急に休みを取るもんだから、困るって怒ってたっけ。

 

 だから今度は事前に言って、三人で。

 ……でもその約束は、果たされることは無かった。

 永遠に。

 

 ──何で僕は、こんな夢を今見ているのだろう。

 微睡みに揺蕩う意識の中、思考を巡らせる。

 

 ぼんやりと、浮かび上がって来るのは母さんの後ろ姿。

 周りには沢山の墓がある。

 

 ……あぁ、そうか。もうすぐ父さんの命日か。

 転勤ばかりでろくに墓参りに行けてなかったから、すっかり頭の中から抜け落ちていた。

 それにいつも墓参りに行くのは、母さんだけだったから。

 

 

 ──すると急に僕の周りが淡く、輝き出した。

 その輝きは次第に明るさを増し、やがて全体を包み込んでいく。

 

 

 

 聞こえてくる鳥のさえずり。

 身体が揺れているような感覚を覚え、僕はゆっくりと目を開いた。

 

 

 ……木目の天井が見える。それと、みかん色の髪の少女の姿。

 頭頂部から生えたアホ毛がピョコピョコと、まるで意思を持っているかのようにひとりでに動いていた。

 

「あー、やっと起きた!」

 

 ムッとした顔をして、唇を尖らせて顔を近付ける彼女。

「お、おはよう。千歌ちゃん」

 

 

 ……なぜ僕の部屋に千歌ちゃんが居るのか。

 というか顔が近い。鼻腔をくずくる柑橘系の香りと、頬にかかる彼女の吐息。

 

 妙に艶めかしい唇を見ていると、急に恥ずかしくなってきて僕は顔を逸らした。

 

「あー、その。どうかしたの?」

 きっと顔が赤くなってるに違い無い。

 恥ずかしさを紛らわそうと、問いをぶつけた。

 

「どうかしたの、じゃないよ! 今日は皆でライブ成功を祝ってパーティするって昨日言ったでしょ!」

 

 うわぁ、珍しくかんかんだ。かんかんみかんだ。

 でも、それほど楽しみにしているというわけか。

 

「ごめん、つい寝過ぎた……」

 

 時計を見て、10時を過ぎていることに気付き素直に頭を下げる。

 ここまで寝る事は殆ど無い。

 心なしか身体が怠い気がするけど……まぁ、大丈夫だろう。

 

「ほら、起きて!」

「うわっ、ちょっ……!」

 両手で僕の腕を掴み、無理やり引き起こそうとして──千歌ちゃんに覆い被さる形になった。

 

 それも、顔は胸に埋めるような感じに。

 柔らかい……じゃない! 早く退かない、と……?

 

 グッ、と腕に力を込めるものの、上手く力が入らない。それに全身が重くて熱い。

 この気怠さはアレだ。風邪だ。それもかなり高熱の。

 

「春太くん、重いよぉ……」

 

 苦しそうに呻く千歌ちゃん。

 胸の事はいいのか。

 まぁ、言及しないって事は大丈夫って事だよな。

 

「ちょっと……待って、て」

 

 横へゴロンと寝転がり、天井を仰ぐ。

 視界がグワングワン歪みだし、近い筈の天井がやたらと遠く見えた。

 

「春太くん? ……春太くん!?」

 

 僕の異変に気付いたようで、起こした時のように強く揺さぶり始める。

 

「あん、まり……揺らさ、ないで……」

 

 じゃないと、吐いちゃうから。

 歪む視界の先、泣きそうな千歌ちゃんの顔を最後に、意識は段々と遠退いていった。 




今回の話は、春太くん以外の視点もあるので、その際にはサブタイに千歌とか曜とかつけます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。