勇者の俺は魔王に取り憑かれているが決して闇堕ちしてはいない 作:SK43
静まり返った宿屋のカウンターの奥で、俺は店主の少女の目をただ真っ直ぐに見つめていた。
時計の秒針がやけにデカく聴こえる。時間帯が時間帯だからか、宿屋の1階には俺と少女しかいない。
地面に押し倒した少女に、俺が四つん這いで覆いかぶさっている状況。側からは俺が今、正に少女を食べようとしているように見えるだろう。性的な意味で。
辺りに置いてあった本や雑誌類はバラバラに散らかってしまっていて、俺たちがいる場所だけがくっきりと浮かび上がっているように見えた。
押し倒した拍子に少女の衣服ははだけてしまったようで、艶かしい鎖骨が覗いている。更に仰向けになっている所為で少女の年不相応なまでに育っている豊かな双丘が扇情的に変形していた。ひょっとしたらこの子は着痩せするタイプなのかもしれない、なんて邪な考えが頭をよぎる。
逃げ出してしまいそうな気もするが、俺はそれを許さない。しっかりと肩を掴み、目線を合わせて少女の潤んだ瑠璃色の双眸を見つめ続ける。
少女は顔を紅潮させ、緊張と恐怖で震える口を開いた。
「そんな……わたし、そういうのは初めて、なんです……」
俺の申し出を少女は首を小さく振って拒絶とも受諾とも取れる曖昧な答えを出す。少女の声はか細く、ともすれば消えてしまいそうな程だった。
けれど、真っ直ぐに、ただひたすら真っ直ぐに少女を見つめる俺の耳はしっかりとその一言一句を漏らす事なく聴き取る。
「大丈夫だ。俺は必ず満足させてみせる。君はただ、俺に全て任せてくれるだけでいいんだ」
「そんな……でも、わたし……っ」
行き場を失った少女の目が泳ぐ。
その頬は更に紅く染まっているが、俺はそれに構わず祈るように肩に置く手の力を入れなおした。
……何故こんな事になってしまったのか。何故こんな事をしなければならないのか。
俺は内心悲しみと羞恥で涙目になりながら尚も真剣な面持ちで彼女を見続けている。
――俺の脳裏には、つい1時間前の記憶がフラッシュバックしていた。
◆
「さて……あの子は」
オルガニアをなんとか説得した俺は、とにかくまずは少女と話そうと思い、1階の受付までやってきていた。
掃除が終わった後だろうから、その後彼女は少し休憩をとって洗濯や夕飯の準備に取り掛かる筈だ。
1ヶ月という長い時間滞在し続けているおかげで店主の少女の時間割をなんとなく把握してしまったのだが、それがまさかこんな形で役に立てられるとは思わなかった。
ともかく、あの子とコンタクトを取るなら、今が絶好のチャンス。
「……いた」
ターゲット、補足。
店主は受付のカウンター前に腰掛け、なにやら雑誌を読んでいるようだった。
この宿屋は破格の値段で泊まれるというのに、それほど客の出入りが激しくないのが不思議だ。建っている場所が大通りから少し離れているのが原因なのだろうか。静かでいいと思うのだが。
何はともあれ、作戦決行。
作戦名は「取り敢えず仲良くなってから取り入る作戦」だ。内容はその名の通り。時間はかかるが確実性はある……はず。
人とのコミュニケーションが苦手というわけではないが、得意でもない俺にとっては難易度の高い作戦ではありそうだが、生憎それ以外の良策は思いつかない。
「……こんにちは」
「……? あっ、こんにちはー!」
俺が声をかけると、少女は心なしかいつもより明るさ割り増しの笑顔で応じてくれた。
さて、俺のコミュニケーション能力でどこまで会話を長引かせられるか……。
……と、不安に思っていたのだが。
俺が暇で少しぶらぶらしてたと言うと、予想外なことに少女の方から話を色々と振ってくれた。
元々挨拶を交わす事はしていたし、フレンドリーな子だな、とは思っていたが予想以上に友好的だ。
宿屋の少女の名は、エミィ=レンティアと言った。俺は1ヶ月宿屋にいたが店主の少女の名前を聞いたのはこれが初めてだ。
そして更に驚くべきことに、少女エミィの歳は15歳だと言う。15歳にしてはあまりにも大人びた出で立ちに、同年代の誰もが羨望し、妬むような抜群のスタイルだと思うが、彼女は特別発育がいいのだろう。
ソルデにおける成人は18歳。まだ成人すらしていないエミィが1人で宿屋を切り盛りしているというのはどういう事なのだろうかと疑問を持ったが、エミィの両親は既に亡くなっていて、今は叔父の家にお世話になっているんですと教えてくれた。
その場合、エミィの父と母が経営していたと言うこの宿屋は普通店じまいして領地を売り払ったりするのだが、エミィの希望によりそのまま経営が続けられる事になった、との事だ。
「ここは……わたしが育った家なんです。お父さんとお母さんが居て……お客さんがいて。ここで働いてると、何かに守られている気がするんです」
どこか遠い目をするエミィは過去を懐かしむように言う。エミィの言葉は過去に縛られている、というよりも受け入れた上で尚も父と母の形見を継ぎたいという彼女なりの決意が感じられた。
なんと純粋で健気な少女だろうか。誰にでも真似できる事ではない。物語にして出版したら誰もが少女の姿に号泣する事請け合いである。
「本当は1人で休憩してる時とかすっごく退屈で……寂しくて。アルスさんが話しかけてくれて嬉しかったんですよ!」
エミィは心底嬉しそうにしながら俺に打ち明ける。
驚くべき事に彼女には所謂、媚びるだとか偽るという営業用の気というのが全く感じられない。文字通り純度100%。爪の垢を煎じてオルガニアに飲ませてやりたい気分だ。
そんなエミィには天真爛漫という言葉がよく似合う。それ程までに澄んでいて、明るい太陽のような笑顔だ。
彼女が普段にこやかな顔で客を送り出したり、出迎えたりする行為には、もしかしたらいつでも話しかけて欲しいという意味が込められていたのかもしれない。
この太陽を直視し続けていると、俺の邪な企みなどまとめて浄化されてしまいそうになる。
「えへへ……アルスさんは長い期間ここに居てくれてますし、わたしから話しかければ良かったんですけどね。えっと……これからも、ここに泊まっている間で良いので、お話し相手になってくださいませんか……?」
エミィは俺を見上げながら恐る恐るといった風にお願いをしてきた。
身長差のおかげでその視線は強制的に上目遣いとなり、天然上目遣いという物の破壊力は魔王の力に匹敵するやもしれないほどで、あまりの神々しさに俺は眩暈を禁じえない。
世界中のどんな男であろうとも、この仕草には庇護欲を掻き立てずにはいられない事だろう。
繰り返すが彼女には一切の企みも計算もない。ただただ自然体のままに天下一品の可愛い仕草をやってのけるのである。
げに恐ろしきは天然妹キャラ。本題に入る前に俺がやられそうだ。
とは言ったものの、ここで俺がノックアウトされてしまっては泣いてしまうのはエミィだ。
場もあったまってきているようだし、ここは心を鬼にして本題に入らせていただこう。
「あの……さ。エミィがいつも持ってるあの箒とちりとり。あれって、何か不思議なものだったりする?」
俺は意を決してエミィに神器……箒とちりとりの話を振る。
こんな訊き方では少し怪しまれるか、と思ったがエミィは俺の言葉の裏に潜む意味などまるで気づきもしていないようで、正直に元気いっぱいにこくりと頷いてくれた。
そしてすぐ側にあったロッカーから実物を取り出して俺に見せてくれる。
「はいっ、亡くなったお父さんが使ってた物です! ……凄いんですよ! パッてはくと、スパパパパーンッて辺りのゴミとか埃が集まってくるんですっ!」
突如、エミィは飛び切りの冷や汗モノな話を放り込んできた。
あの箒とちりとりは父親の遺品。
父親の遺品である。
父親の遺品を俺はこれからポンコツに変えようとしているのである。
具体的にはオルガニアが、だが。
げに恐ろしきは天然妹キャラ。どこに地雷が埋められているのかまるで分からない。容赦なく踏み抜いて俺のメンタルをぶち壊してくれる。
もういっそこのままオルガニアに全て吸い取ってもらって、何も見なかったし聞かなかった振りをして黙って帰ってしまおうか、という考えが浮かんだが即行で却下した。
俺は勇者の責務を放棄するヘタレニートだが、一般的な良識と常識は持ち合わせているつもりだ。ここで退いては男が廃る。
「…………」
俺はどうしたものかと、一旦言葉を噤んで俯向く。
一度はけば辺りの埃やゴミをかき集める箒。なるほど、確かに神器と呼ぶに相応しい。是非とも一家に一本欲しい代物だ。
ただ、それだけならば良かった。
だがエミィの持つそれは、父の形見。
それを何かと交換してくれというのは土台無理な話だろう。というかそもそも交換を切り出す事すら偲ばれる。
にこにこ顔のエミィには気づかれないように悔しげに歯噛みしていると、痺れを切らした俺の中の魔王様がいよいよ動き出してしまった。
『埒があかんな。もう実物はそこにある。いただくぞ』
「ちょっ、ちょいちょい待ち……! お前に慈悲はないのか……!」
小声でオルガニアを制しつつ、とにかく俺は思考を巡らせる。
どうすればいい。オルガニアを説得するのは多分、いや絶対無理だ。
だが、このままだとまた犠牲者が出る。
『全く……面倒だ。いただくぞ……』
「……なぁ、3分くれないか」
『…………うん?』
もう限界だ。
そう思った時には、俺の口は動いていた。
俺の泣きの一回ならぬ、泣きの3分の願いは、オルガニアをギリギリ踏みとどまらせる事に成功した。
『……良かろう。3分でお前が何をするのか。見届けてやる』
残された時間はもう無い。
これは最終手段だ。
俺は、下に向けていた目線を上げてエミィを、見る。
「……?」
エミィは小動物のようにちょこんと首を傾げて様子のおかしくなった俺を見ている。頭が傾けられ、癖っ毛が揺れた。
それをなんとなく眺めて……俺は心の中でエミィに謝ってから、行動を起こす。
「えっ……きゃあっ!?」
エミィの肩を掴んで、怪我をさせないように注意しながら地面に押し倒す。
エミィの身体は軽く、非力な俺でも支える事ができたが、辺りに積んであった本や雑誌が音を立てて散らばってしまった。
だがそんな事は関係ない。なりふり構っていられんのだ。
俺の突然の奇行に目を白黒させているエミィをしっかりと見つめ、俺は声高々に懇願する。
「俺を、ここで働かせてくれ!!」
それは、渾身の
――そして冒頭に戻る。
出会って1ヶ月経ったとは言ってもまともに話したのは今日が初めて。だというのに突如としてこんな暴挙に出た俺はぶん殴られて衛兵に突き出されてもおかしくはないが、それでも俺は退くわけにはいかなかった。
確かに今までずっと1人で切り盛りしてきて、人を雇うのは初めての事だろう。
だが安心して欲しい。俺は非力だが家事スキルは中々の物だと自負している。掃除洗濯料理皿洗い。家ではそれらは全て俺の担当だったからだ。
たかが少女1人のために何をそこまでと嘲るならばそうするがいい。神器が力を無くした事によるショックからエミィが立ち直るまでの間は俺が代わりに働くのだ。というか神器の力無くして、この広い宿屋の掃除はエミィ1人では絶対にできないだろう。
そんなエミィを黙って見ていられる奴は人間じゃない。鬼か悪魔か魔王だ。
言うなればただの自己満足だが、そうする事で救われる何かがそこにある。働くのは少しだけ面倒だが、それでも俺にできるのはこれくらいだろう。
それこそが俺の勇者としての初めての仕事……だという事にしておきたい。
もちろん、俺のこの行動が完全に善意のみによるものか、と聞かれたらそれは違う。流石に俺はそんなにできた人間ではない。
ただ、街で働けば外に出なくて済むし、国の支援金以外の収入も期待できるかもしれない。俺にとってのメリットも十分にある。特に街の外に出なくて済むというのが素晴らしい響きだ。実に良い。
俺の不退転の意思を感じてくれたのか、エミィは顔を真っ赤にさせながらも、折れかかってくれていた。
「はぅ……そんな強引に……でも、でも、そうしてくれると、凄く嬉しいかもですけど……」
俺は今だけは女神様に祈りを捧げてエミィの返事を待つ。
「あの……わたしと、ずっと、働いてくれるんですか……?」
「勿論だ。その覚悟が俺にはあるぜ!」
勿論1日ずっと。馬車馬の如くとまでは無理かもしれないが朝から晩まで働く覚悟はできている。元々退屈なニート生活にはそれほど固執してはいないのだ。
俺の決意表明を聞いたエミィはいよいよ折れて、熟れたトマトのような顔を縦に振ってくれた。
『……3分だ。中々変わったものが見れたな。正直どうリアクションしていいか我には分からんが……』
と、そこで丁度タイムアップ。戸惑った様子のオルガニアが神器から魔力を吸い取る。
けれども俺は、謎の達成感で満たされていた。
「す、末長く……宜しくお願いします……」
頭から煙でも吐きそうな程赤くなったエミィが、そんな事を呟いた気がするが、その言葉は俺の耳には殆ど届かなかった。
勇者、ジョブチェンジ!!