勇者の俺は魔王に取り憑かれているが決して闇堕ちしてはいない   作:SK43

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第8章「アルスの作戦」

『デカイな。デカいがアレは弱そうだ。何故逃げる?』

 

 森の草木を掻き分けて疾駆する俺にオルガニアが呑気そうに尋ねる。

 俺は息を切らしながら、肺に一気に空気を取り込み、一息で答えた。

 

「いやいやいや、そりゃお前からしたら弱いかもだけどな!? 俺みたいな貧弱が戦ったら一瞬で命が消し飛ぶわ!」

 

『見かけは狼のようだが、ふむ。牙が異常に発達してそれに身体も伴った、といった所か。興味深い進化だ』

 

「話ィ聞けや!!」

 

 血管を浮き上がらせて尚も悠長に考察しているオルガニアに怒鳴り散らす。

 それほど深くは潜っていないものの、森は広大だ。未だに出口は見えてこない。

 

 息切れで思考が定まらないが、俺は霞にも似た違和感を感じていた。

 おかしい。いくらなんでもとっくの昔に森を抜けるはずだ。だというのに森は尚も続いていて、俺の視界には緑しか映らない。

 

「なっ……!?」

 

 加速する不安感と違和感を振り払うようにして走り続けていたが、俺は目の前の光景に目を見開いて足を止めた。

 

 踵を返して真っ直ぐに元の道を走っているはず、だったのだが、そこにあったのは……。

 

「か、壁……!? 嘘だろ、真っ直ぐに走ってたはず……」

 

 ゴツゴツとした立ち塞がる岩肌に触れ、それが本物である事を確かめる。森の奥は傾斜のある山だ。これがその一部だと考えると、俺はさっきから奥へ奥へと向かって走っていたということになる。

 俺は方向音痴ではないはずなのだが、パニックになって逃げる方向を間違えてしまったのだろうか。

 

 それにしたっておかしい。俺は森の()()()()()迫ってきた魔物から逃げる為に()()()()()走ったのだから、俺が奥に行く事は絶対にない。そう、ないはずだ。

 

 森は同じ景色ばかりで方向感覚が狂うと言うが、こんなのはまるで、途中で道がひっくり返ったかのような……。

 

『ふむ、お前は中々チャレンジャーだな』

 

「違うからな。急に頑張りたくなったとかそういうんじゃないから」

 

 意味不明な現実を目の前にして俺はただ涙を流す事しかできない。

 しかしこうなっては仕方がない。大人しく食われるか大人しく捻り潰されよう。

 

 そう覚悟を決めて肩をすくめていると、魔物の足音と……もう一つ、気になっていたやけに忙しない足音が迫ってきた。

 今まで振り返る事もなかったためその姿は分からなかったが、こちらに迫ってきているのは人間だ。

 

「はぁっ、はっ……はぁっ……! けほっ、けほっ」

 

 草を掻き分け、ふらつきながら走ってくる音の正体は息も絶え絶えになった少女だった。

 少女は頭にいくつも枯葉や埃をつけながら転がるようにして俺の目の前で倒れこむ。

 

「え、えーと……大丈夫か?」

 

『死んだか?』

 

「いや……死んでねぇだろ」

 

 床に伏してピクリとも動かない少女の長い髪は色々な方向に跳ね、髪を結っていたのであろうゴムは外れかけて髪の毛に引っかかっているだけになっているという見るも無残な状態だった。

 見た感じ、恐らく歳はエミィよりも上だろう。

 

 土まみれ埃まみれな所を見ると、この子も相当焦って走っていたらしい。

 

「うっ、げっぼ! ……あ、あれ……いき、どま……り……」

 

 少女は咳き込みながら目の前にいる俺の奥にある壁を見て目の光を失くす。

 絶望する気持ちはよく分かる。

 

「もう、だめ……走れない……。見知らぬ冒険者の方、もしあたしの仲間に会ったなら、どうかあたしは死んだとお伝えください……」

 

 そして地に顔をつけて完全に動かなくなってしまった。どうやら依頼途中に仲間と逸れた冒険者の少女のようだ。

 

 しかし伝言を頼む相手を間違えている。だって多分、俺も君と一緒に死ぬと思うから。

 現在、走っては来ていないようだがゆっくりと魔物の足音は俺たちに近づいてきている。

 

「ああ……なんで俺、出かけちゃったんだろうなぁ」

 

『おい、お前が死んだら後処理が面倒なのだ。その女をそこらに縛り付けて囮にでもしたらどうだ』

 

 頭の中に悪魔の囁き……ではなく魔王の囁きが聞こえてくるがその案は却下である。後味が悪いどころの騒ぎではない上に助かる保証もありゃしない。俺は完全に森の出口を見失ってしまっているのだから。

 

 オルガニアにその事を言い、壁に寄りかかりながら人生を振り返っていると、肩で息をしながら倒れていた少女の手が痙攣したかのように僅かだが動く。

 そして、先程の死にかけの態度とは一転、文字通り全身のバネを使って飛び起きた。

 

「はっはーん! なーんてうっそぴょーん! こんな所で死んでたまるもんですか!! 最後まで足掻いてみせるわよバーカバーカ!!」

 

 握りこぶしを作って少女は虚空に誰へともなく叫ぶ。先ほどの死んだ魚の眼のような彼女からは想像できない程のハイテンションだが、それは誰に対する台詞で誰に対する罵倒なのだろうかと突っ込むのは野暮というやつか。

 

「そこのあんた! 剣持ってるとこ見ると冒険者よね? 名前は?」

 

「え? あ、あー。俺はアルス。冒険者としては、まだ駆け出しもいいとこだけどな」

 

 勢いよく指をこちらに突きつけてくる少女に俺は適当にはぐらかしながら答える。ここで勇者ですと名乗っても今の俺にその証明となるものは何もないし、過度な期待をかけられても困る。

 俺がそこまで自己紹介すると、少女は見るからにがっかりしたような目で俺を見た。

 

「あっそー、駆け出しかぁ。役にたたなさそうねー」

 

「うっさいわ!? というかお前はどこの誰だよ!」

 

 役に立たないという事を否定する気はないが、そんな事を言うならそっちこそどうなんだと問い返してやりたくなる。

 

「あたし? あたしはシルベル。シルベル=シュレイクよ。ふふん、シルクって呼びなさい」

 

「冒険者歴は?」

 

「7日よ」

 

「なりたてじゃねぇか!!」

 

 駆け出しを罵倒した後にさらりと駆け出し宣言する少女に俺は驚きを禁じえない。

 なんでそんなに胸を張って言えるのか不思議でならないというか、先程の台詞を是非鏡を見つつ謝罪の言葉も含めて言っていただきたいところだ。

 7日というと、依頼を2つか3つ程度しかこなしていない事だろう。

 

「まぁいいわ。あんたもあの魔物から逃げてる最中よね。ここは協力してなんとか脱出しましょう!」

 

「いいけど、俺はなんもできねぇぞ」

 

「冒険者名乗ってるなら剣術はできるでしょう? その腰のは飾りかしら」

 

 ――はい、飾りです。

 とは流石に言わなかったが、このシルク、という少女が経験は浅くとも一端の冒険者ならば便乗して俺が逃げられる可能性は十分にある。彼女こそが俺の救いの女神となってくれるに違いない。

 

 そう期待を込めて俺は彼女に質問をしてみる。

 

「ちなみに、君は何ができるんだ?」

 

「障壁魔法よ」

 

「なるほど、それから?」

 

「障壁魔法よ」

 

「……それから?」

 

「障壁魔法よ」

 

 なんだ、この子は俺を馬鹿にしているのだろうか。壊れた録音機の如く同じ事しか言わない。だというのにシルクの自慢気なドヤ顔は一体何を意味しているのだろう。

 

「あたしは障壁魔法しか使えな……使わないのよ」

 

 女神は死んだ。

 

「……役に、たたなさそー」

 

「うるっさいわね! あんたよりは役に立ちますー!」

 

 まあそれはそうだろうが、それにしたって偏りすぎだ。言い直してる辺り意地を張っているのだろうが、この分だとその障壁魔法も大した事無さそうだ。

 

 障壁魔法というのは読んで字の如く、魔力によって壁を生成する魔法の一種である。

 魔力そのものを硬化させて壁にする基本的な物から、物質に魔力を流し込み、壁を作る応用的な物まで様々だが、シルクは恐らく基本的な魔力の壁しか作れないことだろう。

 

「ふ、ふん。魔法は難しいのよ。頭の悪そーなあんたには分からないでしょうけど」

 

「そーですかいっと」

 

 耳をほじりながら適当に返事をして、耳を澄ませると足音は大分近くまで来ているようだった。流石にこれ以上悠長に話している時間はなさそうだ。

 

「ゆっくり、物音を立てないように行こう。この森、やっぱりなんか変だ」

 

「わ、わかったわ。しょうがないから今はあんたに、したっ、従ってあげる」

 

 声を震わせて何がしょうがないだ。俺が声のトーンを下げて辺りを見渡しただけでこの怯え様。この子、相当な小心者だな。

 

「……オルガニア、この森……」

 

『ああ、微かだが森全体から魔力を感じる。細工されたのはお前が入った後だな』

 

 シルクの前に立ち先導しながら小声でオルガニアに尋ねてみると、やはり予想通りの答えが返ってきた。

 

 まず間違いなく俺たちは襲撃されているという事でいいだろう。

 まさか、魔王軍か……はたまた人間の犯罪者か。

 ともかく冗談ではなく魔物に無残に食われて死ぬのはごめんだ。

 

「ね、ねぇ? あんたこういうの、慣れてるの……?」

 

 後ろにいるシルクが俺の服の裾をつまみながら訊いてくる。声は震えまくって既に泣きが入っているが、残念ながら俺はシルクを安心させてあげることはできない。

 

 俺がこういう状況に慣れてるわけがない。普段は街から殆ど出ずギルドに入り浸り、いつの間にか店員と顔なじみになって「たまには依頼をお受けにならないんですか?」とか超直球の皮肉を通り越して嫌味を言われるくらいには弩級の引きこもりだ。

 

 だから今の俺の手は震えまくってるし、何か答えようにも口がガチガチと鳴らないのを抑えるだけで手一杯。前に出たのは顔面蒼白なのを見られるのが少し嫌だったからだ。

 俺はなんとか受け答えようとしたが、噛みそうだったのでやめた。

 

 周囲に最大限の注意を払い、抜足差足で歩いていると、いつの間にか魔物の足音は遠のいていた。

 どうやら、撒いていたらしい。早期発見からの早めに逃げの手を取ったのが功を奏したのだろう。

 後はなんとか森を抜けるだけだ。

 

「はぁ……」

 

 俺は安堵の息を吐いて、一瞬足を止める。

 その正しく一瞬と呼べる程の短過ぎる油断のせいで、俺は頭上から差す巨大な影に気がつかなかった。

 

「……ッ! 前ッ!!」

 

「は?」

 

 シルクの切り裂くような悲鳴で我に帰り、俺は無防備に目線をあげる。

 

 俺の目の前には、ズラリと並んだ銀色の刃物……ではなく、牙。

 そして、俺に振るわれる丸太のような豪腕と、それについている大剣のような重量感のある爪。

 

 ――死。

 

 全く状況を理解できない俺の頭に、ふとそんな文字が浮かび上がった。

 

「『護れ』ぇぇえ!!」

 

 俺の頭を吹き飛ばしかけたその爪と腕は、しかし一枚の見えない壁によって阻まれる。

 そして硝子が弾け飛ぶような音と共に衝撃が駆け抜け、俺は横に吹き飛ばされた。

 

「ぐぅっふっ、あがっ!?」

 

 木に背中から衝突し、骨が軋んで肺から一気に酸素が抜ける。

 なんだ、一体何が起こった……?

 一瞬で視界が真っ赤に染まり、明滅を繰り返す。

 

「ちょっと、あんた大丈夫!?」

 

 シルクがこちらに駆け寄ってくる声が聞こえる。

 俺は何に殴られたんだ。俺は生きているのか……?

 

『馬鹿が。目を覚ませ』

 

「ぅあっちぃ!? げほっ、げほっ!」

 

 身体が弾けるような熱に晒され、意識が急速に現実に向かって浮上する。

 意識が飛びかけていたギリギリの所でオルガニアに叩き起こされたようだ。

 

「良かった、防御しても凄い音したから死んじゃったかと……って、頭から血出てるわ!」

 

「わ、分かってる。それどころじゃない、走ろう……!」

 

 どうやって俺の目の前まで来たのかは分からないが、今度こそ完璧に見つかった。4メートル前後はあるであろう怪物から逃げられるかは分からないが、もう走るしかないだろう。

 先程俺の頭が弾け飛ぶのを辛うじて防いでくれたのは恐らく、シルクの障壁魔法なのだろうが、一発で消し飛んだ。もう一度攻撃を受ければ間違いなく死ぬ。

 

 4足の狼のような魔物――図鑑で見たことがある。名はグランウルフ。この森には……生息していない魔物だ。

 

 グランウルフは涎を垂らし、前傾姿勢をとる。目は血走り、獲物を狩る目だ。もしかしたら空腹状態なのかもしれない。

 

「あ、あんた、走れるの……?」

 

「無理……ぽい」

 

 骨にヒビ、いやもしかしたら軽く砕けているかもしれない。そんな状態の俺は走るどころか立ち上がれない。

 万事休す、という奴だ。

 

「ひっ……」

 

 シルクからか細い悲鳴が漏れる。

 グランウルフが一歩、こちらに近づいてきた。

 

『おいアルス、立たんか』

 

「立てる……わけねぇだろが」

 

 この状況でもオルガニアはさして慌ててはいないようだった。この図太さは流石魔王と言ったところなのだろうが、良かったら助けてほしい。

 

『ふーむ、できれば魔力をあまり使いたくはないのだが仕方がない』

 

「出来れば早くしてくれ……」

 

『そう急かすな。……回帰の魔法。地を叩いた水は天へと昇り、1は0へと還る』

 

 オルガニアがそう唱えると、俺の視界が歪み始める。空間湾曲とでも言えそうなほどの歪みっぷりはついさっきの衝撃以上に吐き気を催すものだ。

 

「なん……っ!?」

 

『さて、ではどうにかしてみろ。もう使わんからな』

 

 あー疲れた、と言ってそれきりオルガニアは静かに寝息を立ててしまった。

 俺は目をパチクリと瞬かせて頭に手をやる。

 

 痛みはない。血もない。

 ……動ける!

 俺が足に力を込めるのと、グランウルフの口が俺に向かって開かれ、シルクが声をあげるのはほぼ同時の出来事だった。

 

「危ないっ!」

 

「ぉぉおりゃあ!!」

 

 俺を食い千切ろうと迫る恐ろしい牙を済んでのところで身をよじって躱す。

 俺を捉えきれなかった歯は、俺の真後ろにあった太めの木を抉り、毟った。

 どんな防具ですらも貫通し、破壊する強靭な牙と顎。

 グランウルフはバラバラに噛み砕いた木のかけらを吐き捨て、ゆらりと俺に向き直った。

 先程ダメージを与えたからか、ターゲットは完全に俺である。

 

 考えてみたら、こいつの最大速度は人間のそれを遥かに凌ぐ。走って逃げるなんてのは難しいを通り越して不可能だ。

 だが手段がないわけじゃない。幸いにして今この場には障壁魔法を扱えるシルクがいる。

 倒せはしないが、怯ませて撒くくらいの事はできる。

 

「……行くぞ!」

 

「え? って、きゃあ!」

 

 俺は脂汗を拭うのも忘れ、シルクの手を取り猛スピードで駆け出した。

 

「俺が言ったら障壁魔法を張ってくれ。出来るだけどでかくて、出来るだけ硬いのだ!」

 

 

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