東方墓石録   作:甲光一念

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永遠、そして悔い 『鈴仙・優曇華院・イナバ』
1 必死


 永遠亭。

 月より出でた永遠を生きるものが住まう屋敷。

 

 蓬莱山輝夜。

 八意永琳。

 

 月の姫とその従者。

 永遠亭に住まう他の者は兎だ。月で玉兎として存在していたが、その月から逃げ、身も心も地上に落ちたと公言する、名実ともに地上の兎。

 

 鈴仙・優曇華院・イナバ。

 

 月より逃亡した兎――そして、そこを永琳に救われた兎。

 恩義ゆえか、それとも純粋に惚れ込んでのことか、鈴仙は永琳のことを師匠と呼ぶ。薬学に関しての師匠であり、地上での生き方を教えてくれた存在でもある。

 彼女はいつだって追いかけている。師の背中を追いかけている。

 だからこそ、彼女は何の脈絡もなく、何の前触れもなく、ふとこう思う。

 思ってしまうし、考えてしまう。

 きっとそれは、思っても考えても、僅かばかりの意味も生じないことだ。

 鈴仙本人もそれはわかっていて、しかし、抱かずにいられない。

 

 果たして自分は、ほんの少しでも、ほんの一歩でも、ほんの須臾ほどでも、目の前の師匠に近づくことができているのかと――。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

「…………」

 

 嫌な夢を見た気がする。見たくもない、迷惑にしかならない、心の底から不愉快な夢。痛くない頭に鋭い痛みが走った気がするが、おそらくは気のせいだ。何の夢を見たのかも覚えてないのに、それに対して酷い既視感を覚える。昔の夢でも見たのか、それとも見た気がしてるだけなのか。

 どちらでも一緒だと結論付け、布団からむくりと起き上がる。体を起こした瞬間、布団の中に外気が侵入し温かかった体に震えが走るが、この時期はそんなことを気にしていてはまともに動くことなど出来ない。

 

(師匠はもう起きてるんだろうな……)

 

 起きるというより、永琳は不老不死なのでそもそも寝る必要がない。彼女が寝ているのは、普通の人間と同じような生活のリズムを作ることで何かが理解できるかもしれないという、よく言えば知的好奇心、悪く言えば娯楽の一種だった。

 不老不死。

 それこそが今、鈴仙を悩ませていることの一つなのだが。

 強張る身体を強引に動かし、布団から立ち上がる。箪笥から着替えを取り出し、服を脱いでいく。

 通常、生物というのは生まれた瞬間から死に向かっていく。体を構成している細胞の自壊――自殺の機構、アポトーシスというらしい。身体を良い状態に保つための機能なのだが、生物の肉体は無限に細胞を作り出せるわけではない。故に、生物は死ぬのだ。

 いつか、必ず死ぬ。

 これは鈴仙が永琳に教わった知識のうちの一つだ。人里の人間の誰一人として知らないようなことを永琳は無限とも思えるほどに知っている。だが、きっと自分はまだ、師匠の知識の十分の一も学べていない。自分が新しい知識に目を回している間に、八意永琳は更に新たな知識を獲得しているのだろう。

 鈴仙が立ち往生していても、永琳は立ち止まらない。

 いや、鈴仙が往生したって、ひょっとしたら――。

 憂鬱な気分のまま着替え終ると、襖を開けて廊下に出る。物音一つしない静寂に包まれた屋敷をなるべく床を軋ませないように進んでいく。さすがにこれだけ長く住んでいれば物音を立てない歩き方の一つや二つ身につく。住み始めた当初はおっかなびっくり歩いて、結果余計に床が軋んだものだ。

 廊下を少し進むと庭に出る。結構な割合で庭には兎がいるのだが、今日はいない。そしてそれは庭を見れば一目でわかった。

 

(あ……、どおりで寒いと……)

 

 雪。

 ぱらぱらと雪が降っていて、庭一面にそれが積もっていた。十二月現在それは別におかしくもない光景ではあるが、昨日の方が寒かった気がする。雪が降っている今日より、降っていなかった昨日の方が寒かった気がするというだけなのだが、なんだか変な感じがした。

 

「綺麗だな……」

 

 いつの間にか、そんな言葉が口から零れていたのに一番驚いたのは鈴仙本人だった。他に誰もいない以上二番目に驚いた人物などいないが。雪なんて、もう見飽きたはずだった。今更、こんな景色に感慨を抱く要素などないはずなのに。

 周りを見渡して誰もいないことを確認した鈴仙は安堵の溜め息を吐いた。別に聞かれて何かしらの不都合がある発言ではなかったけれど、なんとなくではあるが、誰かに聞かれたい言葉ではなかった。自分の言葉は自分だけのものであってほしい。よくわからない欲求ではあるが。

 庭に面している廊下を歩くと台所に辿りつく。基本的に永遠亭の住人の食事は鈴仙が作っている。永遠亭の雑用を一人でこなしている鈴仙の仕事の一つだ。別に過密スケジュールというわけでもないので、それなりに時間にはゆとりがあるが。

 壁に掛けてある時計を見ると、時刻は六時過ぎを指していた。永琳はもう起きているだろうけど、輝夜とてゐはおそらくまだ寝ているだろう。

 欠伸を一つして、料理に取り掛かる。

 頭が痛い気がする。気がするだけだ。そんなことは自分自身でもわかっている。わかっているが、振り払えない。それもまた、明確にわかっていることだった。

 不満はない。しかし満足もない。だからと言って不足があるわけでもない。

 悩みというのは人の頭に深く深く根を張る。隙間だったはずの場所は根で埋め立てられ、いつの間にか悩みは頭の空白を埋め尽くすことになる。雑草と同じだ。見えている部分を引っこ抜いただけでは、また根から悩みは湧き上がってくる。

 満ち足りないのに、足りないわけではない。

 物事に根本的解決があり得ないということを、鈴仙自身もなんとなくわかっていて、だからこそ悩まずにはいられない。悩まなければ、悩んでいなければ、世界に自分だけが取り残されてしまうような気がして。

 最近、彼女自身、自分が何を考えているのかわからなくなる時がある。

 思考がいつの間にか堂々巡りしてしまっているなんていうのは最近では珍しくもない。

 包丁で豆腐を切りながら、考えが固まる。

 今自分が何を考えていたのかが全て吹っ飛んでしまったのだ。別に今更それに狼狽えるようなことはない。もうそんなにには慣れている。はあ、と、一つ溜め息を吐く。どうでもよくなった。投げ槍になって、正気ならば絶対に言わない言葉が、口から漏れた。

 

「――なにしてんだろ、私」

 

 そう言いながらも手を止めることはなかった。

 自分が今、なにをしているのかはわからなくとも。

 自分が今、すべきことはなのはこれだとわかっていたから。

 

 

 

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