東方墓石録   作:甲光一念

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2 約束

「どこだここ……」

 

 迷った。間違いなく迷った。これを迷ったと言わずして何を迷ったと呼ぼうか。

 最初の内は良かった。それなりに見覚えのある道を走って来れていたし、人形を見失うことは無いだろうと思えていた。問題は人形を追いかけて森に入ってからだ。薄暗いわ、草のせいでまともに走れないわ、人形は飛んでいるからどんどん先に行ってしまうわで散々だ。

 もしかしてあの人形は単に自分から逃げていたのではないかと思ってしまうほどだ。

 

「……もしかして俺、余計なことしちゃってた感じなのかな?」

 

 彼から逃げていたのであれば、後ろから追いかけてくる男は人形の目からでもさぞ気味悪く映っただろうなと思いつつ、彼は当に見失った人形の影を探す。あの人形師の元に人形を届けなければという思いは変わっていないし、そして何より彼はもう迷っているのだ。闇雲に歩き回るよりは、人形の後を追った方が生存の可能性が少しは上がるだろう。とは言え、死んでもいいか。そういう思いはある。

 里に帰らなくて済むのならば、それもありかもしれない。

 

「確かこっちに行った気がするんだけど……」

 

 茂みをかき分けながら必死に前へと進む。足首の辺りに草が当たってさっきから地味に痛い。ひょっとしたら傷になっているのかもしれないが、確かめる余裕はない。完全に人形の姿が見えなくなってから数分経つが、もしかしてもうあの人形師の元に自力で戻ったのだろうか。そうだったならそうで別にいい。むしろ願ったり叶ったりだ。ただ、あの金髪の美しい少女が、こんな暗い森にいる理由がどうにも分からない。見当もつかない。だが、いないのだったら人形がこっちに飛んできた意味が分からないし。

 

「……ふう、ん? え? 家?」

 

 つらつら考えながらさらに進んでいると、今まで歩いていた暗い森にしては明るく開けた場所に出て、そこには家があった。人里に建っているような家ではなく、西洋風の家屋。お洒落とはこういう建築物のことを表す言葉なのだろう。周囲の自然を乱すようなことなく、絶妙な自然体でその家はそこにあった。

 

「おぉー……ん? あ」

 

 そしてその家の前には、まるで糸が切れてしまったかのように地面に人形が倒れていた。男は慌てて駆け寄り、人形を拾いあげる。服が破れていたり、汚れてしまっていないかを確認すると、安堵の溜め息を吐いた。ここまで来たら疑う理由も無いだろう。この家はあの人形師の家だ。だからこそこの人形は自動的にここまで帰ってきたのだろうし。理屈こそいまだ不明だが。これでもし違ったらなんなんだと叫んでしまうだろうことは間違いない。

 

「汚れない位置に置いて、人形師に見つからないうちに帰るか……、あー、でも帰り道分かんないな……、まあいいか……」

 

 この、まあいいかは、どうにかなるだろ的な意味合いの前向きな言葉などではなく、別にどうなってもいいという完全に投げやりな意味での言葉だった。先ほども似たようなことを考えてはいたが、さっきまでとは心の軽さが違う。人形を見失ったという心残りがもうないので、なんだったらさっきよりも直接的に、死んでやろうとすら思っていたかもしれない。唯一の心残りとして挙げるならば、あの人形が再度勝手に動き出さないかという心配くらいだ。そして再び、森に足を踏み入れようとした時。

 

「ちょっと、そこの貴方。こんな所に何の御用かしら?」

 

 今から帰ろう、もしくは死のうと思っていた男が聞いたその声は、里で何度か聞いたことのある声だった。森の方に向いていた顔を声が聞こえた方へと向けると、そこには声の通り、あの人形師がいた。音が来たのとは反対方向の森から出てきたように思ったが、草の音はしなかった。飛んでいたのだろうか。まあなんいせよ、問われたのならば答えなければなるまい。

 

「えっと、その玄関前においてある人形を届けに――いや違うな。これ嘘になるな。……届けようとしたらひとりでに飛んでいったその人形を追いかけたらここに着いた……ですかね? 別に悪戯とかをしに来たわけではないです」

「人形? ……これ、どこにあったの?」

「里の裏道に置いて……いや、落ちて? たんですけど、人形師さんが落としたんじゃないんですか?」

 

 ありえないと思った上での問いではあったが、返事は無かった。その時すでに、人形師は何かを考え込んでしまっていたからだ。別に返答を期待していたわけではないのでそれは構わないが、少し待っても動く気配がまるでない。

 もう振りきって森に突っ込んでしまおうかと冗談半分で考え始めたところで、玄関先に置いてあった人形が、ひとりでに人形師の伸ばされた手元へと向かっていく。驚いて人形師の方を見ると、彼女は右手の指を器用にばらばらに動かしていた。人形にその手は向けられていたので、糸で手繰り寄せたのかとも思ったが、そうなるといつの間に糸を付けたのかがまるで分らない。

 

「……汚れは無いわね。少なくとも乱暴に扱われてはいない……、何かに使われたわけでもない……、だとしたらなんで里にこの子が……?」

「……あのー、すいません。えっと、俺、帰ってもいいですかね?」

 

 考え込んでいる様子も、人形を手に持っている様も絵になっていたけれど、いつまでもその様子を見ているわけにも行かない。死ぬにしても、運良く里に辿り着くにしても、早いに越したことは無いだろう。もう自分に用は無いだろうと思っての発言だったのだが、逃げようとしているとでも思われたのかもしれない。少し厳しめの口調で言葉を掛けられる。

 

「待って。もう少し詳しく話を聞かせてもらいたいのだけれど」

「詳しく……、って言っても、さっき話したことで概ね全部ですよ? 落ちてて、飛んでいって、追いかけてきて、今ここにいて。それ以上の事情ってなると、もうその人形に聞くくらいしか術はないかと……」

 

 彼がそう言っても人形師に納得する様子はない。確かに彼自身も、話していてなんて信憑性のない話なんだろうと思っているほどだ。納得しないその様子にこそ納得してしまいそうだが、自分はもうこれ以上の情報を持っていない。いくら疑わしかろうが、無理やりにでも納得してもらうしかない。

 

「……はあ、まあいいわ。今度里に行った時、何処にこの子がいたかを詳しく教えてもらえるかしら?」

「え? そのくらいなら全然構いませんが……、あ、すいません、一つ聞かせて頂いてもいいですか?」

「……なにかしら?」

「里って、どっちの方向ですかね?」

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 死んでやろうとすら思っていた男ではあったが、人形師に今度里に来た時に人形の落ちていた場所を教えるという約束をしてしまった以上、少なくとも今日死ぬことは出来なくなってしまったわけだ。となるとこの目の前の森から生きて出る必要があるわけで、しかし道もわからない男にそれは無理な話だった。つまり人形師に道を尋ねるのもやむを得ない行為だった。

 

「いや、本当に申し訳ありません。道案内させてしまうことになるとは思ってなくて……」

「何度も謝らなくていいわ。それにそもそも迷いやすい森ではあるのよ。だから気が咎めるというのであれば……そうね、あの子を見つけてくれたことへのお礼、とでも思って」

 

 まさか森を出るまでの道案内をしてくれるとは思わなかった。なんとなく漠然とした方向さえ教えてもらえればその方向に真っ直ぐ進んでいくつもりだっただが、どうも人形師が言うには真っ直ぐ進めない森なのだそうだ。こんな奥まで入り込んだことなどなかったのでそんなこと知らなかったのだが、逆に、死ぬのにはもってこいの場所とも言えた。

 

「……あの、この森にはどのくらい住んでるんですか?」

「…………どのくらいかしら。もう数十年になるのは間違いないと思うけど」

 

 まだ少女と言えるその容貌から数十年という言葉が飛び出したことに多少ぎょっとするが、まあそういう人もいるかと思った。良くも悪くも、男は他人に無関心なのだ。自分みたいな人間もいれば、自分よりも幼く見えるのに長いこと森で暮らしている少女もいるだろうと。自分自身にも対外無関心ではあるが。

 

「ここ、良い所ですね。涼しいし、空気は澄んでる気がするし……、なんだか健康になったような気すらします。とは言っても、まだこの森に入って来て半刻くらいでしょうけど」

「……そう」

 

 なんだか返事が素っ気ない。ひょっとしたらここには住んでみないと分からない、不便のようなものがなにかあるのかもしれない。自然は見てるだけで癒されるものだとは言うが、やはりそれと利便性は伴わないものなのだろうか。そういえば、里に来た時にある程度の食料を買っていっていたような記憶もある。じゃあなぜこんな所に住んでいるんだろうとは思ったものの、人にはそれぞれ事情というものがある。それは軽々しく踏み込んではいけないものだという常識が彼の中にはあったので、訊くことはしなかった。

 

「そう言えば、今度とは言いましたけど、次に里に来るのはいつくらいになりそうですか? 大体でいいので頭に入れておかないと、会えないと思うので」

「来週くらいには里に行く予定だけど、都合が悪かったりするかしら?」

「いえ。毎日暇人なもので」

 

 と、そこまで言い終ったところで、森の先に光が見えた。薄暗い森の中に差し込む光はとても眩しく、なんだかこちら側が闇だと言っているような気すらしたが、紛れもなく被害妄想だろう。そんなことは分かっていた男は目を細めながら森から出た。振り返ると、人形師がこちらを見ていた。森の影に覆われた彼女と、日の光に照らされる自分。そこには確かに明確な境界線があった。本来いるべきところが逆だという気持ち悪さを感じながら、男は小さく手を振り、小さく頭を下げてから森に背を向け里へと向かう。

 彼は気付かない。

 人形師――アリス・マーガトロイドが、露骨なまでに怪訝な表情を浮かべていることに。


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