お小言の多い仙人で有名な茨歌仙だが、彼女だって四六時中誰彼構わずぶつくさと文句を垂れ流しているわけではもちろんない。巫女や魔女と雑談に興じたり、気になった問題の解決に動いてみたり、人里に美味しいものを探しに行ったりしている。
そして当然、仙人らしい修行もしていて、そのうちの一つに、瞑想がある。
しかもそれは、一般人が行うそれとは明らかに一線を画す。誰もいない、山に隠すように建っている茨歌仙の屋敷において行われるそれは、誰も邪魔が出来ない絶対的な究極の無心である。
集中すること、あるいは神を体感するものとしての瞑想が外の世界で広く知られている一方、華扇にとってそれはどこまでも戦いだ。寿命を延ばすという人間からかけ離れた意味合いと、仙人としての本分を全うし人に近付くという意味合いの、明確に矛盾した正当な修行。
彼女は、人に近付くために人から離れている。それは生き物ならば誰でも抱えている自己矛盾以外の何物でもないのだが、華扇自身にその自覚はない。人に近付いたが故に、別の方向に離れていってしまっていることに気付けという方が無理な話ではあるのだが。
本来ならば、彼女のその行為を邪魔することは誰にもできない。屋敷に辿り着くためには山中の決められたルートを辿って行かねばならないからだ。
だが、そういったものを一切合切無視して、ここに来ることのできる者がいる。
「で、今日は何の用?」
「毎回毎回それだけ集中してんのによく気付くね。これでもできるだけ気配隠して、気を遣ってきてるんだからそれを無下にしないでほしいもんだ」
「はあ……、貴女の口から気を遣うなんていう言葉を聞く日が来るなんてね。ここ最近の私って、そんなに変なことになってるかしら?」
「いや? 表面上は変わりないように見えるさ。流石は仙人様だねと褒めてもいい。だが、どうやら色々と変化があったようだっていうのは感じ取れるし、そもそも知ってる」
「知ってるのね……、まあ別に隠す気もないけど」
死神である小野塚小町にとって、正しい道とか、正しい順路とか、そういう煩わしいものは関係がない。そもそも障害としてすら認識していないと言ってもいい。
屋敷の屋根で瞑想をしていた華扇の背後から近寄っていたのだが、いつも通りあっさりと気付かれてしまった。その流れに今更、驚きや新鮮味はない。
仙人と死神というのは本来、馴染むことなく対立しているはずの関係性なのだが、そもそも華扇は、仙人という形で人の道を外れる必要もなく、長い寿命をもっていた。幻想郷の他の仙人とは違う点が多い。
「で、最近里の人間と楽しげにしているそうじゃないか。こりゃあ面白そ――もとい、一大事だと思ってこうやってわざわざやってきたってわけさ。ほらほら、話を聞かせておくれよ」
「……今の貴女、やってることが天狗とほぼ変わらないんだけど……」
「そうじゃないさ。あんな野次馬みたいなのと一緒にしないでくれ。あたいはただ心配してるんだよ」
「…………」
「今のあんたは、見てて酷く不安になる」
小町の耳にその話が入った時、彼女は話よりも自分の耳をまず疑った。それは通常ならば決してありえない事であり、同時にあってはならない事でもあったからだ。
あの仙人が、人里の人間と恋仲になったなど。
困惑といった感情よりも、まずなによりも危機感と呼ぶべきものが一番強かった。死神ながらにして仙人の身を、あるいは心を案じるなど前代未聞の話ではあったが、たとえ一介の死神という立場からしても、それは放置しておいていい案件ではなかった。
むしろ、死神の本分を全うするならば、それはいち早く解消しておかなくてはならない事案だった。
そこから詳しい情報を集めたところ、恋仲になったわけではなく、告白をされ、曖昧な状態で現状維持を図っているとのことだった。それは構わないのだ。死神に仙人の恋愛事情にずけずけと介入することが許されるような特権はそもそもない。
だから、不安は別のところにある。
小町は華扇の隣に座り込むと、空を見上げる。あるいは、月を見上げる。
「告白されたんだって?」
「……ええ、まあ。もう三週間ほど前になるわね」
「その件を色んな奴に相談したらしいね」
「そうね。三人に相談したわ。思いのほか、真面目に考えてくれた。一番真面目に考えてなかったのは、一番真面目に捉えてなかったのは、私なんじゃないかって思ってしまうくらいに」
「そうだろうさ。もともと仙人なんて子孫を残すことなんて考えてやしないもんだしねえ。恋人なんて今まで生きて一度でも考えたことがあったかい?」
「いえ、一度も。まあ、私には縁遠いものだとも思っていたというのもあるかもだけど」
小町が心配していたよりも、現状に対して華扇は何かを考えているわけでも、憂いているわけでもなさそうだった。それは良いことでもあったが、悪いように言えば、楽観視しているということでもある。
自分の選んだ道が正解だということを魔理沙に言われてから、華扇は肩の荷が下りたような感覚を味わっていた。思った以上に現状に対して負担を感じていたと自覚すると同時に、きっとその負担はどの道に進んでも付きまとってくるものだというのも理解していた。
一生を懸けて背負っていかなくてはならないものだろうと。
この辺りが早苗が華扇を箱入り娘と称した要因でもあるのだが、結局華扇の恋愛観は今をもって固いままだ。いや、それは恋愛観というよりは、死生観と言った方が近いものであるだろうか。
今よりも、先を考えてしまう。
それはもう、長寿を体現している者に架せられた呪いや戒めのようなものだ。
「――あたいはあんたが心配だ。どうしようもなく心配だ。立場的にはこの発言、結構不味いんだけど、言わなくちゃいけないんだろうなって思ったのさ。多分だけど、誰も、今現在のあんたについてはそこまで言及しなかっただろう?」
「……寿命差についての話ならば早苗としたけど」
「守矢神社の巫女か。ん、風祝か? あいつはどうなんだろうねえ。なんだかんだいつまでも生きてる気がするよ。それに、それじゃ話にならない。あいつは、経験していないから。体験をしていないから」
「…………」
「あたい達にとって、人間が死ぬっていうのは当たり前のことだ。日常的なことだ。長期的にでも短期的にでも人なんて簡単に死んですぐに死ぬ。それはもうどうしようもないくらいに種としての差があるからだ。絶対に埋められない歴然とした、格差が」
「……三人とも、人間だから。しないでしょ、そんな話。真剣に考えたって、百年もすれば全部なかったことになるなんて、言うまでもないんだから」
霊夢も、早苗も、魔理沙も。
華扇に対してした助言は、実際は似通っている。自分の意志で考えて、自分の行動で示して、自分の正しいと思った道を進め。それは投げやりな助言ではなく、華扇自身がそういった行いに不慣れだったために言わざるを得なかった抽象的な助言だ。
だがそれと同時に、不老不死の象徴である仙人が、ただの人間と真っ当な恋など出来るはずがないというのも、全員が分かっていた。だがそれでも、三人は逃げなかった。
ここにいる人間の痕跡など、百年もすれば完全に消える。
そしてその百年は、彼女たちにとってそう長い時ではない。
今まで体験したことがないことで悩み、それを誰かに弱々しく相談し、いくつかの助言をもらって、それを元に自分の行動を決定して悩みが解消されたとしても、そういったあれこれも百年経てば全てが失せる。
風の前の塵に同じだ。
それは、あまりにも悲しいこと。
覆しようのない、一方通行。
「人間と妖怪の恋愛話なんて別に珍しいものじゃない。でも、それが幸せな終わりを迎えるのは聞いたことがないよ。大抵は悲恋で終わる。人間側にしても、妖怪側にしても」
「……そりゃそうでしょうね。種族の差は埋めようと思って埋められるものじゃない」
「あんたは返事をしてから、それを考えないようにしているんじゃないの? 先よりも今を必死で見ようとして、視野が異様に狭くなってしまっている。そんな状態に陥るような道が、あんたにとって正解だったと言えるのかい?」
「正解を決めるのは私よ。間違ったとは、あれから一度だって思ったことはないわ」
「その考えだって結局、あんたのものなのかい? 誰かに言われたことに納得して同調するのは構わないと思うけど、ただ乗っかるだけってのは頂けないねえ。助言は答えにはなり得ない。助言っていうのは道標でしかなくて、決して到達点ではないんだから」
「…………わかってるわよ」
華扇は、その右手でもって怨霊を度々握り潰す。怨霊というのは、恨みを持ったままの死霊や生霊であり、地上に留まってはいるもののそれは紛れもなく、魂なのだ。
彷徨う幽霊を退治すると言えば、確かに聞こえはいい。正しいことをやっているように聞こえるだろう。だが、魂である以上それは輪廻転生の中に組み込まれた、歴とした世界の一部だ。個人の裁量で勝手に行っていいことではない。
それは、人間の魂を軽視しているとすら言える行為なのだから。
握り潰してしまえば、それはもう輪廻のサイクルには戻れない。ただその場で消滅し、雲散霧消する。その行為は、仙人として正しいのだろうか。果たして、魂ではなくとも、関わった人間にも同じような対応はしないと、断言が出来るだろうか。
「あたいは忠告した。ここからあんたがどうなろうが、あるいはどうしようが、そこはもうあんたの選んだ正解ってやつだ。きっとあたいにそれを否定する権利はないだろう。でもね」
小町はそこで一回言葉を切った。
「――あんたの行いは、あんた自身が考えれば考えたほど、あんたにも否定できなくなる」
「…………」
「自縄自縛――ってほどでもないけど、後悔しても構わないって言えるような選択なんて、実際この世にないからねえ……」
後悔してから、気付くのだ。
なんだって、いつだって。
「ま、死神から仙人への、助言、って言うか、お節介だね。忘れておくれよ」
立ち上がった小町はいつの間にか消えた。瞬間移動とかの類ではないだろうとは思いつつ、華扇は誰もいなくなった屋根に一人だ。月に雲がかかる。雲の多い夜だ。暗闇の中、華扇は自分に呟いた。
「……わかってる。わかってるわよ。言われなくたって」
仙人の夜は、余りにも暗く、余りにも長い。
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勇敢にも、あるいは無謀にも、山の仙人である茨歌仙に告白した青年の名は深場宵人という。何の変哲もないただの人間だ。普通に生まれ、普通に育ち、普通に頑張り、普通に手を抜き、普通に恋をして、普通に告白をするような、余りにも普通で不釣り合いな人間。
彼に唯一、普通でない部分があったとするなら、人ならざる少女に気持ちを伝えるような蛮勇を備えていたという点だろう。大方の人間が尻込みし、諦めることを、彼は実行した。
そしてそれは小さな芽を出した。
足元にあることさえ気が付かないほどの小さな芽を。
ただ、蛮勇によってのそれは蛮行ではない。少なくとも、二人は現状を楽しんではいたのだから。
「この辺ですね。この辺りが割と涼しいんですよ。やっぱり緑が多いからなんでしょうけど、この季節でも快適なのは凄いですよね。自然の力を感じるってもんです」
「涼しいのは同意ですけど、普段からこんなところに来ているんですか? あまり森に近づきすぎると危ないですよ」
「大丈夫ですよ、魔法の森ならまだしも、ここは割と人里から近い位置にありますし。皆も結構ここまで山菜やらなんやら取りに来てたりしてますから」
「まあ確かに、近辺にそういった気配はありませんが……」
華扇と宵人は、人里から見える位置にあるほどの森、そこから少し外れた開けた場所に来ていた。木々の間をすり抜けた風が流れ込むような地形になっているのか、どこからともなく風が吹いている。
九月中頃の現在、終わりかけの残暑であっても厳しい季節にこの涼しさは確かに自然の恩恵だろう。
このぐらいの涼しさならば、霊夢でもやる気を出すかもしれない。
ただ、魔法の森からは程遠い位置にあるとは言っても、森は基本的に人間の領分ではない。獣と妖怪の住む場所であり、人が踏み込み過ぎればそれは危険でしかない。
経験したことがない者にとっては、危険は認識し難いものであるのも確かだが。
「ただ、不自然って言えば不自然なんですよね」
「不自然? この場所がですか?」
「いえ、この場所がって言うか、この森が。妖怪って、っていうのもあれですけど、結構森に潜んでるやつ多いじゃないですか」
「そりゃあ、森は妖怪にとっては自然の恩恵を最大限に受けられる場所の一つですからね」
「目撃例がないんですよ。一回たりとも。この森で妖怪を見たとか、妖怪に襲われそうになったとか、そういう話が一つもないんです」
「え? ……誰も襲われていないか、あるいは、襲われてはいるけれど誰一人として生還していないか、ということになりますが……、さすがにそれは……」
「ええ。ありえないと思うんですけど、それと同じくらい、森に住む妖怪を一度も見ないのだってあり得ないとも思うんですよね。森に妖怪がいないっていうのは、もうそれは森としての本分を果たせていないって言ってしまってもいいわけですし」
妖怪は自然の一部だ。自然現象に何とか理由を付けようと、獣や魔の形をモチーフにした化物という形を人間に与えられた妖怪は、厳密に言えば生物というより現象に近い。人の形をした自然現象。
それが自然の一部である森にいない――幻想郷の森にいない。これは明らかな異常事態だ。
だからこそ、まともな戦力を有しているわけでもない一般の青年が、たった一人でそれなりに深いこんな所まで入って来れてしまっている。異変とまでは言えないが、何も起きていないということは絶対にない。
「ただ、動物は多いって話です。何故かはわかりませんが、近くに寄っては来るけど襲っても来ないし、捕まえられる距離にも入らないとかで」
「何かしらの経験から学習したのか、あるいは警戒しているのか……。まあそもそも、自然で暮らす動物はあまり人間には近付かないものですが」
「そこで! そこでですよ仙人様!」
「はい? どうかしましたか?」
「動物を手懐けるのに長けていると噂の仙人様ならば、森の動物と会話して森で何が起きているかを探ることもできるのではないかと思いまして」
確かに華扇は屋敷に動物を多数飼っている。通常人間には聞くことのできない動物の声を聞き取り、成し得ないはずの共存を実現させている。
これは何度でも言うが、彼女は人間に近付こうとした結果、人間から離れてしまっている。本人がそれに気付いているのか、あるいは気付いていないのかはまた別の話だが、彼女自身はその点を改める気はない。
そもそも、それでいいという風に考えているのかもしれないが。
何はともあれ、動物関連の異常を解決するのに華扇を頼るというのは非常に正しい選択ではある。華扇本人としては、その噂はどこから流れているのだろうかとは思うものの。
「なるほど、ここに来たのはそれが目的だったんですか?」
「半分半分ですね。なんか今年、去年とかと比べて暑いので、お勧めのこの場所に来たかったっていうのは本当です。ただ、それと同じくらい、嫌な感じもしたので……」
「悪い噂が一つもない場所ほど怪しい、といった感じですか。……確かにこの森、静かすぎますね」
もし妖怪に関しての調査というのならば、自分よりも適任だと思える者を華扇は一名知っているが、動物と妖怪の両方を扱うならば、自分が適任だとは思えた。その両方に対し適度な知識を備えているのは、一部の例外を除いて自分だけだろうという自負があった。
そしてこの森。
気付くのが遅れたとさえ思う。本来ならばここに来るまでの道中で察知できてもおかしくはなかったはずだ。静かすぎるのだ。動物が息づいているような気配が全く感じられない。
宵人が言った、動物は多いという言葉。それを明確に否定するだけの材料が、すでに華扇の中には揃いつつあった。こんなに不気味な森があるのか。これはもはや、異変と言っても間違いではない――。
「……大丈夫ですか?」
「……はい」
この森に関して、今この場で宵人に言ってしまっていいものだろうか。いや、そもそもここまで大きな変化に本当に誰も気付いていないのか。八雲紫なんかは気付いても実害がもたらされるまでは放置しそうではあるが。ここまでの明瞭な事態に誰も危機感を覚えていないというのは、それ自体がもう恐ろしいことだ。
確かにこれなら、人里の人間が妖怪を見たことがないといった理由も、動物を頻繁に見る理由にも説明は付く。
だがもし、今華扇が考えている可能性が真実だとするなら、紛れもなくそれには第三者の意図が関わっている。そしてこれは、幻想郷に起こっている、新しい異変だ。
森を見つめて考え込む華扇を心配そうに見つめる宵人。もしかして本当になにか大層なことが起こっているのだろうか。そんな風に考える。半分半分とは言ったものの、実際の割合としては九対一くらいだ。言うまでもなく、仙人様と出かけたいという気持ちが九だ。
そして、好奇心が一。
好奇心旺盛な青年だった。だからこそ彼は、里で見かけた華扇に一目惚れしたのだ。
しかし、嘘を吐いた。
羞恥心過多な青年だった。だからこそ彼は、仙人様に恋をした本当の理由を偽った。
「…………?」
好奇心は猫を殺す、という、異国の諺がある。彼は勿論そんなもの知らないし、この先で知る機会もきっと無い。だが、それは確かに、彼をしっかりと表してしまっていた。
振り向いた先、華扇の後方にある茂み。
そこから、眼光と殺意を放ち、狙いを定める妖怪の姿を彼は見た。
何かを考えていたわけではない。考えるまでもないことだっただけだ。咄嗟に華扇を突き飛ばした彼の、左胸に穴が開いた。呆然とした表情の華扇は、確かにその鮮血と、笑顔の彼を見た。