提督はかぼちゃだ。
より正確には、頭がかぼちゃだ。
もっと言えば、そのかぼちゃはジャック・オ・ランタンの形をしている。
あの春、とある艦隊に保護された彼女を迎えた入れたのは、紛れもないかぼちゃ人間だった。
(最初は驚いたものだけど、案外慣れてしまうものね)
執務室の中にあるのはペンを走らせる音と書類をめくる音。そんな中で雑談などせず、ただひたすら真面目に目の前に並べられた列に目を通すかぼちゃ頭。ハロウィンでもないのに仮装をしているようなふざけた姿をしていながら、日常的な業務に支障をきたすことは決してしない。これで頭がかぼちゃでなければ提督の模範で規範と言えるような存在だっただろう。
「おや、どうかしましたか?」
声を掛けられて、自分の手元が止まってたことに気づく。なんでもないわ、と短く返答し、少し下がって来た眼鏡を上げて書類仕事を再開する。
「?」
目の端に小首を傾げるかぼちゃ頭が映り込む。真っ白な制服と帽子、その間にあるオレンジ色のかぼちゃ。その奇妙なコントラストはいっそのこと滑稽である。
ジャック・オ・ランタンである以上、かぼちゃ自体に穴は空いている。しかし空いている穴から見えるのは奥から覗く瞳でも声を出すたびに動く口などでもなく暗闇だ。実は穴などあいておらず、ただ目と鼻と口の形に黒い絵の具でも塗られているのではないかと疑うほどの漆黒。しかし提督は平然とジャック・オ・ランタンの口から食事を取るし、先ほどのようにしっかりとこっちを視認している。
本当にあれは被り物なのだろうか……という思考はもう何度目か。本当にジャック・オ・ランタンが人間の体を得た怪人の可能性すら否定できない奇妙な人物(?)、それが彼女の、彼女たちの提督であった。
ふぅ、と彼女が一息つくと同時、執務室の扉が大きな音と共に開かれる。
騒音を立てながら執務室に飛び込んできたのは、健康的な褐色の肌を見せた幼い少女だった。
否、幼い少女、というのはその見た目だけの話であり、少女もまた彼女と同じく、海を奪った怪物と戦う勇敢なる戦士の一人であるのだが。
「チャオ! テイトクさん、ただいまー! こーそくしゅーふくざい、見つけてきたよー!」
ただ、緑色のバケツを掲げて太陽のように笑う元気溌剌としたその姿は、紛れもなく幼子のそれである。どこまでも元気が有り余っていて、もし今と同じ大きさの声を二日酔いの時に聞いたとしたら、頭が爆発すること間違いなしである。
「お帰りなさいリベッチオさん」
対し眩しい笑顔を向けられたかぼちゃ頭は書類から顔を上げ、その手に持っていたボールペンを置き、聞いた。
「他の方たちはどうしました?」
褐色の少女、もといマエストラーレ級駆逐艦の三番艦・リベッチオは掲げていた緑色のバケツを自分の足元に置いて、
「えーっとぉ、キヨシーは帰って来た時ちょうど演習が始まるころでそれを見に行っちゃってぇ」
「ああ、そういえば今日は武蔵さんが演習旗艦でしたね」
ふむと頷き納得してしまうかぼちゃ頭に対し、軍として適当なのは如何なものかと進言しようかと彼女が迷っていると、
「ムツキとキサラギは、途中でウヅキがいたずらして騒ぎになっててそっちに行っちゃったの」
「はぁ……また卯月さんですか。彼女も凝りませんねぇ」
(かぼちゃに彫られた顔の)眉間に手をあててため息をつくかぼちゃ頭。ほんの数秒の沈黙の後に、
「まあ、いたずらが起きてからすぐに私の所に報告が来ないということはあまり大事ではないということでしょうし、いつも通りに姉妹の皆さんと練習巡洋艦のお二人に任せておいて問題ないでしょう」
そう言ってから、かぼちゃ頭は自身の机の引き出しから一枚の紙を取り出し、ボールペンでそれに何かを書き込んだ。
「そして、リベッチオさん。スタンプ満杯になったのでボーナスの間宮券ですよ」
その言葉を聞いた瞬間、リベッチオの目が輝いた。
「え、ほんと!? ねぇねぇテイトクさん、ほんと、ほんとう!?」
「こんなことで嘘なんかつきませんよ。本当です。さあ、こっちに来てサインをして下さい」
「するするするよいくらでもするー!」
どっかの装甲空母が持っているジェット機もかくやという速さでかぼちゃ頭の執務机に突撃するリベッチオ。足元に置いてあったバケツを蹴り倒さないか一瞬ヒヤっとした彼女の気などいざ知らず、かぼちゃ頭に手渡されたボールペンでさらさらと間宮券に自分の名前を書きはじめる。
「はぁ」
目の端で様子見をしていた彼女はため息を一つつき、自分の書類仕事と一旦止めて立ち上がる。数に限りがある高速修復材、たった一つでも無駄にはできない。今の浮足立ったリベッチオなら無意識のうちにバケツをひっくり返しても不思議ではない故、そうなる前に回収した方が良いと判断したのだ。
緑色のバケツを持ち上げて先ほどまで自分が座っていた秘書机の後ろまで持っていく。今日の分の開発任務はまだやっていない。後で工廠に行くとき、道すがら入渠ドックに寄って持って行こうと思いながら再び秘書机に着席する。
と。
「……なにかしら?」
気配を感じて前を見ると、そこには先ほどまでかぼちゃ頭の執務机でサインをしていた駆逐艦娘の姿が。
「テイトクさんに聞いたよ。ローマさん、まだお昼休み取ってないんでしょ? だったらリベと一緒にマミーヤ行こうよ!」
屈託の無い笑顔で自分より一回りどころか二回りも小さな少女にそう誘われ、彼女……ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦四番艦・ローマはたじろいだ。
急いで目線をかぼちゃ頭に向けると、件の彼は執務椅子から立ち上がっており、愛用の茶色の皮財部をポケットに入れている。
「提督、なんのつもりかしら?」
「なんのつもりもないですよローマさん。貴女は少々働き過ぎですし、私もそろそろ一息つくことを考えていました。そんな折、リベッチオさんが遅めの昼食に誘って下さいましたので貴女も一緒にと思いましてね」
執務室に備え付けられた大きな古時計の時針を確認すると、既に午後三時を回っていた。しかし空腹はそれほどでもなく、まだ仕事も残っているため誘いを断ろうと……しようとして。
「ローマさん、もしかしてリベたちとごはん食べるのいや?」
反則だ、とローマは思った。
同郷の、自分の事を少なからず慕ってくれている少女に上目遣いでそんなことを言われたら、断れるものも断れないではないか。
「……わかったわ。準備をするから少し待って頂戴」
そう返事をした瞬間に、リベッチオの顔色が目に見えて明るくなる。
「いやったー! テイトクさん、ローマさんが一緒にマミーヤに行ってくれるってー!」
「ふふ、それはよかったですね」
飛び跳ねて喜ぶリベッチオ。と、急に騒ぐのを止めて、あたりをきょろきょろとしだした。
「あれ? あれれ? リベが持ってきたこーそくしゅーふくざい、どっかに行っちゃった?」
「それならここにあるわよ」
と、今更ながら緑色のバケツの存在を思い出したリベッチオが慌てた様子を見せ始めそうだったので、すかさずその存在の健在を教える。
リベッチオは見慣れたバケツの存在を見止めると安心した様子で、
「よかったぁ…、どっかになくしちゃったかと思ったよぉ」
そう言ってから駆け足でバケツに近づき、持ち上げる。
「それじゃあ、リベは先にドックに寄ってからマミーヤに行ってるね! テイトクさん、ローマさん、後でねー!」
そう言うが早く、執務室のドアを開いて駆け出していってしまった。
「あ、リベッチオさん、走ると危ないですよー」
少し間の抜けた声で廊下に身を出して忠告するかぼちゃ頭に、遠くから聞こえてくる元気の良い返事。かぼちゃ頭は少し嬉しそうな声色で、言う。
「いやはや、リベッチオさんはいつも元気ですねぇ。少々危なっかしいのでもう少し落ち着きを持って下されば言う事は無いんですが」
「そう言う割に貴方は甘いじゃない。まあ、あの子に限った話じゃないけれど」
「そうでしょうか?」
首を傾げるかぼちゃ頭に、呆れに似た感情を抱く。
かぼちゃ頭……提督は基本的に甘い。リベッチオが間宮券を貰った理由、出撃及び遠征の度にスタンプが一つ押され、スタンプが一定以上集まれば彼のポケットマネーから用意された間宮券と交換される『スタンプカード』はその典型的な例だ。
特殊な立ち位置であるとはいえ、ここは軍である。軍という組織の中の一つの基地を任されている最高責任者たる提督が常時仮装状態というのは百歩、いや千歩譲って良いとして、組織の構成員である者たちにかなり甘いというのは問題があるとしか思えない。
「もっとこの国の軍は厳しいと風の噂に聞いていたのだけどね」
「はは、まあそういう鎮守府もあるかもしれませんね」
かぼちゃ頭は小さく笑う。
「各地にある鎮守府の運営方針はそこの最高責任者に一任されてますからね。かつての軍のように徹底的に個性を潰した体制にしているところもあるとは聞きますが……正直、私はそういうのは好みではないんですよ。率直に言って苦手という程度には」
かぼちゃ頭、提督は続ける。
「まあ、なんというかですね。貴女たちには戦場でないところでは楽しく自由にやっていて欲しいんですよ。貴女たちがいなければ戦線を維持すらできない私たちが出来るせめてもの……」
そこで、彼の言葉が止まる。
彼女たちの憩いの場である間宮に向かう準備を終えて、なおローマはその言葉の続きを待った。
沈黙の時間はそうは長くなかった。ほんの十数秒、その沈黙を破ってかぼちゃ頭は、
「だめですね、上手い言葉が見つかりません」
恥ずかしそうな仕草で後頭部(というかかぼちゃ頭の背面部)を掻いた。
「少しばかり詩人を気取って語ってみたはいいものの、語彙力の無さを痛感するはめになりました」
おどけた様子のかぼちゃ頭に対する感情は、最早呆れに似たものではなく呆れそのものだ。ため息の一つや二つも自然と出てくる。少し神妙になって彼の話を聞いていた数分前の自分を殴りたいとさえ思うほどに。
「まあでも」
この期に及んで何かまだ喋る気か、と身構えるローマの様子をよそに、かぼちゃ頭はその被り物の奥の口を開いた。
「こんなご時世だからこそ楽しく、自由に日々を過ごしてほしいというのが私個人の望みであるという事は確かです。ですから、私は皆さんの私生活に干渉するという事はなるべくしないようにしてるんですよ。下手に縛ってしまうと不満を爆発させてしまうかもしれないですしね」
幸い皆さんも自主的に自制しながら過ごしてくださってますから、と最後に付け加える。
その声色から簡単に判別できる。今、彼は笑っているのだろう。
そんな様子を見て……自然と笑みがこぼれてしまうというのは、自分がこの鎮守府に染まってきてしまっている証明なのだろうか。
「まったく……貴方は随分と奇特な人ね、提督」
「そうですか? 私個人としては、提督としてありふれている部類の人間であると自負しているのですが」
ローマの言葉に対し、意外な意見を聞いたと言わんばかりに驚くかぼちゃ頭。
そんな彼に、まず最初に鏡を見てからそういうことを言え、とは思うものの、口にはしない。
最初は何かの悪ふざけかと思った。周囲の者たちが皆、それに対してなんらおかしなものと認識していないのは、自分をからかってるのではないかと疑った。しかしそれは彼女たちにとっては日常の、当たり前の光景で、いつしか自分もその当たり前の光景を受け入れ、馴染み、輪の中に入っていた。
不可思議な出で立ちのかぼちゃ頭の提督。それが、彼女たちにとっての、そこに在る当たり前。
「さて、そろそろ行きましょうか。リベッチオさんが間宮で待ちくたびれているかもしれないですし」
そう言って執務室の扉を開け、ローマに道を譲るかぼちゃ頭。
「エスコートは不慣れですが、まあそこは了承してくださいね」
そんな軽口を言うかぼちゃ頭に、ローマの口元は自然と緩んだ。
「でしょうね。見ていればわかるわ」
こんな生意気な態度を取っても目の前のかぼちゃ頭が気分を害したりすることはない。彼女が知っている『軍人』という概念から逸脱した奇妙なかぼちゃ頭は、
「はは、ビスマルクさんやウォースパイトさんにも同じことを言われましてね」
と恥ずかしそうに、またかぼちゃ頭を掻くのだった。