初めて買った本格的な部類のラジコンカーは、タミヤのネオスコーチャーだった。
小6の時、父親が買ってきた組み立て式のやつを苦労して組み上げた。
ポリカボディを室内で塗装し、缶スプレーのシンナーの臭いを家中に撒き散らして母親にヤキを入れられたのが懐かしい。
全く上手く走らせられなかった。
それでもめげずに、俺はニッカドバッテリーの充電がなくなるまでの15分間で真剣に練習していた。
『ヘッタクソねぇ〜。』
亜梨主が俺に声をかけてきたのは、そんな時だった。
『な、なんだテメェ!ころすぞクソババァ!』
6年生にもなると、悪い言葉を覚えてますます言葉遣いが荒れる。
『何よ!クルマすきとか言ってラジコンも走らせられないの!?ダッッッッサ!!!!』
5年生のクラス替えで距離が離れてから、あまり顔を合わすこともなかった。
言い合いもしてなかったからか、ここぞとばかり罵詈雑言を浴びせあった。
しかし下手くそなのも事実だった。
走らせてからまだ一週間。
それでも悔しかった。
『ちょっと貸しなさいよ!』
ランドセルを背負ったままの亜梨主が、俺の手からプロポを取り上げた。
『何すんだこのやろう!』
『見てなさい、あたしのさいのうを!』
そう言って、亜梨主はネオスコーチャーを走らせた。
どうせこいつもロクに走らせらんねえだろ…と思っていた。
亜梨主が操作するネオスコーチャーは、まるで同じマシンではないかのようにキレイに8の字コースを周回していた。
もちろん今なら俺の方が全然上手いが、スピンか超アンダーステアを引き起こして直進するかの二択だった12歳の夢明希少年に比べて、その時の亜梨主はかなり上手い方だった。
ひと通り走り終え、亜梨主はプロポを俺に突き返した。
『あたし、こういうの得意なのよね。ま、がんばりなさい。』
ドヤ顔の亜梨主からプロポを奪い返す。
背中を向けて歩き去る彼女に、俺は大声で罵倒した。
亜梨主とした、最後の口喧嘩だった。
………………
……………
…………
………
……
…
風が冷たくなってきた。
10月をすぎると、朝方と夕方はとっても寒くなる。
俺と慧梨主は、おそらく今年最後になるであろうデートに出かけた。
これから、慧梨主は大学受験に向けて大詰めになる。
ちょっと寂しいが、こればっかりは仕方がない。
「受験勉強、大変そうだね。」
慧梨主との会話も、今日は受験の話ばかりになっていた。
「ええ。でもそんなに高いレベルの学校ってわけでもないですし、ちゃんと真面目に勉強していれば大丈夫ですよ。」
慧梨主は、隣町の普通大学を志望した。
車を使うと結構すぐ着くから、俺が就職するまでは離れ離れになる心配はない。
「あと…夢明希くんとは離れたくないですしね。」
その言葉に、顔がポッと熱くなった気がした。
「あ、ありがと…」
俺達は、河川敷の広場に来た。
ベンチがいくつかあるだけで、なんとも寂しげな空間だった。
「どうしてここに?」
俺は尋ねた。
こんなとこにわざわざ連れてきたからには、何か用事があるに違いない。
「ここは…私と、お姉さまとの全てが変わった場所なんです。」
俺は、慧梨主が目に涙を浮かべているのに気づいた。
話が終わると、慧梨主はぽろぽろと涙を流して泣いていた。
以前、亜梨主が黙っててくれと俺に言った話だった。
「…大丈夫?」
俺は慧梨主を抱き寄せた。
他にできることのない自分が恨めしかった。
「ごめんなさい…こんな、暗い話しかできなくて…」
「でも、俺は嬉しいよ。ずっと隠されるより、話してくれた方が…だって、俺…彼氏だし。」
亜梨主に黙ってろと言われてその通りにしていたが、心の傷を共有してあげられないもどかしさが常にあった。
それに、やっぱりお互いの秘密は最小限の方が良いと思った。
「ありがとう、夢明希くん。」
帰り際。
「私、最近夢を見ることがあるんですよ。」
唐突すぎて返しに困った。
「そりゃ…まあ見るんじゃない?…あ、それとも今まで夢見たことないの?」
「いや、あの…もう!意地悪しないでください!」
からかわれた慧梨主が、顔を真っ赤にして怒る。
可愛かった。
「だってあの言い方じゃ…」
「もー、うるさい!」
慧梨主にほっぺを掴んで引っ張られた。
「ちょっ!痛い痛い痛い!!で、どんな夢みたのさ!?」
その怒り方は、昔の亜梨主のそれとそっくりだった。
慧梨主の夢は、俺と慧梨主と亜梨主の3人で遊びに行くと言うものだった。
幸せそうな、でも叶いそうで未だ叶わない夢。
聞いていて、そして慧梨主の楽しさと寂しさが入り混じる表情を見ていて、俺は少し胸が痛んだ。
「お互い仲良しで、夢の中だけどとっても楽しい時間が過ごせるんです。」
「今度…一緒に行こうか?」
夢の舞台になってる場所は、ここから車で2時間くらいの観光地だ。
親父と二人きりで、たまにドライブに行ったりしていた。
「試験が終わった頃には、俺も多分免許取れてるし。春になったら行こうよ。」
慧梨主と2人きり。
彼女的には、亜梨主と3人が良いんだろうけど…
「亜梨主とは……またいつか…な。」
「そうですよね、今はまだ難しいですよね。」
だが慧梨主の表情は、決して夢を諦めていなかった。
きっといつか3人で…と。
「今日は…ありがとう。本当に楽しかったです。」
「受験勉強頑張ってね。」
「はい、夢明希くんも頑張って下さい。」
桜ノ宮家の玄関前。
俺と別れ、慧梨主は玄関へ行き鍵を開けて入ろうとしていた。
「慧梨主ちゃん!」
慧梨主ドアを開けたところへ、俺は彼女に声をかけていた。
「ど、どうしたんですか?」
慧梨主の問いかけに、俺は黙ってしまった。
たくさん傷ついて、それでも今この瞬間の幸せを懸命に噛み締めている慧梨主の瞳。
その蒼い眼差しで射抜かれ、喉まで出かかっていた疑問はたちまち消え失せた。
「…夢が、叶うといいね。」
沈黙に堪え兼ね、俺は慧梨主に手を振ると駆け出した。
………………
……………
…………
………
……
…
愚かな過ちを犯すところだった。
自室のベッドに横たわり、俺は別れ際の行動を自戒した。
枕元の折り畳みテーブルの上には、漫画やデジタル時計などが雑然と置かれている。
その中央に置かれていた本に目をやる。
以前に部屋の押入れから引っ張り出した、小学時代の文集だった。
俺と慧梨主の、小学校でのクラスの記憶の食い違い、
慧梨主が直接見たり亜梨主から聞いた話にしては、あまりに多い俺の小学生時代における黒歴史の情報、
夏頃、桜ノ宮家に泊まった時の出来事、
それに、今の慧梨主の性格_________
小学生の慧梨主は、どちらかと引っ込み思案でちょっと暗い性格だった。
強い権力を持つ亜梨主が背後にいたからいじめられたりはしなかったが、人付き合いは上手くなく友達もいないと記憶している。
ましてや冗談を言ってからかうなんて…俺は内心驚いていた。
そしてもう一つ。
それは慧梨主にスコーピオンを貸した時の事。
決して上手いとは言えないが、かなり操作できていた。
砂地では、後輪駆動のバギーは真っ直ぐ走らせるのにもコツがいる。
この間、使わなくなったラジコンパーツの整理をしていて思い出した。
亜梨主にネオスコーチャーを
全てただの憶測でしかない。
ただ慧梨主の記憶力がないだけかも知れない、
亜梨主は慧梨主に俺の話ばかりしていたかも知れないし、話せなくなった慧梨主が恋しいだけかも知れない、
成長していくにつれ性格が変わったかも知れないし、桜ノ宮の遺伝子がRC物に強いだけかも知れない_________
だけど、分かっていても、俺は聞きたくて仕方なかった。
最早、単なる妄想だと言えなくなった。
なわけあるかい…と、笑い飛ばせなくなっているのだ。
未だに返せていない慧梨主のハンカチを眺めながら、俺はあの時呑み込んだ言葉を思い浮かべた。
君は本当に、
慧梨主ちゃんなのか?_________
恐ろしいパンドラの匣を開ける鍵…かは分からないが、彼女を傷つけてしまうかも知れない。
俺はハンカチを握りしめ、心に仕舞っておこうと固く誓った。