Track.13 別にアンタのためじゃない
『売り切れる前はぜんぜん興味なかったけど、売り切れるとわかったら欲しくなるものってあるわよね。』
ティースプーンで抹茶オレをかき混ぜながら、桜ノ宮 亜梨主は呟いた。
放課後が始まって早々、亜梨主は「ちょっと付き合ってよ!」と、少年を駅前にあるケーキショップへと強制連行した。
期間限定のスイーツプレートが出るので、彼女は是非賞味したいと思っていた。
彼はその資金源だ。
『アンタはないの? 興味なかったモノでも、手に入らないとわかった途端に欲しくなっちゃうってこと。』
亜梨主の問いに、少年は首を傾げた。
『そうだなあ。あまり考えたことないかも……』
『普通考えるでしょ!?普段から頭使ってない証拠ね。アンタの脳細胞も可哀想ねー、ダメなご主人持って嘆いてるわよ、きっと。』
そう言い放つと、亜梨主は抹茶オレを啜った。
抹茶の風味が程よく口の中に広がった。
『そ、そこまで言うかな…』
メンタルが弱い人間なら泣き出すような毒舌に、少年は苦笑いで返した。
亜梨主と少年は遠い親戚の間柄だった。
彼が春にこの街に越してきたことで、二人は十数年ぶりに再会を果たした。
そして少年は彼女の双子の妹、慧梨主の彼氏だった。
ある日、彼は慧梨主から突然の告白を受けた。
今まで妹みたいに思っていた慧梨主から、ひとりの男として慕われていたとは想像もしていなかった彼は面食らった。
ましてや引っ込み思案な彼女が一生懸命に言葉を紡いでいる様を見ると、少年は最早拒否することはできなかった。
『ん…この桃のタルト、なかなか美味しいな。』
亜梨主に引っ張られて渋々入ったケーキショップだったが、巷で話題になるだけあって中々絶品だった。
普段あまり甘いものを食べない少年でも、たちまち虜になってしまった。
『へぇー、気に入ったんだ。なら、あたしのもあげるわよ。はい。』
そう言うと、亜梨主はタルトが半分残った皿を少年のほうへ寄越した。
『え? もらっちゃっていいのか?』
『か、勘違いしないでよね! ダイエットよ、ダ・イ・エッ・ト。別にアンタを喜ばせようとしてるわけじゃないんだからね!』
そう言うと顔を背け、亜梨主は口元に抹茶オレを運んだ。
慧梨主と恋人同士になった少年だが、気がつけば亜梨主と以前よりも親しくなっていた。
恋人であるはずの慧梨主と過ごす時間よりも、亜梨主と過ごす時間のほうが確実に長くなっているのだ。
慧梨主にはない快活さ、人を引き込む話術、力強い光を湛えた瞳_________
勝ち気でアクが強いところもあるが、それすら少年には彼の気持ちを刺激するスパイスになっていた。
少年は罪深いことに、恋人の慧梨主ではなく亜梨主に少しずつ惹かれていたのだ。
彼は、以前亜梨主にされた質問を思い出した。
『ね、もし、あたしと慧梨主が同時に告白してたら…あんたどっちを選んでた?』
『う、ええ!?』
彼はたじろぎ、そして亜梨主を見つめた。
慧梨主の告白を受け入れた建前として、亜梨主には『慧梨主を選ぶ』と答えなくてはならない。
でも_________少年は思った。
もし二人から同時に告白されていたら、あるいは慧梨主より先に告白されていたら…
亜梨主を選んでいたかもしれない__________
『ねぇ……、どっち?』
『も、もちろん…慧梨主だよ。誰かさんと違って素直だし、優しいし…』
『へぇ~…そ・れ・は・悪うございました…ねっ!』
『ぐはっ!』
答えを聞くなり、亜梨主は少年の足をブーツの踵で思いっきり踏みつけた。
あの痛みはマジ踏みだったな_________
少年はあの時の痛みを思い出し、心の中で苦笑した。
それからというもの、以前にも増して亜梨主は少年に絡むようになった。
慧梨主がいる手前、表立って行動はしなかった。
しかし人目を触れず、二人の仲は親密になっていったのだ。
少年に、亜梨主にどういう意図があるのかはわからない。
亜梨主自身も公認している慧梨主の彼氏に、なぜ彼女は手を出すのかを_________
それでも彼は、どんどん亜梨主に惹かれていった。
そして決定的なことが起こった。
『したいの? したくないの? あ、あたしが良いって言ってるんだから、さっさとしなさいよっ!』
慧梨主とキスをするときの練習をさせてあげる…と切り出した亜梨主の態度が、妙にいじらしく見えた…というだけの理由ではない。
少年が亜梨主の唇に興味があったのも、紛れもない事実だった。
夕方の渡り廊下。
二人は口づけを交わした_________
『はい、キスしたからには、今後はあたしの下僕決定ね!』
『え、ええっ!?なんだよ、それ!』
突然の発言に、少年は慌てふためく。
『当然の対価でしょ、反論禁止ね。アンタは慧梨主の彼氏であり、あたしの下僕でもあるのよ。今後はあたしの命令に従うこと☆』
亜梨主はキメ顔でそう言った。
『ちょ、ちょっと待ってよ、どうしてそうなるんだよ!』
あっという間に命令を破って反論した。
『ぐすん…あたしとのキス…イヤ…だった?』
潤んだ瞳で、亜梨主は少年に訴えかけた。
『う…』
『ハイ、それじゃ決定~!』
ケロっと表情を変え、亜梨主はそう言った。
ついに彼は反論ができなくなった。
最早彼は、下僕というより亜梨主の虜になってしまっていたのだから。
それから、慧梨主には内緒で少年は亜梨主の下僕として付き従っている。
『じゃあ、次の店にいくわよ!』
『ええっ、まだ行くの!?』
『あったり前じゃない。あと二軒は回るからね!』
さっさと席を立ち店の出口へ向かう亜梨主。
高飛車な女王の背中を、少年は慌てて追いかけた。
いつか、下僕から彼氏に格上げされるのを願いながら_________
………………
……………
…………
………
……
…
責任感が強く面倒見の良かった亜梨主は、小さい時から弱い慧梨主を支えてきた。
明るい母親の血を多めに受け継いだ彼女の性格は、「慧梨主を守る」という使命のためにより一層磨かれた。
そして慧梨主も、そんな強く優しい双子の姉を頼り、誰よりも尊敬していた。
だが、そんな双子の姉の妹への愛情は、両親の死を境に変質していく。
慧梨主を守らなければ…という感情から、
慧梨主は私だけのものだ…と。
リミッターを破壊され、暴走を始めた亜梨主の姉妹愛は、慧梨主への病的な独占欲へと形を変えていた。
そして亜梨主は狂い始めた_________
中3ぐらいにもなると、慧梨主は可憐な少女へと変貌していた。
地味で暗い子から、清楚でお淑やかな娘へと。
容姿は髪型以外は亜梨主もそっくりでやはり綺麗だったが、姉の方は性格に少々難があった。
生来気が強く、勝ち気でツンデレな気質があった亜梨主は、人当たりは悪くはなかったが苦手と感じる人間もいるにはいた。
一方、おとなしくていかにも女の子らしい慧梨主の方が、特に男に人気だった。
亜梨主は人気者の仮面の下で歯ぎしりした。
なぜ慧梨主の周りに男が寄ってくるのか、
なぜあたしの妹に勝手に手を出そうとするのか、
なぜ?何故?ナゼ?
ユルサナイ_________
独占欲からなのか、それともただの嫉妬なのか…亜梨主は狂ったように、慧梨主に言い寄った男を片っ端から堕として回った。
いざとなればそいつに股を開いてでも、慧梨主から引き剥がしてやるつもりでいた。
己の純潔を捧げずに済んだのは、亜梨主自身に自分で思っていた以上に魅力があり、皆簡単に堕ちたからだった。
高等学園に入学してからは同じ中学校だった男子の噂が広まり、亜梨主目当てで慧梨主に言い寄る者もいた。
亜梨主は心底殺意が湧いた。
片っ端から男を殺してしまえば、慧梨主に言い寄る者もいなくなる…と、真剣に考えたこともあった。
彼女が「お兄さま」と呼ぶ少年が現れたのも、丁度この頃だった。
最初、亜梨主は慧梨主が少年と付き合うのは賛成だった。
正式な彼氏ができれば、これ以上男が寄ってくることもないだろうと考えたのだ。
亜梨主も彼のことは知っていたし、何より慧梨主が本気で尊敬していた。
学園の奴らよりはマシだと思った。
それでも慧梨主から離れられない亜梨主は、3人で登下校するようになった。
だが亜梨主は、少年にある違和感を覚えていた。
彼は彼氏らしく慧梨主に振舞っていたが、あくまでらしくだった。
どんなに奥手な男でも、本気で愛しているなら奥手らしく何とか絆を深めようと真剣になるものだ。
慧梨主から引き剥がすために、ありとあらゆる男を堕としてきた亜梨主は、皮肉にも男を見る目と女の勘が磨かれていた。
そして気づいた。
こいつも、あたし目当てで慧梨主に言い寄ったに過ぎない_________
同時に告白したら亜梨主と慧梨主のどっちを取るかという質問を投げかけた時、それははっきりしたものになった。
それから亜梨主は、容赦なく少年に自分の事を刷り込み始めた。
慧梨主の事を一切合切忘れさせる気でいた。
自分の可愛い妹に、宙ぶらりんな感情を抱くなど許されない。
最早、散々惚れさせて捨てるという、これまでやってきた方法を取る気は無かった。
亜梨主は、少年を殺す気でいた_________
これまでの男達は、足りない語彙力で紡いだ焼き付け刃な口説き文句で慧梨主に興味を引かせたに過ぎず、そいつが離れたところで彼女の心にも対して響いてはいない。
だが少年は、慧梨主が最も尊敬し愛していた「お兄さま」なのだ。
フラれただけで、慧梨主は二度と立ち直れないかも知れない。
そんなことも知らないで_________
自分の愛しい妹を踏み台にした少年に、亜梨主は心の中で死刑を宣告していた。
慧梨主から引き剥がすだけでは足りない。
自分に絶対的な信頼を置かせて服従させるためにも、亜梨主は少年を骨の髄まで自分色に染め上げる気でいた。
言い成りにしなければ、彼を殺すことはできない。
そのために、本当に色んな事をした。
純潔は捧げずに済んだが、彼を堕とす為にファーストキスも捧げた。
流石に身体は嫌がっていた。
その日は吐き気が止まらず、翌日も学校を休んだ。
殺意を抱いている相手をとことん惚れさせようとしている。
その矛盾に、亜梨主はますます狂っていった。
相変わらず人気者として快活な女子を演じていたが、それも本当にギリギリだった。
それでも耐えた。
全ては、ただ_________
『はい。』
夕方、帰り際に亜梨主は少年に飴玉を差し出した。
昼間にもらった余りだった。
『え?何これ?』
『何ってあめよあめ!あげるって言ってんの!』
彼は笑顔でそれを受け取った。
『ありがとな。』
『か、勘違いしないでよね!別に、あんたのためじゃないんだからねっ!』
『ははは!ハイハイ。』
別にアンタのためじゃない_________
口癖になったそのひとことが、亜梨主の感情を抑える最後の砦だった。
全てはただ、慧梨主の為に_________
ワタシダケノエリスノタメニ_________
だが亜梨主は、大きなミスを犯していたことに気づいていなかった。