【完結】アリス・イン・ワンダーランド   作:さくらのみや・K

17 / 21
Track.17 愛が辿り着いた場所

あたしは最後に、地下室の扉を閉めて鍵をかけた。

どうせ、前からあたししか使ってなかった部屋。

住人は最早あたしだけなのだから、鍵を捨ててしまえばもうこの部屋を開けることもないだろう。

あたしは扉に背を向け、1階へ続くコンクリートの階段を登った。

 

“ELISU”と書かれた、ピンクと白のプレートが取り付けられているドアを開く。

薄暗い部屋の中から、猛烈な臭いが吹き出す。

錆びた銅のような臭い…

 

愛する妹から溢れ、飛び散った、赤々とした血の匂いだ。

 

そっと頬に手を当てる。

雪のように白くなった肌。

着替えた服が血まみれになるのも厭わず、あたしは慧梨主の亡骸を抱き寄せた。

 

『あたしもすぐに行くからね…』

 

あたしは、側にあったナイフを手に取った。

慧梨主が自らの喉に突き刺し、刃の部分は真っ赤に濡れていた。

同じナイフで死ねば、同じ所へ行けるかも知れない。

本当のところは分からないけど、どうせ死んでしまえばもう考える事もない。

 

『待っててね、慧梨主…』

 

あたしは、自分の喉にナイフの先を押し当てた。

 

………………

……………

…………

………

……

…

 

『じゃあ…これからも頑張ってね。何かあったらすぐに言うのよ?』

『元気出して!…っていうのは無理かも知んないけど、とにかく身体に気をつけて…』

『…ありがとうございます。』

親戚の夫婦に頭を下げる。

手を振ると、二人は桜ノ宮家を後にした。

 

 

結局あたしは死ねなかった。

自分の首にナイフを突き刺そうとした時、あたしは気づいてしまった。

 

お姉さまを、嫌いになれないの_________

 

慧梨主が本当に悲しんだのは、あいつが慧梨主の心から離れてしまったことではない。

あたしが慧梨主を裏切ったことだった。

 

だってお姉さまは、私のたった一つの自慢…私の憧れだから_________

 

慧梨主があたしをどう見てくれていたか、本音を知ったのは死ぬ間際だった。

 

 

あたしが慧梨主を殺した_________

 

 

自分の過ちに気付くのが、あまりにも遅すぎた。

 

あいつは慧梨主を裏切ろうとしている酷いやつだ…

そう告げて、傷ついたらあたしが抱きしめて慰めてあげる。

そうすれば、慧梨主を失わずに済んだのかも知れない。

彼女にとって何が一番大事だったのか、あたしは何も分かっていなかった…

 

『ごめんなさい慧梨主…ごめんなさい…』

慰めてくれる人はいない。

あたしはただただ、一人で泣き続けた。

 

………………

……………

…………

………

……

…

 

学園を中退し、別の高校への転校が決まった。

転校を3日後に控えていたある日、あたしは洗面器の前にいた。

 

『ヴゥ…ガハッ…ハァ…ハァ…』

毎夜、悪夢があたしを苛んだ。

夜が来て、睡魔に襲われるのが怖くてたまらなくなった。

自販機の缶コーヒーにハマったのも、それがきっかけだった。

その日の夢は特に最悪で、あまりの気持ち悪さに嘔吐した。

『うぅ…』

自分の犯した罪に苦しみながら生きていくのもつらいが、あの世に行ってもきっと慧梨主は許してくれない。

死ぬに死ねない_________

まさに生き地獄だった。

 

『ひどい顔…』

鏡に映る自分を見る。

髪はボサボサ、2〜3時間くらいしか眠れずにいたのでクマがひどい。

涙と嘔吐して垂れた涎でぐちゃぐちゃだった。

『邪魔ね…切っちゃおうかしら。』

普段はポニーテールにまとめている長い髪を見て、あたしは近くにあったハサミを手に取った。

 

気がつくと、足元はあたしの茶色い髪の毛が散らばっていた。

『!』

セミロングに切り揃えた自分の髪を見た。

『慧梨主…慧梨主!』

慧梨主とほぼ同じ髪型にした自分の姿は、まさしく慧梨主そのものだった。

 

あたしは思い立った。

これからは、あたしが慧梨主になれば良い。

この世で味わえなかった楽しいこと、手に入れられなかった幸せを、あたしが与えてあげようと。

慧梨主に無かったあたしの性格も活かして、以前よりも元気で明るい、そして優しくて純粋に。

 

『慧梨主、そうよ!あたしは慧梨主!桜ノ宮 慧梨主よ!!』

鏡の向こうにいる“慧梨主”を、あたしはいつまでも見ていた。

 

………………

……………

…………

………

……

…

 

『へぇー、亡くなった妹さんにね…』

綾瀬ちゃんは、転校してできた最初の友達だった。

『うん…だから、この先段々性格が変わってくかも知れないけど、その…嫌わないで欲しいのよ。』

あたしは彼女に、自分の本心を明かした。

 

あたしは慧梨主として生きていくと決めた。

仕草や性格、好みとかも全て慧梨主に合わせていく。

完璧ではなくとも、気持ちは完全に慧梨主に成り切ろうとしていた。

そしていつか、身も心も彼女になるつもりでいた。

その時友達が一人もいなかったら、“慧梨主”があまりにも可哀想だと思った。

 

『大丈夫!亜梨主ちゃん良い人だから。あ、でも呼び方変えた方が良いよね…うーん、さくらちゃんとかは?名字から取ればどっちにも使えるでしょ?』

変わらぬ笑顔で明るく接してくれる綾瀬ちゃん。

『ありがとう。』

『まっかせてよ!その…慧梨主ちゃんの時に不幸にさせないようにしてあげるから!どっちも大事な友達だもの。』

きっと彼女の恩は、死ぬまで忘れない。

あたしはそう胸に誓った。

 

 

そして、あたしはどんどん“慧梨主”になっていった。

控え目な性格も、

好みも、

話し方も_________

一方であの娘に足りなかった、一歩踏み出す勇気が、いつのまにか備わっていた。

心の平穏を保つため、あいつを殺した記憶も都合よく改竄して、曖昧にして、“慧梨主”が壊れてしまわないようにした。

そうしてあたしの中の“慧梨主”は自我を持ち始め、新たな人生を歩み始めた。

綾瀬ちゃんと仲良くして、日々の生活を懸命に生きて、そして遂に“慧梨主”として恋をした。

 

あたし自身が演じていることは、決して思い出してはいけない。

そうなれば、もう二度と“慧梨主”は戻って来ない。

だから、不都合な記憶は避け続け、決して暴かれないようにしてきた。

パンドラの匣が開かなければ、あたしと慧梨主はずっと一緒にいられる。

 

 

叶えられなかった慧梨主の夢を、

今度は慧梨主(あたし)が叶えてみせる_________

 

 

そうして“慧梨主”は産まれた_________

 

………………

……………

…………

………

……

…

 

二重人格_________

 

亜梨主の話を聞いて、俺は謎の正体を探り当てた。

慧梨主から度々感じた亜梨主の面影。

あれは全て、亜梨主が慧梨主を演じていたが故だったのだ。

 

「何もかも上手く行ってたのに…やっと、やっと慧梨主を蘇らせられたのに…!」

そんなつもりじゃなかった。

そう言い返したかったが、悔しそうに顔を歪める亜梨主の表情を見ると言葉が出てこない。

「約束したじゃない、慧梨主を大切にしてあげてって…それなのに…」

だが亜梨主の形相のどこかに、慧梨主の優しい面影を感じてしまう。

突き飛ばして逃げるのは容易かったが、そのせいで動くこともできなかった。

 

慧梨主が死んでいた_________

 

亜梨主にアイアンで殴られて、こめかみから血がドクドク流れていたが、俺はショックで痛みも忘れていた。

 

「返して…あたしの!慧梨主を!!返しなさいよぉッッッ!!!」

亜梨主はアイアンの無い方の手で、俺の胸ぐらを掴んだ。

「ひっ…」

「アンタさえ現れなきゃ、こんなことにはならなかった!アンタのせいよ!アンタがあたしの“慧梨主”を殺したのよ!!」

そう言い放つと、女のものとは思えない強さで俺を突き飛ばす。

バランスを崩して、部屋の隅に崩れ落ちた。

「待ってよ、俺はただ…」

そこまで言って口をつぐむ。

 

現実に“慧梨主”は消滅してしまった。

この部屋の扉を、仏壇を開けてしまったがために。

パンドラが好奇心から箱を開け、この世の災いが溢れ出たように。

俺が好奇心から開けた扉は、俺が一番愛した人をこの世から消した。

例えそれが、亜梨主の作り出した虚像だとしても…

 

俺の責任だった。

 

「言ったわよね?もし悲しませたりしたら、殺すって…」

アイアンを片手に俺を見下ろす亜梨主。

亜梨主が殺した慧梨主の兄さまが、最期に見た景色と同じだろう。

 

亜梨主は俺を睨みつけ、両手で8番アイアンを振り上げた_________

 

『ッ…』

俺は覚悟した_________

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。