【完結】アリス・イン・ワンダーランド   作:さくらのみや・K

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Track.17 愛が辿り着いた場所

あたしは最後に、地下室の扉を閉めて鍵をかけた。

どうせ、前からあたししか使ってなかった部屋。

住人は最早あたしだけなのだから、鍵を捨ててしまえばもうこの部屋を開けることもないだろう。

あたしは扉に背を向け、1階へ続くコンクリートの階段を登った。

 

“ELISU”と書かれた、ピンクと白のプレートが取り付けられているドアを開く。

薄暗い部屋の中から、猛烈な臭いが吹き出す。

錆びた銅のような臭い…

 

愛する妹から溢れ、飛び散った、赤々とした血の匂いだ。

 

そっと頬に手を当てる。

雪のように白くなった肌。

着替えた服が血まみれになるのも厭わず、あたしは慧梨主の亡骸を抱き寄せた。

 

『あたしもすぐに行くからね…』

 

あたしは、側にあったナイフを手に取った。

慧梨主が自らの喉に突き刺し、刃の部分は真っ赤に濡れていた。

同じナイフで死ねば、同じ所へ行けるかも知れない。

本当のところは分からないけど、どうせ死んでしまえばもう考える事もない。

 

『待っててね、慧梨主…』

 

あたしは、自分の喉にナイフの先を押し当てた。

 

………………

……………

…………

………

……

 

『じゃあ…これからも頑張ってね。何かあったらすぐに言うのよ?』

『元気出して!…っていうのは無理かも知んないけど、とにかく身体に気をつけて…』

『…ありがとうございます。』

親戚の夫婦に頭を下げる。

手を振ると、二人は桜ノ宮家を後にした。

 

 

結局あたしは死ねなかった。

自分の首にナイフを突き刺そうとした時、あたしは気づいてしまった。

 

お姉さまを、嫌いになれないの_________

 

慧梨主が本当に悲しんだのは、あいつが慧梨主の心から離れてしまったことではない。

あたしが慧梨主を裏切ったことだった。

 

だってお姉さまは、私のたった一つの自慢…私の憧れだから_________

 

慧梨主があたしをどう見てくれていたか、本音を知ったのは死ぬ間際だった。

 

 

あたしが慧梨主を殺した_________

 

 

自分の過ちに気付くのが、あまりにも遅すぎた。

 

あいつは慧梨主を裏切ろうとしている酷いやつだ…

そう告げて、傷ついたらあたしが抱きしめて慰めてあげる。

そうすれば、慧梨主を失わずに済んだのかも知れない。

彼女にとって何が一番大事だったのか、あたしは何も分かっていなかった…

 

『ごめんなさい慧梨主…ごめんなさい…』

慰めてくれる人はいない。

あたしはただただ、一人で泣き続けた。

 

………………

……………

…………

………

……

 

学園を中退し、別の高校への転校が決まった。

転校を3日後に控えていたある日、あたしは洗面器の前にいた。

 

『ヴゥ…ガハッ…ハァ…ハァ…』

毎夜、悪夢があたしを苛んだ。

夜が来て、睡魔に襲われるのが怖くてたまらなくなった。

自販機の缶コーヒーにハマったのも、それがきっかけだった。

その日の夢は特に最悪で、あまりの気持ち悪さに嘔吐した。

『うぅ…』

自分の犯した罪に苦しみながら生きていくのもつらいが、あの世に行ってもきっと慧梨主は許してくれない。

死ぬに死ねない_________

まさに生き地獄だった。

 

『ひどい顔…』

鏡に映る自分を見る。

髪はボサボサ、2〜3時間くらいしか眠れずにいたのでクマがひどい。

涙と嘔吐して垂れた涎でぐちゃぐちゃだった。

『邪魔ね…切っちゃおうかしら。』

普段はポニーテールにまとめている長い髪を見て、あたしは近くにあったハサミを手に取った。

 

気がつくと、足元はあたしの茶色い髪の毛が散らばっていた。

『!』

セミロングに切り揃えた自分の髪を見た。

『慧梨主…慧梨主!』

慧梨主とほぼ同じ髪型にした自分の姿は、まさしく慧梨主そのものだった。

 

あたしは思い立った。

これからは、あたしが慧梨主になれば良い。

この世で味わえなかった楽しいこと、手に入れられなかった幸せを、あたしが与えてあげようと。

慧梨主に無かったあたしの性格も活かして、以前よりも元気で明るい、そして優しくて純粋に。

 

『慧梨主、そうよ!あたしは慧梨主!桜ノ宮 慧梨主よ!!』

鏡の向こうにいる“慧梨主”を、あたしはいつまでも見ていた。

 

………………

……………

…………

………

……

 

『へぇー、亡くなった妹さんにね…』

綾瀬ちゃんは、転校してできた最初の友達だった。

『うん…だから、この先段々性格が変わってくかも知れないけど、その…嫌わないで欲しいのよ。』

あたしは彼女に、自分の本心を明かした。

 

あたしは慧梨主として生きていくと決めた。

仕草や性格、好みとかも全て慧梨主に合わせていく。

完璧ではなくとも、気持ちは完全に慧梨主に成り切ろうとしていた。

そしていつか、身も心も彼女になるつもりでいた。

その時友達が一人もいなかったら、“慧梨主”があまりにも可哀想だと思った。

 

『大丈夫!亜梨主ちゃん良い人だから。あ、でも呼び方変えた方が良いよね…うーん、さくらちゃんとかは?名字から取ればどっちにも使えるでしょ?』

変わらぬ笑顔で明るく接してくれる綾瀬ちゃん。

『ありがとう。』

『まっかせてよ!その…慧梨主ちゃんの時に不幸にさせないようにしてあげるから!どっちも大事な友達だもの。』

きっと彼女の恩は、死ぬまで忘れない。

あたしはそう胸に誓った。

 

 

そして、あたしはどんどん“慧梨主”になっていった。

控え目な性格も、

好みも、

話し方も_________

一方であの娘に足りなかった、一歩踏み出す勇気が、いつのまにか備わっていた。

心の平穏を保つため、あいつを殺した記憶も都合よく改竄して、曖昧にして、“慧梨主”が壊れてしまわないようにした。

そうしてあたしの中の“慧梨主”は自我を持ち始め、新たな人生を歩み始めた。

綾瀬ちゃんと仲良くして、日々の生活を懸命に生きて、そして遂に“慧梨主”として恋をした。

 

あたし自身が演じていることは、決して思い出してはいけない。

そうなれば、もう二度と“慧梨主”は戻って来ない。

だから、不都合な記憶は避け続け、決して暴かれないようにしてきた。

パンドラの匣が開かなければ、あたしと慧梨主はずっと一緒にいられる。

 

 

叶えられなかった慧梨主の夢を、

今度は慧梨主(あたし)が叶えてみせる_________

 

 

そうして“慧梨主”は産まれた_________

 

………………

……………

…………

………

……

 

二重人格_________

 

亜梨主の話を聞いて、俺は謎の正体を探り当てた。

慧梨主から度々感じた亜梨主の面影。

あれは全て、亜梨主が慧梨主を演じていたが故だったのだ。

 

「何もかも上手く行ってたのに…やっと、やっと慧梨主を蘇らせられたのに…!」

そんなつもりじゃなかった。

そう言い返したかったが、悔しそうに顔を歪める亜梨主の表情を見ると言葉が出てこない。

「約束したじゃない、慧梨主を大切にしてあげてって…それなのに…」

だが亜梨主の形相のどこかに、慧梨主の優しい面影を感じてしまう。

突き飛ばして逃げるのは容易かったが、そのせいで動くこともできなかった。

 

慧梨主が死んでいた_________

 

亜梨主にアイアンで殴られて、こめかみから血がドクドク流れていたが、俺はショックで痛みも忘れていた。

 

「返して…あたしの!慧梨主を!!返しなさいよぉッッッ!!!」

亜梨主はアイアンの無い方の手で、俺の胸ぐらを掴んだ。

「ひっ…」

「アンタさえ現れなきゃ、こんなことにはならなかった!アンタのせいよ!アンタがあたしの“慧梨主”を殺したのよ!!」

そう言い放つと、女のものとは思えない強さで俺を突き飛ばす。

バランスを崩して、部屋の隅に崩れ落ちた。

「待ってよ、俺はただ…」

そこまで言って口をつぐむ。

 

現実に“慧梨主”は消滅してしまった。

この部屋の扉を、仏壇を開けてしまったがために。

パンドラが好奇心から箱を開け、この世の災いが溢れ出たように。

俺が好奇心から開けた扉は、俺が一番愛した人をこの世から消した。

例えそれが、亜梨主の作り出した虚像だとしても…

 

俺の責任だった。

 

「言ったわよね?もし悲しませたりしたら、殺すって…」

アイアンを片手に俺を見下ろす亜梨主。

亜梨主が殺した慧梨主の兄さまが、最期に見た景色と同じだろう。

 

亜梨主は俺を睨みつけ、両手で8番アイアンを振り上げた_________

 

『ッ…』

俺は覚悟した_________

 

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