シグナムはどうしようもない苛立ちを覚えていた。
時空管理局の警戒の目が日に日に強くなり、また先日の戦いにて盾の守護獣ザフィーラが戦闘不能になるまでの重症を負わされ、やっと勢いに乗ってきていたはずの蒐集作業に確実な遅れが生じさせられたのだ。ここまでされて苛立たない方がおかしい。
「おのれ……」
腹立だしげについ先ほど打倒した魔物のリンカ―コアを蒐集する。
こうして自分達がもたもたしている間に、刻々と主はやての身体は死に近づいてきている。
それはあまりにも非情で、理不尽な現実だ。彼女がいったい何をしたというのだ。闇の書に選ばれただけの、唯の何の変哲もない一般人ではないか。死すべき罪など何一つとして犯していないはずだ。
「諦めん…………諦めてたまるものか」
あの少女の人生を、こんなところで終わらせるわけにはいかない。
彼女には歩むべき未来がある。
八神はやては闇の書、ヴォルケンリッターの最後にして最高の主だ。
もう新たな主など必要ない。代替わりなどさせてたまるものか。
「次の得物を探しに行くぞレヴァンティン」
『Jawohl.』
シグナムは時空管理局を警戒しながらもさらなる得物を求めて突き進む。
元よりヴォルケンリッターは絶望的なまでに不利な立場にある。
自分達の兵力はたかがか4綺。短期間で何百ものリンカ―コアをくり抜いていくには人手が圧倒的に少なすぎる。しかも時空管理局と呼ばれる次元世界最大規模の組織を敵に回し、追い回されている状態だ。こうしてまだ闇の書の完成を望めるだけの希望があるだけ奇跡と言えよう。
故に、まだ自分達に勝機がある内になんとしてでも闇の書を完成させなくてはならない。
あの時空管理局も人手不足により自分達の補足は未だに出来ないでいる。ならば当然、早期決着は必至である。
〝もはや時間との戦いだな”
時が長引けば奴らは体勢を整えられる。そして本腰を入れてヴォルケンリッターを潰しに掛かられたら勝機はない。
“唯でさえあの子供だらけの少数部隊だけでも相手するのがやっとなのだ。これ以上戦力を回されたら堪らない”
時空管理局に所属する少年兵で構成された部隊との二度目の戦闘。あれは拙かった。
もし正体不明の仮面の男共が現れなければ、自分達は間違いなく敗北していた。
白と黒の少女魔導師が手に入れた新たな力『カートリッジシステム』
アレのおかげでいよいよもって、唯でさえ危うかった戦力差が本格的に傾き始めたのだ。
まだ彼女らが未熟だとしても、あの爆発的火力だけでも十分以上の脅威。カートリッジシステムを常時使用している自分達がアレの恐ろしさを良く知っている。
本来ならば若き好敵手たちの成長に純粋に喜びたいところだが、そう悠長なことも言っていられない。成長する彼女達はもはや闇の書の完成を妨げる厄介かつ邪魔な存在でしかない。
「前途多難だな」
第97管理外世界にある格言をぽつりと呟く。
されど彼女の眼には絶望の色は無い。まだ烈火の将は諦めていない。
どんな困難があろうと、押し退けてでも進む覚悟があるとその眼には刻まれていた。
『おいシグナムッ! 結構な大物を見つけたぜ! ちょっと手を貸せ!!』
ヴィータから念話が送られてきた。念話の音量からしてかなり興奮している状態だ。
よほど上質な得物を見つけたのだろう。
『分かった。すぐに向かう。絶対に逃がすなよ』
『わかってらぁッ!!』
仲間も誰一人として諦めていない。ならばどうして将たる己が諦めることができようか。
希望があるのなら縋り付く。
他を蹴落としてまで為し得なければならないことが確かにある。
闇の書は必ず完成させる。
恨まれて当然の所業を行なおうとも、騎士道に反しようとも、この願いだけは曲げられない。
◆
シグナムとヴィータが蒐集作業に精を出している同時刻。八神家に待機していたザフィーラは車椅子に乗っかっているはやてに見上げられながら、素朴な疑問を投げかけられていた。
「どないしたんやザフィーラ? 昨日からずっと人間形態のまんまやね」
はやては褐色の大男ザフィーラがいつもの大型犬(狼)の姿をせず、人型形態を取り続けていることに不思議と思い頭を傾げる。
「少し、気分転換をしたいと思いまして」
ザフィーラは少し微笑み、はやての素朴な疑問に答えた。
―――はやてには分かる。彼からはそこいらにいる大抵の女子ならば、余裕で堕とされるだろうイケメンオーラが滲み出ていることを。
家族として接してきた故に耐性のあるはやてでなければ、危うかったのは間違いないだろう。
「暫くの間は人型でいたいのですが………その、主はやてはこの姿が嫌いですか?」
少し悲しみの含まれた声で問うザフィーラ。
それにはやては首をぶんぶんと横に振り否定する。
「いやいやそんなことないよ! 人の姿やと父親のようで好きやで!!」
「然様ですか。このザフィーラ、嬉しく思います………そういえば、今日は確か図書館に向かわれる予定ではありませんでしたか?」
「うん! もう外出準備万端や!」
「分かりました。では私めはシャマルを呼んできます」
はやてのお供、シャマルを呼ぶためにザフィーラはリビングから退出した。
その姿に八神はやては何の疑問も疑念も抱きはしなかった。
◆
「シャマル。いつも通り、主はやての護衛を頼むぞ。時空管理局は未だにこの街に住み着いている故、くれぐれも警戒を怠るな」
ザフィーラは私服姿のシャマルに先ほどとは真反対といっていいほどの堅い物言いで言う。それに彼女は笑顔で応えた。
「ええ、分かっていますよ。だいぶ効力を上げた認識阻害の隠匿魔法を身に纏っているし、もう暫くの間は誤魔化せるでしょう」
「そうか………何か異常があればすぐに連絡を寄越せ。シグナム共々、早急に駆けつける」
「例え非常事態になっても、貴方には連絡を寄越しません」
「―――何故だ」
シャマルの口から出た言葉にザフィーラは不満を覚え、彼女に押し迫る。
それをシャマルは人差し指でザフィーラの唇を触り、ストップを掛けた。
「大の男が淑女に怖い顔して迫らないで。仲間といえど勘違いしちゃうでしょ」
「ぬ……すまん。だが納得はゆかん。なぜ私にだけ」
「今の貴方、立っているのも辛い状態でしょう。獣の姿だと、その服に隠れている多くの殺傷痕が丸見えになるほどの負傷を受けた身。そんな重症者の助けなんて、かえって足手まといになるだけよ」
ザフィーラが人間形態を取り続ける本当の理由。それは、先日行われた戦闘で受けた多大な傷を何も知らない八神はやてに悟られないよう隠すためだ。獣の姿だとその傷がそのまま晒され、はやてに知られてしまう危険性がある。
故に、衣服などで傷を隠せる人間形態をとっている。
「ほんと、よく生きていられたものね。貴方じゃなければ死んでいたわよアレ」
防御力が優れているザフィーラだったからこそ耐えられた裂傷の数々。今でもそのダメージは癒えず、特に質量兵器と思われる魔矢を脇腹に受け、ぽっかり空いた風穴はとても一日程度では治りそうにない。今ではなんとか出血を抑え、再生を行なわれているがとても激しい戦闘を興じれるほどの状態ではないのは決定的に明らか。
「ザフィーラはヴォルケンリッターのなかでも私以上に戦況を理解し、把握し、適切な判断を執れる優れた騎士でしょう。そんな貴方が、今の己の身体を鑑みて、戦闘が行えるほどの力が残されていると本気で言えるの?」
人差し指をザフィーラの唇から離し、ゆっくりとした口調でシャマルはザフィーラを諭す。己が戦えない身体であると自覚しているザフィーラは反論できず、言葉を詰まらせる。
しかし、仲間の盾の役目を背負う自分が戦場に出られない。それも、主の運命を左右する戦いにだ。頭で理解していても本能が『それでいいのか』と問いかけてくる。
「それは………だが、しかし」
シャマルを納得させれる言葉を探すが思い至らず口ごもるばかりだ。
そんな様子を眺めていた彼女は溜息を吐き、少し尖った口調でザフィーラに言う。
「いい加減にしないと本気で怒りますよ。あれだけの無茶を重ねて、重症まで負って、まだ過ちを繰り返そうとするの? ザフィーラらしくないわよ」
「……………」
シャマルはザフィーラの眼を真っ直ぐした目で見つめる。
『これ以上無茶をするようなら首にチェーンバインドを括りつける』と目が語っていた。
その気迫に借銭練磨のザフィーラも一歩後ずさる。
「今はしっかりと傷ついた身体を休め、次の戦いに身を投じれるほど回復するよう尽力する。盾の守護獣ザフィーラに必要なのは戦いではなく休養です。違いますか?」
シャマルの言葉には有無を言わせぬ覇気が籠っていた。
無論、ここまで言われて理解できないザフィーラでもない。
今は素直に彼女の言に従うしかないだろう。
「………違いないな。済まないシャマル。どうも冷静さを欠けさせていたようだ」
「分かればよろしい。じゃあ、行ってきますね。お留守番宜しくお願いします」
「ああ、任された」
家の留守もまた重要な任務だ。
皆が帰るべき大切な居場所を守護するのだから、軽んじるなど以ての外である。
シャマルとはやての外出を見送ったザフィーラは一人リビングにあるソファーに腰をかけ、今後について思案する。
“さて、闇の書の蒐集状況からして、もはや闇の書の完成段階は終盤に差し掛かってきていると言っても過言ではないな”
ギリギリではあるが、闇の書の完成はなんとか間に合うだろう。
確かに
“私の回復スピードも考えれば、少なくとも三日ほどで完治できる”
まだ希望はある。完全に潰えたわけではない。だが、
“不確定要素の『仮面の男』共が怪しすぎるな”
シグナム達の言う、自分達の窮地に現れた珍妙な仮面を付けた二人の男組。
奴らは目的も、正体すらも明かさずヴォルケンリッターを『無償』で助けたという。
この話をシグナムから聞いたザフィーラはまず怪しすぎると断じた。
「胡散臭いにも程がある……………」
何故犯罪者たる自分達を、無償で助ける必要がある。何より己が素顔を表に出さない者達ほど信用できないものはない。得体の知れない存在にどうして信用することができようか。
獣としての本能が訴えかけている。仮面の男共は危険だと。
ぶっちゃけ彼らの行動は不気味でしかない。裏があるのは見え見えだ。
「狙いは………闇の書しかないか」
過去の経験からして、断言できる。奴らの狙いは完成された闇の書だ。
現状それしか思い浮かばんし、他に自分達を手助けする理由が無い。
恐らく自分達の知らない裏で鼠の如くこそこそと動いているのだろう。
“………警戒を怠るわけにはいかんな”
奴らが何者であるかは知らぬが、闇の書を狙う薄汚い賊であるのは確実。間違っても協力者と見なしてはならない。新たな第三勢力と見なすのが妥当だろう。
「時空管理局だけでも面倒だというのに……つくづく世の中は上手く廻らないものだ」
ザフィーラは溜息を吐きながら誰もいなくなった八神家で一人、あれやこれやと不確定要素と時空管理局の対処策について考えを巡らすことに明け暮れた。