闇の書の主八神はやてが胸に痛みを訴え、後に意識を失い、倒れた。
これには百戦錬磨のヴォルケンリッターも騒然とした。
一時はパニックにまで陥ったが、シャマルとザフィーラの護衛コンビが最も早く冷静さを取り戻し、なんとかはやてを病院に連れて行き事なきを得た。
そして入院までこぎ着けたのはいいが、未だに不安は拭えない。
「主はやては暫し間、入院してもらいます。異論を挟む余地はありませんよ」
耳を魔法で隠し、はやての亡き父親の私服を拝借し着用しているザフィーラは堅い口調ではやてに言う。いつもはやてには見せない、鋭い眼光を宿して。
「………うん、わかっとるよ」
「そう心配なさらないでください。検査のための入院です。そう重い“病気”などではないのですから、すぐに退院できるでしょう」
その堅い雰囲気も次第に緩やかなものとなり、子を諭す親の口調でザフィーラは言う。
それにはやては少し安心するが、何か思い出したのか心配する眼差しで己の騎士達を見据え、
「わたしが入院しとったら誰がご飯をつくるん?」
「「「え」」」
鋭い言葉を放った。
その問いに三人の騎士が硬直する。あまりにもドタバタしていた故、そのようなことまで頭が回っていなかったのだ。
無論、闘うためだけに生み出されたヴォルケンリッターに料理技能があるわけがない。特にシャマルの料理スキルは絶望的だ。食べる専門のヴィータは論外、将のシグナムは包丁すら握ったことのない始末。このままでははやてに無駄な心配をかけてしまう。
そこにいた女騎士達が全員揃って危機感を覚えたところで、思わぬ救世主が現れた。
「食事のことならこの私めにお任せください。和洋折衷何でもできる、とまでは言いませんが最低限度の料理は作ることができます」
「「「え、ザフィーラ料理できたの!?」」」
まさかのザフィーラが料理を作れると言い放ったのだ。
誰もザフィーラが料理する姿を見たことが無かったので病室にいた全員が驚いた。
だいたい誰が無骨長身の大男が料理できると思おうか。普通は思うまい。というか何時の間に料理スキルなんてものを習得していたんだ?
「獣とて料理を嗜むこともあります。ただ
「そ、そっか。それは、うん………心配する必要もあらへんな。わたしが退院したら、ザフィーラの作った手料理食べさせてな」
「ええ、必ず。主の期待に応えれるものを、誠心誠意籠めて作らせてもらいましょう」
……………
…………
………
……
…
八神家まで帰宅したザフィーラはソファーに尻をつき、深い溜息を吐き出す。
あまりにも、自分達は楽観視し過ぎていたのかもしれない。あれほどまでに主が苦しんでいたというのに、自分達は何も気づくことができなかった。
昨日まで彼女が痛みに耐え、気丈に振舞っていたと考えてると耐え難い罪悪感が胸を穿つ。
「…………何とも、情けないものだ」
ソファーから尻を退け、キッチンへ向かう。冷蔵庫の中にある食材に目を通し、何とかなると頷いて料理の支度に取り掛かった。
本心を言うなれば今すぐにでもリンカ―コアの蒐集に向かいたいのだが、古来から腹が減っては戦はできぬと言う。ヴィータなぞ今や飯を抜いたら実力が出しきれないという始末。もはや失敗のできない状況に追い込まれているヴォルケンリッターにとって、それは拙いの一言である。
失敗の許されない状況であるが故に、万全な状態を確保して、力が十全に出るコンディションを取っておかなくてはならない。他の騎士達もそれは理解している。
―――ダン!
テーブルに置かれた日本料理。焼き魚、味噌汁、ごはん、漬物とごく一般的なものだ。
シャマルとヴィータは“本当に料理できたんだ………”と本気で驚いている。人(獣)は見かけによらないものだ、とシグナムは結構酷いことを言ったのだが、状況が状況だ。ここはグッと我慢して追及することを止めた。
―――主はやてが手などを怪我した際に、己が代わりに料理を作ろうと思い習得した料理スキル。習得しておいて正解だったとザフィーラはしみじみ思う。シャマルになぞ料理を任せたらそれこそ蒐集に支障を与えてしまう可能性があるのだから。
「飯を喰ったら蒐集に向かう。シグナム、それで構わないな?」
「無論だ」
「…………もはや雑魚では話にならんからな。今日からは常時大物を狙っていく。無理をするなとは言わん。しかし、必ず生きて帰れ。主を悲しませたくないのならな」
「分かってらぁ、んなこと」
「言われるまでもありませんね」
ヴォルケンリッターの目は全員いつにも増して据わっていた。
◆
荒み、ひび割れた大地。水もなく、森もなく、人工物ものない次元世界。
そんな人の住めない場所に悠々と過ごせる異界の魔物がいた。
図体はデカく、獰猛な化け物たちではあるが、その分リンカ―コアは一級品だ。
それを狙う戦闘に特化した三騎の騎士。
剣の騎士シグナム、鉄槌の騎士ヴィータ、盾の守護獣ザフィーラ。
皆が皆、一線級の騎士にして主を護る矛と盾。彼らの目はいつにも増して据わっている。闇の書による主のリンカ―コア浸食のスピードが上がってきているのだから当然と言えば当然だ。
彼らは日頃から各々バラバラになってリンカ―コアを蒐集していたが、今回はかなりの大物、それも大群を狙うということでチームを組むことになった。ちなみにシャマルは家事などがあるため家で留守番だ。
「久しぶりだな。このメンバーで討伐に出向くのは」
干からびた地面に剣を突き刺し、異形の魔物を見定めるシグナム。
かつてはよくこの三人で敵陣に突っ込んだものだ。
――――剣で敵を裂き、槌で敵を潰し、軛で敵を穿つ。
攻撃に特化した陣営。ただ相手を殲滅するためだけのメンバー。
治療、防衛特化のシャマルもいたら、それこそ防御も加わり無敵の陣へと昇華する。
それがヴォルケンリッター。常勝無敗と謳われた無敵の騎士集団である。
「大型の魔獣12匹。絶対にバラバラになるなよ、シグナム、ヴィータ。単独になれば殺られるのは此方だ。常に自身の役割を卒なくこなせ」
「言われずとも…だ。アレらを一人でなんとかできると思えるほど、私は己の力に酔ってはいないし驕ってもいない」
「えー………あたしはなんとかな――――ふぎゃ!?」
「戯けたことを言うものではない。なんのために我ら三騎が集まったと思っている」
「殴ることないじゃんか!」
「こうでもしなければ分からないのがお前だろう」
ヴィータは少し自分の力に自信があり過ぎていることがネックだ。
それはいずれ慢心となり、敗北を呼ぶ。
「うー………覚えてろよザフィーラ」
頭をさすってザフィーラをジト目で睨むヴィータ。ザフィーラは我気にせずといった感じで籠手の調子を再確認する。シグナムもカートリッジ内の弾数を確認し、こくりと頷いた。
「準備はいいな、二人とも」
「応。問題はない」
「いつでも行けるぜ」
シグナムの問いに、二人は万全であると答えた。
「ならば――――行こうか」
将は先陣を切って大群の群れに向かう。それに続いて鉄槌の騎士、盾の守護獣も揃ってその後に続いた。
◆
「…………これは酷いな」
クロノは苦虫を噛み潰した顔をして、その眼に映る悲惨な惨状に項垂れる。
隣にいたエミヤも同じような表情をしていた。
「全滅、か。まさかオレ達が駆け付けるまで全て終わらせるとは………」
本局から次々と保護指定された魔獣の生体反応がロストしていっていると報告を受け、駆け足で来てみれば既に事が終わっていた。
屈強かつ凶暴な魔物は地にひれ伏し、ピクリとも動かない。
エミヤは魔物達に近づき、彼らの状態を見る。
「………よし。死んではいないぞ」
「だが死にかけてはいるんだろ? 助かる見込みはあるのか?」
「問題はないだろう。ここの魔物は自然治癒の能力が高くてな。今は意識を絶ち、回復に専念している。一日もあれば元に戻るだろうよ」
それでもざっと12体の保護指定の魔物が狩られた。
これはまた、上層部からのお咎めが来るな。保護団体からの抗議とかもありそうだ。
しかもそれらに対処するのは自分達だ。まったくもって堪ったもんじゃない。上層部は文句を言うくらいなら援軍の1つや2つ寄越してもらいたいものだ。
「守護騎士の必死さも増してきたものだ。ここの魔物はかなりランクが高い。オレとクロノでも結構手こずるレベルなんだが」
かなり焦っているな。
こんな無茶をやらかすほど追いつめられているとなると、中々に厄介だ。
危機に瀕した猛獣ほど何を仕出かすか分かったものではない。
「明日には武装隊の面々が復帰する。その時を目途に海鳴市を徹底的に捜査するぞ」
「ああ」
◆
激戦から帰還した騎士達は、リビングでシャマルの治療魔法を受けていた。
あれだけの高ランクに位置する魔物の大群と衝突して、無傷で済むはずがないのだから当然だ。五体満足であるだけ幸運と言えよう。
「………死ぬかと思ったな」
「………三途の川が見えたぞ」
「………地獄だったぜぇ」
ボロボロになった騎士達は今自分達が生きていることにただただ感謝する。
一歩間違えれば死に直結する戦など幾度もしてきたが、今回は別格だった。半歩でも間違えれば全員仲良くミンチレベルの戦いだったのである。
なんせ時空管理局に異変を感知されるよりも早く事を済まさなければならないので、より迅速にあの大群を打倒しなければならなかった。
おかげで扱える戦術も限られ、しかも半分賭けのようなことも多くした。精神を擦り削られるギャンブル性の高いことを迫られた瞬間なぞ、本当にどうにかなりそうだったのだ。いや、本当に、冗談ではなく。
「あ、あの。疲れているところで申し訳なんだけど…………」
治療を行ってくれているシャマルは実に困った顔をして何かを言おうとしていた。
嗚呼、不吉な予感がするなぁ。
シャマルの様子から見て朗報なんてものじゃないだろう。しかも言うことを躊躇っている辺り、かなり悪いことと見た。
「なんだ。悪い知らせなのは分かっている。躊躇うことはない………言ってくれ」
「ああ、此方も覚悟はしている」
覚悟済みのシグナムとザフィーラはシャマルの口から出るであろう凶報を待つ。
「………はい。実はすずかちゃんが自分のお友達を連れて、はやてちゃんのお見舞いに来てくれるようになったんですけど」
「すずか、と言えば主はやての御友人であったな。それが何か問題があるのか?」
ザフィーラは腕を組んで不思議そうな顔をする。他の面子も同じ気持ちのようだ。
「そのすずかちゃんのお友達の内二人が、あのなのはちゃんとテスタロッサちゃんなんです」
「「「―――ハァ!?」」」
そんな馬鹿な。運が悪いとか巡り合わせが悪いとかそんな問題じゃあない。人為的な作為があるのではないだろうかと疑うほどの凶報だ。
「よほど神とやらは私達を嫌っているようだ」
シグナムの言葉に全面的に同意するしかなかった。
これも他を蹴落としてまで幸福を掴もうとした自分達に対する罰なのか。
文句を言える立場ではないのは確かだが、これはあまりにも――――残酷すぎる。
「…………ぬぅ」
ザフィーラは眉間に皺を寄せる。何故よりにもよって、はやてのことを心配をしてくれる者達に敵意を向けなければならないのか。わざわざ主の見舞いにきてくれる者達に対して、どうして矛を向けなければならないのか。もはや不忠不義などというレベルではない。
「主が八神はやてだとバレていないのが、唯一の救いだな。要するに、我らが鉢合わせしなければ何の問題も無いということだ」
「シグナムの言う通りだ。また主はやてと医師に我らの名を口にすることないよう釘を刺しておくべきだな」
新たな悩みの種現る。
せっかく質の良いリンカ―コアを大量に確保できたというのに、全く喜べない。
ヴォルケンリッターは揃いも揃って、重い溜息を吐くしかなかった。