『Fate/contract』   作:ナイジェッル

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第45話 『理想の世界 幻想の夢』

 フェイト・テスタロッサは粒子となってこの世界から消え去った。

 その工程、その結末を確かにエミヤとなのはは目撃した。どう足掻いても否定しようのない、現実である。

 

 「あ………ぁ」

 

 目の前で起こったことが信じられず、なのはは顔面蒼白になる。

 大切な友が目の前で粒子となって消えたのだから、人としては当然の反応だ。

 しかし、白髪の少年エミヤシロウは何処までも冷静であった。

 

 「フェイトちゃん――――そんな、こんな……こんなことって…………!」

 「そう結論を早めるな、なのは。エイミィ。フェイトの生体反応はロストしているか?」

 

 この戦場を記録しているであろうエイミィにエミヤは連絡を入れる。

 彼女からの返信は、思っていた以上に迅速だ。

 

 『フェイトちゃんの生体反応未だ健在! 大丈夫、フェイトちゃんはまだ生きてる。闇の書の内部空間にとじ込まれらただけだよ!! 救助する方法は、現在検討中!!』

 

 エイミィの報告を耳にしたなのはも安堵し、落ち着きを取り戻した。

 混乱状態から脱出した彼女は改めてレイジングハートを構え直す。

 フェイトは死んでおらず、ただ閉じ込められているだけならまだ希望はある。

 それだけで、十分なのはが冷静になれる要素が含まれていた。

 

 「我が主もあの子も、覚めることのないことのない眠りの淵に。終わりなき夢を見る。生と死の狭間。それは―――永遠だ」

 

 闇の書は謳うようにそう宣った。何処までも諦めた声音で。

 心にもないことを無理に言葉にしている彼女は痛々しいことこの上ない。

 

 「永遠なんて、無いよ」

 

 闇の書の戯言を真っ向から否定するは高町なのは。

 

 「皆……変わっていく。変わっていかなきゃならないんだ。わたしも、貴方も!!」

 

 まだ人の人生を半分も生きていない少女は、とても子供というには不相応な決意の籠った声で宣言した。そして何処までもまっすぐな瞳で闇の書を捕えている。

 

 「ハッ、子供にここまで言われると形無しだな 闇の書」

 

 魔を破戒する朱槍を構えて、エミヤは苦笑した。

 彼は思う。この世界の子供は、本当に面白いと。どのような環境で育てば、あれほどの意志を獲得しえれるのか。あれだけの覚悟を、思考を兼ね備えられるのか。

 いやはやまったくもって不思議だとしか言いようがない。

 

 「………ブレイズキャノン」

 

 感情を殺した詠唱により、闇の書の眼前には大きな魔方陣が描かれる。

 そしてその魔方陣から発射されたのは、黒く濁り切った熱線。

 ディバインバスターと同等の威力を持ちながら、弾速はディバインバスターを超えるクロノの主要砲撃魔法。唯でさえ弾速が速いというのに、闇の書のバックアップによりさらなる加速を見せつける。

 ……しかし、その砲撃がエミヤ達に直撃することはなかった。

 砲撃の弾道に割り込むように転移し、ブレイズキャノンを障壁で弾いた男がいたからだ。

 

 「人が努力して獲得した魔法をこうも簡単に扱われるとあまり良い気にはなれないな」

 

 黒の装束に鋼の籠手を身につける少年は溜息混じりに小言を言った。

 そして、その黒い双眼は闇の書を真っ直ぐ目視する。

 

 「父がやり残した仕事は、今日をもって完遂させる」

 

 闇の書に父親を殺された少年、クロノ・ハラオウンは11年の時を経て仇敵と相対する。

 しかし彼の瞳には怒りや憎悪はない。ただただ冷静に哀れなものを見る目で闇の書を見ていた。

 

 「遅いぞクロノ。俺は随分と待ちくたびれた」

 

 そう言ってエミヤはクロノの隣に並び立った。

 すまない、とクロノは謝罪して新たなストレージデバイスを構える。

 

 「それは?」

 「わけあって提督から預かったデバイスだ。なかなか高性能だぞコレ」

 「ほう。では、早速見せてもらうとするか。お前の新しい力を」

 「無論そのつもりだ。お前の度胆すら抜かしてやるさ」

 

 とは言ったものの、チューニングも試運転さえも済ませていないぶっつけ本番の運用であることに変わりはない。普通の者なら幾ら優秀なデバイスといえど扱うのに躊躇いが生まれるだろう。

 しかし、クロノ・ハラオウンは躊躇わない。自分なら使いこなせるという絶対の自信と思い切りの良さを糧にこの最新鋭機を手に取っている。何よりあのギル・グレアム提督が自分を信じて与えてくれた力だ。それを使いこなさんでどうする。

 

 「アースラ隊はほぼ壊滅状態。フェイトもあの闇の書の内部空間に囚われた。今現在、満足に動けるのはオレ達を合わせて極少数。どうにかしてフェイトと闇の書の主を救助し、尚且つアレもなんとかしなくてはならない」

 「つまり、圧倒的に不利かつ絶望的な状況ってことか………ふん。アースラ隊が請け負うオーダーとしては、申し分ないね。そうだろう? 正義の味方」

 「当然。この程度の試練、幾らでも経験してきた。悪態をつくまでもない……まぁ、それは執務官殿にも言えることだがな」

 「ははッ。そうだな、その通りだ」

 

 いつもと変わらぬ様子で話合う執務官と三等陸尉。

 状況は最悪といっていいはずなのに、彼らからはまったく気負いというものが感じられない。

 

 「とりあえず、奴をこの街から海まで誘導するぞ。海鳴市には一般人が二人取り残されている。この空域で戦うのは得策じゃない」

 「分かった。ならその役目は僕とエミヤが引き受けよう。なのはは体力と魔力の温存を」

 

 クロノは闇の書を見据えてなのはに待機命令を出した。

 

 「そんな、私も一緒に戦うよ!」

 「命令に従ってくれ。なに、敵を誘導するだけの簡単な作業だ。僕達だけで十分過ぎる」

 

 そうクロノが言った瞬間、二人は全く同時に闇の書に向かって跳躍した。

 黒と赤の軌跡を描きながら、一瞬にして闇の書の眼前へと迫る。

 

 「クロノ。俺の動きに―――ついて来れるか?」

 「はっ、偉そうに。お前の方こそ―――ついて来い!!」

 

 今繰り出されるはクロノとエミヤの息の合った剣戟。他人からはただ競い合い、反発し合っているように見える。

 されどその実、誰よりも互いの動きを察し、誰よりも先に行かんとする意志があった。

 その技の応酬はあまりにも泥臭く、派手さがないにしても他を魅了してやまない美しい芯が確かにある。経験に裏打ちされた才能を超える剣がそこにある。

 まさに、ただ純粋に相手を打倒することだけを想定された凡夫の御業。その二乗となればさしもの闇の書と言えど易々と対処することは叶わない。

 

 「っはぁ――――!」

 「ふっ―――――!」

 

 一糸乱れぬ、それどころか剣戟が増していくごとに更なる領域に足を踏み入れんとする。

 加速する。ただただ加速する。息の乱れはあり得ない。ただその剣技の鋭さのみがより鋭利となっていく現実だけが伴っていく。

 まさに長年命を掛けた任務を引き受け、解決させてきたアースラの最強コンビだからこそできる芸当。互いに信頼できるパートナーだと認めているからこそ昇華される二つの剣戟。

 その連撃を前にして闇の書は徐々に押されていく。巻き返すことすらままならない。

 

 「ぬ………ック………!」

 

 闇の書は全力をもって二人から距離を取る。

 魔を断つ朱槍を所有するエミヤシロウと、内部破壊を可能とする打撃魔法『ブレイクインパルス』を習得しているクロノ・ハラオウンを白兵戦で同時に相手するのは、いくら闇の書といえど無理がある。

 何より先ほどのコンビネーションを体感させられて白兵戦で勝てる気が全くしなくなった。距離を取らなければ遅かれ早かれ討ち取られるだろう。

 

 「クロノ。この領域全てに魔方陣を」

 「ああ」

 

 クロノの身体から莫大な魔力が放出され、その透き通った蒼色の魔力が彼の新たなデバイス『デュランダル』に注ぎ込まれる。

 瞬時に付近の海域を含め、海鳴市上空には大量の魔方陣が用意された。

 高町なのはと同等クラスの総魔力を持ち、魔力コントロールが図抜けて優秀なクロノであるからこそできる業。さらにデュランダルという破格のデバイスを手に入れ、本領を遺憾なく発揮できるようになった今のクロノの力をもってすれば、足場を1000個用意したところでこれといった疲労はない。

 

 「そのデバイス。お前の全力に耐えうる性能のようだな」

 「だから言っただろう。これはなかなかの高性能だと。

  いずれ僕のS2Uもこれだけのスペックにしたいものだ」

 「ふっ……ああ、それは実に頼もしいな」

 

 実体のある魔方陣にエミヤは足をつける。

 クロノが用意したこの上空にある魔方陣全てがエミヤの足場であり独断場である。

 

 「空中に剣を投影し、それを足場にして戦っているとやはり燃費が悪いからな。何時もながらお前がいると非常に助かる」

 「人を便利屋みたいに言わないでくれ―――さて、だがこれでエミヤの足場は確保できた。さっさと追撃に移ろうか」

 「無論だ」

 

 二人は不敵な笑みを浮かべながら、更なる猛撃を加え始める。

 ―――――より苛烈に、より無骨に、より鋭利に―――――

 なのはやフェイトのような高い潜在能力、飛び抜けた才能なぞこの執務官と三等陸尉には無い。ただ命がけの任務で、死が蔓延する戦場で培ってきた戦闘経験が彼らに力を与えている。

 生まれながらにして無才の烙印を押されながらも、諦めずに精進した故に手に入れられた純粋硬度な戦闘技能。故に、例え闇の書が相手でも後れを取る道理はない。むしろ凌駕して余りある。

 

 「お……のれ…………!!」

 

 まるで闇の書は彼らの動きに対処仕切れていない。

 いや、時間が経つごとに慣れてきてはいるが、それでも反応が追い付けていないのだ。

 ―――速すぎる。そしてあまりにも、業が巧過ぎる。

 バインドを時折織り交ぜながら槍術を扱うクロノによって混乱させられ、目にも止まらぬエミヤの正確無比な刺突が襲い掛かる。なんて厭らしい。

 

 「こ―――の!!」

 

 業を力で捻じ伏せるべく、大量の魔力を拳に乗せるが―――容赦の無い一閃の魔弾により手首を思いっきり弾かれ、体勢を大きく崩された。

 

 「また、あの狙撃手か!」

 

 自分の脇腹に魔弾を直撃させた狙撃手は未だに健在だった。

 目視すら叶わぬ遠方から闇の書を狙っている。

 

 「「そら、余所見をしている暇があるのか?」」

 「……………!!」

 

 エミヤとクロノは魔力により多大な強化を施された強烈な蹴りを放つ。

 体勢を崩された闇の書はモロにその二撃の蹴りを受け、後方に吹っ飛ばさせた。

 まるで鈍器を生身で打たれたような鈍痛が闇の書を襲い、顔を顰めさせる。

 

 「っはぁ……はっ………はぁ…………」

 

 どんなに足掻こうと後方へと後退させられる闇の書。

 彼らに逆らうことができずに、気づけばもう戦場は海鳴市から離れた海上になっていた。

 

 「馬鹿な……こんな、こんなことが」

 

 息が荒れる。万能の力、破滅の魔を身に纏っているはずのこの闇の書が押されている。

 あり得ない。あり得ていいはずがない。たかが二人の魔導師、それも子供に苦戦するなど、常識外にもほどがある。

 しかしどれだけ現実逃避したところで現状には何の変化もきたさない。

 今もなお上空にて闇の書を見下す二人の魔導師は、無言で冷気を発するストレージデバイスと朱い槍の矛先を向けていた。

 

 「………この、化け物共め」

 

 意図せず不意に出た言葉。

 そこ声色は、確かな恐怖心が含まれていた。

 

 

 ◆

 

 

 ――――フェイト・テスタロッサの人生は、兎にも角にも厳しいものであった――――

 

 偽りの記憶。

 人造生命体。

 利用されるだけの存在。

 愛する母親の理不尽な罵倒と暴力。

 

 愛するものからは軽蔑され、友人はおらず、尊敬する者は去り、犯罪には手を染める。

 9歳という年齢にも関わらず、生きていることが辛く感じれるようになった。

 だけど、それでも彼女があれだけ頑張ってこれたのはいつの日か母が自分に微笑んでくれると信じていたが故。

 だが母の死によってその儚い夢も悉く砕け散った。

 

 今ではなのはやエミヤという大切な友人ができ、前向きに生きようと志すようになったが、過去に遡り母の愛情を受けたいと思う日は確かにあった。

 

 もし――――母が生きていたら。

 もし――――リニスが残っていてくれたら。

 もし――――アリシアが生きて、自分も生きていたら。

 

 叶いもしない妄想に囚われたことが幾度あったことか。あまりの情けなさに一人涙する日がどれだけあったか。

 また、フェイト・テスタロッサは、一度だけ思ったことがある。

 自分の望む全てが揃っている理想の世界があったとして、その世界に自分が住めるとしたら………どれだけ幸せなのだろうかと。

 

 「――――――――」

 

 目頭に涙が込み上げてくる。

 何故なら、今自分はその他愛も無い、妄想で固められた理想の世界に存在しているのだから。

 

 「何しているの? フェイト。リニスが作ったご飯が冷めてしまうわよ」

 「あ、こらアリシア! ちゃんと行儀よく食べなさい!」

 「え~、いいもん。子供はがっついて食べることが仕事だもん!」

 

 自分に愛情の籠った笑顔を振り撒いてくれるプレシア。

 何処にもいかずにご飯や家事をこなしてくれているリニス。

 自分の姉で、お転婆ながらも頼れる存在であるアリシア。

 

 フェイトの目の前には、とうの昔に失われたはずの大切な人達がいた。家族がいた。

 

 あり得ない。そう、否定する。

 これは夢だ。そう、否認する。

 

 ―――だけど、心の奥底では『今までの人生が仮初の悪い夢』であり『今体験しているこの幸せな瞬間こそが現実』であると甘く呟いている。

 望んでいた世界。渇望していた環境。それを目のあたりにして揺らがないはずがない。

 

 「う……くぅ……ひっ……く………」

 

 我慢していた涙腺が遂に崩壊した。

 溢れ出る涙を止めることができない。

 

 「ちょ、どうしたのフェイト!? 具合でも悪いの!?」

 

 血相を掻いて自分を抱きしめる母の温もり。

 終ぞ叶わなかった願いが、今成就されている。

 

 「あ…あぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 フェイトは泣いた。

 ただ、今の幸せを噛み締めるように、大泣きした。

 今まで我慢し、抑え込んできた感情を曝け出した。

 例えこれが夢であろうと現実であろうとどうでもいい。

 今はこの温もりを噛み締めたかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 何もない暗い空間に、八神はやては車椅子の乗ったまま目を覚ました。

 だけど、まだ眠い。もう少し、眠っていたい。

 睡魔が酷く、未だにうとうとする。

 

 『主。何も心配ありません。貴女はまだ眠っていていいのですよ』

 

 見覚えのない美人が自分を見下ろして、そう囁いている。

 自分とは比べものにならない、完成された女の身体。長く美しい可憐な銀髪。整い過ぎて人形のような顔立ちに、豊満な胸。

 何故だろう。こんなグラビア真っ青な風貌をもつ女性と会うのは初めてなのに、全く初対面とは思えない親しさを感じられる。

 なにより、彼女の声には不思議と安心できた。

 

 『目を閉じるのです、我が主。貴女の願望は、この私が必ず叶えますから』

 

 嗚呼、駄目だ。また意識が朦朧としてきた。

 ………うん? いやまてよ。自分はいったい、何を望んでいたんだっけ?

 

 『夢を見ること。悲しい現実(………)は全て夢となる。安らかな眠りを』

 

 現実を逃避した安らかな眠り?

 それが自分の夢?

 本当に?

 

 ―――いや、違う。自分が欲しかった幸せは、夢は、そんなものじゃなかったはずだ。

 

 『健康な身体。愛する者達。貴女を苦しめるものは何も存在しない。ですから、お眠りを』

 

 確かにそれは素晴らしいことなのだろう。一切の不安が存在しない夢の世界。どんな誘惑にも勝るものだ。

 

 だけど、それを容認してはならない。首を縦に振ってはならない。眠ってはならない。

 間違っている。それはどんなに足掻いても仮初の世界であり――――所詮、夢なのだから。

 

 八神はやては否定する。そんなもの、自分が望んだ願望ではない。

 それは彼女とて同じはず。そんな間違った願い、嫌に決まっている。

 そのつらそうな目が何よりの証拠だ。

 頭が起きた。目が覚めた。

 彼女が何者で、自分が今どのような状況に陥っているのか把握できた。

 

 『………私の感情は騎士達と深くリンクしています。だから騎士達と同じように私も貴女を愛おしく思います。だからこそ、貴女を殺してしまう自分自身が許せない』

 

 彼女は静かに独白を始めた。

 

 『自分ではどうしようもならない力の暴走。貴女を侵食することも、暴走して貴女を喰らいつくしてしまうことも、止められない』

 

 何かを吐き出すように、彼女は言い切った。

 自分は愛おしい存在を己が手で殺すことになると。

 

 その想いを、僅か9歳の少女は大きく受け止めた。

 はやては覚醒した際に、今までの自分の人生を彼女は理解したのだ。

 望むように生きられない悲しさ。自分にだって少しは分かる。

 守護騎士達と同じく、ずっと悲しい思い、寂しい思いを背負ってきた。

 

 しかし、これだけは決して忘れてはならない。

 

 貴女のマスターは自分で、マスターの命令は絶対に聞かなくてはならないということを。

 

 はやては身を乗り出し、その白く整った銀髪の女性の頬に触れる。

 そして古代ベルカの魔方陣を展開する。

 

 ――――為すべきことは、決まっている――――

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 楽しかった。ほんのちょっとの時間だけだったけど、確かに心の底から楽しいと思えた。

 心温まる充実した時間だった。それは否定しない。ずっと居座りたいと思えるほど。

 だけど、いつまでもこのままで良い…というわけにはいかなかった。

 

 いつの日か、エミヤシロウは言っていた。

 

 たとえ過去をやり直せたとしても、起きた事を戻してはならない。何故なら、そうなったら嘘になるからだ。あの涙も、あの痛みも、あの記憶も。今まで胸を抉った、あの現実の冷たさも……と。

 

 そうだ。あの辛さは忘れていいものではない。忘れていいほど、軽いものではない。

 あの痛みがあったからこそ今の自分が存在する。

 失ってきた者を誇るのなら、過去を蔑ろにしてはならない。

 

 「現実逃避なんて、今自分がすべきことなんかじゃない」

 

 ならば振り切ろう。

 そう確信を持つのなら夢から覚めなければ。

 

 「ねぇ、アリシア。私は貴女やお母さん、リニスが大好きだよ。でも、ずっと此処に留まっているわけにはいかない。現実で待っている、皆の元に戻らなきゃいけないんだ」

 

 夢のアリシアと向き合う。

 既にこの夢のなかを否定したフェイトは異端でしかない。

 あれだけ優しかったプレシアも、生きていたリニスもいつの間にか消えていた。

 それに少しばかりの心残りを感じたものの、後ろは振り向かまいとフェイトは誓った。

 

 「………現実は、つらいよ? 思い通りになんてならないし、私達もいない。貴女が大好きだった人の大半が存在しない世界なんだよ?」

 

 これ以上にない甘い誘惑だ。甘美な響きだ。

 エミヤやなのは、アースラの皆と出会っていなかった過去の自分なら迷いなく頷いていただろう。

 

 「それでも、戻らなきゃ」

 

 もう自分の意志を曲げる気はない。どのような誘惑にも屈しない。

 人は、辛いモノを経験し、背負って生きていく生き物だ。

 なんでも思い通りになって、なんでも揃っている世界なんてありはしないし、在ってはならない。

 

 「どんなに辛いことが待ち構えていようと、私は前へと進む」

 

 そう断言した瞬間、この理想の世界が砕け散った。

 目の前にいるアリシアの幻想以外は消滅し、周りは黒一色に塗り固められている。

 

 「―――ふふ。やっぱりフェイトは自慢の妹だね」

 

 アリシアは消えかかった手をフェイトの前に出して、あるモノを手渡す。

 

 「バルディッシュ………」

 

 アリシアから渡されたモノは、いつも自分を護ってきてくれた相棒だった。

 

 「貴女は強い子。私達のこと、忘れないでね?」

 「うん――――絶対に、忘れたりなんかしない」

 

 最高の、満足した顔で消え去ったアリシア。

 涙を流してそれを見送ったフェイトは、夢を振り切った責務を果たすためにバルディッシュを起動させる。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 「投影(トレース)開始(オン)………!」

 

 エミヤは古代の鎖付きダガーを投影し、蛇のように操り闇の書を拘束する。

 さらに強化を施し、存在を昇華。

 クロノもまたチェーンバインドを発動させ手足の自由を奪う。

 

 「ふぅ。なんとか身動きは封じれたな」

 「だが、いつまで持つか分からないよ」

 

 ギリギリと馬鹿強い腕力で振り解こうとする闇の書に、エミヤとクロノは身体強化してなんとか均衡させる。しかし解かれるのも時間の問題。

 このままエミヤとクロノが全力を出し続ければ闇の書も倒すこと自体はできるのだろうが、それだけでは何の解決にもならない。

 ただ倒すだけで終われるのならとうの昔に闇の書の連鎖は途切れている。

 それにまだフェイトもはやても闇の書の中から救出していない。

 このままでは―――――、

 

 「「…………ん?」」

 

 サーヴァント並みの力で振り解こうと力んでいた闇の書の力が急に弱くなった。

 何か、闇の書の内部で異変が起きたのだ。

 

 『外の方! えっと、時空管理局の方!』

 

 念話で訴えかける少女の声が皆に伝わる。

 後方から此方の救援に向かっていたアルフやユーノ、武装隊の者にも確かにその声は聞こえていた。

 

 「は、はやてちゃん!?」

 『なのはちゃん!? ホンマに!?』

 「うん、なのはだよ! 色々あって、闇の書さんと戦ってるの!」

 『………ごめん、なのはちゃん。どうにかしてその子止めてくれる!?

 魔道書本体のコントロールは切り離せたんやけど、その子が動いてると管理者権限が使えへん。今そっちに出てるのは魔道書の自動防御プログラムやけだから全力でぼこしてもええよ!!』

 

 その言葉にいち早く反応したのは、クロノ、エミヤ、ユーノだった。

 闇の書完成前に、管理者が目覚めている。

 これならば――――チャンスがある!!

 

 「「「なのは!!」」」

 「は、はい!?」

 「「「今から君の役割を分かりやすく伝える! 上手くいけば、フェイトも八神はやても助けられる!!」」」

 

 三人は口を揃えてなのはに指示を下す。

 あまりにもシンプルで、なのはに適した仕事を。

 

 「「「どんな方法でも良い! 目の前の自動防御プログラムに魔力ダメージをブチ当てろ!! 全力全壊、容赦なくだ!!!」」」

 

 あまりにも大雑把ではあるが、それが一番の有効打だ。

 魔法砲撃に特化し、力を温存している分、この役割に最も適しているのは高町なのは以外にあり得ない。

 

 「りょ――――………かいっ!!」

 

 そうと決まれば即時決行。

 レイジングハート・エクセリオンのバレルが展開され、中距離砲撃モードへと移行する。

 狙うは闇の書の自動防御プログラム。魔力の充填率100%―――――!!

 

 「ブレイク・シュ―――――――ト!!!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 全てが消えた、闇のなかで、一人の少女は己のデバイスを掲げる。

 バルディッシュ・ザンバーフォーム。攻撃一点集中型の大剣形態。全てを薙ぎ払う雷神の一撃。この一閃は、この暗闇を切り崩す。

 

 「此処から出るよ、バルディッシュ」

 『yes sir.』

 「うん、良い子だ」

 

 帯電する雷を解放する。莫大な雷が荒れ狂い、それを操る少女は何処までも冷静だった。

 

 「スライト・ザンバ―――――――――!!!」

 

 

 ◆

 

 

 

 決まった。なのはの砲撃は、防御プログラムを間違いなく捉えた。

 桜色の熱線に何の抵抗もせずに飲み込まれる防御プログラム。

 否、エミヤとクロノが身動きを封じていたが故に、回避も防御もままならなかった。

 

 「いつ見ても恐ろしいな………なのはの砲撃は」

 

 エミヤは呆れ果てるようになのはの砲撃を見入っていた。

 それに対してクロノが権能一歩手前の心臓を突き刺す紅槍や、必殺殺しの時間逆行カウンター能力を持つ即死剣を使用できる君の方がよっぽど恐ろしいよ、と内心でツッコミを入れた。

 

 「―――フェイトも無事脱出できたようだな」

 

 長い金髪を靡かせながら、闇の書の内部空間から現れたフェイト。

 それに引き続いて八神はやても現れた。

 

 「残る問題はあと少しか」

 

 防御プログラムは未だに暴走が続いている。

 管理から切り離されて、純粋な力となって現界するだろう。

 だが、エミヤシロウとしてはそちらの方が断然やり易い。

 何せ相手は単なる力だ。人間なのではなく、唯の化け物である。

 それに対して手加減する必要はなく、殲滅できる宝具も容赦なく解禁できるのだから。

 

 「怪物は人間を殺し、人間は英雄を殺し、英雄は――――怪物を殺す」

 

 錬鉄の英雄の力を遺憾なく発揮して魅せよう。炉心は既に熱を帯びている。

 身体は子供になっているせいでかなり能力が劣化しているが、問題はない。

 このようなハンデはもう、慣れ飽きている。

 


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