『Fate/contract』   作:ナイジェッル

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第51話 『小さな乙女の恋心』

 ふわぁ~、とフェイトはだらしなく大きな欠伸をしてトテトテと洗面所に向かう。

 毎度のことながら朝はどうにも思考が覚束ない。

 平和な日常では学校に赴き日本の勉学を学び、時空管理局の任務日はアースラ隊の皆と共にロストロギアの回収に追われる。このハードなスケジュールは小学生の身にはなかなかに酷。朝が弱くなるのも当然と言えるだろう。

 

 「ん………」

 

 洗面所の前で立ち止まる。彼女のその呆けた目には幾つもの歯ブラシが映っていた。

 把柄部(ハンドル)が緑色のものがリンディ専用、黄土色がエイミィ、黒がクロノ、オレンジがアルフ、土色がヴァイスでフェイトが黄色。そして赤色の把柄部を持つ歯ブラシが―――エミヤシロウのものだ。

 

 ごくり………

 

 何故か唾を飲み込み、その赤色の歯ブラシを凝視するフェイト。

 ―――おかしい。自分の歯ブラシは黄色の把柄部を持つものだと理解しているのに、何故この手は赤色の歯ブラシを取ろうとしているのだ。

 とうとう呆けた頭が自身の理解を超えるほどのレベルにまで達したと言うのか。明らかにおかしいということを頭が理解しているのにも関わらず、この馬鹿げた行動を止めようとしない。

 

 幼い手を小刻みに震えさせながら、その歯ブラシを口元まで持っていこうとする。そしてようやく、一欠けらの理性がこの異常な行動に強い反発を示した。

 

 駄目だ………駄目だ駄目だ駄目だ……!!

 

 いったい何を考えている。何をしようとしているのだ、自分は。

 呆けた頭が理性を崩壊させているとしか思えない。とにかくこれ以上は、駄目だ。取り返しのつかない事態となる。自分自身を、絶対に許せなくなる所業だ。

 

 やっと蕩けきっていた頭が正常になり、理性を取り戻したフェイトはすぐさまエミヤの歯ブラシを元にあった場所に戻した。

 

 はぁ、はぁ……と朝っぱらから酷い葛藤を味わったことにより荒れた呼吸が周囲に響く。

 

 なんて厭らしい。なんて情けない。なんて、猥らな行いをしようとしていたのか。いくらボケていたとしても、やっていいことと悪いことがある。

 

 認めたくない。あのような行動を起こした自分自身の心情を知りたくない。

 命の恩人であり、第二の教師である彼の歯ブラシを無断で使おうなどと………反道徳的にもほどがある。

 

 「………もう、訳がわかんないよ」

 

 最近やたらとシロウに目が行き、変な感情が胸をざわめかせ、終いにはこの愚行未遂。時間が経つにつれ積もっていくモヤモヤした気持ちもある。

 ああ、いくら鈍い自分でも分かる―――何かが、ある。自分の心の中に、何か異常があるのだ。

 とはいえその何かの正体に当の本人は全く理解できていない。ぶっちゃけこれはかなり重症なのではないだろうか。

 ともかく今のままでは恐らく解決口は見つからない。しからば、友人に相談するしかないだろう。自分一人ではどうにもならないのだから、他人の力を借りるしかない。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 学校の昼休み、フェイトはいつも通りなのは、はやて、すずか、アリサの友人四名と共に昼飯を取っていた。

 最近見ているアニメやら、ドラマやらを気楽に話して楽しく盛り上がっている中、フェイトは一人場違いなほど強い決心をつけて、声を出した。

 

 「あ、あの………ちょっと、みんなに相談したいことが…あるんだけど………いい?」

 

 搾り出される声は、もはや教室の雑音の中に消え入りそうなほど小さかった。しかし友人達は、そんな彼女の声をしっかりと聞き取り、先ほどまでの会話を打ち切り、フェイトの顔を見て聞く体勢を取った。特にアリサとはやては全てを見通したような、というかとうとうこの時が来たかと言わんばりの笑みを浮かべている。

 

 「実は…………」

 

 

 …………………

 ………………

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

 フェイトは話した。

 本当に包み隠さず、全てを、ハッキリと打ち明けたのだ。

 

 一文一文何かを言うたびにすずかは口を両手で覆い黄色い声を出し、アリサとはやては目を輝かせ、なのはは何とも言えない顔をしていた。

 

 「「………ふふ、ふふふふ」」

 

 話を全て聞いたアリサ&はやては不気味に笑い始めた。

 

 「ようやく私達に相談してくれたわね、フェイト」

 「正解やでフェイトちゃん。ほんま、私達に相談持ちかけたんは正解や」

 「………え…二人とも……どうしたの?」

 

 がしっと両肩を掴まれ、まさに獲物が掛かったと言わんばかりの笑み×2。

 ―――正直言って怖いです。果たして本当に彼女らに相談してよかったのか、と不安に為るほどに。

 

 「大丈夫……貴方の悩みの正体は私達は知っている」

 「大船に乗った気分になってもええんやで……ふふ」

 

 嗚呼、大船どころか幽霊船に乗り込んでしまった気分である。

 しかし彼女らは自分の知らない“何か”を知っていると言うのだ。ならば幾ら不安があろうとも、決して彼女達に相談したのは間違いではない。間違いではないはずだ………そう、強く信じるほか無かった。

 

 「まぁ回りくどいことは言わないで、ズバリと言うわね―――覚悟は良い?」

 「う……うん」

 

 いきなりの宣告だが、もはや後戻りはできない。自らが望んだことだ。

 どのような答えが出ようとも、心の乱れによる醜い醜態だけは避けなければ。

 さぁ、どんとこいとフェイトは心を鎮める。ショック体勢は万全だ。

 

 「貴方、エミヤさんに恋をしているのよ」

 

 鉄壁とも思えたショック体勢が盛大に崩れた音がした。

 心のなかで何かが弾けた音がした。

 頭のなかが見事に真っ白になった。

 

 …………恋?

 たしかひとをすきになるっていう、あれのこと?

 

 「「そう、それそれ」」

 

 あー、そっかー。そーなのかー。自分はあの人に恋を――――

 恋を――――

 恋を―――

 恋を――

 恋を―

 

 「恋――――!?!?」

 

 昼休みの教室の室内で、勢い良く立ち上がり、フェイトは叫んだ。

 もはや人の目など気にすることなく、それはもう盛大に。

 無論クラスの皆の視線はフェイト一人に集中する。しかし彼女は気にしなかった。否、気にする余裕が一欠けらも無かった。

 

 「いや、そんな……そんなこと…………!!」

 

 無い、と断言しようとしたが―――できなかった。

 ありえない、と叫ぼうとしたが―――できなかった。

 本能が、アリサの言葉を否定する言葉全てを否定する。

 

 「―――――ッ!!」

 

 羞恥のあまりに耳どころか顔全体が真っ赤になり、体温もありえない速度で上がっていく。心拍数はまるで狂ったかのように速くなり、眩暈すら覚えた。

 

 「あ…………」

 

 莫大な感情の波がフェイトの許容量限界を軽く超えてしまった。

 意識が混濁し、ものの見事に身体が崩れ去る感覚を得ながら、無様に倒れ伏した。

 この後教室が大騒ぎとなったのは、もはや言うまでもないことである。

 

 

 ◆

 

 

 「本当にごめんなさい!」

 「ほんまにごめん!!」

 

 保健室のベットの上で無事意識を取り戻したフェイトは、起きて早々友人二人の見事な土下座と感情の籠った謝罪を見ることになった。

 

 「ううん、二人が謝ることなんてないよ。あの時、私が勝手にパニックになっただけだし………」

 

 あの騒動は自業自得であり、彼女達が謝るのは筋違いというもの。

 だいたい土下座までされると此方の良心が痛む。

 

 「せやけど………」

 「私は……謝られるどころか、感謝しなくちゃいけないんだ。二人のおかげで、自分自身の気持ちに………気付けたから」

 

 そう、恋などというモノを知らなかった、自分では認識することすらできていなかったことを、彼女達は教えてくれたのだ。むしろ感謝しなければならない。

 恥じるべきは、あの場で心を乱し、意識を手放した自分自身である。

 

 「………フェイトちゃん……その、心の整理はついてるの?」

 

 すずかの言葉に頷くことができず、首を横に振った。

 情けないが、正直今でも動揺している。なにせ恋など初めて知るモノなのだ。経験したことのない、未知の領域と言っていい。動揺するなという方が無理がある。

 今までは意識できていなかったが、アリサに指摘された今でははっきりと意識することができる。そして厄介なことに、この荒波にも似た制御困難な感情を、どう収めていいか全く分からない。エミヤの顔を思い出すだけでも胸の鼓動がおかしくなるというのに、いったいどうしろというのやら。

 

 「だ、大丈夫フェイトちゃん? また顔が真っ赤になってるよ?」

 「………うん。大丈夫、だと思う」

 「とても大丈夫そうには見えないんだけど………」

 

 なのはの心配する声も、今は遠く聞こえる。

 もう一眠りすればこの激しく揺らいでいる感情も収まるのだろうか。というか、今はもう眠るぐらいしか解決法が見つからない。

 今日は少し休息を取ることに決め、なのは達には心配いらないからと言って教室に戻るよう頼んだ。まだ五時間目と六時間目の授業が残っているので、何時までも彼女達がこの病室にいたら欠席扱いを受けてしまうからだ。

 ぶっちゃけ病気でもないのに授業を休み、保健室で寝るなど仮病のような気もするが、保健室の先生がこれも“病”だと笑顔で言って了承してくれた。どんな病名でしょうかと聞いたら『恋の病よ』と返されたのでまた体温が一段階上がってしまった。保健室の先生もなかなか性格が悪い。

 

 “………恋、かぁ”

 

 布団を深く被り、悶々とその一文字を脳内で往復させる。

 それはあまりにも現実味の無い言葉。されど、今一番心の中を占めている言葉。

 もはや、疑うことも、偽ることも叶わない。

 そうだ。自分は―――彼に惹かれていたのだ。

 ならば彼の何に惹かれた。

 顔か? 声か? 身体か? 心か? 優しくされたからか? 命を助けられたからか?

 ―――ああ、違う。彼の『何か』に惹かれたとかもはやそういうレベルではない。フェイト・T・ハラオウンはエミヤシロウの『全て』に惹かれたのだ。

 その外見も、その精神も、その愚直なまでの在り方までも全てひっくるめて、好きなのだ。

 

 “ベタ惚れもいいとこだよ………”

 

 自身の心を理解すればするほど熱くなる。気付けば気付くほど彼に恋焦がれる。

 このままでは、何時まで経っても眠れやしない。むしろ目が冴えてくるばかりだ。

 

 “ああ、睡魔の魔法を覚えておいてよかった”

 

 母の虐待の後、どうしても寝付けなかったフェイトはリニスに睡魔の魔法を教授してもらっていた。これによりどのような環境化でも、どんな心理状態であっても関係なく眠りにつくことができる。

 ハラオウン家の養子になった時から、必要のなくなった魔法だ。また使う日が来るとは思わなかったが、今はただただその有難さに感謝するのみ。

 そしてフェイトは心の葛藤を置き去りにし、深い眠りについた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ゆらり、ゆらり。

 心地の良いリズムで身体が揺れている。

 

 ”………?”

 

 おかしい。確か自分は、保健室の布団のなかで寝ていたはずだ。

 なのに何故、夕暮れの大空が視界に入るのだろうか。何より、この毛布とは思えない暖かいものはなんなのか。目の前にある、この白い毛はなんだ?………髪の毛?

 

 「む……起きたか」

 

 耳のなかをすんなりと通る男の声が聞こえた。

 嗚呼―――あの人の声だ。

 呆けた頭で、それを理解する。

 

 「心配したぞ。教室のなかで、急に倒れたらしいじゃないか」

 

 いつもより柔らかい口調で彼は言う。

 

 「丁度任務を仕上げてきたところだったのでな。放課後迎えに着たんだが、君が睡眠を取っていて全く起きる気配が無かったからそのまま運ばせてもらっている」

 

 ―――なるほど。

 つまり、自分はエミヤによって家まで運ばれているのか。

 目の前にあるこの白い毛は彼の白髪で、身体に伝わるこの温かいものは彼の背中、両足を固定しているのは彼の両手だ。どうやら自分は、おんぶをされているらしい。

 

 “………恥ずかしい”

 

 羞恥のあまり心を乱し、暴れまわらなかっただけでも上等か。

 思い人がそこにおり、更には背負われているというのに思いのほか冷静でいられている。 学校で心身ともに騒ぎ疲れ果てたのだろう。

 

 「正直に言ってくれ。何処か具合が悪いのか? 何なら、明日の任務は外しても構わんのだが」

 「大丈夫だよ……本当に、平気だから」

 「………そうか。だが一応、家に帰ったら医者に診断させるぞ」

 「うん……分かってる」

 

 エミヤの心配する声は、これほどまでに心地良いものだったのか。

 彼を心配させてしまっているという罪悪感と、心配してくれているという喜びが歪にも混じり合っている。何とも言葉にできない感情である。

 

 “―――シロウの背中、暖かいなぁ”

 

 もう、どうにでもなれ。

 こんな機会は滅多に無いのだ。

 恥じらって控えめになっていても、残るのは後悔だけだろう。

 少し自暴自棄気味になりながら、彼の背中に顔を(うず)める。随分と大胆なことをしている、とまるで他人事のように思った。しかしエミヤはまるで気にしていなかった。この程度、気にするに値しないということなのだろうか。

 

 「………シロウって、好きな人いるの?」

 

 あれ? 自分は、いったい今何を口走ったのか。

 あまりにも突拍子の無い唐突な質問だ。内容は、本当に馬鹿げていた。

 自暴自棄になるあまり、浅はかなことを口にしてしまったと言った後に激しい後悔を覚えた。

 当然シロウは訝しがる。

 

 「………急にどうしたんだ」

 

 まぁ、そう返してくるのは当たり前だろう。

 いきなり何を言ってるんだと言われても仕方の無い問いだった。

 

 「え……ぁ……ほ、ほら、シロウって最近、よくきれいな女の人とお話したり、出かけたりするでしょ? だから、そのなかに恋人…とかいるのかなぁ………気になるなぁ……なんて」

 

 苦し紛れかつ思い浮かんだ言葉を無理矢理にでも言うほか無かった。

 正直これで「君が気にすることではない」と言ってくれれば「そうだよね。ごめんなさい、変なことを聞いて」と流すことができた。しかし、彼はフェイトの予想とは違う応えを返してきた。

 

 「別に、彼女らとはそういう関係ではない。仕事仲間であったり、一時的な相棒であったり、騙し騙される間柄であったりと殺伐としたものだ。恋仲のような、甘い関係は無いさ」

 「…………え」

 「ま、年頃の娘なら多くの妄想を膨らませれるのだろうが……生憎と、そういった色恋沙汰はそうそうないものだ」

 「そ……そうなんだ」

 

 思いがけない言葉を聞けて、フェイトはほっとした。

 怪我の功名とはこのことを言うのだろうか。

 

 「……しかし…ああ、そうか。君も恋愛に興味を持つようになったか。オレとしては嬉しいことだが、くれぐれも悪い男に引っ掛かってくれるなよ」

 

 まるで全ての母親の概念を具現化させたようなことを言う男である。

 

 「まぁフェイトの選ぶ男なら………きっとオレのような禄で無しではない、出来た男なのだろうがな。心配するだけ無駄というものか」

 

 そのロクデナシに恋をしてるんですが。なんでこんなに鈍感なんですか。

 こうしてエミヤシロウという男を見てみると、この先色々苦労が絶えないだろうことを容易に想像できるフェイトであった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 男子A「………失恋の味ってのは、なんて酸っぱいんだ」

 男子B「俺は、苦く感じるね」

 男子C「もう感じることすらできねぇよ、俺は」

 

 

 私立聖祥大附属小学校の教室の室内で、美しい夕暮れを眺めながら多くの男子生徒達が涙を流していた。

 この教室にいる男子全員が、フェイトを好いていた。

 彼らの初恋だったのだ。

 彼らは本気で恋していたのだ。

 

 そして彼らは振られた。直接口で断られたわけではない。しかし彼女の、昼休みの出来事を知るモノならば、誰だって分かる。分かってしまう。

 彼女には意中の男性がいる。好いて止まない男がいるのだ。そしてそれは、自分達の誰かではないというのも大体予想がついている。心当たりがあるのだ。

 ずっと昔に、一人の少年がフェイトに手作り弁当を持ってきたことがある。

 きっと、彼なのだろう。フェイトが好きになっている男というのは。

 

 男子C「敗者の俺達は……彼女の恋が実るのをただ祈ることしかできねぇな」

 

 振られたとはいえ、一度は心の底から彼女のことを好きになったのだ。ならば、彼女にはどんなことがあっても幸せになって貰いたいと思うのは至極同然。

 

 男子A「皆……今日は野球だ。野球をしよう」

 男子C「いいな、それ。精一杯するかこの野郎!!」

 男子B「この行き場のない思いを、スポーツにぶつけるのか。悪くないな」

 男子A「ならさっさとグラウンドへ行くぞ!!俺について来いやァ!!!」

 全員「おおッ!!」

 

 振られた男子生徒達は野球道具を手に取り、グラウンドに向かって走り出した。

 その姿はとても熱く、そして眩しく見えたと後に女子生徒達は語ったそうな。

 




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