土地の地脈とは、人間の部位で例えるなら血管のようなものである。
血管が太く、血の流れが良ければ良いほど人間の体が健康になるように、土地の地脈も
上等な地脈のある土地ほど土は肥え、水も潤い、作物が育つ。
そしてここ海鳴市は数ある土地のなかでも大変恵まれた場所であり、地脈も一級品と言っていいほど上物であった。それこそ冬木市と同等。聖杯戦争が行えるだけの霊地と言えるだろう。
しかしどれだけ恵まれた土地であろうとも、その地脈に異常があれば必ず異変は起きるもの。
かつて万遍なく海鳴市に流れていた地脈の魔力は今や至る所で淀みが生じている。
地脈に魔力が十分に流れていなければ田畑は荒れ、作物は育たず、いずれ土は死に絶える。
これらの異変を引き起こしている原因は七つの地脈地点に存在する『渦』によるものだ。
調査団によるとその渦はゆっくりと……しかし確実に地脈から魔力を吸い続けているらしい。
渦の中心には別次元の世界が形成されており、なんらかのマジックアイテムが関与していることまでは分かっている。しかしその詳細は未だに詳しいことまでは分かっておらず、対処法も判明していない。
ただこのまま渦によって地脈の魔力を吸われ続ければ、海鳴市の土地は枯渇する。
―――それだけは分かっていた。
◆
「………この土地って、何かに呪われているんじゃないだろうか」
クロノは頭痛のする思いをしながらエミヤと共に渦のあるポイントの一つに急行する。
まぁ彼がそう愚痴るのも無理はない。
ジュエルシードがばら撒かれたのもこの海鳴市で、闇の書事件の舞台となったのもこの海鳴市だ。
魔法とは全く関係のない次元世界で、歴史すらも揺るがしかねない事件が二つも発生した。
今回は次元世界を巻き込むほどの規模ではないにしても、マジックアイテムが関与している辺り普通ではない。
「それにしても、いつの間に七つもの地点にマジックアイテムなんて仕掛けられたんだ。少なくとも僕達が八神一家の護衛を受け持つようになってからはそんなことできる筈が………」
そう、闇の書事件以降 時空管理局の貴重な戦力として重要視されている八神はやて一行の警護をアースラ隊は任せられていた。闇の書の被害に遭い、復讐を企てる人間から彼らを護る為に。
海鳴市には常に20人以上もの魔導師が配備されていて、七つもの地脈に仕掛けられた場所も見回り範囲内であった。そんななかこれほどの仕掛けを行えることなどまず不可能と言える。
ならば導き出される答えは自然と絞られてくる。
「…………以前から、この土地の地脈に七つのマジックアイテムが入れ込まれていたということなんだろうよ」
「本気で頭が痛くなってきた」
「言うな………口に出すと余計に痛くなる」
溜息しか出てこない。
何者が、何の為に、何をこの海鳴市に仕掛けてたのかすら分からない現状に嫌気がさす。
むしゃくしゃする思いに呼応するかのように二人は一般車両よりも速く、ビルからビルへと飛び移り、目標地点に向かった。
…………
………
……
…
まだ人が行き来している海鳴市都市部にまで足を運んだ二人はすぐさまある作業に取り掛かった。
場所は渦の地点に限りなく近い路地裏。
そこで緊急隔離結界装置と呼ばれる小さな、されど高価な機械を地面に設置する。
これは一定量を超える魔力を観測したら即座に結界魔法が発動するもので、簡単に言えば一般市民を異常事態から守る大変都合の良い魔道具である。
もしコレが発動すれば、街一帯に結界が張られ、その結界内部にいた人間は結界が解除されるまで一時的にこの世界から隔離される。
地脈の渦の魔力暴発など、予測される災害から市民を守るために本局から七つも取り寄せた有り難い代物だ。
「とりあえずコレで最悪の事態は回避できる。できれば使われないことを願うよ、まったく」
「そうだな。本当に、使われないことに越したことはない………他の班は設置を終えたか?」
「先ほど連絡がきた。全地点に装置を設置し終えたと。これで今できる処置は全てこなした」
「分かった。では今夜は各自で解散してくれと伝えておいてくれ。オレ達が本格的に動けるのは、本局の解析班が解決策を見出した後からだ」
「了解」
クロノは念話で他の地点に出向き、装置を設置し終えた隊員達に解散を指示した。
「では僕達も家に戻るとするか」
「………ああ」
「? どうしんだ。何か気になることでも」
「いや、視線を感じた気がしたんだが………気のせいだったか」
エミヤは上空を一瞥し、家までの帰路をクロノと共に駆けた。
◆
アースラ隊がこの異常の対処に追われている中、その様子を一部始終視ている者がいた。
その男はどこまでも欲深く、どうしようもなく業が深い。
「どうしてこう、あの世界は私を飽きさせてくれないのだろうか………」
ジェイル・スカリエッティは地球の異変にただただ興味深い視線を向けていた。
本来なら魔法という名の神秘には一切の関わりを持たないはずの魔法文明0の世界。
しかし実際はどうだ。
歴戦の勇士たるギル・グレアムを初め、エミヤシロウ、言峰綺礼、高町なのはと多くの優秀な魔導師を選出している。
それどころか……PS事件、闇の書事件にも多大な関わりを持っている。
また今回も不可解なマジックアイテムによる問題が発生した。
これはもはや、あまりにも特異な次元世界だと言わざるを得ない。
「ふふ、意外ですね。てっきり今アースラ隊を騒がしている異変は貴方が仕組んだものとばかり思っていました」
椅子に腰を深く置いているジェイルにリニスは淹れたての珈琲を渡す。
ジェイルはありがとうと言ってそのカップを受け取った。
「私はあの世界にちょっかいを出すほど暇ではないよ。それに地脈に仕掛けを施し土地を枯渇させるなど、あまりにも地味であり、何の旨味もない」
誰が仕組んだかは定かではないが、実にセンスがないとジェイルは首を横に振った。
このような異変など、嫌がらせ以外のなにものでもない。
「ジェイルさんはどうするつもりなんですか?」
「いつも通り、様子見に徹するとするよ。まだ私が出張るほどの価値がないからね」
「もし価値があると分かれば………?」
「無論、データだけでも頂きにいくさ。闇の書の欠片やイヴなど、彼らが関わる事件から出る宝は全て外れ無しときた。今回もそうであってほしいものだ」
「なんだがハイエナみたいですね」
「別にそう思われても構いやしない。無限の欲望たるもの、卑しくて当然だしね」
自嘲じみた笑みを浮かべるジェイル。
誰からも賞賛される思考など彼には持ち合わせていない。いや、できない。
常に自己中心的な考えしか至らない。
それは無限の欲望たるがゆえ。生まれながらの咎故に。
「貴方は私の主人であり、命の恩人。
ジェイル・スカリエッティがどのような人物であれ、私は貴方に従うのみです」
「それは有り難い。しかし、愚痴くらいは言ってくれてもいい。決して私は咎めない」
「まるで私に責めてほしいと言っているみたいですね。もしかしてマゾなんですか?」
「私はマゾなどではないよ。ただ君にはストレスを溜めこんでほしくはないんだ。
ほら、何かと癖のあるナンバーズやイヴの世話などもしてくれているだろう。
リニスがストレスとかで倒れられると私も困るんだ」
「それは―――私が頼りにされているということですか?」
リニスはきょとんとした声でそう言った。
「当たり前なことを問わないでくれ」
ジェイルは当然とばかりに頷く。
何せ彼女がいなければ困ることなど山ほどある。
仮にリニスが今日からいなくなれんばスカリエッティ家の食生活は破綻し、家事全般の機能は間違いなく停止するだろう。
あの自由奔放なナンバーズの世話などリニスがいるから万事満足に上手くいっているようなものだ。
「頼られている………ああ、その言葉は使い魔冥利に尽きます。
愚痴など発して発散するよりもずっと良い」
「そう言ってもらえると助かるよ」
「ええ、ここまで期待されてるとなると頑張り甲斐があるというものです」
ふんすと息巻くリニスを見てジェイルは小さく微笑んだ。
それはいつも振りまいている狂気的な笑みではなく、優しさの籠った笑みだった。
「さて、では私はナンバーズとイヴの調整に戻る。リニスは引き続き海鳴市の様子を監視しておいてくれ」
「分かりました。何か変化があればすぐに伝えします」
「よろしく頼むよ。だが気合が入るあまりガジェットを近づけすぎることはないように。
分かっているとは思うが、あのエミヤシロウとクロノ・ハラオウンはなかなかの手練れだ。いくら科学迷彩を施している極小のガジェットと言えど、一定の範囲に踏み込めば感づかれる可能性がある」
「承知していますよ。何せフェイトの教官ですからね」
◆
只ならぬ異変が海鳴市の地下で起きている。
それは事実で、今もなお進行している。
しかし悲しいかな。
解決策を見出せない戦闘集団であるアースラ隊は何もできない。
所詮、戦うことでしか成果を表せない集団だ。
こういう時ほど無力なものはない。
「師匠。いつになったら本局の連中から解決法が提示されるんすかー?」
場所はアースラが誇る訓練施設。
何もない広大な空間ではヴァイスが陸の部隊から鍛え上げてきた格闘スキルをエミヤに叩き込みながら軽い模擬戦を行っていた。
「本局はもう少し時間をくれと言ってきている。彼らも寝る間を惜しんで尽力してくれているんだ。そう文句を言ってやるな」
ヴァイスも後方支援重視の狙撃手とはいえ列記とした軍人である。
肉体も十分鍛え上げており、繰り出される拳、蹴りの速度はそこらの武装隊に引けはとらない。
その技術も泥臭い堅実なものであり、エミヤとよく似通っている。
しかしエミヤは生前、死後、転生に至るまで戦い続けてきた男である。
如何な軍人の格闘スキルを用いたとしても、この練度の差は大きい。
「へいへい。了解了―――解!!」
軽い模擬戦をしている最中、ヴァイスは不意に動きのキレを格段に上げた。
ギアを上げ、運動から本番に移行したのだ。しかもエミヤには何も告げずにいきなり。
彼は意表を突いたつもりだろう。
しかし、
「焦る気持ちは分かるが落ち着け。焦っていても解決には結びつかんぞ」
エミヤは急激な緩急に平然と対応する。
あらゆる方面から襲い掛かるヴァイスの手足を捌き、そのうえ手首を抑えて彼を放り投げた。
「ちぃッ!」
投げ飛ばされたとはいえ、空中で態勢を立て直すことくらい造作もない。
彼は地面に体を叩き付けられる前に受け身を取った。
「あの渦の中心に次元世界とは異なる別世界が構築されているということは分かっている。
後はその世界を形成している原因……つまりはマジックアイテムを破壊すれば渦は消滅する」
距離を取ろうとするヴァイスにエミヤは追撃する。
流石に逃げ切れないと察したヴァイスは距離を取ることを即座に捨てた。
「そこまで分かっているなら………!」
エミヤの懐に潜り、左腕によるボディブローを試みる。
しかしそれを許すほどエミヤも優しくはない。
「問題は、その次元世界と全く異なる世界にどうのようにして足を踏み入れるか……だ」
スピードの乗った拳はエミヤの右手によって受け止められた。
まるで予想していたかのように。
―――否、これは誘い込まれたのだ。
懐に潜れるほどの隙をわざと作り、そこにヴァイスを誘導した。
迂闊だった。
隙を作り、誘い、迎撃する。
エミヤシロウという男の常套句ではないか。
「次元世界へと渡る転移魔法ではあの異世界へは渡れない。世界の原理自体が大きく異なるからだ………故に一から作らなければならない。あの渦の中心に形成された世界へと渡る独自の転移魔法を」
くいっとヴァイスの腕を引き寄せ、身体のバランスを崩し、その上に鼻に向けて強烈な掌底が撃ち込まれた。
「ぐ……ぬぅ!」
倒れそうになる肉体に喝を入れ、踏み止まるが―――ペースを整える暇などエミヤは与えない。
更に膝蹴りを腹部に与え、ヴァイスの姿勢を強制的にくの字にする。
頭が下がったところに容赦のない踵落としが見舞われた。
普通の者なら意識を手放す。
しかしヴァイスにも意地がある。
辛うじて意識を手繰り寄せ、踏み止まる。
「一から魔法を創る。その困難さは魔導師であるお前の方がよく理解できるはずだ」
倒れるのならこれ以上の追撃はしない。
しかし倒れない、立ち向かう意思を未だに表すのなら例え模擬戦であろうとも手加減はしない。
「だから今は信じて待つことしかできない。彼らが切り拓く道を。彼らの成果を」
「………へっ。分かりましたよ」
ふらふらと立ち続けるヴァイスにトドメとしてエミヤは手刀を入れた。
彼は糸が切れた人形のように倒れ伏す。
ついに強靭な意識は途絶えた。最低でも数時間は、起き上がることはないだろう。
「なんだ。十二分、白兵戦ができるじゃないか……この男は」
「………シグナム」
何処からともなく現れたシグナムは気絶したヴァイスの顔をみて苦笑する。
彼女の口振りからしてずっと自分達の模擬戦を見ていたのだろう。
「私との模擬戦を断る際、いつもいつも白兵戦ができないことを理由に逃げていたがやはり嘘だったか。仲間だ何だと言っておきながら偽っていたとはな。これはキツイ仕置きが必要だ」
「そう言ってやるな。ヴァイスは少しばかり女好きなところがあってな。女性との模擬戦はあまり好みではないんだ」
「その認識が頂けないですね三等陸尉。やはり仕置きは必要不可欠とみました。そのような甘い考え、私が直々に叩き直してやります」
「それは構わんが、せめて治療くらいは受けさせてやれ」
「ええ、分かっています」
シグナムはヴァイスを担いで医務室まで歩いて行った。
一人訓練室施設に取り残されたエミヤも執務室まで戻ることにした。
しかし、あのヴァイスがあそこまで思い詰めているとは思わなかった。
彼が自覚しているかは定かではないが、ヴァイス・グランセニックにとって海鳴市は率先して守るだけの価値があるのだろう。でなければあれほど焦りはしない。
“頼もしいな、まったく”
ヴァイスだけではない。
他の武装隊員も一刻も早く海鳴市の異変を取り除きたいと胸を燻らさている。
これは実に良い傾向だ。
「お疲れ」
訓練室の入口で待っていたクロノはそうエミヤに言って水の入ったボトルを投げた。
「ありがとう」
感謝しながらエミヤはそのボトルを受け取った。
「先ほど本局から朗報がきた。あの異世界へと渡る転移魔法装置……あと五日以内で完成する見込みだそうだ。魔法の創造などという無理難題を押し付けてしまったがよく頑張ってくれたよ。彼らには感謝しないとね」
それは確かに朗報だ。
時間をくれとは言っていたが、まさかこれほど短期間で完成させてくれるとは思わなかった。
次元管理外世界の事ゆえに非協力的になると当初は思っていたが、ここまで本腰を入れてもらえたとなると幾ら感謝してもし足りない。
「取り合えず皆にはこの五日間で万全のコンディションを整えてもらわなければならない。無論、なのは達もだ」
本局の魔導師達が切り拓いてくれた道を無碍にはできない。
何としてでも海鳴市の異変は排除する。
「やはりあの異世界には何らかの『出迎え』があることを考慮しなければならないな」
「勿論だ。僕も正直嫌な予感がして堪らないよ」
「奇遇だな」
「僕達二人揃って言うと、不吉以外のなにものでもないね」
執務管としての予感。
戦闘者としての直感。
戦場に深く入り込んできた者が二人揃って不穏な空気を感じ取っていた。
それだけ警戒するに値する異変だ。
「できればただマジックアイテムを破壊、もしくは回収するだけの任務であってほしいものだ」
エミヤはそう願わずにはいられなかった。
――――無意味であると分かっていても。