輸送艦が襲撃されるという事件は瞬く間に時空管理局の本部へと伝わった。そして、その事件は多くの人間に衝撃を与えた。これだけ堂々と時空管理局に弓引く者はいなかったからだ。
被害に遭った護衛艦、輸送艦共に全滅。死者は輸送艦の艦長リグレット・グレン一名。残りの者は全員無事脱出したという報告を受けている。
「散り散りとなったジュエルシードを回収し、襲撃した犯人を捕縛する。
………これが今回オレ達が受け持つ任務か」
エミヤは執務室のソファーに踏ん反り返りながら分厚い資料をペラペラと捲る。クロノも同じ書類を目に通していた。
彼らは共同で任務に当たることが多いため執務室はエミヤとクロノ二人で使用している。
「リグレット艦長は襲撃を受けた際に乗組員を全員逃し、一人艦に残ったそうだ」
資料を頭に入れることに集中していたクロノが口を開く。その声は酷く固いものだった。
なにせア―スラは輸送艦アクアの護衛を何度も受け持ったことがある。その際、休憩時間によくリグレットは嘘か真か分からない武勇伝をア―スラの皆に語り聞かせたり、クロノを初めとする若い局員の人生相談などにも乗ってくれたりしてくれた人だ。唯の知り合いという括りで収まる間柄ではなかった。
その慕っていた人間が死んだ。別れも告げられず、こうもあっけなく。
これが世の中だ。これが、時空管理局に努めるということだ。明日の我が身すら分からぬ仕事を受け持つ代償そのものである。
「これは、何としてでも解決しないとな」
「当然だ。だがよりにもよってアースラの整備期間に当たるなんて……くそっ!」
今現在アースラはメンテナイスを受けている。替えの巡航艦も全て出払っており、調整が済むまで待つしかない。すぐに動こうにも動けないのだ。歯痒い思い、焦りがクロノの身を縛り上げる。
「落ち着けクロノ。そう焦っても失敗するだけだ。今回の任務は万全を期して対処しなければ解決できるものではない」
報告によればアクアを襲った犯罪者は魔導師ランク総合A級の傀儡兵を大量に所持していたと記録されている。襲撃に使われた傀儡兵はリグレットの自爆により消滅したというが、その傀儡兵が全戦力だとはまだ確定されていない。
一言で言えば、不確定要素が多すぎるのだ。
ならばここは身体をじっくりと休め“来たる時”に全力を尽くせるよう態勢を整えることが一番効率的だとエミヤは言う。
「何よりまだジュエルシードが何処の次元世界に散乱したのか特定すらできていないんだぞ。アースラが動けたとしても結果は変わらんよ」
焦ったところで事態が良くなるわけではない。子供のダダコネで物事が解決するのなら時空管理局なんて必要ないのだ。
「………分かっている。分かっているさ。頭では理解しているんだ!」
普段冷静さを欠かすことのないクロノは珍しく狼狽している。知人の死を受け入れている分、その怒りは抑えようのないものとなっているのだろう。
「分かっているのなら落ち着け。お前だけじゃない。アースラの皆だってお前と同じ気持ちだ。それを纏め上げるクロノ執務官が真っ先に冷静さを欠けさせてどうする」
焦りを積もらせるクロノをエミヤは冷静になれと諭す。
執務官であるクロノもまだ14歳の子供だ。感情的になるのも仕方がない。またそれを補うのが先人であるエミヤの役割だ。故に彼がクロノの補佐を務めているのだから。
「………僕は、エミヤのように全てを達観視できるほど大人じゃない」
「当たり前だ戯けめ。だいたいオレとて全てを全て達観視できるほど出来た人間じゃない。ただオレは、目の前の目的により効率よく物事を考え行動することを心がけているだけだ」
「ふん。憧れるな」
クロノはその剣のような鋭く、真っ直ぐとした意志に憧れを抱いていた。
だがエミヤはそれを鼻で笑った。
「だからお前は戯けなのだ。オレに対して絶対に憧れなんてものを抱くな。心を潰して効率を順守するなど、真っ当な人間の生き方ではない」
自身より他人の方が優先順位が高いこと然り。感情を完全に殺して目的を達成すること然り。そんなもの人間の在り方ではない。感情もなく目的を達成するロボットとそう大差はない。後者の感情を殺して目的を達成することは時空管理局に所属している者ならば確かに必要なモノだ。重大な判断を迫られるときに必要不可欠なモノだろう。
――――だがそれに『慣れ』てはならない。決してだ。
その行為・思考に慣れてしまった先は自身を失い、ただ目的を達成するために動く機械へと成り果てるのだから。それは独善を執行する機械になったことのあるエミヤが一番理解している。
エミヤの度重なる言葉にクロノは冷静さを取り戻していった。
「すまない。もう………落ち着いたよ」
「ならいい。そら、何はともあれ書類に目を通さんことには始まらんぞ」
エミヤは手間を掛けさせるなと言い書類を改めて目を通した。
「………これは」
「…………」
30分ほど時間が経過した時にクロノとエミヤは顔を顰めた。
顰めるだけの、違和感を感じたのだ。
「やはり怪しいな。この事件は」
「ああ………敵が艦隊のダミーに“一つも引っかからず”襲撃に成功した、ってとこが特にな」
エミヤはクロノの“怪しい”という部分を指摘する。それにクロノはこくりと頷いた。
ロストロギアの運送は厳重な警備を付けるだけでなく、幾つもの
「
「つまり次元管理局総本山に内通者が紛れ込んでいるということか」
「でなければこれほど上手く事が運ぶことなどないだろう。あまりにも出来すぎている」
事態は思った以上に深刻だ。
内部からの情報の漏洩。しかも発掘されたロストロギアの情報を入手できるほどの情報網を有している。それこそ幹部クラスの人間でなければ手に入らない。
「念には念を入れておくべきだろう」
クロノは腕利きの査察官にこの件について調べるよう頼むことを視野に入れた。
「そうなるとこの事件は単なる犯罪組織による略奪行為ではなく、その中身を知り得ながらの計画的な犯行だということになる」
「………最悪だな。アクアに積まれていたロストロギアの名はジュエルシード。生物の願いを曲がった形で叶える宝石状の願望器。その数21。一つ一つが強大な魔力の塊だ」
「不味い、不味いぞ。誤った使い方、魔力の暴走が起きれば次元断層を招きかねんか」
管理局始まって以来の最多同系統型ロストロギア。しかも願望を歪めたカタチで叶えるという悪質なものだ。
それはかつてエミヤが生前関わった穢れた聖杯によく似ている。
また、ジュエルシードを使えば都市や次元世界のハイジャックも夢ではない。穢れた聖杯のように願望者の願いを破滅の方向のみで叶えるモノの可能性もある。
「艦隊を壊滅できるほどの戦力を誇り、また狙いが厄介極まりない代物」
「敵の人数構成も不明。また目的も不明か」
相手の戦力、目的、規模全てが解らずじまい。情報の不足はよくあることだがこれほどの規模の大きい事件でここまで情報が無いのも久しぶりだ。
しかし泣き言ばかり言っていても仕方がない。自分たちは解決に向けて足掻くほかに道はないのだ。
「単独にせよ集団にせよ相手はSランクオーバーの次元跳躍式攻撃手段を有していることは既に確認されている。しかもA級の傀儡兵も未だ蓄えている可能性もある。これは、激戦は必至だろうな」
エミヤは敵勢力と交戦した際アースラの被害も甚大となるだろうと踏んでいる。下手したら死人も出かねない。
彼の言葉に改めてクロノは自身にどれほどの重大なモノを背負わされているのかを自覚した。怒りに我を忘れている場合ではない。
「部隊の皆は何時でも出れるようアースラの艦内で待機している。大方が各々休息を取っているだろう。クロノも気負いせず寝るなり飯を食うなりして体を休ませておけ」
何かとクロノ達は任務の連戦続きで体力を著しく消耗している。どちらにせよ休息が必要だった。
万全の態勢で任務に取り組めるのならそれに越したことはない。普通ならそんな都合のいいことなどそうそう無いのだから。
エミヤの言葉にクロノは顔には出さず内心で感謝する。
「それは君とて同じだろう。だが、まぁ確かに今は休むべき時だろうな……分かった。僕は先に部屋に戻って休ませてもらうよ」
「オレはもう少し情報を整理してから休もう」
クロノは自室に向かって執務室を出ていった。
………
……
…
執務室に残ったエミヤはジュエルシードの資料をなんとも言えない顔で再度読む。
『歪んだ願望器の回収』
やはり衛宮士郎は何かとこのような代物に縁がある。ここまでくれば呪いの類と言えよう。本音で言えば、このような不吉な縁は早々に断ち切りたいものだが、なかなかどうして逃げきれない定めにあるようだ。
「ふぅ………アースラにジュエルシードの回収任務が下ったのも何かの縁か」
次元航行部隊の大半が出払っている今、この任務につけることが出来るだけのレベルがある部隊はアースラ隊のみ。本部からジュエルシードの落下ポイントが割り出された情報が送られ、巡航艦アースラの整備が終わり次第現場に急行することになる。
できるだけ早く情報が揃えばいいのだがとエミヤは思いながら資料の最後のページを捲る。最後に記されていたのは艦隊が襲われた地点についての情報だ。こんなものを自分が見たところで役に立つものではない。必要な情報も全て頭に入れたしエミヤも自室に戻ろうかと身体を立たせたその時、彼は言い知れぬ違和感を感じた。
エミヤは再度その書類に記述されている座標に目を通す。
「…………ん?」
よく読むとアクアが撃沈されたエリアはエミヤがよく知るものだということに気が付いた。
「この座標は…………いや、まさかな」
考え過ぎかと思いながら彼も執務室を退室した。
そんな偶然などあってはならない。あってたまるものか。
執務室を出てエミヤが自室へと戻る途中、彼の携帯端末が小刻みに振動する。
ポケットから取り出し見ると画面には『ジュエルシードが落ちた次元世界を特定した』と掲示されていた。
「やっと特定することができたか。いったい何処の世界…に……」
エミヤは携帯端末を操作してその特定さてた次元世界の詳細を目にする。
その瞬間、彼は石像のように固まってしまった。
携帯端末の画面には『第97管理外世界』と堂々と書かれていた。
「第97管理外世界………地球、だと?」
絞り出すような声で彼は呟いた。
――――衛宮士郎の始まりの世界であり、彼の故郷である次元世界だ。
そしてエミヤは確信した。これから巻き起こる事件はただ事では済まされない。
あの
エミヤは生物の存在しない次元世界に落ちていてくれと祈っていたのだが、運命とやらはよほど自分という存在が嫌いならしい。
「嫌な予感だけは良く当たる……」
エミヤはあの資料を見た時アクアが襲われた地点は第97管理外世界に近かったことに気付いていた。まさかとは思っていたが本当に当たるとは思わなかった。このような偶然が許されるなど、本当に世界というものはどうかしている。
“星の数以上ある次元世界の中で地球に落ちた、か。出来過ぎているな。だがいいだろう。そこまで天がオレを嫌うのならば存分に嫌うが良いさ”
あまりの理不尽さに怒りを通り越して呆れる。
そして彼は不敵な笑みを見せた。
その笑みは自暴自棄になっているものでも、自嘲しているものでもない。
それは――――
――――――運命に抗おうとしている男の笑みだった。
どうしてプレシアがジュエルシードが積まれた輸送艦を特定できたのか、という疑問を書いてみました。
次回はあの狂気のマッド科学者が登場する予定です。