上海ベイベ(前編)
第二次世界大戦は、ナチス・ドイツの電撃的な勝利で終わった。日米は遂に参戦せず、第二次世界大戦の緊張感を引きずったまま冷戦状態を迎える。そして、日本は米国の核の標的にされる。核戦争の結果、日本列島は沈没した。東京は東京湾に沈み、主要な都市は月面のクレーターのような穴だらけにされた。大日本帝国の崩壊である。
列強国に分割され、アメリカやロシア、更にはドイツに中国にも占領される日本。国連がやって来たころには日本は滅茶苦茶だった。国連は仕方なく、何とか生き残っていた近畿地方を統治下に置き、そこを特別区にしたのである。
その特別区の中でも最も欲深く、最も悪く、最も荒れ果て、最も楽しい都市――大阪。これは大阪を舞台に活躍する
◇
朝。大阪の歓楽街「ミナミ」は、今日も騒がしかった。朝でもなぜか光り続けるネオンライト、少し見渡すだけで様々な人種、性別、老若男女の人間が観察できる。大阪はいまや、あらゆる人種の坩堝である。アメリカンドリームも顔負けのオオサカドリームを求めて来る者や、利権を得るために幅を利かす結社「盟約」などの影響でありとあらゆる人種が輸入、そして混在している。
多様性のある街と言えば聞こえはいいが、文化の違いによる衝突や殺し合いも絶えない。しかし、人々の表情に影はなく、快活ささえ感じる。無法で麻薬も流通する都市で懸命に生きようとするDNAがそうさせるのか、ここで暮らす住人はタフで楽観的であることが多い。
そんな大阪の歓楽街「ミナミ」、その街の地下によく繁盛しているバーがあった。狭苦しく、汚いバーだが、
このJAIL HOUSEに、やや異色の五人組がいた。彼らは亜侠、つまりチンピラのくせにも関わらず、「正義」を訴えていた。彼らの燃えるような正義感は(彼らの主観で)悪人(と思われる)を幾人も撃ち滅ぼしてきた。時に警察に追われることもあったが、正義のためにはやむを得ないことである。
彼らはチーム「ジャスティスウォリアーズ」。正義の戦士たちである。
リーダーのポンテック・マヤンは友人でありチームメイトの野村美沙と楽しく談笑していた。女性同士ということもあって、気が合うのだろう。ポンテックはマスクをした厳つい女性だが、結構面倒見が良い。家事も得意である。野村美沙は女子高生で、なぜか忍者装束を着ている。彼女は常々、「日本人はみんな忍者なんです」と言ってはばからない。
彼女らの横で、チームのマネージャーである本田栄介が十字を切りながらお経を読む。彼は宗教家だ。「ゴータマ・クリスト」なる謎の人物を崇拝しているらしい。そのお経を聞きながらピョートル・ダンコーは目線を空に向けて溜息を吐く。彼は路上生活者だが、訳あってかなりの教養がある。栄介の無茶苦茶な信仰心に呆れているのだろう。
そして、一際異彩を放つのがチームの荒事担当、カーシム・アジズである。齢八十五歳という高齢でありながら、道着を身に纏ったその姿はまさしく武人である。武人であるように見えるのは、おそらくその強靭な肉体のおかげだろう。その丸太のような腕はとても高齢の男性のものには見えない。
そんな彼らの下に、一人の男が近づいて来た。男の名は、
「君たちに頼みたいことがあるんだ」
蘭がそう言うと、ポンテックが立ち上がる。先ほどまで女子高生と仲良く談笑していた女性と同一人物とは思えないほど、鋭い眼光で蘭を睨みつける。その手は、既にホルダーのトカレフに伸びている。
「中華街の代筆屋が、アタシたちに何の用だ」
ポンテックがドスを聞かせた声でそう言うと、蘭は落ち着きながら手を挙げる。敵意は無いということだろう。だが、蘭の悪い噂を耳にしていたポンテヤックは、どうにもこの男が信用ならない。大阪ではそこまで珍しくもないが、料金の代わりに貞操をいただくとか、そんな噂だ。
「まあ、落ち着いてくれ。依頼に来たんだ」
「依頼?」
ポンテックは警戒を緩めずにそう聞いた。「こんな男が言うのだから、碌な依頼ではない」と、彼女は思っていた。
「ああ。正義のための依頼だ。ジャスティスウォリアーズ……君たちは、正義の味方なんだろう?」
「正義!」
ポンテックは歓声を上げる。彼女は、正義が好きだった。考えるのは苦手なので何が正しいのかは判断しないが、正義を実行することを一番にしている。とにかく、彼女は正義が好きなのである。それはカーシムも同様で、彼は道着の内側で筋肉を震わせ、まだ見ぬ敵を屠るためにパンプアップさせる。周囲の客はそれを見てそそくさと彼から離れた。
「そうそう、正義だよ。時に、君たちは『上海ベイベ』を知っているかな?」
蘭の言葉に、全員が首を横に振る。ジャスティスウォリアーズの中には、上海ベイベとやらを知っている者はいなかった。物知りのピョートルでさえも、だ。
「まあ、知らないだろう。君たちへの依頼は、それを捕まえてきてもらうことだ」
「上海ベイベってのは何なんだ? 人か? 動物か?」
ピョートルが真っ先に質問する。上海ベイベが何なのか、それをまったく知らなければ捜索が困難になるからである。しかし、蘭はピョートルの質問には答えず、
「ふむ、質問をするということは私の依頼を受けてくれるということかね?」
と、逆に質問をする。確かに、まだ依頼を受けるとは言っていなかった。しかし、ピョートルは既にリーダーの答えが決まっていることを知っていた。彼は両手を広げ、呆れたようなジェスチャーをするとポンテックに目線を向ける。
「受けるに決まってるだろう!」
リーダーのポンテックは、メンバーに確認を取ることなく、独断でそう言った。しかしながら、この場にリーダーの決定を覆そうという者はいない。彼らもまた、盲目な正義の信者なのである。
「それは嬉しい返事だ。では、先ほどの質問に答えよう。これはマンハント……人捜しだ。そして、これは
大幇とは、大阪を牛耳る五大盟約の一つである。流石にそんなビッグネームが出て来ると、チームの面々にも動揺が走る。
「というわけで、こちらも急いでいるんだ。期限は今から二日後の朝までに頼むよ」
蘭はそういうと、懐から札巻を取り出してジャスティスウォリアーズの人数分、つまり五つをテーブルに置いた。
「これが前金だ。成功した暁には札束でお礼をしよう」
「ところで、上海ベイベを見つけてきたらあなたのところに連れて行けばいいんですか?」
美沙が丁寧な口調でそう聞いた。忍者装束というアホらしい恰好だが、意外と礼儀正しい女の子である。しかし、鷹の目を持つ蘭は彼女が袖の中にチーフスペシャルと称される拳銃を隠し持っていることに気づいていた。蘭が奇妙な行動に出れば彼女はすぐさまそれを抜き放つだろう。
「ああ、そうしてくれ。ただ、偽物である可能性も捨てきれない。期限の間、本物を捕まえるまでは捜索を続けてもらう」
「わかりました」
「アタシたちに任せとけ!」
美沙が頷き、ポンテックが無い胸を叩くのを見て、蘭は満足そうに去って行った。
蘭の依頼を快諾したものの、上海ベイベの情報は名前くらいしかない。ジャスティスウォリアーズとしては、まず上海ベイベの詳しい情報を集めるのが先決である。
ポンテックはテーブルの上の札巻を掴むと、栄介にすべて手渡した。
「栄介、とりあえずソレ預かってくれ。勝手に使うなよ?」
「わかった、神に誓おう」
栄介は両手を合わせてお金を拝み、それを内ポケットへ入れた。ポンテックは苦笑しつつ、ピョートルの方を向く。
「まずは上海ベイベの情報を集めるぞ。ピョートル、参謀のお前が頼りだ」
「ああ、わかった……それより、美沙とカーシムさんがすごい勢いで出てったけど、どうしたんだ?」
ピョートルがJAIL HOUSEの出口を指差しながらそう言うと、外から断末魔が聞こえた。ポンテックが辺りを見回すと、巨漢と忍者の姿がない。巨漢の方はともかく、美沙は本当に忍みたいに行動が早い。
「さあな。その辺りの人間にでも聞いてるんじゃないのか?」
「情報収集で叫び声が出るもんかね」
何でもないように言うポンテックに、冷や汗を垂らすピョートル。自分だけは常識人だと信じながら、ピョートルは愛器の『エル・マリアッチ』を撫でる。彼はとある映画と、音楽が好きだった。
噂をすれば、外に出ていた巨漢と忍者が帰ってくる。
「いやあカーシムさん、しけた情報しか集まりませんでしたね」
「そうだな。もうちょっと締め上げてやればよかった」
そんな物騒な話をしながら、二人は帰ってくる。カーシムの手には血の跡があり、美沙の忍者装束にも赤褐色の染みが見られる。周りの客はとくに騒ぎもせず、注目もしない。このくらい、大阪では日常茶飯事なのだ。
「よう、精が出るな二人とも。成果はどうだい?」
「んん……あまりめぼしい情報は集まらなかった。太陽の塔が動くだとかゴジラが上陸するだとか」
「なんだそりゃ。悪人はくだらないことばっかり考えてるな」
彼ら正義の味方の情報収集は、悪を狩り戦闘を行うことである。巻き込まれた人々が悪人かどうかは調べないが、それっぽい奴を見かけたらとりあえず狩って情報を引き出すのである。その結果“なぜか”警察に追われたりもするが、きっと警察も悪なんだろう。彼らはそんな風に考えている。
ポンテックは悪人(と思われる)から得られた情報のいい加減さに溜息を吐き、ピョートルに向き直る。
「ピョートル、頼むぜ」
「お、おう……よし、そうだな。ちょっと骨がいりそうだ。栄介、お前のノートパソコン貸してくれないか?」
ピョートルは美沙とカーシムの行動に少し引きながら、頬を叩き気を引き締める。情報収集と言えばパソコンだが、パソコンは高価な物で、路上生活者のピョートルに所持できるはずがない。そんな時はチームで一番の金持ちの栄介に頼むのが良い。この宗教家はなぜか金持ちなのだ。
「うん? いいぞ。我がノートパソコン、『イエ-ス・ブッダ』を貸してやろう」
「お前、わかってないようでわかってるだろ?」
そんなやり取りを横で見ながら、ポンテックと美沙、カーシムは首を傾げる。この三人はチームでも横並びの“おばか”なのである。
それはともかく、ピョートルはノートパソコンを開き、ネットの海へと飛び込んでいく。バーJAIL HOUSEはwi-fi対応の先進的な店である。ピョートルは真剣な顔をしてノートパソコン、『イエース・ブッダ』に集中しているので、しばらくは話しかけても無視されるだろう。
「よし、ピョートルが探してる間、アタシも足で情報を稼いでくる。また昼に落ち合おう」
ポンテックはそう言ってJAIL HOUSEを飛び出して行った。それを見た栄介はスッと立ち上がり、前金でもらった札巻を取り出す。そして、金の勘定をしながら売店へと歩いて行く。
「これでありったけの飯をくれ」
札巻を一つ取り出し、栄介が言う。先ほどリーダーから「勝手に使うな」と言われたはずだが、どこ吹く風である。それを見ていた美沙とカーシムは栄介に近寄り、彼の高級そうな礼服を掴んだ。
「私にも何か買ってくださいよー」
「ワシもワシも」
駄々をこねる十六歳と八十五歳の剣幕――主にカーシムの馬鹿力による衣服の破損を恐れ――により、栄介は更に札巻を二つ出してしまった。リーダーのポンテックの意向はガン無視である。購入したものはワルサーppkと硬貨だ。拳銃はともかく、なぜ硬貨をわざわざ買うのか、それよりもなぜ硬貨をお札を出して買わなければならないのか。それは「大阪故致し方なし」と言わざるを得ない。
硬貨を欲しがった張本人、カーシム曰く「ワシの気弾に乗せて撃てば超強い」とのこと。この超老人は最近某漫画も真っ青な気弾とやらを撃てるようになったらしく、仲間内に自慢している。ピョートルはそれを聞いて「世界の法則が乱れそうだからやめてほしい」と嘆いていたものだ。
「よし、こんなもんかな。みんな……は、いないね。うん」
ピョートルが一人ノートパソコンを閉じて満足気に振り返るも、仲間の姿はなかった。
◇
ポンテックは、
商店街のおばちゃんから話を聞くも、ここはよそ者に冷たい。ベトナム系のポンテックの顔立ちは日本人に近いところがあっても、彼らとの違いが目立つ。ここ十三ではカタカナの名前や外国人風の顔立ちは警戒されてしまう。
そんな時、この十三には珍しい、日本人以外の人物を見かけた。ポンテックはその後を追う。そいつのフラフラとした足取りを見るに、どうやら
「おい」
「ン? なんだァ、テメ――オウッ!」
男が振り返り、ポンテックにメンチを切った瞬間、彼は崩れ落ちた。崩れ落ちる直前の彼には、ポンテックの拳が深々と突き刺さっていた。彼は地面に吐瀉物を撒き散らす。悪(と思われる)には鉄拳制裁。正義の基本である。
「一つ聞きたいことがある。いいか?」
ポンテックは男の髪の毛をむんずと掴み、引き上げる。男はポンテックの拳のショックでか、クスリの恍惚状態から目が覚めてしまったようだ。その目からは涙が漏れる。ポンテックは「男のくせに、情けない」と思いつつ睨みを利かせる。
「は、はいぃぃ!」
「よしよし。お前は上海ベイベを知っているか?」
捜索対象を薬中に聞こうとするポンテックも相当なものだ。しかし、男は首を縦に振って頷いているではないか。ポンテックの顔に喜色が浮かぶ。
「おお、そうか。知ってるのか。ぜひ教えてくれ」
「シャ、シャンハイベイベーだろ? 知ってる知ってる。この辺で見たよ。テレビとかでやってた」
「ああ? テレビだ?」
ポンテックの声がドスの効いたものになる。自分の失態に気づいた男は震えると、慌てて言葉を繋いだ。
「い、いや違ったカナ! この辺で見た……人、だったかな!」
「おお、なんだ人か。それならそうかもしれないな」
男の話を聞くとポンテックは満足したのか、男の髪の毛から手を放す。どう見てもこの状況から逃れたくて言っているようにしか見えないが、教養の低いポンテックにはそれがわからなかった。
「よし、一旦電話をかけよう」
ポンテックが携帯電話を取り出すと、その隙に男が逃げていく。その姿を横目で見たポンテックは、麻薬中毒者を悪の道から救い出してやっただとか、そんな身勝手なことを考えているんだろう。電話のコール音が続き、ガチャという音ともに女性の声が聞こえてくる。
「もしもし? どうしたんですかリーダー」
「おう、美沙。十三の方で上海ベイベの有力な情報を掴んだから、ピョートルにそう伝えてくれるか?」
ポンテックがそう言うと、携帯電話から美沙の間延びした「ピョートルさん、リーダーが有力情報をゲットしたらしいですよー」という声が聞こえてきた。ピョートルがそれに対して何と言ったのかは聞こえなかったが、ポンテックは「感心しているんだろうな」と自己満足な妄想に浸っていた。
「あ、リーダー? その、がんばってください、とのことです」
何となく美沙の言葉は歯切れが悪い。違和感を覚えつつも、ポンテックはそれを気にしないことにした。考えるのは嫌いなのである。
「わかった。それから、お前のケータイ一つピョートルにあげてくれ。あいつ貧乏だから持ってないだろ?」
「あ、はい。わかりましたー」
「それじゃあそっちもがんばれよ」
そう言ってポンテックは電話を切った。まだまだここで情報を収集する必要がある。大阪のおばちゃんたちと(バーゲンで)戦ったり、左右に揺れ動くフラワーと猛烈な(ダンス)勝負を繰り広げながらもポンテックは情報を集めていく。
◇
JAIL HOUSE。ピョートルは美沙から、「リーダーが有力情報をゲットしたらしいですよー」と言われ、「デマだろうけど、がんばってくださいと言っておいて」と返した。その罰が当たったのか、ピョートルは悲しげな表情で目の前の携帯電話を見つめていた。
路上生活者であるピョートルには携帯電話は高価なものである。しかし、チームとして連絡を取り合うのに携帯電話は必要不可欠だ。だからこそ、美沙の予備の携帯電話をもらえるのは有難かったのだが――。
「すごい……可愛い携帯電話だね……」
「え、そうですか?」
何と言うか、とてもデコデコした携帯電話だった。音楽を愛し、ロックを愛するピョートルには正直つらいものがある。背中の『エル・マリアッチ』が泣いているようにすら感じた。そんなことは気にも留めず、美沙はキョトンとしている。
「あ、ピョートルさん、道頓堀にご飯行きましょうよ」
「すごい唐突だな。まあ、そっちの方でも情報収集してみるか」
美沙の切り替えの早さというか落ち着きのなさにピョートルは溜息を吐くが、彼女のヴェスパ(スクーター)に乗せてもらえれば移動が楽でいい。何度も言うが、ピョートルは路上生活者で自転車すら買えないのだ。
二人はカーシムと栄介に一言言い、JAIL HOUSEを出て行った。残された二人――それも両者とも高齢の――は互いに顔を見合わせる。
「若い者がいなくなっちまったな」
「ふむ、そうですな……カーシムさん、どうせならアダムスキー救世教大神殿に行きませんかな?」
丁寧な口調で栄介が提案する。頭のネジが何本か外れた栄介も、流石に自分より年上のカーシムには礼儀を守るようだ。しかし、カーシムは眉をひそめた。栄介の敬語が気に入らなかったわけではない。その場所の名前が問題なのだ。
「栄介、あんたは宗教家だったと思うが、アダムスキー救世教金星派なのか?」
アダムスキー救世教金星派。テレビを使った布教活動で一躍人気となった新興宗教である。大阪では知名度があるため、カーシムもその名前に心当たりがあったのだが、栄介からその名前が出てくるとは思わなかった。
栄介はカーシムの言葉に笑いながら首を振った。
「いやいや、違いますよ。相手は異教徒ですからね。異教徒を調べるのも正義のためですよ」
「なるほど、正義のためなら仕方ない」
正義のためなら仕方ないのである。カーシムはその言葉を無条件に信用してJAIL HOUSEの出口へ向かった。栄介は表にシトロエン2CVを転がしている。カーシムが乗れるのか不安になるサイズだが、意外にもゆったりと乗車することができるようだ。
「よし、行きましょう。正義のために!」
「ああ、正義を実行しよう!」
老年の二人を乗せ、2CVは行く。トラブルがないように祈りたいものだ。