俺たち凶暴につき(前編)
金、暴力、セックス。アウトレイジなアウトローの三種の神器と言っても過言ではないその三つのファクターを近畿特別区「大阪」の住人は兼ね備えている。そこに「麻薬」も加えていいだろう。とにかく、大阪の住人は過激でパンクな連中なのだ。
そんな大阪で最大の歓楽街「ミナミ」は、多種多様な食べ物屋の並ぶ「道頓堀」やオタクの聖地「日本橋電気街」を擁する賑やかな街だ。更には、怪しげな宗教団体の建設した大神殿や高級SMクラブ、名状し難い冒涜的なラーメン屋などなど、大変教育によろしくない施設やお店もある。
だが、ミナミにも安楽の地はある。ミナミの外れにある「天王寺公園」はとてもゆったりとした、穏やかな場所だ。緑が豊かで人気の「動物園」まであるではないか。休日には家族連れで賑わうだろう。まさに大阪のカナンの地、涅槃と呼んでも差支えがない。
朝。大阪の常識と比較して穏やかな公園、その中の動物園にややアウトレイジ、微妙にアウトローな連中がいた。例のごとく、
中でも目を引くのは西洋甲冑を着込んだ女性である。動くたびに鎧がガシャガシャと音を立てるが、彼女はそんなことお構いなしに犬との触れ合い広場へと駆けて行く。きっと犬が好きなんだろう。だが、犬は西洋甲冑が走ってくると蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。当然である。彼女――
その様子を見てクスクスと笑うのはフィリピン人と日本人のハーフ、
そんな彼女らの様子を見て溜息を吐くのはチームの
そんな家族連れがごった返す中で異彩を放つ絶対太陽軍団の諸君は動物園の職員の叫び声を耳にする。
「大変だ! 動物たちが逃げ出してしまった!」
職員の悲痛な叫び声を聞き、絶対太陽軍団もそちらの方へと駆けて行く。正義感などではない、野次馬根性である。職員は駆け寄ってくる西洋甲冑、着ぐるみを目にして精神的動揺を引き起こすことだろう。動物の脱走という惨事と見るからに怪しい集団を目にして精神が崩壊したのか、職員は思いがけないことを口走る。
「あ、あなたたち!」
「ん、私たち?」
突然指差され、蘭は甲冑の中からくぐもった声を上げた。職員は動揺したまま続ける。
「逃げ出した動物を捕まえて来てくれませんか!」
どうした職員。チームでも随一のまともな人間(恰好以外)であるマハラジャは職員の急な依頼に困惑した。傲岸な表情で「そういうことはマネージャーを通してくれませんこと」などと、アイドルのように偉そうなことを考えている真理は葉巻の煙を思い切り吐いた。チームのマネージャーはお前である。
「そんなこと言われてもなー」
チームのリーダーである蘭は甲冑のまま器用に腕を頭に回し、依頼の受注を渋った。今は動物園を満喫したいのだ。ここには可愛いパンダもいると聞いて、女性陣はみな期待している。職員は蘭の様子を見て落ち込み、一人悲しげに呟いた。
「そんな……名物のパンダもいなくなってしまって、どうしたらいいんだ……」
「それは大変。逃げ出した動物たちを捕まえよう」
「依頼を受けますわ」
「やるぞ」
パンダの名前を聞き、一斉にやる気を出す女性陣。パンダのいない動物園なんて、麻薬のないセックスみたいに退屈だ。マハラジャはその様子を見て一人やれやれと首を振る。着ぐるみのせいか首が上手く回らない。
職員はそんな即物的な彼女らの心情に気づかず、手を叩いて大喜びしている。
「あ、ありがとうございます! 私たちも動物たちがどこに行ったのかわからなくて困っていますので、そこから探していただけると助かります……」
「それはまた、大変な仕事ですわね」
一時の熱が冷めたのか、真理は葉巻の煙で輪を作りながら静かにそう言った。これは「出すもの出してくれるんだろうな?」というジェスチャーである。職員は慌てて「少々お待ちください」と言って後ろにある扉へ飛び込んだ。何やら中で言い合っている声が聞こえてくる。
「園長、外の彼らが動物を探して捕まえて来てくれるそうです!」
「え、いきなりすぎるよ。大丈夫なの」
「大丈夫だと思います! さあ、園長の方から彼らに話を」
そんな声が聞こえたかと思えば、中から先ほどの職員とでっぷりとした男性が出てきた。中々良さそうな服を着こみ、身に着けている腕時計などから裕福であることが伺える。園の経営は結構上手くいっているのだろう。彼がこの動物園の園長だ。職員のよくわからない気迫に押され出てきたのだろうが、困惑気味だ。
園長は絶対太陽軍団の面々を目にすると頭痛がし、思わず渋い顔になった。西洋甲冑に着ぐるみの珍集団なんて、こんな連中に任せておけるはずがない。
「あー、君たち、申し訳ないがこれはだね」
園長が早々に職員の申し出を取り上げようとすると――
「まさか“人に依頼を頼んでおいて断る”なんて真似はしませんわよね?」
園長の言葉を、すかさず真理が遮る。真理はベレッタ・モデル92Fを取り出すと園長のこめかみに当てた。彼女は葉巻の煙を園長の鼻頭に吹きかけながら空いている方の手で顔を掴む。自分の方に引き寄せると、目をジッと見つめて拳銃を更に強く押し当てた。
「しませんわよ、ね?」
「は、はいぃぃぃ!」
葉巻の煙も拳銃も脅しをかけるためのパフォーマンスに過ぎなかったが、この太っちょの園長には大変効果があったようだ。園長は悲鳴を上げるとおたおたしながら懐に手を入れ、札巻を取り出した。
真理はこう見えて弁護士なのだが、このような暴力行為を働くところを見るに相当なインチキ弁護士だということはお察しである。
「こ、これが前金です……動物たちを捕まえていただけるならお礼は弾みますので、何卒、何卒……」
「そうそう、素直は良いことですわよ」
恐怖の表情を浮かべた園長は真理の拳銃をチラチラ見ながら震えた声を発する。それを聞いた真理は満足そうに頷くと札巻を抱えて蘭の肩を叩いた。蘭はキョトンとしている。
「ん?」
「ほら、あなたがリーダーなんだから何か言ってあげたらどうですの?」
「あ、そうか! 私たち絶対太陽軍団に任せておいて!」
真理に促され、蘭は甲冑に覆われた胸を叩いて園長に言い放った。甲高い金属音が鳴り響くと園長は体を震わせて「ヒッ」と声を上げたが、マハラジャが気にせず声をかける。
「なあ、園長さん。逃げた動物“たち”ってのは一体何なんだ? パンダだけじゃないよな?」
その言葉に、園長の心は大きく動いた。西洋甲冑を着た女がリーダーの珍妙なチームに依頼をすることとなり、しかも脅されたのだ。そんな中このまともそうな発言はどうだ。園長は目まぐるしい状況の変化と恐怖で自分を見失っているだけなのだが、「この男は信用できるぞ!」と根拠もなく思った。着ぐるみを着ていながらまともそうなことを発言するという、ギャップによる効果もあったのかもしれない。
「は、はい。ペンギン、フラミンゴ、あと牛が何頭か……」
「牛なんか飼っていたのか」
種類にもよるのだろうが、動物園で牛や豚を見ることはあまりない。メーテ――メンバーからは愛称で呼ばれている――は牛と聞くと歯を剥き出しにして騒ぎ出した。
「牛! メーテは牛が好きだぞ!」
「ああ、食べる方でな」
そう、食用として好きなのである。しかし、今回は捕まえなければならないのだから食べてはダメだ。マハラジャはメーテを宥めつつ、園長に向き直る。
「動物たちに何か特徴はあるのか? ペンギンやフラミンゴ、パンダはともかく牛は普通の家畜との違いがわからん」
メンバーの中では頭の良いマハラジャも動物に対する審美眼までは持ち合わせていなかった。園長は少しもごもごと唸った後、言い出しづらそうに口を開いた。
「写真もありますので、こちらを……特徴と言えば、うちの牛は二足歩行でして」
「んん?」
マハラジャはターゲットの写真を受け取りつつ、思わず声を上げた。牛と言えば四足歩行であることから教義的に食すのがタブーとなっている宗教があるくらいである。つまり、四足歩行であることが当然の常識であり、園長の突拍子もない発言にマハラジャは言葉を失った。他のメンバーはそこまで気にしていないようで、蘭は兜の向きを直し、真理は葉巻を吸い、メーテは土をいじっている。
「二足歩行で銃も扱いますので、捕獲の際は気をつけてください」
「オーケーオーケー、この動物園はクレイジーだ。そんな牛を飼ってたのか」
狂気染みているのはマハラジャの恰好も同様だが、この動物園も中々にパンクである。攻め過ぎである。そんな牛を飼育しておきながら西洋甲冑と着ぐるみ程度に驚くなと言いたい。
「それから、今回脱走した動物たちとは関係がないかもしれないのですが、もし金色の毛並の猿を見かけたら捕まえて来てください。お礼はします」
「金色の猿?」
園長の言葉に蘭が反応する。聞き覚えがあったのだろうか、兜が邪魔でほとんど回らない首を捻って何事か考えている様子だ。
「ええ、上海から寄贈された猿で、上海ベイベと呼ばれて親しまれていたんですが……この間いなくなってしまって」
「脱走か?」
「いえ、外部の者が檻の錠を外したようです。犯人はまだ特定できていません」
マハラジャは「悪い奴もいるものだ」とチンピラ風情の自分らを棚上げして見知らぬ相手を非難した。蘭は上海と聞いて何か思い出したようで、手をポンと叩いた。正確には手甲を打ち合わせたので、ガシャンと叩いた。彼女は中国人であるから、上海ベイベの名に聞き覚えがあったのだろう。
「そうか、その猿も探してみよう。対象はペンギン、フラミンゴ、牛にパンダ、猿だな」
「はい……で、ですが、名物のパンダかベイベを捕まえて来ていただけないとこちらも困りますので、少なくともどちらかは連れて来てください……」
園長の言葉は次第に尻すぼみになる。先ほどまで拳銃で脅されていたのだから無理もない。マハラジャもそれを少し不憫に思ったのか、安心させるように優しい声色で言う。
「大丈夫だ。パンダとベイベが見つからなければ報酬は必要ない。それくらいは保障しよう」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」
園長の中でまたもマハラジャの評価が上がった。チームのメンバーはぶーたれるが、仕事に対してこれくらいのメリハリは必要だと彼は考えていた。動物を殺してしまったら報酬はないだろうし、血気盛んなメンバーには注意が必要である。
「よーし、それじゃあ行くよ! アニマルハントだ!」
「私も行きますわ」
蘭は腕を振り上げ、猛然と走り出した。流石は我らの猪突猛進なリーダーである。おそらく駐輪場に停めてある自転車を取りに行ったのだろう。真理もその後を追って駆け出した。メーテは依然として土いじりを続けている。マハラジャはそれを見てやれやれと首を振るが、ここで情報収集をすることを決めたのか動く様子はない。それから、園長にもう少し話を聞いておきたかったのだ。
「そうだ、他に情報や特徴はないか? 何でもいいんだ」
「他に、ですか。そうですね、役に立つかはわかりませんが……逃げ出してしまったパンダの名前は『ラン・ナウェイ』と言います。よろしくお願いします」
「それは逃げ出すのもわかる」
園長が深々と頭を下げ、マハラジャが空を見上げて溜息を吐いた。名前の影響で何かが起こるわけでもないと思うが、もうちょっと考えて名付けるべきだと感じてしまう。マハラジャは気を引き締めるために息を吸い、頬を叩いた。着ぐるみのおかげで何も感じないが、こういうのは気の持ちようである。
そこでふと、マハラジャはメーテの姿がいなくなっていることに気づく。
「む、メーテ? 園長、さっきまでここにいた子を知らないか?」
「い、いえ、わかりません。すみませんが、私は仕事がありますのでこれで失礼します。どうか動物たちのことをよろしくお願いします」
園長がまた頭を下げ、扉の向こうへと消える。マハラジャはそれを手を挙げて見送り、すぐさまメーテの捜索に入った。動物よりもチームのメンバーが大事だ。という仲間意識もあるが、メーテはあれで喧嘩が強くて凶暴なのである。飛び散る薬莢の音と硝煙の臭いが好きだと公言するクレイジーな少女だ。うっかり一般人を殺害してしまうと警察がやって来て臭い飯を食うハメになることもある。何か仕出かす前に探しておいた方が良い。
「メーテ! どこだ!」
マハラジャは動物園の客にメーテの特徴を伝えながら足取りを追う。その過程でポルノ反対運動を行う小規模団体――独立系小盟約「ポルノバスターズ」に目を付けられてしまう。しかし、それも無理もないことだった。着ぐるみを身に纏った二十代後半の男が手当たり次第に十代の少女の情報を荒々しい息使い(主観)で聞いてくるのである。少年少女を大人の魔の手から守るポルノバスターズに取って見過ごせないことだった。
幸いにもポルノバスターズとのいざこざは無かったものの、以降マハラジャがアダルトでセクシーな情報を集めようとすると警戒されてしまうだろう。そんな組織に目を付けられたとは露知らず、マハラジャは動物園を駆ける。しばらくするとトレードマークのボロボロの傘を背負ったメーテの姿を発見した。
「メーテ! お前……どうしたんだその子は」
メーテを見つけたマハラジャは安堵して駆け寄るが、その横に見知らぬ女の子が寄り添っていることに気づいた。何やらメーテに対して馴れ馴れしく、腕を取って頭を擦り付けている。まるで恋する乙女のようだ。メーテはそれをまったく意に介さず、尻を掻くゴリラを眺めている。マハラジャの声には気づいたようで、メーテは振り返ると気の抜けた表情で彼を見つめた。
「なんかくっついてきた」
「そうか……元の場所に返してきなさい」
大阪ではペットを飼うように人間を飼うこともあるが、育てるならそれなりに責任というものが必要である。今はそんな暇はないのだ。女の子はメーテから引きはがされると親御さんの下へと泣きながら返され、最後の悪あがきにメルアドを交換していった。タフな女の子である。
◇
天王寺動物園を一足先に出た蘭は自転車でJAIL HOUSEに向かっていた。西洋甲冑を着た女が自転車を漕ぐ。これは見かけた人の精神に来そうな光景である。ガシャガシャと音を立てながら器用に自転車を漕ぐ蘭の後ろから、シトロエン2CVに乗った真理がやって来た。真理は葉巻を片手に優雅に運転している。蘭の隣に並ぶと速度を合わせながら走行し、窓を開けて声をかけた。
「蘭、あなた一体どこに行きますの?」
「んー、とりあえずJAIL HOUSEかな。人いっぱいいるし。真理は?」
「私もそちらに行きますわ。ちょっと買いたい物があるので」
真理は懐から札をチラつかせると不敵に笑った。先ほど園長からいただいた前金である。蘭はそれを見て物欲しそうな顔をする。彼女は自転車に乗って移動することからわかるように、とても貧乏だ。赤貧なのだ。
「えー、私にも何か買ってよー!」
「何が欲しいんですの?」
蘭は真理にそう問われ、自転車の上で器用に頭を抱える。その後、特に欲しいものは無かったのか頬(兜)を掻いて照れたように笑った。真理は呆れた顔で葉巻を吸い、大きく煙を吐いた。真理は仕方ないとばかりに鼻を鳴らし、助手席からAKM――カラシニコフと呼ばれるアサルトライフを取り出した。
「特に欲しいものがないなら、これで我慢しておきなさいな」
「うわー何これ。すごーい!」
蘭はカラシニコフを受け取り、目を輝かせる。チームの中では裕福な真理くらいにしか購入することのできない小銃である。しかし、よくもまあ自転車と車で並走しながら銃の受け渡しなんて器用な芸当ができるものだ。
二人がしばらく並走していると、『エルヴィス・プレスリー』の看板が見えてきた。これがJAIL HOUSEの看板である。エルヴィスの死を悼むファンがバーの店員にでもいるのだろう。その店員が幼女から「おいたん」などと呼ばれるロッカーであれば最高である。
それはともかく、二人はJAIL HOUSEの入り口に赴く。このバーは地下にあり、入るには薄暗い階段を降りなければならない。二人が扉を開くと、中の喧騒が彼女たちを包む。大阪中でも唯一の中立地帯となっているこのバーでは、様々な人種、盟約組織がごった返している。
「相変わらず薄汚いところですわね」
真理は煙を吐きながらしかめ面を浮かべる。大阪では汚くない場所の方が珍しいのだが、このお嬢様風弁護士は大阪でも有数の金持ちの街「官庁街」に住んでいる。ありとあらゆる人種、無法者たちが集うミナミのバーとは大違いの環境だろう。蘭はそんなことは気にせず狭いバーの中をガシャガシャと移動する。ああ見えて人気者の蘭だ。その辺の人間から上手いこと情報を聞き出すかもしれない。
蘭は周囲の人間から「良い鎧だな」とか、「よく磨かれている」などと褒められながら情報を集めていく。そんな中、一組のカップルが蘭の目に留まる。JAIL HOUSEの狭く小汚い空間でイチャイチャネチョネチョとしている。恋人と二度死に別れている蘭はそれを見て放心してしまった。カップルの姿に、何か思うことでもあったのだろう。
「あらあら……」
そんな蘭の様子を見て、真理も悲しげな表情を浮かべる。真理も恋人と死に別れた経験があるのだ。見た目や性格の割に、重い過去のある女たちである。しかし、すぐにそんなことは忘れて真理はバーのカウンターへと向かった。大阪の亜侠は過去に囚われないのである。
「いらっしゃい」
「このお金でこれとこれ……あとこれもいただけます?」
真理は札巻を放り投げて店員に渡した。慣れているのか、店員は札を上手にキャッチするとポケットへと入れた。そのままポケットマネーにしてしまうのではないかと思ったが、商品さえもらえれば問題ないと真理は気にせず葉巻を吸った。
「はいよ」
店員は拳銃を二挺と大量のカロリーなメイトを取り出すと真理に手渡す。なぜバーに拳銃が置いてあるのか。ここが亜侠たちチンピラだけでなく、盟約組織にも人気があることも一因なのだろう。武器の需要はそれなりにあるはずだ。
真理は無言で拳銃、携帯食料を受け取ると放心している蘭に近づく。声をかけて我に返すのかと思えば、西洋甲冑の兜に手をかける。真理が兜を取り去ると、蘭の素顔が露わになった。二十歳くらいの、かわいい女の子である。整った顔立ちをしているが、その目は血走り、歯ぎしりをしているおかげで台無しである。視線の先には先ほどのカップルがいる。亡き恋人との懐古の念に浸るでもなく、ただ妬ましく思っていただけのようだ。
「あれ、ありませんわね」
真理が首を傾げた。何かを探しているようだ。蘭の手甲にも手をかける。ここでようやく、蘭が我に返った。その目に生気が戻る。
「真理、何してるの?」
「ようやく気がつきましたわね。あなた、携帯電話をたくさん持っていたでしょう。一つくださる?」
金持ちは携帯電話など持たないのだ。不便だろうに、真理は携帯電話を普段使いするのは貧乏くさくて嫌だと言う。その点、蘭は携帯電話を三つも持っているのだからそれはそれで凄まじい。そのうちの一つは過去の男のメールからインターネットでのやり取りの記録までびっしりと詰まった恐ろしい携帯電話だとチームの中でもっぱら噂になっている。
「これならいいよ」
と、蘭は手甲ではなく具足を外す。周囲の男たちは生足が披露されるかと色めきたったが、残念ながら中はジャージである。鎧にジャージとは一体何なんだ。ともかく、蘭はジャージのポケットから携帯電話を一つ取り出して真理に手渡し、具足をまた足に嵌めた。
「ありがたくいただきますわ。何かわかったら連絡を頼みますわよ」
蘭から携帯電話を受け取った真理はJAIL HOUSEの出口へと向かった。
「ん、真理はどこか行くの?」
「ええ、ちょっと官庁街に」
官庁街には警察の本部、「大阪市警」がある。もし園長が我に返っていれば、警察にも連絡を入れていることだろう。五大盟約に数えられ、怠慢に恐喝、大麻を販売するような大阪市警が動くとは思えないので先を越される心配はないが、何らかの情報は掴んでいるかもしれない。
「そっかー。わかった! 私はもうちょっとこっちでがんばってみるよ!」
「お互いに健闘しましょう。これ、差し上げますわ」
真理は先ほど購入したメイトするカロリーを手渡す。チョコ味だ。
「わーい! ありがとー!」
無邪気に喜ぶ蘭に微笑み、真理はJAIL HOUSEを去って行った。真理を見送った蘭は携帯電話を開くと、なぜか昼になっていることに気がついた。首を捻るも、理由はわからない。蘭は賢くないので考えるのは苦手だ。
そんな時、蘭は知った顔を見かけた。かつて武装勢力に身を置いていたころ、敵対していた男である。そんな彼を見かけた蘭は――
「おらー!」
「うわっ!」
いきなり飛びかかった。突然のことに彼は反応できない。そしてそのまま、蘭は彼に唇を重ねる。
「むちゅー」
「んー!?」
唐突な口づけに男――青年は驚くが、くぐもった声を上げるくらいしかできない。周囲のおっさんたちは「いいぞー!」や「もっとやれー!」などと声をかけている。大阪ではこんなことは日常茶飯事なのだろう。長い口づけが終わり、解放された青年は動揺から立ち尽くしていた。いきなり西洋甲冑に身を包んだ女が襲いかかり、キスをかましてきたのだから動揺するのも無理はない。
「よし、動物園から逃げ出した動物の情報を教えてもらおうか!」
蘭は口元を拭いながらそんなことを言う。青年はわけもわからずオロオロとするばかりだ。周りから「なんだーもう終わりかー!」とか、「脱げー!」などの声が上がるが、蘭は聞こえない振りをしている。
「乙女の唇を奪ったんだから出すもの出してもらうぞ!」
「え、えー……」
これではまるで押し売りである。当たり屋にも近いかもしれない。こんな悪徳セールスみたいな真似が通るわけもないのだが、青年は気が弱かったのか蘭の剣幕に押されている。更に、脱走した動物たちに心当たりがあったのか、携帯電話を取り出して蘭に見せつけた。携帯電話の画面には何らかの動物――のようなものの影が映っている。
「動物って、これ?」
「おおー! すごーい……って、手振れがひどいなあ。写真を撮るのが下手だね!」
せっかく情報をくれたというのに、蘭はあーだこーだと文句を言う。しかし、確かに携帯電話の画面に映る写真はひどい出来だった。これでは場所はおろか、これが何の動物かも判断つかない。
「そんなこと言われてもな……」
彼は蘭の反応に苦笑する。突然変な女に襲われたというのに、対応の良い青年である。蘭は礼儀とか遠慮という言葉を知らないのか、ぐいぐいと質問をしていく。
「これどこで撮ったの? 何の動物?」
「うーん、天王寺公園の近くだったような。ペンギンが外に出てたから驚いて撮ったんだ」
写真を撮った場所が天王寺公園だとすると、これは脱走してから間もないころの写真である可能性が高い。収穫と言えば収穫なのだが、蘭は少し期待外れだったたようで肩を落としている。
「ふーん、そっかー。それじゃあ写真はもらうね」
「あっ」
蘭は他人の携帯電話を勝手に取り上げると、赤外線で自分の携帯電話に写真を送信した。勝手な女である。
「はい、ありがとー。ペンギン、どっちに行ったかわかる?」
「えーっと……新世界か日本橋電気街の方じゃないかな」
ちゃんと教えてあげる青年の対応が眩しい。この絶対太陽軍団のリーダーよりも太陽のように優しい輝きを持つ男である。しかし、蘭にとってはその情報も期待外れだったようで、大きな溜息を吐いた。
「なんだー、それじゃわからないじゃない」
「ご、ごめん」
青年はシュンとした様子で蘭に謝った。蘭の心の片隅にも良心というものがあったのか、そんな様子を見て励ますように青年の肩を叩いた。鎧の手甲は硬く、叩かれると痛い。
「まあまあ、気にすることないよ! 人によって得意なことは違うからね!」
激励の言葉もいい加減な女である。しかしそれでも、青年は笑顔を浮かべた。良い人すぎる。そんな彼に、一人の女性が声をかける。どうやら青年の知り合いのようだ。
「あらー、何してるの?」
蘭は青年に声をかけた女性を見てギョッとした。ロシア系の整った顔立ち、近づくと心地良い香りと妖艶な雰囲気に呑まれるだろう。女性であっても目を惹く、そんなオーラが彼女にはある。彼女の名はオルガ・
そんなオルガが青年を見る目は優しい。蘭は女の勘か、この青年がオルガにとって割と“特別な存在”であることに気づいた。先ほどの蛮行が知られれば蘭もただでは済まないだろう。蘭は青年に耳打ちする。
「さ、さっきのことは内緒にして! お願い!」
「え、あ、うん」
蘭は青年の了解を得るやいなや凄まじいスピードでJAIL HOUSEを後にする。せめて口封じの代金としてお金くらい握らせても良いものだが、そんなことは蘭の頭にはなかった。飛び出していく蘭を見てオルガは怪訝な表情を浮かべ、青年に問う。
「さっきの子、なんだったの?」
「な、なんだろう。よくわからないよ」
蘭の雑な口約束は、善良な青年によってしっかりと守られた。彼がもし話してしまっていたら、オルガとその手下によって蘭はボコボコにされていただろう。蘭にはこの太陽のような青年をお手本に、もう少し真人間になってもらいたいものである。蘭はJAIL HOUSEを飛び出すとチームのメンバーに青年からもらったペンギンの画像を送信した。
◇
真理は官庁街、大阪市庁舎に来ていた。都市を治める政府の建物のはずだが、貧相なビルである。それもそのはず、大阪の都市政府は「無恥・無能・無気力の三無主義」と言われ馬鹿にされているくらいなのだ。対して、お向かいさんの「日本管理委員会」のビルは大層立派である。アメリカ、ソビエト、ドイツ、中国で構成される彼らこそが大阪の真の支配者と言っていいだろう。
真理は五大盟約「地獄組」の下部組織、「正統なるニッポン」や「神風師団」のような愛国者でも極右思想家でもない。日本管理委員会に隅へ押しやられ、貧相なビルで堕落した日々を過ごす都市政府の姿を見ても特別な感情は抱かない。精々、市庁舎前で行うデモ隊の声が煩わしいと感じる程度だ。
「アレだー! なんとかしろー!」
「税金泥棒ー! とにかく反対だー!」
デモ隊のコールはこんな感じだ。あまりにお粗末というか、真理にもダメだとわかるくらい稚拙な文句である。溜息と葉巻の煙を吐きつつ、真理は市庁舎の中へ足を運ぶ。すると、見知った顔を見かけた。向こうも真理に気づいたのか、声をかけてくる。
「あらあら、真理ちゃんじゃない?」
「どうも、こんにちはですわ。山本さん」
山本さんとは、真理の隣に住むおばさんだ。何らかの用で大阪市庁舎に来ていたのだろう。真理は愛想笑いを浮かべながら相手をするが、少々厄介なことになったと思っていた。大阪のおばちゃんは総じてお喋りで話が長い。調査のためにも要らぬ時間を割いている暇はないのだ。
「あらあら、こんにちは。そう言えば知ってる? 天王寺動物園から動物が逃げ出したんですって」
「あ、はい。そうみたいですわね」
おばちゃん特有の噂話だ。このまま話を切って、近所関係に影響が出るのも困る。悪口もすぐに広まるのだから、おばちゃんのネットワークは侮れない。
「何でも高橋さんのところの奥さんが逃げ出した動物を見たらしいわよ。すごいわねえ」
「そ、その話詳しくお願いしますわ!」
何と、予想外の展開である。大阪のおばちゃんは一度聞いた噂話を完璧に記憶する能力を持っている。高橋さんの奥さんの話も、しっかりと覚えているはずだ。真理は真剣な様子で山本さんの話を聞く。時折、要らぬ情報も耳に入るがこの際仕方がない。おばちゃん特有のマシンガントークは、真理の耳に情報を次々に叩きこんでいく。
「――で、こういうわけらしいのよ」
「ふむふむ、なるほど。ありがとうございますわ! さっそくみなさんに連絡しませんと」
真理は蘭からもらった携帯電話を取り出し、メールで山本さんからもらった情報をチームのメンバーに英語で一斉に送信した。その時、真理はメールの着信に気づく。蘭からのメールだ。真理はメールを確認しようとするが、山本さんがそれに待ったをかける。
「あ、そうだ真理ちゃん、こんな話もあるのよ!」
「え、あ、ちょっとお待ちになって……」
山本さんのマシンガントークは続いていく。おばちゃん特有の長話に付き合わされる羽目になった真理がメンバーの中に英語がわかる人間がいないことに気づくのは、もう少し先の話である。