サタデーナイトスペシャル   作:蒼穹の我慢汁

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番外編
亜侠に明日はない


 

 混沌とした都市大阪に数多く存在するチンピラ、パンクの紛い物――亜侠(アジアンパンク)。彼らは善と悪、どちらかと言えば悪に分類されるだろう。悪と言ったって、そんな大層な代物じゃない。巨悪、害悪はもっと他にいる。亜侠はせいぜい、そんな巨悪や害悪、あるいは大きな正義、大義に巻き込まれて惨めに死んでいくくらいの儚い存在である。大阪を牛耳る五大盟約だって、掃いて捨てるほどいる亜侠の顔なんていちいち覚えていない。

 そんな儚き亜侠たちは徒党を組む。チームを組むのだ。塵も積もればなんとやら、掃いて捨てるほどいる亜侠がすべて結束すればどれだけ大きな力となるだろうか。時に徒党を組んだネズミは、虎を狩るほどの脅威となり得る。

 しかし、何事にも例外というものは存在する。ありえないなんて事はありえない。亜侠の中に、この大阪――危険でパンクな街をたった一人で生き延びる猛者が存在する。盟約組織は彼らを「番外」や「伝説」、「化け物」と呼び、一目置いている。亜侠の不文律、「チームは一個の生命体」を独りで成し得る存在。そんな伝説的な存在を讃えずして、何を讃えようか。

 

 大阪の中華街は、とても活気に溢れた街だ。大阪で活気に溢れていないところの方が珍しいが、中華街の活力はその他を凌駕している。五大盟約の一つである大幇(たいばん)が目を光らせているおかげか治安も良く、料理もおいしい。最大の歓楽街ミナミと並ぶ人気のある街と言っていいだろう。

 早朝から食べ歩き、女でもひっかけて来たのかほくほくした顔で路地裏を歩いている中年の男――ロロ・ボンゴ。こんな路地裏で冴えない、人生の乾いていそうな中年男性が歩いているとたちまち身ぐるみを剥がされそうなものだが、彼に突っ掛かるものはいない。目の利く者ならロロの重心の動かし方、ぶかぶかのTシャツから覗く太い肢体、常に拳銃に意識を向けていることがわかるだろう。

 噂好き、情報通ならばロロの顔を見てピンと来る者がいるかもしれない。幼少の頃より命を狙われ続け、その都度キッチリ生還する男。“帰還者”とも呼ばれ、何度も死の淵から生き残っていることから付いたあだ名が「不死身のロロ」だ。盟約も一目置く、まさに“番外”である。

 

 ロロが路地裏をテクテクと歩いていると、一人の男が少女の手を引いて彼の横を通り過ぎた。通り過ぎ様に肩にぶつかっていく男にロロが文句を言おうとしたその時である。

 

「おい――」

 

 パンッ、という乾いた音とともにロロの肩にぶつかった男が倒れた。倒れる男に釣られ、手を引かれていた少女も転んでしまう。咄嗟のことにロロが倒れた男に駆け寄ると、男は呻きながら懐から金を取り出した。

 

「うう……頼む、お嬢様を助けてくれ」

「ああ? 何言ってんだお前」

 

 急な申し出にロロは困惑する。しかし男はロロの言葉が聞こえていないのか、押し付けるように札束を寄越した。彼はうわ言のように「頼む、頼む」とだけ繰り返している。

 

「逃がさないアル!」

 

 路地裏の奥、どうやらこの倒れ伏す男を撃ったらしき謎の中国人がアルアル言いながら姿を現した。隣には仲間なのか、生真面目そうな青年も立っている。彼らは見るからに少女、それからロロにも敵意を向けている。長年の経験からその敵対心を察知したロロは舌打ちをして少女に言う。

 

「おい、さっさと逃げろ。任されちまったようだし、この場は何とかしてやる」

「……うん」

 

 少女が頷くのを見ると、ロロはもう物言わなくなった男から差し出された札束を懐に入れた。そのまま前方の二人、中国人風の男と生真面目そうな青年に向かってモーゼル・モデル1896――C96とも呼ばれる拳銃を抜き放って一斉掃射した。

 

「カー! 何するアル!」

「う……」

 

 銃弾を肩に食らっても元気そうな中国人と比べ、青年は苦しそうなうめき声を上げた。更には外れた銃弾が落とした路地裏の植木鉢や物干し竿が青年の頭に直撃する。青年は命の危機からか、怪我の影響か体を震わせてその場に崩れ落ちる。

 中国人は怯え倒れ伏す青年に蔑んだ目を向け、ロロへ反撃とばかりに同じくC96を取り出して銃弾を掃射した。

 

「情けない奴アル……もういい、私がやるヨ。くらうアル! って、アイヤー?」

 

 銃弾は少女にもロロにも命中しないまま、すぐに弾切れを起こしてしまった。その隙を突いて少女は路地の奥に消え、ロロが新たな拳銃を取り出して中国人を狙い撃つ。

 

「弾切れとは残念だったな! って、ん?」

 

 ロロの取り出した拳銃もまた、中国人を貫く前に弾切れを起こしてカチカチと虚しい音を上げる。こうしたうっかりをやらかすから、女が寄り付かない乾いた人生を送ることになるのである。

 

「ハッハッハ、馬鹿め! このままお前を殺してあのガキを追うアル!」

 

 中国人風男性は薙刀のように歪曲した刀身の、よく切れそうな剣を取り出してロロに襲いかかった。

 

「馬鹿はお前だ」

「ふべっ」

 

 ロロはそれをあっさりと受け止めると握りこぶしを男の頬にぶつける。中国人風男性が怯んだ隙に、ロロは背を向けて走り出した。わざわざ正面からやり合う必要もない。三十六計逃げるにしかずである。逃げるは恥だが役に立つとも言う。

 

「あ……」

「まだこんなところにいたのか。さっさと逃げるぞ」

 

 走っていると、路地裏の先に少女がポツンと立っていた。ロロは彼女の小さい体を抱えると、すぐ側に待機させてあったスクーターのエンジンをかけてその場から遁走する。すると、後ろから先ほどの中国人の叫び声が聞こえた。

 

「逃げても無駄ネ! ここは我ら大幇(たいばん)が包囲してるヨ! 中華街からは絶対に出られないアル!」

 

 大幇。ここ中華街を支配する五大盟約の一つだ。まったくとんでもない連中に目を付けられたものである。ロロは少女を恨めしそうに睨んだ。一緒に行動しているところを連中に見られているし、ロロの顔も手配されてしまっただろう。

 少女は意外にもロロの視線に真っ向から向き合い、睨み返してきた。これにはロロも驚き、視線を逸らす。少女にガンつけられて目を逸らす悲しい中年男性の図だ。

 

「そんな睨むなよ。俺はロロ・ボンゴ。助けてやったんだ、お礼と自己紹介くらいはしたらどうだ」

 

 ロロの言葉に応えず、少女はジッと彼を見つめてから、

 

「……アレクサンドラ・カスパロヴァ」

 

 とだけ言った。ロロは少女の名前があんまり長いものだから少しピンと来ず、首を捻る。その様子を見た少女は溜息を吐いて言う。

 

「サーシャでいい」

「わかった。サーシャだな」

 

 ロロは少女――サーシャから愛称を教えてもらい、神妙に頷いた。そのすぐ後、サーシャの不遜な態度とお礼を言われてないことに気づいてハッとした様子で眉間に皺を寄せる。

 

「あ、サーシャお前。さっきまでオドオドしてたくせに生意気な態度だな。礼も言ってないし」

「さっきまでは緊張してたの。人見知りだから」

 

 サーシャはつんとそっぽを向いて言う。妙な理由だが、ロロも「人見知りならしょうがない」といった反応である。実はこの中年男性も人見知りなのだ。そして相変わらず礼を言われてないのだが、ロロは気づかないでうんうんと頷いていた。よほど“人見知り”に共感したらしい。

 

「それはそうとサーシャ、お前なんで大幇になんか追われてるんだ?」

「私は……」

 

 ロロが尋ねるとサーシャは表情を暗くする。サーシャを頼むように言った男は彼女を「お嬢様」と呼んでいた。どこかの富豪の娘か、それとも。

 

「まあ、言いたくないんならいい。それより、どこへ逃げるか。包囲されちまったみたいだが」

「……まずは男人道(ナンヤンロード)に向かって。買いたいものがあるの」

 

 男人道とは小売店の並ぶ市場街だ。大抵のものはそこで揃う。中華街からひっそりと脱出するにしろ、大幇と(勝てるとは思えないが)全力で戦うにしろ武器や道具は必要である。

 

「よし、わかった。男人道だな」

 

 ロロはサーシャの言葉に頷いて、ヴェスパを転がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男人道(ナンヤンロード)は活気に満ちていた。ロロたちが通ると商店のおっちゃんやおばちゃんの呼びかけが激しい。半分押し売りなんじゃないかと思うくらい強引に「あれいらんかい、これいらんかい」と声をかけてくる。

 サーシャはある店の前で立ち止まり、中に入って行った。店には「発明品」なんて怪しい看板がかかっていて、ロロは苦い顔を浮かべる。自分は特に買いたいものが無いので、ロロはさっそく周囲に警戒しつつ情報を収集することとした。大幇という巨大な組織の包囲網、そこにも“穴”があるはず。それを突くことが定石だとロロは考えていた。

 

「お一人ですか」

「っ!?」

 

 見知らぬ男がロロに声をかける。これでもロロは警戒していたつもりだ。死線も潜り抜けて来たし、気配や物音には敏感な方だ。それでも、この謎の男には気がつかなかった。まるで足音も気配もなく近づいてくる男はハッキリ言って不気味である。警戒から、ロロの手が拳銃に伸びる。

 

「おっと、待ってくださいよ。怪しい者ではありません」

「怪しい奴はみんなそう言うんだぜ」

 

 男の言葉にロロは不敵に笑ってそう言った。男は苦笑しながら一枚の紙を取り出してロロへと差し出す。

 

「これを」

「なんだこれは……地図?」

 

 ロロは不審な点がないことを確認すると、男に注意を払いながらそっと手渡された紙を見た。そこには中華街全域の地図が描かれ、大幇の文字と警備ルートが記されていた。少し見ただけでそれがこの包囲網を表していること、それから包囲網の穴の突き方まで丁寧に記されていることがわかる。

 

「お前、本当に何者だ」

「そんな怖い顔をしないでくださいよ。私はそうですね――情報屋のチュンと申します」

 

 チュンと名乗った男は会釈をする。ロロはその名前に聞き覚えがあった。伝説の情報屋、突然現れては目的の情報だけを手渡していずこかへ去っていくという謎の人物。大阪のチンピラの間では都市伝説的に、あるいは救いの神として噂され崇められている。ロロはそんなもの、根も葉もない噂だと思っていた。

 

「あんたがあの伝説の情報屋だって?」

「はあ、伝説というほどでもございませんが」

 

 そう簡単に信じられるものでもない。大幇の回し者で、偽の情報を掴ませてきた可能性もある。ロロが威圧するもチュンは特別焦る様子も、怯える様子もない。肝は据わっているようだ。ロロが彼の正体について訝しんでいると、チュンは小さな紙を取り出す。彼はそのままそこに書かれていることを読み上げた。

 

「アフリカの……とある小さな国が民の反乱で滅んだことがありましたね」

「なっ――」

 

 ロロはチュンの言葉に絶句した。そう、ロロにはチュンの言葉に大きな心当たりがある。そして彼はそれ以上その話を聞きたくない。

 

「その国の王族は」

「もういい。わかった、わかったよ。あんたは本物だ」

 

 ロロは手を挙げて降参のポーズを取る。チュンはそれに満足したのか、頷いて紙を仕舞いこんだ。この男が伝説の情報屋とわかったいま、ロロは聞いてみたいことがあった。

 

「なあ、あんた……チュンさんでいいか? チュンさん、俺はいまサーシャっていう女の子と行動してるんだが」

「ええ、存じてますよ。アレクサンドラ・カスパロヴァさんですね」

 

 そんなことまで知っているとは恐れ入る。ロロは札束を取り出しながら期待を込めて聞いた。

 

「ああ、その娘だ。そこでチュンさん、サーシャがなんで大幇に狙われているのか教えてくれないか?」

「ふむ、それはできません」

 

 チュンはロロの札束を押し返してそう言った。ロロも無理強いするつもりはなく、素直に札束を仕舞う。

 

「そうか。まあ、ちょっと気になっただけだから気にしないでくれ。それともう一つ気になったんだが、なんであんたは俺にこの情報を教えてくれたんだ?」

「ふふ、それも秘密です」

 

 チュンは笑みを浮かべてそう言った。まったく、食えない男である。ロロも呆れたように笑って手を振った。

 

「ハッハッハ、そうかい。それなら俺の聞きたいことはもうないよ。情報、ありがとうな」

「ええ、健闘を祈っています。どうかご無事で――不死身のロロ」

 

 チュンはそう言うとサッと姿を消した。ロロは頭に手を当てて空を見上げる。カラスが「カー」と一鳴きするのを見て、ポツリと呟く

 

「敵わねえなあ」

 

 ロロがそんなちょっとした感傷に浸っていると、年端もいかない女の子の甲高い声で名を呼ばれる。

 

「ロロ」

「ん? なんだサーシャか。もう買い物終わったのか――ん?」

 

 サーシャの声に振り返ったロロは、彼女がその手に持っているものを見て首を傾げる。何やらスケートボードのようなものを持っていた。わざわざこんな時にスケートボードを買うなんて理解に苦しむ。ロロの表情を察したのか、サーシャは弁明するようにその場でスケートボードに乗った。

 

「ほら、これ結構速いんだよ」

「おお」

 

 確かに、そのスケートボードはスイスイと男人道を駆ける。どうやら原動機付きとなっているらしく、仕組みはさっぱりだがロロのスクーターほどのスピードは出るようだ。

 

「ぶーんぶーん」

 

 とても楽しそうなサーシャの姿に、ロロは少し気が滅入った。確かに便利な代物だが、目立つのだ。追われている身なのだからお嬢様には少し控えてもらいたいものである。

 

『やれやれ、大変そうだな兄弟』

「ああ」

 

 突然、ロロは自分の脳内に直接響くような声を感じ取った。今度はチュンではなく、ロロの乾いた人生が作り出したイマジナリーフレンド――想像上のお友達である。自分の作り出したお友達と会話する中年とは、なかなかの狂気である。

 サーシャは一頻り原動機付きスケボーの感触を楽しむとそれを降り、ロロに向かってこう言った。

 

「次は夜總會(ナイトクラブ)リドに行きたい」

「おいおい待てよ。脱出する方法がわかったんだ。早く逃げた方がいいんじゃねえのか?」

 

 ロロはチュンからもらった紙を取り出してサーシャに見せつけた。サーシャはそれを見ただけで内容がわかったのか頷くも、首を横に振る。

 

「いや。まずは夜總會に行く」

「おうおう、スケボーで遊んだ後はクラブでパーティってか?」

 

 ロロは憎まれ口を叩きながらもスクーターに跨る。サーシャはスケボーを担いだままその後ろに乗った。

 

苦力(クーリー)を雇うの。早く出発して」

「スケボー買ったんならそれ乗ってけよ」

「疲れるの。さ、早く」

 

 サーシャに急かされ、ロロは溜息を吐いてヴェスパを発進させた。追われているというのに、まったく緊張感がないのも困ったものだ。夜總會リドは男人道を抜け、駅を越えた先にある。

 

 男人道を抜け、線路を越えて右折すると少々高級な建物が見えてくる。左手に見えるのは中華街最大の高級レストラン翠龍楼、右手に見えるのが夜總會リドである。昼間から金を持ってそうな連中が出入りしている。もちろん、屈強なガードマンをつけてだ。

 リドに出入りできるのはそれなりの身分のある者や誰かから紹介を受けている者だ。名が売れているとはいえ、間違ってもロロのようなチンピラが入れるような場所ではない。サーシャはリドの入り口で立ち止まるロロの脇をスッと抜け出してカードを取り出した。それをそのまま入口の男性に見せる。

 

「はい」

「……どうぞ、お入りください」

 

 カードを確認した男は入口の前を空ける。サーシャが「ついてこい」という目で見てくるので、ロロは困惑しながらを後を追った。こんな小さい、まだランドセルを背負ってそうな子どもがなぜ高級クラブに入れるのかさっぱりわからず、ロロを首を捻る。

 サーシャは既に、奥の怪しげな販売所に行ってしまっている。手持無沙汰なロロはこんな高級クラブでどうしていいかわからずにキョロキョロと辺りを見回した。サーシャは買い物に来ただけだし、女と遊ぶには時間もない。テキトーに見て回っていると、なんとこんなところに弁当が売っているのを発見した。流石高級クラブ、通常のクラブでは見かけることのないものを売っている。

 

『クラブに弁当なんて珍しいな』

 

 イマジナリーフレンドが話しかけてくる。普通なら友人たちと「こんなところにお弁当が売ってる」、「珍しいね」なんて会話も交わすんだろうが、ロロの話し相手はこの幻想のお友達くらいだ。

 

「ああ。こんなとこで弁当なんて売れんのかね……ちょっとおっちゃん、この弁当ちょうだいよ」

「あいよ」

 

 奇妙な独り言を言うロロを見て売店のおじさんは首を傾げつつも、客ということでお金と引き換えに弁当をいくつかロロに手渡した。ロロが弁当を受け取ると、奥の方から悲鳴と怒号が聞こえてきた。

 

「待て!」

 

 聞き覚えのない声だ。ロロが訝しんでいると、奥の方から何かを抱えたサーシャがスケボーに乗って全速力で駆けてきた。スケボーの原動機はフルスロットル、凄まじいモーター音を響かせている。後ろから彼女を追ってきているのは、どうやら大幇の連中に違いない。二人の男は銃を取り出して殺気立っている。スケボーに乗るサーシャも逃げ切れそうだし、ロロはすぐさまリドの出口へと向かった。

 

「クソ、待ちやがれ!」

 

 サーシャを追っていた男二人のうち、片方が発砲した。その銃弾はサーシャには当たらず、なぜかロロの肩を掠める。

 

「ちくしょう、痛えな!」

 

 ロロは被弾した肩を押さえて悪態を吐くも反撃には移らない。走っているところを見るに、あっちには車やバイクのような乗り物がない。このままスクーターに跨って逃げてしまう方が都合が良い。サーシャも結構スピードの出るスケボーで走り抜けることを考えているようだ。彼女はそのままロロのヴェスパを易々と抜いていく。

 ロロがちらりと後ろを見ると、追ってきていた二人はクラブのソファーか何かに足を引っかけたようで思いきり転んでいた。この隙に二人は夜總會リドを後にした。

 

 夜總會リドから逃げ出した二人は再び男人道を通って大阪影視城に来ていた。ここは大阪の映画ビジネスの中心地だ。もう夜の帳が下りるころだが、口角泡を飛ばして叫ぶ監督や死に物狂いで演技をする役者の姿が見える。中には本格的な銃撃戦のシーンなのか、実弾を使ってまさに死ぬ気で演じている俳優もいる。ロロとサーシャはそういった色んな意味で危ない連中には近寄らないように、映画製作陣御用達の売店に向かった。

 大阪の映画ビジネスの中心地だけあって、売店には様々なものが置いてある。本物としても使える手錠やロープ、パラシュートなんてものまである。更には拳銃、アサルトライフル、ショットガンと映画製作者だけでなく武装勢力も御用達になりそうなくらい充実したラインナップの武器が並んでいた。脱出するにしても、大幇に襲われた時のことを考えて装備を整えておく必要はある。

 

「よし、これをくれ」

「はいよ」

 

 銃に取り付けるアタッチメントを購入し、ロロはその場で弁当を食べ始める。これには脳内親友、イマジナリーフレンドも呆れ顔だ。

 

『おいおい兄弟、ここはレストランじゃねーぜ?』

「食える時に食っとかないとな」

 

 突然弁当を食べ始め、独り言を言うロロに店主は気味の悪いものを見るような目を向けている。ロロはそんなことを知らず存ぜず、むしゃむしゃと高級クラブのカニ飯弁当を食べていた。なぜカニなのか、それはわからない。

 ロロが一心不乱にカニ飯弁当を食べていると、サーシャが何かを持って近寄ってきた。その手には小さなパイナップルのようなものが握られている。サーシャは近寄ると、それをロロに差し出した。

 

「はい」

「あ? サーシャ、こりゃなんだ」

 

 絶品のカニ飯に意識が持ってかれているせいか、ロロはサーシャの差し出すブツが判断できない。

 

「手榴弾」

「ぶほっ」

 

 サーシャの言葉に驚き、ロロはカニ飯を器官に詰まらせてしまった。ゲホゲホとむせ、涙を浮かべる。

 

「危ねえな! 顔の近くに持ってくるのはやめろ。とりあえず預かっておくぞ」

「うん。ロロにあげるために買ってきたんだから、ちゃんと持ってて」

 

 手榴弾をポケットに入れ(それも危ないと思うが)、ロロはカニ飯にラストスパートをかける。すぐさま食べ終わり、弁当をその辺に放り投げて店を出て行った。最悪の客である。

 ロロは外に見知らぬ女性がいることに気づいた。そう言えば、さっきも見かけたような気がする。サーシャは女性に近づくと彼女からショットガンを受け取った。一体彼女は何者なのかと、ロロは警戒しながら近寄る。

 

「サーシャ、その人は誰なんだ。知り合いか?」

「うん。さっき買――雇った苦力(クーリー)だよ」

 

 サーシャの言葉に、女性はニコニコしている。苦力とは労働移民のことだ。決して奴隷ではない。怪しい契約や、時には首輪や足枷が付いていようと奴隷ではないのだ。サーシャの雇った苦力はきちんとした服を着て、拘束もされていない。衣食住の負担を条件に雇われる苦力はお嬢様と呼ばれていたり高級クラブに易々と入ったりできるセレブな少女に雇われれば、まあ生活の心配をしなくて済むので安心ではある。

 

 苦力を連れて二人は大阪影視城を出た。このまま大幇の包囲の穴を突いて脱出することも可能である。ロロは空を見上げ、そこに浮かぶ綺麗な星々を眺めた。

 

「……もう夜だな」

「夜だね」

 

 ロロの呟きに呼応して、サーシャも空を見上げる。

 

「一晩休んで、朝になったら中華街(ここ)を出るか」

 

 ロロは肩の傷を見ながらそう言った。二人、特にロロは精神的にもかなり厳しいところまで追いつめられている。朝の銃撃戦からここまで、ずっと警戒を続けていたのだから無理もない。

 

「それだったら、私のアジトがあるよ」

「アジト? 大幇の連中にバレてないといいが……」

 

 サーシャの申し出に、ロロは渋い顔を浮かべる。しかし、快適な睡眠を取るには安心できる家で休むのが望ましい。

 

『とにかく行ってみるのがいいと思うぜ兄弟』

「そうか、それもそうだな相棒」

 

 想像上のお友達の言葉に、ロロはうんうんと頷きながら答えた。中年男性が急に独り言を喋る光景は不気味なものだが、サーシャは特に驚かずに見守っている。一般的な感性を持つ苦力の女性はロロから少々距離を取っていた。

 

「慎重に、周囲を確認して行こう。アジトが抑えられてなければ問題なしだ」

「わかった」

 

 サーシャは頷くとスケボーに乗って走り出した。アジトの場所がわかるのはサーシャしかいないため、彼女が先導するしかない。ロロはスクーターに跨り、苦力の女性も乗せてやって後を追いかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サーシャのアジトは幸いにも大幇の連中には見つかっていなかったらしい。やはりというか、サーシャのアジトは立派な家だった。少女が一人で住むには随分と大きいような気がする。

 

『でっけー家だな』

「ああ、俺の心のように広い家だ」

 

 そんな風にイマジナリーフレンドと冗談を交わしつつ、ロロはサーシャの家に上がる。想像上のお友達と会話しながら少女の家に侵入する中年男性とは犯罪臭のする響きだが、ここ大阪ではそこまで珍しいものでもない。

 サーシャの家は人が集団で済んでいた気配があるものの、中はがらんとしていた。一緒に住んでいたのはサーシャの親か兄弟か。

 

「部屋は何個かあるから、自由に使っていい」

「おう、ありがとな。こんなデカい家に住んでるなんて何やって稼いでるんだ?」

 

 高級クラブに入れたりポンと手榴弾を買ってくるようなセレブ少女に、ロロは金儲けの秘訣を聞く。もし自分にもできるようなことならあやかりたいものだと彼は考えていた。

 

「医者」

「は?」

 

 サーシャの端的な答えにロロはポカンとした表情を浮かべる。

 

「お医者さん」

「いや、聞こえてる、聞こえてるよ。医者ってサーシャお前、大丈夫なのか?」

 

 こんな年端もいかない少女に診てもらったり、手術を任せるなんて恐ろしい。

 

「できるできる」

「そ、そうか」

 

 腕まくりをして胸を張るサーシャに、ロロは渋い顔をして頷いておいた。できればお世話になりたくないものである。ロロは自分の肩の傷を眺め、軽傷なので自然治癒に任せようと心に誓った。

 

 やがて二人――苦力も入れれば三人だが――は明日に備えて眠りにつく。だが、ロロは肩の傷のせいか夜中に痛みを感じて目を覚ましてしまった。ついでにトイレによる。ロロはそろそろ年齢的にも尿漏れが厳しくなったり、トイレが近くなるのかなどといった不安を抱えながらトイレへと向かう。中年男性の悲しい心理である。

 ロロはふと、ある部屋――サーシャの部屋からすすり泣くような声を聞く。気配を殺しながら扉へと近づき、そっと中を伺った。

 

「うっ、うう……お母さん、お父さん……」

 

 それは額縁に収められた写真だろうか。サーシャはそれを抱いて蹲っていた。彼女はまだランドセルを背負っていそうな少女である。昼間、ロロといる時はそんな様子は見せなかったが、自分の命を大きな組織に狙われるというのは大変な恐怖だ。ロロは自分の命を狙われ逃げ回っていた幼少期を思い出したのか、唇を噛んでそっとその場を後にした。

 

『兄弟。あの子、守ってやりてえな』

「…………」

 

 イマジナリーフレンドがロロに話しかけるも、彼はそれに応えなかった。いまは明日の中華街からの脱出に備えてしっかりと眠るだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝。ロロとサーシャは示し合わせたように同じ時間に起きた。二人は「おはよう」とだけ軽い挨拶を交わして身支度を整えて外に出た。いよいよ中華街、大幇の包囲からの脱出である。脱出先は中立地帯であるミナミだ。そこならば大幇も無茶な真似はできないだろう。情報屋チュンの地図もミナミへ上手く抜けられるように包囲の穴を突くルートが描かれている。

 

「よし、行くか」

「うん」

 

 ロロの言葉に、サーシャは頷く。昨日の夜泣いていたことが嘘のようにサーシャはしゃっきりしている。ロロも昨日見たことを彼女に話すこともなく、それによって無理に気遣うようなこともしなかった。いまはただ、脱出という目的のために邁進するのみである。

 昨日の男人道を抜けた先、そこを右折せずに真っ直ぐ行けばミナミの方面である。そのまま行っても大幇の連中に確保されてしまうので、ロロたちはチュンの地図を確認しながら狭い迷路のような路地裏を通っていく。遠回りだが、これなら大幇の包囲を突けるはずだ。

 

 まもなく出口に差し掛かるというところで、見覚えのある男が立っているのを見つけた。それはロロがサーシャと出会った時に戦った中国人風の男と生真面目そうな青年である。

 

「見つけたネ!」

「なっ、ここも大幇に包囲されていたのか!?」

 

 チュンのことを信用していただけに、ロロはショックを受ける。しかし、中国人風の男性は首を横に振って否定した。

 

「違うアル。私は自分でお前のこと、ずっと追いかけてたネ。お前を取り逃がしたせいで出世コースから外れてしまったんだヨ! お前を殺して、その女の子を連れて行けばきっとまた評価してもらえるアル!」

 

 完全な私怨である。だが、大幇とは別に独自で行動していたおかげでロロの後を追うことができたのだから、その点は大したものである。

 

「ということは、お前を倒せば逃げ切れるってわけだ」

「ふん、今度は強力な助っ人を連れて来たヨ。さあ上海ベイベ、出てくるアル!」

 

 中国人風の男がそう言うと、ロボットのような――明らかに人間ではない人の形をした“物”が物陰から出てくるではないか。美少女を模したその看板は面倒くさそうな表情で中国人風の男性を見つめている。

 

「物使いが荒いナ。お前、オレを勝手に持ち出して怒られないカ?」

「大丈夫ネ! あの少女を連れて行けばチャラアル!」

 

 そんな二人がやり取りをしているうちに、ロロはそそくさと手榴弾と拳銃を準備し始める。それに気づいたのか、中国人風の男はゴミ箱の影に隠れながら上海ベイベに命令を下した。

 

「さあ! さっさと行くアル!」

「めんどくせーナァ……」

 

 上海ベイベはそう言いながらも、ロロに向かって猛然と走り出した。走っている途中、体がみるみるうちに大きくなり、見上げるほどの身長となる。そのまま上海ベイベは体当たりをしてくる。あの巨体に潰されれば一溜りもないだろう。ロロはすぐさま身をかわした。

 

「でけえ図体だ、な!」

「アァッ!」

 

 ロロは上海ベイベの巨体に潜り込みながらその肘を思い切り小突いた。ベイベの体に傷をつけることはできなかったが、彼女(彼?)にも痛覚はあるのか叫び声を上げて痛みを訴える。ファニーボーンというやつだ。

 ベイベを上手くやり過ごしたロロだが、生真面目そうな青年がサーシャを狙っていることに気づいた。ベイベの巨体からすぐさま這い出してサーシャの下へ向かう。

 

「サーシャ!」

 

 ロロは肩に銃弾を受けながらも、サーシャの身を守る。咄嗟のことに反応できなかったサーシャは目を丸くして固まっていた。

 

「ロロ……」

「俺のことはいい。武器の準備でもして下がってろ」

 

 ロロの言葉に、サーシャはこくんと頷くと拳銃とショットガンを取り出した。それを横目で見たロロは手に持っていた手榴弾を中国人風の男に向かって投擲しようとする。生真面目そうな青年はそれがわかっていたのか、銃弾をロロに浴びせ妨害してきた。これにはロロもたまらず、狙いが定まらなくなる。

 

『兄弟、俺に任せろ』

「相棒?」

 

 イマジナリーフレンドの声がしたと思えば、ロロの手に力が入る。中国人風の男、彼の隠れているゴミ箱を狙えばいい、それが確実だと想像上のお友達は言う。いつしかロロは青年の放つ銃弾も気にならなくなり、手榴弾を投擲することにだけ集中できた。

 

『さあ、行け』

「当たれ!」

 

 ロロの投げた手榴弾は弧を描いて飛ぶ。青年がそれを撃ち落とそうと必死に銃弾を浴びせるが、不思議と掠りもしなかった。手榴弾は見事にゴミ箱へと着弾する。

 

「アイヤー!」

 

 中国人風の男性の悲鳴が聞こえた。ロロは喜びから思わず、イマジナリーフレンドの姿を探してしまう。姿は見えなくとも、想像上のお友達とはいつも一緒だ。手榴弾を当てられたのもお前のおかげだと、お礼を言いたい。

 

「相棒、やったぜ……相棒?」

 

 ロロにいつも応えてくれるはずの、イマジナリーフレンドの声はいつまで経っても脳内に響かない。ロロはふと、直感する。あの手榴弾は、イマジナリーフレンドが乗り移ったものではないかと。彼が手助けをしてくれたのではないか、と。ロロの乾いた人生の生み出した、想像上のお友達。それがもしかしたら、魂――幽霊のような存在となって力を貸してくれたのかもしれない。

 しかし、ロロが浮かんだ涙を振り払って見たものは、残酷な現実だった。煙が晴れると、そこからほとんど無傷の中国人風の男が出てきたのだ。

 

「いやー、びっくりしたアル」

 

 隠れていたゴミ箱は消し飛んだものの、男にこれといった傷はない。上手く身をかわしたのか、それとも異常に丈夫な体を持っているんだろうか。男はニヤリと笑うとモーゼル・モデル1896を取り出してサーシャに向かって発砲した。

 

「くらうネ!」

「うわ」

 

 サーシャは転がって銃弾をかわす。生け捕りにこだわらないのか、彼らは殺す気で向かってきている。その証拠に生真面目そうな青年がサーシャの移動した先を狙って銃弾を発射していた。ロロはそれに気づいており、すぐさまサーシャと青年の間に割って入る。

 

「うぐっ」

「ロロ!」

 

 青年の弾丸は、ロロの腹を突き破った。まだ戦えそうではあるが、ロロの傷は見るからに重傷である。サーシャもそれがわかったのか、悲痛な叫び声を上げた。その時、サーシャの頭上に影がかかる。

 

「余所見してていいのかナ?」

 

 サーシャに襲いかかってきたのは上海ベイベだ。その巨体は小さなサーシャの体を覆う影を落とすほどである。サーシャはモスバーグ・モデル500を取り出して応戦する。彼女の放った弾は上海ベイベの巨体を僅かに逸らし、ベイベはサーシャの真横に落下した。

 

「うべっ」

 

 サーシャはそのまま体を引くと、ベレッタ・モデル92を中国人風男性に向けて発砲する。

 

「甘いネ」

 

 しかし、それはあっさりと避けられてしまう。その横ではロロがモーゼル・モデル1896――C96を上海ベイベに向かって掃射していた。この近距離であっても、上海ベイベの表面が僅かに剥がれるだけでほとんど無傷に見える。

 

「こいつ、硬い――サーシャ!」

 

 ロロが苦戦している横で、中国人風の男性が青竜刀を振りかぶってサーシャに襲い掛かっていた。ロロは叫び声を上げるも、サーシャは勇敢にショットガンを構える。サーシャの放った近距離で破裂した弾丸は、男の胴体に直撃した。

 

「ア、アイヤー……」

 

 男はそのまま崩れ落ち、体を震わせて顔を青くする。どうやら、爆風を乗り越えた体も胴体を貫いた弾丸には耐えられなかったようだ。青年が慌てて援護に向かおうと拳銃を向けるが、あまりにも慌てていたせいか拳銃はスッポリと手から抜けてしまう。それはそのまま上海ベイベの頭上に落下し――。

 

「ぐ、ぐえー」

 

 上海ベイベはうめき声を上げて倒れた。動かないようだが、わざとらしく「むにゃむにゃ」と言ったり演技のようにも見える。中国人風の男が倒れたからだろうか。さりとて、これは好機である。サーシャはそのまま青年に向かってショットガンを撃ち放った。弾丸は途中で分裂し、散弾となって青年に襲い掛かる。体制の崩れた青年に向かってロロは拳銃を向けた。

 

「これでトドメだ」

 

 パン、という乾いた音とともに青年が崩れ落ちる。この場で立っているのはもう、ロロたちだけだ。彼らはそのまま、中華街を抜けてミナミへと向かった。ようやく、大幇から逃れることができたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大阪の歓楽街、ミナミ。ロロたちはこの中立地帯に無事辿り着くことができた。ロロは重傷で疲労困憊だが、疲れながらも笑顔を見せる。ようやく逃れることができたのだ。一方でサーシャは暗い顔を浮かべている。大幇から逃れたのだから少しはその能面のような表情を動かせば良いものだが、顔を綻ばせる様子もない。

 誰かが近づいてくるのを察知し、ロロはすぐさま拳銃を構えた。相手は年若い男だ。黒髪でやや長髪、目鼻立ちの整った眉のキリッとした男である。ロロのように乾いた人生を送ってない、潤った人生を送っていそうな雰囲気を感じる。彼は拳銃を向けられても動揺することなく、拍手をして笑みを浮かべた。

 

「いやあ、よくやってくれた」

「お前は誰だ?」

 

 人好きのする笑みだが、ロロは警戒を解かない。ここまで来てサーシャを連れて行かせるわけにはいかなかった。男はロロの不安を打ち消すためか、身分を明かす。

 

「俺は(あかがね)大二郎(だいじろう)。地獄組のモンだ。よろしくな」

 

 大二郎はそう言ってニッと笑った。警戒を解くことはなかったが、ロロはその名に聞き覚えがあった。五大盟約の一つ地獄組、そこに中立地帯のミナミに単身乗り込んだ根性のある男がいる、と。それが彼、銅大二郎である。彼はミナミのホストクラブを乗っ取った功績から、幹部に抜擢されていたはずである。そんな彼がロロたちに会いに来る理由がわからない。

 怪訝な表情を浮かべるロロの心情を察したのか、大二郎は苦笑してこう言った。

 

「お前らが大幇を掻き回してくれたおかげでウチの連中は大喜びなんだよ。まあ、お前らはそんなこと知らないでやったんだろうがな?」

「……なるほど、そういうことか」

 

 大幇と地獄組は敵対関係にある。そんな中、大幇に狙われ、その包囲を脱出したロロたちの存在は地獄組にとって大層愉快だろう。ロロが話を飲み込んだのを見て、大二郎はアタッシュケースを取り出す。

 

「そんなわけで、これはお前らへの礼だ。ウチらが勝手に用意したもんだが、受け取ってくれ」

 

 大二郎の差し出したアタッシュケースには札束と「おたから」と呼ばれる貴重な道具が入っていた。特に、おたからは通常では手に入らない値打ち物である。その価値は時に、山のような札束を上回ることがある。

 

「もらえるんならもらっておく」

「ああ、そうしてくれるとこっちも助かる。それから、これは俺の名刺だ。何かあったら呼んでくれ。大幇の連中の悔しがるサマを想像すると笑っちまうぜ。ありがとな、兄弟」

 

 大二郎は名詞をロロに渡すと親しみを込めて彼を「兄弟」と呼ぶ。よほど大幇を引っ掻き回したロロたちのことを好意的に思っているのだろう。ロロの方はそんな盟約の有名人の言葉に心を躍らせたりはせず、「兄弟」という単語に一抹の寂しさを覚えた。

 大二郎はそのまま、アタッシュケースと名刺を押し付けるとその場から去っていった。ロロは思わぬ報酬に多少気分が良くなったような気はする。ただ災難に巻き込まれただけではなかったのだ。アタッシュケースのおたからにはサーシャにも丁度良さそうな可愛い、中がまるで底無しのポシェットもある。ロロはそれを取り出してサーシャに見せてやった。

 

「ほらサーシャ。結構可愛いのがあるぜ」

「……いらない」

 

 サーシャは俯いている。ロロの差し出したポシェットはサーシャの手によって払われ、地面に落下した。

 

「おいおい、どうしたんだ? 大幇から逃げ切れたんだ。もっと喜んでも――」

「お母さんとお父さん、いなくなっちゃった」

 

 ポツリと漏らしたサーシャの言葉に、ロロは口をつぐんだ。サーシャの表情は見えないが、ポタポタと地面に滴が落ちる。

 

「もう、みんないない。エヴァもカーチャも、ロボも、みんな……殺されちゃった」

 

 仲間の名前か。サーシャはえづきながら言葉を紡ぐ。ロロに言っているのか、独り言のように自分に言い聞かせているのかはわからない。それでもロロはサーシャの言葉を真剣に聞いていた。もう彼女は大幇から逃げている最中、寡黙で堂々としていたサーシャではない。泣いている、ただの普通の女の子のように見える。

 

「私はこれからどうすればいいの? みんないなくなっちゃって、どうすればいい?」

 

 サーシャが涙に濡れた目をロロに向ける。ロロは無表情でサーシャを見つめ、こう言った。

 

「どうしたいかは、お前が決めろ。俺は将来の夢だとか、これからの未来だとか明日だとか、そういう先の話は嫌いだね」

 

 ロロの言葉に、サーシャはまた俯いた。地面を濡らす彼女に、ロロは再びポシェットを差し出す。サーシャはそれを振り払おうとするが、今度はロロもポシェットを落とさないようにしっかりと握りしめていた。

 

「“今”を考えろ。今のお前は、どうしたいんだ?」

「私は……」

 

 ロロはポシェットを差し出しながら、サーシャに問う。その声は厳しく、強い調子だ。サーシャは潤ませた目を拭い、ロロの差し出したポシェットを掴んだ。

 

「私は、ロロと一緒にいたい」

「それならそうすりゃいい。俺は勝手に行くから、お前も勝手についてこい」

 

 サーシャの言葉に思わず笑みをこぼしそうになりながらも、ロロは頭を掻いてぶっきらぼうにそう言った。ロロはアタッシュケースを掴むと、あえてサーシャの方を見ないで歓楽街へと足を踏みだした。サーシャもそれを追って、とことことついていく。サーシャの顔には、ロロと同じ笑顔が浮かんでいた。彼女にはなんとなく、前を歩くロロが自分と同じ表情をしていることがわかって嬉しくなった。二人はそのまま、歓楽街の喧騒に飲まれるようにして消えていく。

 

 ロロとサーシャは、家族でもなければ仲間でもない。それでも、彼らは一緒にいるだろう。ロロは仲間でもないのに一緒にいる理由を聞かれれば、「任されちまったからな」なんて古い話を持ち出して誤魔化すに違いない。サーシャに聞けば、「なんとなく」と答えるのだろう。

 彼らはそのうち、亜侠の中でも異質な伝説として名を残すかもしれない。不死身のロロとたった一人の盟約継承者、アレクサンドラ・カスパロヴァ――サーシャとして。だけども、そんな明日(さき)の話はロロもサーシャも聞きたくないはずだ。だって彼らは、“今”を生きているのだから。

 

――大阪を生きる亜侠に明日(さき)はない。

 

 きっと彼らは、“今”を懸命に生きている。

 




 読了ありがとうございました。もしよろしければ、感想欄に今回のMVP(もっとも活躍した人)と、番外の彼らそれぞれの評価をください。

 評価は、どんな働きをしたかで以下の中から選んでください。
・親分:チームをまとめた、仲間を助けた。
・闇商人:売買を行った、取引をした。
・殺し屋:敵を倒した/殺した、破壊工作や襲撃を行った。
・用心棒:仲間や依頼人などを守った、厳しい状況で生き残った。
・色事師:色香で何かした、デートやエロいことをした。
・ペテン師:巧みな交渉を行った、シャレた嘘を吐いた。
・泥棒:アイテムを盗んだ、警戒厳重な場所に忍び込んだ。
・走り屋:競争や追いかけっこに勝った、何かを運んだ。
・情報屋:有益な情報を手に入れた、謎を解いた
・裏職人:アイテムを作ったり、仲間を治療した
・キジルシ:常軌を逸した行動を取った、頭がおかしい
・ダメ人間:何もしなかった、チームに迷惑をかけた

例(あくまで一例です。お好きなように記入ください)
MVP:ロロ、ロロ:親分、サーシャ:殺し屋etc...

 というように、もしよろしければ評価をくださると嬉しいです。ちなみに、この評価の結果が彼らの成長につながるので、そのあたりも考慮してみると面白いかもしれません。
 それでは、読了お疲れ様でした。そして、読んでくださってどうもありがとうございます。またの機会があれば、よろしくお願いします

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