第2話です‼︎
テントから出ると、満月の優しい光が僕を出迎えてくれた。雲もない空には、まるで宝石を散りばめたかのように煌めく星々が空を彩っている。
しかし、そんな見とれてしまうような景色とは対照的に、この駐屯場には殺伐とした空気が流れている。見れば兵士達は各々武器を構えており、その様はまるで戰前であるかのようだった。
「……どうしたんだろう。こんなにも綺麗な夜空だっていうのに、みんな怖い顔なんかして」
『さぁ、戰でもしようとしているんじゃない?』
「戰、ねぇ……」
何気無く言うグレモリー。そんな彼女の言葉に僕は、少しの間天を仰ぎ、ポツリと漏らす。
「命よりも大切なものなんてないのに、なんで争うんだろうねぇ……」
ただ、その言葉に返してくれる者は一人もいなかった。僕の漏らした言葉は、頬を撫でるように吹いた風と共に、宝石の中へと消えていった。
「いやーすまないねぇ。勝手に訪ねたのにご馳走になっちゃって」
「いえいえ、余り物ですからお気になさらず」
あの後、駐屯場の中を歩きまわっていたら、どこからか美味しそうな匂いが漂ってきた。そのなんとも言えない香りに誘われてたどり着いたのは、この軍の食事を作っているテントだった。どうやら食事の時間はとうに過ぎたらしく、中からは誰の声も聞こえてこない。
ああ、そういえばお昼から何も食べていなかったなぁ……テントを眺めながらそう考えていると、きゅるるる〜、とお腹が空腹を訴えてきた。しかしここにあるのは軍の貴重な食料、部外者の僕が食べてしまっては白瑛さん達に迷惑がかかってしまう。でも、お腹が空いた。
そんな葛藤を続けていると
『あのぉ、お腹が空いているのなら何か作りましょうか?』
ちょうどテントに帰ってきた妙齢の女性が、僕にそう声をかけてくれた。
とまぁ、そんなことがあって僕は今、食事をご馳走になっているわけだ。それにしても、この料理は美味しいなぁ。
「ふふふっ、本当に美味しそうに食べてくれますね。そんな顔をして食べてくれる人を見るのは久しぶりです」
……ふむ、これはおかしなことを言うものだね。
「美味しいものを美味しく食べるのは当然だろう? それとも君たちには、食事の時に美味しそうに食べちゃいけない決まりでもあるのかい?」
「いえ、そんなことはないです……ただ」
女性は少し表情に陰を落として語り出す。
こうした他国や部族を侵略する遠征では、いつどこで何が起きるかわからない。だから兵士の皆は常に気を引き締めており、それは食事の場であろうとも変わらないそうだ。「美味しい」と、口ではそう言ってくれるものの、純粋に食事を楽しむものは皆無だと。
「姫さまに至っては『将としてやらなければならないことがある』と、まともな食事をとられないことも度々……。私は皆様に、この食事の場を一時の安息の場として欲しいのです」
力が無いからこそ、戦場以外の場で彼女たちを支えたい。祈るように胸に手を当て、今まで蓋をして抑え込んでていたであろう思いを吐露する。
「それに、
「呂斎?」
初めて聞く名の人物に、僕がそう聞き返すと
「呂斎様とは千人長を務めておられるお方です。確か姫様の監視役としての立場でもあるとか」
「もしかして、髭を生やしたおじさんのことかい? ほら、陰険そうな顔をしてる」
「あ、はい。その人が呂斎様です」
ようやく顔と名前が一致した。呂斎という男は、テントで白瑛さんに説教をしていたあの男のことだ。
「それで、その呂斎って人がどうかしたのかい?」
「はい、実は──」
「いい人だったなぁ。見ず知らずの僕にお腹いっぱいご飯を食べさせてくれるなんて」
食事を終え僕は今、食後の運動がてらに駐屯所内をふらふらと歩いている。久しぶりにお腹いっぱいのご飯を食べることができたからか、前に進む足取りは昼間よりも軽く感じる。
そうして当てもなくブラブラしていると、グレモリーが話しかけてきた。
『あんな話を聞いたわけだけど……シルフィ、あなたはどうするつもりなの?』
「んー、別にこの軍の内情を知ったからって、僕はどうこうするつもりはないよ」
彼女の話を聞いて、現在この軍が二つに割れようとしていることは理解できた。だが、だからと言って僕自信が何かをしようとは思わない。内輪での揉め事は当人達で解決すべきだしね。
「さて、それじゃあ行こうか」
『行くってどこに?』
「白瑛さんの所にさ。少し早いけど、お礼とお別れを言いに行こう」
そうと決まれば、僕は白瑛さんのいる場所を目指し足を進めた。
場所は変わり、駐屯所内の陣幕の中。そこには机に向かい、なにやら考え事をしている白瑛の姿があった。
「……ふぅ」
疲れたように溜息を吐き、眉間の辺りを手でマッサージする白瑛。彼女は此度、将として一軍を率い、大陸の西方の国々を煌帝国の傘下にするよう命を受けた。だがやはりというべきか、そう簡単にことは上手くは運ばない。
今回の黄牙の民族もそうだが、煌帝国の傘下に収めようとする動きを『侵略』と、そう捉え反対するのが殆どである。その中には武力抵抗をするものもあり、白瑛の悩みの種となっている。
平和主義者である白瑛は、武力や争いによって支配することを嫌う。できることならば話し合いで解決をしたいと、そう考えているのだがやはり上手くはいかない。理想は理想、現実は現実と割り切れればそれが一番良いのだろうが、彼女の性格がそれを良しとしない。
できるのであれば、一つの血も流さずことを収めたい。そのためならば身を粉にする覚悟はできているのだが、そこは彼女も人間だ。精神的疲労が蓄積し、ここしばらくは満足に食事も取れていない。将として皆の前では毅然とした態度をとってはいるものの、それもいつまで持つのか。
白瑛がこの場にきて何度目かの溜息を吐いた時、陣幕の前にいる見張りの兵が声をかけてきた。
「姫様。姫様にお会いしたいというものが来ているのですが、いかがいたしましょう?」
(私に……? もしや昼間の)
いやそれ以外には居ないだろう。黄牙の民族の者だとしても、わざわざ敵陣に乗り込んでくるとは思えない。
「大丈夫です、通しなさい」
「はっ!」
通れ、と兵が言うと入り口の幕が開き、中に入ってきたのは
「やぁ白瑛さん」
白と黒が入り混じった
パッと見、魔導師にも見えなくはないその青年の名はシルフィード。白瑛が黄牙の民族との交渉の帰り際に出会った青年だ。
「立ち話もなんでしょう。適当な場所に座っては?」
「ならお言葉に甘えようかな」
そう言い、白瑛の対面に置かれた椅子に座るシルフィード。
「それで、どのような用件でここへ?」
「それはね、昼のお礼とお別れを言いに来たんだ」
お別れ、その言葉に白瑛は少し目を丸くする。つまり彼は、今すぐにでもこの駐屯所を後にするということだ。
「貴方を黄牙の民の元まで案内すると、そういう約束でしたが」
「そうなんだけど、やっぱり自分の足で行ってみることにしたんだ。ほら、道に迷うのも旅の一興ってね」
はははっ、と屈託なく笑うシルフィード。そんな彼の笑顔につられ、白瑛もまた笑顔を浮かべる。
しばらく笑いあった後、不意にシルフィードは視線を鋭くさせ、白瑛の胸元へ向ける。そこには昼間に見たものと同一のものであろう、白い羽扇が仕舞われていた。
「……その羽扇は金属器だね?」
「……やはり気づいていましたか」
シルフィードの言葉に、白瑛は特に驚くことなく落ち着いた様子で返す。そして羽扇を懐から抜き、シルフィードに見えるように構える。見ると羽扇の金の装飾部分にある赤い宝玉、そこにはジンを宿している証である八芒星が刻まれていた。
「迷宮攻略者……まさか一国の皇女様がなっているなんてね」
「……そうですね。私も、まさか自分が金属器使いになるとは思ってもみませんでした」
迷宮攻略はそれこそ命懸けだ。屈強な者でも容易く命を落とすこともある。そんな迷宮を女性の身でありながら攻略した白瑛は、実力・精神力ともに常人のそれを上回っているのだろう。
それに、ジンが主と認める『王の器』足り得る何か。それを彼女は秘めているのだ。
「白瑛さん、貴女はその力を手にして何かしたいことはあるのかい?」
「したいこと、ですか……」
シルフィードの問いに、白瑛は一度言葉を区切る。そして一度眼を伏せ、次に開くときにあったのは、強い意志の込められた瞳。
「私は、誰も死なぬ世の中が創りたいのです」
「誰も死なない世界……」
はい、と力強く答える。
「この世界は今、異変により戦と危険に溢れかえっています。それらを無くすためには、世界を誰かが治めなければならない……」
「つまり、白瑛さんが世界の王になりたいと?」
「……いいえ、私には世界を治められるほどの器量はありません。私が出来るのは、それを成すことができる人を支えることくらい」
真剣な眼差しで語る白瑛。シルフィードもまた、彼女の話の一言一句を聞き漏らさぬよう耳を傾けている。
「我々煌帝国は、世界を統一するために動いております。他の国々はそれを『侵略戦争』と言ってはいますが、それは違うのです。私はただ、誰も死なぬ世を創るために、彼らにも協力してほしいだけなのです」
「……なるほど。それが白瑛さんの『器』か」
どこ満足気に頷くシルフィード。すると彼は椅子から立ち上がり、近くに立てかけていた杖を手に取る。
「行かれるのですか?」
「うん、聞きたいことは聞けたからね」
言いながら、シルフィードは出口へと向かう。そして出口の幕に手をかけると、白瑛に一度視線を向け
「色々お話聞かせてくれてありがとう。それじゃあ、またどこかで会おう」
そう言葉を残し、幕内から姿を消した。
そして、白瑛の元を離れたシルフィードは、再び駐屯所の中をフラフラと歩く。
「白瑛さんが選ばれた理由がわかったよ。やっぱり王の器たるもの、あれくらい強い想いがないとね」
先ほどの彼女の話を思い返し、シルフィードは小さくそう漏らす。
そして思い出すのは、あの日の光景。彼がこの世界で最も美しいと感じた、あの遺跡での光景。
「……ねぇ、グレモリー」
『なぁに?』
「君は、本当に僕でよかったのかい? 本来なら、白瑛さんみたいな人を主に選ぶんだろう?」
そう問いかけるシルフィードの声は、少しばかり明るさに陰りが見えていた。
そんな
『関係ないわよ、そんなもの。私がシルフィ、あなたを主と認めたんだから』
それに、とグレモリーは続け
『私にあんなお願いしてくる人間なんて初めてだったもの。そんな面白い主、私が見逃すはずがないわ』
「そうかい……それならいいんだ」
『そうそう、そうやってグダグダしてるなんてシルフィらしくないわ! ほら、もっと笑って笑って!』
グレモリーの励ましを受け、シルフィードは口元に笑みを浮かべる。
迷宮を攻略してからこれまで、常に彼女と共にあった。きっとこれからも、それは変わらず続くのだろう。
彼女と交わしたあの約束がある限り──
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