気味の悪いほどに静まり返った夜のジャングル。熱帯地方特有のいやに湿って生ぬるい風が、背の高いイネに似た植物の中に伏せている宇治たちの頬をなでていく。
古い田んぼが荒れ果てたらこうなるだろう。と言われても不思議ではないくらいに荒廃した泥濘の湿地帯。低湿地独特のマングローブが遠く夜のとばりの中に浮かび上がって、否が応でも泥まみれの彼らの姿を自覚させる。
「……人事を尽くして天命を待つ。か」
宇治はM14の二脚を立てて、ぬかるんだ地面の上に置いた。
もはや濃緑の迷彩服は泥だらけ。むしろ蛭にかみつかれていないだけましだと思えてくる。
「本当に、これでいいんですかね……」
隣に伏せた若者が、疑念たっぶりに尋ねた。
「なにがだ?」
「いや……RPG一本無いのに、あの怪物を倒せますかねって…………」
そわそわと不安げに鉄の輪っかのついた筒状の物を弄ぶ若者から、最終確認もかねてその筒をひったくる。
塩ビのパイプみたいにすべすべとした円筒。その片側に大きく鉄の輪がくっついており、まるで防犯ブザーかなにかのようだ。
「まあ……
ちらりと円筒から地面に向かって伸び出た赤いコードを一瞥して、ぽいと若者の方に投げよこした。
若者はそれを慌てた動作で受け取り、宇治を恨めしげな眼差しで睨みつける。
しかし。
宇治は静かに顎に手をやった。ぞりっとした無精ひげの感触が指に突き刺さる。携行型の双眼鏡の向こう側を覗いてみるが、視野の大半を叢に奪われている上に辺り一つ無い真夜中。草木も眠る丑三つ時と本土の方でも言われているとおり、木々のざわめき一つすら起こらない漆黒の闇の中、だ。
問題は多々ある。
このままじっと闇を睨んでいても、双眼鏡から覗く中に不安が見え隠れしてしまうようで、そっと双眼鏡の縁から目を離した。
牽強付会、楽観視。脳裏にぐるぐると回っていた文字列がすっと闇に溶けていく。じめじめとした居心地の悪さが、逆に宇治を現実へと引き戻した。
「…………大丈夫だ。人類はまだ負けてない」
そうやって自らを励ますことしかできないこの体たらく。拳を握りしめる右の手にも力が入ってくるのがよく解った。
「宇治さん、あれ……」
とんとんと横から肩をたたかれる。若者が藪の向こう側を指さしてなにかいっている。宇治は促されるままに双眼鏡を手にとって遠くを見据えた。
萱によく似た雑草の間から見えるのは、ちかちかゆらゆらと瞬きながら揺れる灯。ある一定の規則性に従って瞬く灯火は、人口的な青白い色のLEDライトのようだ。小さな喧噪も同じく聞こえる。
「…………誘因は成功とみて良いか」
ふう。と一息ついた瞬間、変な形に折れ曲がった樹木たちの群れが、ざわざわと風に巻かれてさざめいた。
途端に空気がまるまる入れ替わったかと錯覚するほどに重苦しく変質する。
若者が息を飲むのが暗闇の中でも手に取るように解った。
「来たか」
そう誰に知らせるでもなく呟いた瞬間。
バキバキボキリと音を鳴らしながら柏の木のような大木が、根元からへし折れていった。
漆黒のとばりよりもなお黒い、巨大な魚じみた怪物。
しかし、以前戦った個体よりも縦に長く、全体的に小さく纏まったような印象を受ける。
魚が陸に上がるために無理矢理生やしたかのような印象を受ける細い前脚が黄土色の泥濘を踏みしめる。
そのとたん、ズシン。と空気が震えた気がした。ズズッ、と泥が震えた気がした。
「……っ」
若者が威圧されたように息をのむ。M14のハンドガードをつかむ手が汗ばんでいくのがよく解る。
あと数歩も歩けば、『仕掛け』に当たる。
その時が奴の最期だ。
「……今だ!」
宇治がそう喉を震わせた直後。
若者の手の内の円筒から、金輪が地面へと放り捨てられた。