若者がピンを抜く。金輪が地面に落ちる。それがスローモーションみたいにゆっくりと黄土色の泥濘へと近づく。
それを視界の端で睨みつけながら、宇治はM14のハンドガードから手を離す。すぐさま手のひらを耳元に持っていって、しっかりと抑えつけた。
瞼を閉じて口を大きく開く。そうでもしなければ、爆発の衝撃波に人体が耐えられない。
伏せた草むらの中で、宇治はにやりと自身の口角が吊り上がるのに気付いた。
特定の地点に標的を誘導。そしてコード式の信管をつないだC4を手動で起爆するなんていう原始的きわまりない即興の機構でも、うまくはまってくれたからだ。
丁度今時分、C4は怪物の大顎のように見える外殻の丁度真下にある頃だ。大量の爆薬が一気に発破をかけると、いくら硬い外殻をもつ怪物だってひとたまりもあるまい。
爆発でくたばってくれれば万々歳。爆破したその時点では倒すことができなくたって、動きが止まった隙に誘導要員と共に囲んで射殺すれば良い。
そうほくそ笑んで、来たる爆轟に備え瞼をぎゅっと閉じた。
「…………あれ?」
若者の素っ頓狂な声。そしていつまで待てども来ない爆風。
そっと目を開ける。爆発はない。ずりりと近くで泥の蠢く音。
怪訝になって若者の居るはずの方向へ首を捻った。
「おい……」
若者は、きちんとピンを抜いていた。
信管をきちんと刺したのも、確認した。そのはずだ。
「…………なん、で」
青い顔をした若者の手から、ぽろりと起爆装置は転げ落ちる。それは一直線に草の上に向かって落ちた。
草ががさりと鳴く。ぐりんと黒い怪物の瞳が回って、緑色の1つ目を若者のほうに向けた。
「まずっ……!!」
宇治はとっさに起き上がって左方向に飛ぶ。足のバネをフルに使って、泥へと転がり込んだ。受け身もなにもとれずに湿地を転がる。
予想が正しければ、あれは――
「逃げろ、早急に!」
きょとんと何のことか解らないような顔をした若者に向かって、大声で怒鳴りつける。同時に、怪物の側面に向かって走りだした。
「う、宇治さん!?」
「死にたくなければ走れ!」
そう言ったところ、慌てたようにがさがさと遠くの方へと草が鳴くのが解った。
そっと一安心したのもつかのま、怪物は甲高い声で絶叫する。ピンと張り詰めていた空気が震え、肺を押されて息苦しさすら覚えるほどの緊張が走った。
「やはり……っ!」
耳を抑えながら、宇治は一人呟いた。絶叫の切れ目に、ガシャリと機械的な音を立てながら口蓋を大きく開ききって細長い筒を二本、まるで牙だとでも言うかの如く闇に向かって突き出す。
こいつは、窪地で戦ったあの怪物の仲間のようなもの。ならば――
「『咆哮』の次に来るのは、『砲撃』か!?」
刹那、息を全て叫びに変えて吐ききった喉を、轟音が焼いた。
眩いばかりの閃光が視界を覆い、強烈な熱のために刺すような痛みが咽頭を押さえつけ、唾液を皆どこかへと消しとばしていく。
「……っ」
痛む喉を上から手袋を填めた右手で押さえた宇治は、M14の銃身をがっしりと引っ掴んで草むらから思い切りよく飛び出した。
それと同時にさっきまで若者とともにいたところを一瞥。草の少し奥に伸びていた大木が、真ん中からへし折れて燃えているのがわかった。
仮に砲弾だとして、着弾点が燃えているということは榴弾だろう。そう心の中で確認したとたん、ぞっと背筋に冷たいものが走る。もしも逃げていなければ。とおもうと心臓が凍り付いたように固まってしまう。
「……宇治さん、俺は!?」
「誘導の奴らに攻撃指示! 急げ!」
どこかに隠れていたらしい若者が飛び出してきて、指示を仰いだ。
よし。とひとつ頷いて、暗闇に向かって走って行く若者を見守る。
「…………さて」
M14の安全装置を外して、怪物と相対する。銃を擬した宇治を、碧玉のような1つ目がギロリと睨む。怪物は微動だにする事も無いまま、カタカタと音を立てて口内の砲を小刻みに動かした。
ズシン。細くアンバランスな前脚が泥に埋まる。ズリッとすべるようにしながら腹を冷たい泥にこすりつける。
歩くたび、滑るたび、微細な振動が足下から腕を震わせた。心底底冷えさせるような怖さがそこにあった。
「……っ」
恐怖に耐えるように唇を噛み締めて、思い切り引き金を引く。重い発砲音が響いた後、もう一度。
跳ね上がる銃口を抑えるのとほぼ同時に7.62×51mm弾が怪物の頭部に着弾する。がいんと金属の鎧かなにかにでもはじき返されたかような嫌な音を撒き散らしてどこかへとんでいった。
やはり外殻にはさして効果がないか。ちっと舌打ちして箱形の弾倉を腰ポケットから取り出すと、空弾倉を逆側のポケットへと突っ込む。
2つ目の弾倉を銃の機関部にたたき込み、緑色に光る単眼を狙い澄まして、撃つ。
黒い外殻に覆われた身体よりは眼球に射撃するほうが効果的なようで、時折金切り声を上げて身をよじらせるように。遠くでざわざわと喧騒が、銃声の合間にさざめくようにして耳に入ってくる。
「援護射撃まだか!?」
しびれを切らして叫ぶと、もうしばらく待ってくれ! と聞こえた。いい加減にしてくれ。こちらだってもう弾がつきそうなんだ。怒号を発しながら宇治は再び黒い怪物の口蓋がぎちぎちと生々しい音を発するのを耳にした。みると2本目の砲らしき棒がこちらのほうをにらみつけているではないか
「くそったれ! 戦車か何かでも相手にしてる気分だ!!」
その瞬間、がちんという嫌な音を残して銃声が止まる。引き金を引くという行為すら忘れて、その状況に目を見開いた。
――
M14を肩から掛けたスリングごと外して地面に向かって放り捨てる。それと同時に右足でぬかるんだ地面を勢いよく蹴りこみ、冷たい湖沼の泥の中へをダイブする。
瞬間、轟音と熱線が宇治の耳を焼いた。鼓膜がいかれたようで、何とも奇妙極まりない痛覚を残しながらだらりと耳から何か暖かいものの流れ出るのを座して待つしかできない。
冷たい泥が顔中のいたるところに塗れる。爆風とともに目の前の泥を跳ね飛ばしながら上から何かが降ってきた。見ると、つい先ほどまで使っていた銃の機関部と見られる機械の破片だった。
危なかった。今日だけで何度目かもわからないほどに安堵したのもつかの間、今度は怪物をはさんだ反対側の森の中で蛍のような光がちらついたのが見えてしまう。そして、ほぼ同時に撃てと若者が叫ぶ声も。
――――馬鹿野郎、俺がさっきの砲撃でくたばっちまったものと見てやがる!! そう叫んだ罵声は、圧倒的過ぎる大音量の銃撃に巻き込まれて消えていった。
まさか戦闘がこんなに長引くとは……もう1話続きます、お付き合いください