息が苦しい
じわりと鉄の味が広がる口腔の中をなめ回した宇治は、ごほりと草むらめがけて咽せ混んだ。
「…………大丈夫だ」
真っ黒の手袋で口元をぬぐって、残った左の拳で拳銃をぎゅっと握りしめる。ガンパウダーのおかげか、少ししたら喉の痛みは痺れて消えていった。
応急で処置をしたとはいえいまだに塞ぎきっていない生傷が開いて、じわりと赤黒い血液をにじませる。
薬を投与したとはいえ、もう体力も限界に近いな。ベースのある山の中腹までの獣道でそう分析して、とたんにせり上がってきた鈍痛にこらえきれず、再度咳き込む。大丈夫かと覗き込んできた青年を鬱陶しそうに振り払ってから言った。
「もうじき『ベース』、俺達が数時間前に出て行った道路。大路につく……まずはその付近の警報装置が外れているかを調査しろ」
了解。片や勢いよく、片やその勢いに流されるようにして頷いたあと、男たちが方々に分かれる。獣道から外れて、鋭く尖った稲のような雑草たちがひしめく雑木林の中へ。
それを確認した上でただ一人、拳銃を片手に獣道を上りきった宇治は、手頃な草むらの中にしゃがんで『ベース』の方を、天を焼くような炎のせいかそれとものぼり始めた太陽のせいかほのかに明け白んだ空を睨みつける。
ここはベースと密林の境界線。アスファルトがひび割れ、その隙間から伸びた細長く尖った雑草が点々と続く古い道路。車一台ぐらいなら容易く通れるほどの舗装された小道が、真ん中からひん曲がった“通行止め”の標識を境にして苔むした叢林の中に消えていっている。
まるで、自然と文明との境界線のようだ。人が住まうには余りも厳しい密林と、仮にも昔人が暮らしていた廃墟。こんな頽廃的な情景でさえ、この島より遠く北方。祖国の廃墟マニアとされる人々には垂涎の的なのだろうか。トルエン系の興奮物質のためか異常なほどに明るく澄んだ思考のまま、脳裏に言葉を投げかけていっては消していく。
「
「なんだって?」
がさがさと藪の中を食い破るようにして現れた若いフィリピン系の男が、声を低めて告げる。
拍子抜けして思わず、この国で伝わるはずのない日本語で返してしまった宇治は、ぽかんとした彼に対し改めて問い返す。
「一体どういうことだ?」
「どうもこうも、外から侵入された形跡がない。と言うことですよ、指揮官殿」
西洋人系の、彫りの深い顔をした男が草むらの奥からあらわれた。
「他の人員も同じです。俺が確認した限りでは、一カ所たりともワイヤーの破損などは認められませんでした」
ワイヤー式の簡易な警報装置。地雷にも鳴子にも繫がっていないというのが資金も素材もない非正規部隊らしいところではあるが、それでも脚か何かに引っかければ作動するくらいの信頼性はある。それが何処にもなかったということは――――
「本当に、小火騒ぎなのか?」
おそらくは。西洋人系の男は静かに首肯した。
これがただの、内部出火による小火騒ぎと分かってしまえば話は早い……だが、ベースにはまだ負傷者達が残っていたはず。彼らに何の動きもなさそうに見えるのがまた怖い。
ざらざらとした無精髭を左の黒い手袋越しに弄り倒しながら、着々と集まる報告を聞く。話されているのはみな英語かタガログ語だが、その風貌は多種多様だ。
「宇治さん。ワイヤーに異常は……ありません」
最後に宇治の元にたどり着いた男、起爆係だった青年が小銃を片手に告げる。そうか。宇治はぽつりとつぶやき、ご苦労だったなと小さく返した。
ですが、青年がどこか迷ったような眼差しで見つめる。いくらかの逡巡を見せた後、意を決したように口を開く。
「あの……警報装置の確認がてらベースの一角まで近付いてみたんですけれど、そこで妙な音が」
妙な音? 真っ向から疑うような目線を向けられた青年は少したじろいだが、きっと見返して頷く。
「はい。ガスが連続して炸裂するような……圧縮された空気の音。と言いますか……」
一体何が言いたいんだ。宇治はそう溜息交じりに返そうとして、ふと自分の愛銃のことが思い浮かんだ。
誰の趣味だか、本来
「…………」
顎髭にぞりと触れる。酒から醒めた時みたいな、嫌に冴え渡った脳みそをフルに使う。
圧搾ガスのような音。それが、もし仮に、自身の使っていた銃のものならば。みすみす空き巣に入られ、あまつさえ銃を鹵獲されるなんて恥の多いことをしてしまったのならば。それがこの組織の崩壊を意味するのならば。
――――その罪を背負うのは自分である。
「よし、わかった」
ポツリと漏れ出した言葉の続きを、男たちは固唾を飲んで見守る。一挙一動たりとも見逃すまいとする幾条もの視線に突き刺されるような、妙な緊張が走った。
「……一旦、ここで分隊を分ける」
は? 唖然とする男たちを尻目に起爆係だった青年と西洋人系の男を指さし、続いて残った4人を指示して告げる。
「お前とお前の2人は消火。そこのおまえら4人は負傷者を救いに行け」
「宇治さんは?」
決まっているだろう。
精一杯の強がりを表情筋に込め、無理やり頬を吊り上げさせる。手持ちは心もとない拳銃一丁。敵は何人かわからない上にアサルトライフルを持っていかれているかもしれない。
だが、あんな黒い怪物ども相手じゃなければどうとだってできる。内心で決意して、立ち上がった。
「俺一人で、襲撃者をやる」