艦隊これくしょん-詭道の兵-   作:はまっち

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08_誰何の夜を

「散開しろ」

 

 薄らと紅く焼けてきた空の下、宇治はひとりブッシュと廃ビルの間隙を駆ける。

 

 地面に這いずるようにして薄く広がった朝もやの中、足元に細く、ぴんと張り詰めて引き伸ばされたワイヤーを認めて、上体を低くした上でその場に立ち止まる。前傾気味だった体勢をまっすぐに伸ばされたおかげか、前のめりに転げまわりそうになりながらも足に力をこめて踏ん張った。太ももにできた擦り傷、裂傷の類からジワリと体温が流れ落ちた。

 

 こんなものが足元に張り巡らされていると判らなければ、すっ転ぶやつが多発しそうだな。痛みからのがれるように益体もない考え事に手を伸ばし、頭を振ってきっと前を見据える。

 

 ワイヤーに引っかからないよう気をつけて、軍靴の分厚い踵をひび割れたアスファルトに叩きつける。開いた生傷に歯を食いしばる。ぐぎっと、蛙が踏みつぶされたときのような苦く鉄臭い音が自分の喉の奥から漏れ出したのが分かってしまって、どこからともなく湧いた恥ずかしさを隠すべく唇を真一文字にひき結んだ。

 

 「…………クリア」

 

 廃ビルの前を横切るときにざっと銃を向けて確認し、敵がいないことを確認する。

 大路から青年が言っていた場所までは、直線でおよそ100mと少し。比較的老朽化が進んでいないビルのうちの一つだと思われる。

 

 奇しくも、宇治の居室。いや、寝床があった建物だ。

 

 こりゃ本当に鹵獲されてるかも分からんな。チッと舌打ちして、ビルとビルの間。小さな路地裏をクリアリング。誰もいないことを確認すると、件の建物を目指して雑草の生えたアスファルトを踏みしめる。

 

 少し走ると、また大きな通りに出た。もう数軒の廃ビルを過ぎれば、そこはもう目的の建物。びゅうと一際風が強くなったような気がして目を細めた。

 

「……っ」

 

 灯火。ビルとビルの隙間から、どこか暖かみのようなものを感じる橙色が網膜にうつる。

 目をこらす。四辻に小さくはあるがかがり火が焚かれているのを目にとると、宇治は手頃な建物の影に隠れた。

 

 ちょうどよくあった苔の生えた室外機のそばに膝をつき、廃ビルの間を通り抜ける風の群れに耳を澄ます。

 枚を銜んで、聞き耳をたてる。拳銃を握る手がじわりと汗で滲んだような、気がした。

 ぱちりと薪のはじけ飛ぶ音。がさがさと遠くの森がなく音。自分の心音まで、聞こえてくるような気がする。ごくりと、唾を嚥下した。

 

 「……足音」

 

 細かいじゃりが、アスファルトと靴底の間で鳴いた音。聞き入れた瞬間ばっと体勢を立て直す。

 パチリとセーフティーを引き下げ、身構えた。近い。

 息を呑む。砂が鳴く。血液が沸騰する。足音が近づくのが分かった。

 ざり。ざりと足音は近付く。そのたびにどくりと血液は踊る。

 心臓を口から丸ごと吐き出しそうなほどの緊張に、俄然血管が高鳴った。

 

 向こうが近付いているなら――こちらから脅しをかけてやるだけだ。心に決め、薄く口角を引き伸ばして脚に力を込める。

 

 ――――ざり。音の一瞬の間隙を縫って、溜めていたバネを思い切り解き放つように、飛び出した。

 

 「――誰だ!」

 「――誰!?」

 

 人影の眉間に銃口を向ける。

 影から伸びた筒先がこちらをぴたりと狙いすます。

 

 宇治と、人影。かがり火と黎明の日差しを背にしたおかげか、真っ黒い服も相まって人型の影にしか見えないそれとが、どちらも互いに動くことなく黙りこくって見つめ合う。

 

 幾分か経ったように感じたとき、ビルの谷間を一際強い吹き下ろしが駆け抜けていって、二人の間の沈黙を流していった。

 

「銃を下ろせ」

 

 ぽつりと影に向かって吐き捨てる。まるで怨嗟のような低く、どろりとしたしゃがれ声になってしまったが、構わずに銃を擬した黒い闇を見据えた。

 

「……僕のほうこそ下ろして欲しいけど」

 

 はあ。呆れたようなため息と、多少はやめの心音が聞こえてくるくらいの距離感。言葉尻が震えるわけでもなく、多少の緊張しか見当たらない。

 

「女か」

「……それで、いつになったら銃を下ろしてくれるのかな?」

 

 人影は宇治の問いかけを無視し、男にしては高いメゾソプラノでもって尋ねた。

 其方が下ろさない限りには下ろせないな。どこか嘲るような声色を作る。こういう状況になったら、もう何かの機会に殺すか殺されるかの早撃ち合戦が始まる。それしか起こりえないことは、宇治がよく解っていた。

 

「……………まあいいさ、僕が折れてあげる」

 

 宇治の胸に突きつけられていた銃が、ふいと右にずれて地面を向いた。

 同じようにして銃口をそらした宇治に、人影は語る。

 

「それで、君は誰? なんでこんなところに?」

「それは……こちらのセリフだ」

 

 口を割ってくれる事はないか。人影はやれやれと肩をすくめ、ふうとため息をついて向き直る。

 

「爆発音と銃声、それとあと足音が聞こえてきたからね。これは近いなと思って見回りに来たんだ」

「なるほど、それは仕事熱心なことだ」

 

 宇治は左手で顎鬚を弄び、人影を凝視した。

 黒く、闇に溶けるような長袖に同じような色合いのフード。暗く影に隠れた手に握られるのは、切り詰められた銃身の特徴的な自動小銃――どこかで、いやあの時(・・・)見たまま泥に薄汚れた木製のハンドガード。

 

 どちらともなく、ごくりと唾を飲み込み喉を鳴らす。

 ぱちり。篝火が小さく火の粉を散らす。

 

「……ともかく。僕は話したよ、だから教えて貰いたいな」

 

 沈黙に負けたように、人影は耳障りの悪いメゾソプラノで言葉をつむいだ。

 

 君が誰で、どこから来て、なんでこんな所に居るのか。一言一言を小さく区切り、分かり易いように話す人影の一挙手一投足に注視しながら、宇治は口を開く。

 その手に、手汗と泥にまみれたその手袋の中に拳銃を思い切り握りしめて。

 

「ご親切にどうも、侵入者さんよ」

 

 宇治の右腕が真っ黒に影の差した顔面にむかって突きつけられ――、それは一瞬の躊躇いもなく火を噴いた。


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