とある幻想殺しの地獄巡礼(円環少女×禁書)   作:棚尾

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 倉本慈雄の細剣が突き出される瞬間、上条は右手を手放した。一歩間違えれば指が千切れ、ついでに命も失うこと可能性もあった一瞬を読み切り、相手のふところにもぐり込む。

 密着してしまえば、相手は剣を振り回しにくくなる。

 ここが、魔法使いと対抗できる距離だ。

 右手を相手の顎に向かって突き上げる。奇跡も宿らないただの拳だが、上条にはこれしか頼りになるものがない。

 上体をそらされ、拳がかわされた。またか、と舌打ちしたくなる。この世界についてから、上条の拳はまともに届いた試しがない。

 男の反撃の左拳が上条の肝臓に突き刺さった。

 息がつまって動きが止まりそうになる。実力で劣っているのは百も承知だ。使えるのはこの身体一つだけなのだから、全身でがむしゃらにぶつかっていくしかない。

 手ごわい敵とはまず距離を取ると、確か瑞希が言っていた。もっとも彼女は勉強から距離を取ろうとしていたなと、場違いなおかしさが込み上げる。

 

 距離をとっても意味が無いことがあるのだ。

 だから上条は、ただ歯を食いしばって、男の下半身に組みつき、そのまま押し倒した。

 勢いそのままに、山の斜面を男ともつれながら転がっていく。初めて魔法使いと戦ったとき、こんな風に吹き飛ばされた。力を持つものとの差を突き付けられた、あの山中でのことだ。

 

 その時から、上条の力は何一つ変わっていない。けれど、身体はすくむことなく動いてくれている。心が折れていないから、戦うことができる。

 

 ようやく停止したとき、上条は男の上をとっていた。引き寄せたチャンスを逃さないように拳を打ち下ろす。

 拳はまたも届かなかった。男の手が、上条の手首を掴んで阻んでいた。

 男が身体を跳ねながら掴んだ腕を振った。体勢を崩した上条は、一人で地面に投げ出される。

 起き上がると同時に右手を前に突き出した。それは、ただ勘にまかせただけの動作だったが、飛んできた魔弾を一つ破壊した。

 直後に衝撃が頭を打ち据えた。続けて攻撃の前触れとなる音も無く、目に見えない衝撃が、上条の全身を襲う。地獄で戦う魔法使いは悪鬼に観測されることのない、感覚の死角を衝いた攻撃が得意だ。戦闘の素人である上条が反応できるはずがない。

 

「ははっ」

 

 額が割れ、血が口元までつたってきたというのに、上条は意味も無く笑っていた。ガタガタになった足は、それでも地面に踏みとどまってくれている。

 戦いと空を飛ぶことになると笑いが止まらなくなる全裸のスピッツのようだった。

 何故かいまさら、関係のないことなのに、この世界でのことを次々と思い浮かべていた。走馬灯のようで縁起が悪いが、嫌な気分にならなかった。

 

 ここは地獄だ。上条当麻に奇跡は起こらない。上条当麻はただの無力な《偽善使い》だ。

 だが、まるで魔法みたいに、力が湧いてくる。

 奇跡に届く手段が無くても、自ら道を選らんで、進むことができる。そして短い間だが背中を押すには十分な、いくつもの出会いがあった。

 初めは戸惑うばかりで、何がなんだかわからなかった。魔法使いはこちらの常識では測れない存在で、どうしようもなく振り回されるばかりだった。

 

 だがこの《地獄》で、魔法使いの生き方と魔法に託す願いにふれた。

 そして、魔法使いに関わるこの世界の人の決意を聞くことができた。

 でも、少しだけだ。だから、もっとこの世界に関わっていたいと思えた。

 そのためにも、上条はここで退くことなんてできなかった。自分がどうして、こんなに意地を張っているのかわかった気がした。

 せっかく特別な世界にいるというのに、何もしないままで、関わることを放棄するなんてもったいないと思った。

 自分が無力だとしても、チャンスがあるのならば、上条は手を伸ばす。その手がいつかどこかに届くと信じて、魔法使いが魔法を信じて願いを託すように、上条当麻はこの右手と自分自身に願いを託す。

 それしかできないことを、上条当麻は十分に思い知った。

 

「ほんとに、俺ってはた迷惑な存在なのかもしれねえな」

 

 迷惑で身勝手この上なく、周りのことを無視して、自分の願望を優先しているだけかもしれない。

 それでも、上条当麻は進むことを選んだ。

 

 奇跡なんていらない。

 この身体一つで十分だ。それで上条当麻は世界と対峙していける。

 

 その思いに、地獄で応える神などいない。だから、この状況で上条の身体を支えた者は、実体を持った確かな存在だ。

 その手は力強く、その身体はたくましく、その正体は不幸続きの上条がこの世界で出会った、ただ一つの幸運だ。

 

「そこまでにしてもらおうか、倉本慈雄。いや元神聖騎士団団将、マルク・フェルゼー」

 

 全裸が正装の錬金魔導師、スピッツ・モードが上条の傍らに立っていた。

 

「公館の刻印魔導師か。もう追いついてきているとは意外だね」

「倉本きずなを監視していたところに貴様が現れた。瞬間的に脱衣したら悪鬼の駅員に阻まれてしまったものの、方向がわかれば空を飛んで追うことなどたやすい」

 

 きずなたちと上条たちの電車が出た後に、駅員と全裸の壮絶な攻防が繰り広げられたと思うと、なんだかおかしな気分になった。

 

「錬金魔導師が服を着るなんて、考えてもみなかった。戦士としての誇りは故郷に置いてきたのかな」

 

 地獄に落とされた錬金大系魔導師にとって最大の皮肉だ。しかし、スピッツは熱くなることもなく、冷静に慈雄を見ていた。相手の実力を測ろうとする戦士の眼だ。

 

「上条どのが無事でなによりだ。途中何度か悪鬼に観測され墜落しかけたが、地獄で空を飛ぶことに関して拙者の右に出る者などいない。公館にも事態は連絡済みだ。幻影城の扉の出現地点には《魔獣使い》どのが、こちらには《沈黙》が向かっている」

「そいつはまずいことを聞いたな。公館の塵殺悪鬼、中でも《沈黙》は流石に怖い」

 

 《魔獣使い》と《沈黙》。公館の専任係官は魔法使いが畏怖する地獄の恐怖の象徴だ。だが、倉本慈雄はそれを相手にする覚悟はとっくにすませたとばかりに、動じた様子を見せない。

 スピッツが来ても事態はそこまで好転したわけではなかった。倉本慈雄は並みの魔法使いではない。かなりの実力者だ。

 

「上条どの、ここはおまかせを、早くそれを持って逃げてくだされ」

「そんなこと、できるわけないだろ! 俺はあいつをぶん殴る」

 

 助けてもらってばかりで中途半端な覚悟の自分はもういない。これはもう自分で選んだ、上条当麻の戦いなのだ。

 どっちみち相手が上条をすんなり逃がしてくれるはずもない。本当なら上条が慈雄を足止めして、《鍵》を使えるスピッツが幻影城に逃げるのが一番だが、上条が真正面から一人で戦っても時間稼ぎにもならない。

 時間が経てば《沈黙》という専任係官もくる。その正体を上条は知らないが、公館の専任係官がこの《地獄》では、どんな強力な存在なのかはわかる。

 ただ時間を稼ぐだけでいい。ヒーローならかっこよく敵を倒し、颯爽とヒロインを助けにいくところだが、上条には役者不足で、そんなことできないとよく知っている。

 だが、ヒーローなんかじゃない《偽善使い》でも、貫きたい意地がある。

 

「ふははっ、ふはは。上条どのも、ようやく“魔法使いらしく”なってきましたな」

「スピッツ、何言ってんだ。俺はただの無力な《偽善使い》だ。魔法なんか使えない。毒にも薬にならねえ言葉を吐いて意地を張るだけのただの馬鹿だよ」

 

 ここが学園都市とは違う特別な世界だから、自分まで特別になったように錯覚していただけだった。もともと上条は、右手の《幻想殺し》を除けばただの普通の高校生だ。

 気づいてしまえばたいしたことはない。上条当麻は奇跡も超能力も使えない無能力者だから、いつも出来ることなんてひとつしかない。

 

「けどな、助けたいやつがいて、ぶん殴りたいやつがそこにいる。なら、やることは一つだろ。これは俺みたいな馬鹿でもわかる。迷う必要なんて何もねえよ」

 

 身体にはまだ力が入る。《鍵》はまだ手元にあって、倉本を救える可能性はまだ残っている。

 スピッツが上条の横に並ぶ。上条が一人だったら、こんな可能性はなかった。上条の代わりにスピッツがいても、一人ではやはりどうしようもなかった。

 二人がこの場にいるから、運命が変わるきっかけをつかめる。

 

「拙者は上条どののような戦いに足る力と精神を持たないものを戦場に駆り出すことは、義のために戦う者の道理に反すると思っていた。戦場には真に戦士足り得る者だけが立てばよいとな」

 

 スピッツが感慨深げにつぶやく。そして全裸の戦士は、この《地獄》で共に戦う覚悟を持った者の存在がいる喜びに、心を震わせた。

 

「しかし、上条どの。今のそなたはもう、立派な“戦士”だ」

 

 スピッツは両手を広げて身体を低くし、全身に力をみなぎらせる。上条は拳を握り込み、あたりに視線を巡らせる。致命的な魔法をこの右手で叩きつぶせなければ、二人の命はあっけなく散る。

 

「君たち二人で止められると思っているなら、舐められたものだね」

 

 慈雄が静かに細剣を構え、スピッツと上条を見据える。再演のバベルの裏側で、本来はありえなかった舞台ができあがった。

 倉本慈雄は積みかさねた時間に込めた祈りと、願いを叶えるために剣を取る。彼の本来の舞台はここではないとばかりに、その瞳は遠くを見つめていた。

 

「元神聖騎士団団将《慈悲深き剣》マルク・フェルゼー。残念だけど、君たちとの戦いに時間を掛ける暇は、もうない」

 

 スピッツ・モードは、己が誇りと責務を果たすためにその身を晒す。戦いを前にして、心の底からあふれる歓喜に全身を震わせた。ここが、戦士の晴れ舞台だ。

 

「戦士の作法にのっとり名乗らせてもらおう。錬金大系魔導師、スピッツ・モード。推して参る!」

 

 上条当麻は、ただ意地を通すために、その拳を握りしめる。わずかな可能性を掴み取るために、彼は自らの意思で舞台に立つことを選んだ。

 

「俺は魔法使いでもなんでもねえただの上条当麻だ。だがな、お前だけはぜってえぶん殴る!」

 

 一人の少年の存在のきっかけに、物語は神様すら思いもよらない方向にまわりだす。幻想などない、厳しくも荒れた舞台で、それでも役者たちは願いを、祈りを込めずにはいられない。

 

 

 

 

 魔導師公館は《大気泳者》スピッツ・モードからの報告を受けて、すぐに動き出していた。

 惨劇のあった駅に設置された監視カメラには、例の少年、上条当麻が映っていることが確認された。その手に神人遺物の《鍵》を持っていることも判明している。相手は染血公主か、または倉本きずなと一緒にいるところが目撃された倉本慈雄だと予想された。

 現地のスピッツ・モードから、その後に連絡はない。そのまま交戦に入ったのだろう。専任係官《沈黙》はすでに現場に向かっているが、現場に到着するころには、《鍵》もなく死体が二つ増えているだけだという状況が十分にあり得た。

 上条当麻というただの少年を巻き込んでしまっていることも、専任係官に酷な現場に行かせることにも、京香は苦い思いで、胃が痛くなる。

 ただ上条当麻の存在をきっかけに、公館は聖騎士や染血公主に先手を打てる可能性を得られた。

 後悔しても事態の進行は止まらないのだから、打てる手を全て打つしかない。それが、魔導師公館という、大人の組織を預かるものの責任だ。

 

「…………」

 

 公舘の会議室で神和瑞希はいつにも増して不機嫌そうだった。《沈黙》はとっくに出動したというのに、瑞希は出動に待ったをかけられていた。瑞希と一緒に攻撃要員に選ばれたもう一人の男がまだ到着していないのだ。

 

「……もういい、わたし一人で十分……だから……」

 

 本当はすぐにでもきずなを助けに行きたかった。きずなは彼女にとって初めての友達なのだ。なにより、攻撃要員に選ばれたもう一人の男のことを、瑞希は好きではなかった。しかも、その男は共闘には絶望的に向いていない。

 

「今回は敵の抹殺だけでなく、染血公主と聖騎士が仕組んだ再演そのものを崩す必要があります。もうしばらく待ってください。溝呂木さん、例のものの準備はできましたか」

「《茨姫》の力も手伝って、ものの準備はすぐできたが、十崎君も無茶を考えるな。幻影城は神人が残した最大級の魔法遺跡だぞ」

 

 いつも率先してとんでもないことをやらかす溝呂木が珍しく苦笑いをしていた。それくらい京香の提案した作戦は、無茶なものだった。

 

「だからこそです。再演を止めるには、舞台そのものをひっくり返す必要があります。徹底的に破壊するには、この方法を使うしかありません」

 

 幻影城で行われようとしているものは歴史を書き換える大規模な魔法儀式だ。それは生半可な力では止めることはできない代物だが、幸いにも公館にはこういった舞台をひっくり返すことが得意な専任係官が何人かいる。

 

「しかし荒っぽい方法なのは確かだ。倉本きずなの救出はどうするんだね」

「首尾よく《鍵》を確保できれば、それを使うのが一番ですが、それが叶わないときは捨ておきます。我々の目標は幻影城で行われる再演の阻止、ならびに敵対魔導師の抹殺です」

 

 組織の論理は非情だ。常に第一目標が優先され、あとは二の次、三の次になってしまう。だが裏を返せば第一目標を達成することができさえすれば、現場の手段はいくらでも正当化できるということでもある。きずなを助けるついでに、再演も無茶苦茶にしてしまえばいいのだと、瑞希は静かに決意をつぶやく。

 

「……きずなは、私が絶対に助ける……から」

 

 瑞希の不穏な考えを察しつつも、京香はそのことにあえて言及はしなかった。現場の士気が上がることは結構なことだし、専任係官をがんじがらめに縛ることに意味はない。

 

「そろそろ彼が到着する時間ですね」

 

 会議室の扉があけ放たれ、公館の切り札、最悪の専任係官が姿を現わす。

 神和が口を紡ぎ、目をそらす。この男の前で魔法使いは声をあげることさえ命とりとなる。

 

「待たせたね。さあ主役の登場だ」

 

 キザな仕草とシャツを無駄に肌けたアホまるだしのこの男の名は《破壊(アバドン)》八咬誠士郎。

 その名は悪鬼とは異なる、もうひとつの、すべての魔法使いの悪夢。

 

 幻影城第一次攻撃部隊。

 専任係官《魔獣使い》神和瑞希、《破壊》八咬誠士郎。

 彼ら専任係官は、敵対する魔法使いを鏖にするまで止まらない。その力を持って、地獄の恐怖の象徴としての存在を示す悪鬼たち。ここは魔法使いにとって、どうしようもない地獄だ。

 

 

 

 

「ふはっ。ふははははははっは」

 

 スピッツは笑い、地面をすべるように高速で飛翔する。

 錬金魔導師は触れるものの性質を操ることで、自身の肉体を無双の武器とする。錬金魔導師の突撃を前にしては、何者も阻むことはできない。

 大気を自在に泳ぎ、あらゆる障害をなぎ倒す戦士。

 それが《大気泳者》スピッツ・モードだ。

 軌道にある草花を刈り取り、木々を次々となぎ倒しながら、屈強な肉体が空を泳ぐ。

 

 スピッツの突撃を前に、倉本慈雄は細剣を縦に構え、刃を指でなぞった。金属同士が擦れる金切り音とともに細剣が輝き始める。そして、刃をなぞった指先には小さな紫炎がともっていた。紫色の炎は瞬く間に燃えあがり、倉本慈雄の手を覆っていく。

 空を飛ぶ加速を乗せたスピッツの突撃を、倉本慈雄は紫炎を通した細剣ではじき返した。

 スピッツは瞠目する。聖騎士が剣の強化に使用する聖別の魔法とは、明らかに格が違っていた。倉本慈雄は細剣そのものを、高密度に凝縮された魔弾の塊に替え、その単純なエネルギーの発露でスピッツの身体を吹き飛ばしたのだ。

 倉本慈雄の手に宿って紫炎の正体は《聖霊炎》だ。その炎は大気を振るわせ音を奏でる即席の神音楽器となる。この炎を起点に、倉本慈雄は高度な魔法をいとも簡単に使いこなしていた。

 単純な筋力はスピッツの方が上回っている。魔法の力でも、接近戦では錬金魔導師が優位を誇っていたはずだった。

 

 だが倉本慈雄はその不利を、持ち前の技術と神音魔術の汎用性の高さでくつがえしていた。

 

 《聖霊炎》に軽く細剣を通すだけで、無数の魔弾が生まれた。スピッツは殺到する魔弾を振り払おうと、木々の間を縫うように飛ぶ。しかし、魔弾はピタリとスピッツと同じ軌道を描き離れない。照準魔術の精度がけた違いに高いのだ。

 倉本慈雄はまるで、弦楽器のソリストのように、細剣を弓に振い魔法をかき鳴らす。

 

「こっちだ、このやろう!」

 

 万能の即席楽器を手にした神音魔導師に、自由に魔法を使わせるわけにはいかない。上条は危険を承知で、拳を握りこみ前進する。

 同時に、魔弾を振り切るのをあきらめたスピッツが反転し突撃する。

 

「ふはっ、ふはははっはは」

 

 三者が交差するタイミングは同時だった。

 スピッツの攻撃は魔法がなくてはさばけない。そして、上条当麻には魔法を掻き消す右手がある。ひとつ処理を誤れば、致命傷を負いかねない状況を、上条達は意図せずして作りあげていた。

 だが幸運な偶然は、意図した奇跡によってあっけなく叩き潰される。

 倉本慈雄の姿が、一瞬ゆらめいた。上条は、その正体を一度見ていて知っていた。だから、これがまずい状況だとわかってしまった。

 

 《ゆらぎの化身》、術者自身を魔法的に記述した影。その利点は術者が増えることによる魔法の手数の倍加だ。

 

 突撃したスピッツの身体が化身の剣にあっけなくはじかれた。そして、倉本慈雄が準備していた追撃の魔法で、地面に叩き落とされる。地面に沈んだスピッツに、後ろから追っていた魔弾がさらに追い打ちをかけた。

 そして、上条の拳は簡単にかいくぐられた。魔法で強化した剣を右手で消される可能性を嫌ってか、反撃に倉本慈雄は上条の鳩尾に肘鉄を叩き込む。そして、身体がくの字に折れ動けなくなった上条の側頭部めがけて、流れるように回し蹴りが放たれた。上条は咄嗟に手を掲げて防御するが、足の踏ん張りが効く訳もなく、そのまま地面になぎ倒される。

 魔法が無くても、神聖騎士団団将まで上り詰めた男の体術は、一介の高校生である上条の実力を軽く超えていた。

 

「もう、いい加減にして欲しいね。叶わない願いをぶらさげて、勝ち目のない勝負に挑む君たちは、ひどく無様だよ」

 

 人数的有利も、能力的有利も簡単に覆され、二人は冷たい地面を這いつくばる。けれど、意地が、簡単にあきらめることを許さなかった。

 

「見下してんじゃねえよ。魔法を使えるのがそんなに偉いのか。ずっと一緒にいた娘まで魔法のために犠牲にして、叶える願いがそんなに大事なのかよ」

 

 上条は立ちあがり、まだ拳に握る力が残っていることを確かめる。この拳を一発叩きこむまで、倒れることなんてできない。

 上条当麻は、力を尽くしても叶わない願いがあると知っている。彼がもといた学園都市には、科学と超能力に夢を見て、叶えることができなかった人間がごまんといる。それでも、みんなが下を向いている訳ではない。そしてそれは、この世界でも同じなんだと知った。スピッツのように、地獄に落とされてもなお、絶望しない魔法使いがいる。地獄の悪鬼だと見下され、それでもここは地獄じゃないと戦う大人達がいる。奇跡があろうがなかろうが、戦う意思と意地があれば前に進むことができる。

 だが、それは上条当麻の見てきた世界だ。生まれたときから奇跡が隣にある魔法使いにとって、奇跡に見放された人間は、等しく価値がない。

 

「僕ら魔法使いは、願いを魔法の研鑽と犠牲の果てに掴み取ることができると知っている。だが、君が抱くような決して叶うことのない願いは、人の一生を惑わすただの幻想だ。魔法を見ることができても、その恩恵を受けることができない、幻想に振り回されるだけの君は不幸だよ」

「ふざけんな。例え叶わない願いを抱いているとしても、身の丈に合わない夢を見ているとしても、少なくとも俺は不幸だなんて思わねえ。本当に大切なものを掴みとるためには、そいつがなくちゃなんねえんだ。前に進むために、その先を掴み取るために、それでも願いを捨てるわけにはいかねえんだよ」

 

 魔法をつかえない上条当麻に奇跡なんて起こらないから、手を伸ばした先に掴み取れるものなんて、望んだ願いのかたちには遠く及ばないかもしれない。だからって、何もしないという選択肢はもっとありえない。向いてないからと、叶わないからと願いをあきらめたら、ただ大事なものを奪われ、踏みつぶされるだけだ。

 

「あんたに一発ぶちかまして、倉本を助けるっていう願いは、俺一人じゃ、決して叶わない幻想なのかもしれねえ。だけどな、俺はその幻想を壊せるかもしれないって思っている。俺は一人じゃねえからだ。そうだろう、スピッツ!!」

「ふはっ、ふはははっ、ふははは」

 

 笑い声とともに地面からスピッツが飛びあがった。身体を回転させ、まとわりつく土埃を吹き飛ばす。そして魔法で体表面の状態を調整し、こまかい汚れをそぎ落とした。

 

「よくぞ言った上条どの。このスピッツ・モード。上条殿の願いを叶えるためにともに戦いますぞ」

 

 禊を済ませた全裸の戦士が上条の隣に立った。たくましい肉体のその男は、上条当麻が奇跡なんかに頼らずに、きずなで結んだ仲間だ。

 上条当麻は噛みしめるように、心の底にあるただ一つの思いを吐き出した。

 

「俺はしあわせだ。俺は今、たまらなくしあわせだ」

 

 この言葉は決して偽善でも、ましてや、幻想などでもない。それはこの世界で手に入れた、願いを掴み取るために戦う舞台で、上条当麻を支える思いだ。

 

「そのしあわせな幻想に囚われたまま、君たちにはここで倒れてもらおう」

 

 倉本慈雄の正面にもうひとつ、光り輝く剣が出現していた。

 異質な空気を察知して、スピッツが地面から飛んだ。上条もまた、震える両足に活を入れて、一歩前に踏み出し、右手を前に突き出す。

 

 《導きの光剣》

 

 異なる大系の魔法に反応して文字通り光速で放たれる剣は、あらゆる回避行動を無効にして、スピッツ・モードを確実に撃ち抜くはずだった。

 だが、ただの人間では認識さえ不可能な、奇跡で織り上げられた必殺の魔法が、さらに異質な手段で阻まれていた。

 スピッツは、自慢の高速飛翔に託して、光剣を避けるために飛んだわけではなかった。もっと確実に、魔法を防ぐ手段を使ったのだ。

 

 上条当麻の《幻想殺し》。

 その力は神様の奇跡さえ問答無用で拒絶する。右手を前に突き出した上条の後ろにスピッツは立っていた。光剣の軌道に、上条を挟んだのだ。

 

「これって一歩間違えたら俺、死んでたんじゃないのか」

 

 光剣が右手に当たったのは偶然だ。身体中から冷や汗が噴き出る。わずかな幸運にすがるしかないほど、二人は追いつめられていた。

 

「上条どの、今の行動は戦士として褒められた戦い方ではなかったが、倉本慈雄の攻撃は、拙者の魔法だけではかわしきることも、まともに防御することもできない」

「まあいいさ、スピッツ。だが、俺の実力じゃあいつに一発ぶち込むのは無理っぽい。魔法だって、不幸な俺が、運と勘でいつまでも都合よく防げるわけがねえ」

 

 魔法使いとしての実力の差は、圧倒的だった。勝ち目がないことも、すでに二人は認識していた。だが、これが退けない戦いだということも知っていた。

 棒立ちになる二人に、嵐のような魔弾が放たれた

 スピッツが上条の身体を宙にさらった。それに応えるように、上条は身体をスピッツに預け、ただ追ってくる魔弾に集中した。

 直撃しそうなものだけを選んで右手で破壊する。上条が対応できない軌道に出現した魔法にはスピッツが自ら動き、また上条の身体そのものを振り回して魔法を防いだ。

 

「はは、こりゃあ俺は体のいい盾じゃねえか」

「ふはっ、ふはははは。上条殿は盾にしては、なかなか頼りになりませんな。しかし我々は“魔法使い”、ちっぽけなただの個にして世界と対峙する奇跡の担い手。だから、完成された道具ほど優秀ではなくとも、こうして戦うことができる」

 

 汗を滴らせながら、たくましい筋肉で上条を抱えて空を飛ぶこの男は正真正銘の魔法使いだが、上条当麻は魔法使いではない。本来この世界にいないはずの人間だ。それでも、スピッツが同じ存在だと認めてもらうことが、たまらなく嬉しかった。

 機動と攻撃に特化した《魔法使い》スピッツと、魔法を破壊する右手を持つ《幻想殺し》と《偽善使い》でもある上条。最強には程遠い矛と盾だが、見ている世界も、よって立つ足場も何もかもが違う二人が力を合わせて戦うことを選んだとき、ここが奇跡燃え尽きる地獄だとしても、彼らの心は決して折れない。

 

「そうだな、スピッツ。俺たちはどうしようもなく足りてねえ。だけれど、戦えないわけじゃねえ」

「ふっ、ふははっ、ふはははははは。そうだ上条どの。その通りだ。ふはっ、ふははっははっはっは」

 

 ひと際豪快に、スピッツが笑った。

 スピッツが上条を背中に乗せた。筋肉隆々の男の背中は、空中であっても安定感があった。スピッツが魔法で気流を制御しているおかげだった。

 

「これをやるのは姉上以外では上条殿が初めてだ。しっかりと乗りこなしてくだされ」

「ふはっ、そいつは楽しいじゃねえか。お前の背中に乗ってなら、俺はどこへだっていける気がするぜ」

 

 上条当麻も、豪快に笑ってスピッツに応えた。

 上条はスピッツに乗って、空を泳いでいた。重力に逆らい、大気を引き裂き、魔弾の嵐をかいくぐる。まるで、世界を支配していると錯覚させるほど、自由だった。夕闇の空を、今なら翼を羽ばたかせてどこまでも、願う場所へ飛んでいけそうだ。

 絶望的な戦いに身を投げているというのに、気分はかつてないほど興奮していた。ここが、魔法使いの世界なのだ。ふと、スピッツ・モードは上条を背中に乗せてどんな世界を見ているのだろうか気になった。

 闘争の熱に浮かされたスピッツの瞳は、焦点があっていなかった。二人が根を置く世界は、まったく違っている。だが、一人では見ることのできなかった世界が、確かに目の前に広がっていた。

 

 魔弾が途切れた隙をつき、上条を乗せたスピッツが上空から急降下突撃を仕掛けた。上条は振り落されたないように、スピッツの肩を掴み、背中に密着する。

 こらした目の先にいるのは、倉本慈雄の化身だ。完全に魔法で形成された化身は《幻想殺し》で消し去ることができる。

 化身が地面に剣を突き立てた。同時に派手に土煙が舞い上がり、視界が塞がる。

 

 唐突な違和感に寒気がした。

 

 スピッツの戦士の本能が、突撃を中断させた。降下のエネルギーを利用して、速度を維持したまま急上昇に移る。

 急上昇によって生じる強い重力に堪えているうちに、上条はあの寒気を伴う違和感の正体に気づいた。

 

 あの時、倉本慈雄の周りから、音が消えていたのだ。

 

 スピッツの身体が魔弾の直撃を受けたのか、大きく揺らいだ。上条には、その前触れを全く感知できなかった。不意の衝撃に、ボロボロになった上条の身体は、宙に投げ出される。

 地面に落ちていく上条の回りを、流れ星のような光が通り抜けた。そして、生暖かい液体が上条の身体に降りかかる。

 夜の透き通る空気を塗り替えるような、鼻を衝く汗の混じった据えた匂い。月明かりに照らされ、暗さと同化した赤褐色のそれは、戦う意思と身体を支える命の源だ。

 だから、悔しさと怒りと悲しさがないまぜになった、激情が溢れた。余計な音が消えた世界で、感情にまかせた叫びがこだまする。

 

「スピッツゥゥゥゥゥ!!」

 

 上条とスピッツの、夢のような黄金の時間はあっけなく終わりを告げる。

 空を見上げる視線の先、空を自在に泳ぐスピッツ・モードの身体を26本の光剣が貫いていた。

 

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