とある幻想殺しの地獄巡礼(円環少女×禁書)   作:棚尾

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「ここにはあなたが来ましたか《魔獣使い》。あなたとは、ゆくゆく戦う運命にあるようですね」

 

 神聖騎士団上級聖騎士にて、将来の聖騎士将軍とも期待される若手最強の騎士、エレオノール・ナガンと顔を合わせるのはこれで三度目だ。

 一度目は今と同じ場所、奥多摩の山中で染血公主との交戦中の不意をうち撃退した。だが二度目は、廃ビルの裏路地で双方予想のしなかった形の交戦のなか、瑞希は刻印魔導士のエンド姉弟を失い撤退を余儀なくされた。

 

「今日は……ひとりなんだ……」

 

 瑞希は、肩に担いだ人がひとり入れるほどの大きさの麻袋を乱暴に地面に放り投げる。幻影城攻撃作戦のために公館から持たされたものだが、聖騎士と正面切って戦うには邪魔でしかない。

 

「相手があなたたちのような強敵であれば、私ひとりのほうが、制限なく戦えます」

 

 剣を抱くように大樹の切り株に腰かけていた少女がゆっくりと立ち上がる。待ち伏せ要因に選ばれたのはエレオノールただの一人だが、彼女は時間稼ぎの盾役ではなく、確実に追っ手を屠る刺客として送り出されている。

 神意に透明な心で、彼女は十二人の仲間からの信頼を背負い、戦いに臨む。これから、人殺しをするというのに、少女の目には一片の曇りもなかった。

 

「じゃあ……最初っから全力だ」

 

 戦いに先手を打ったのは瑞希だ。公館の撃墜王の名を欲しいままにする天性の狩人は戦うことに迷いなどなく、ましてや覚悟さえも必要としない。

 《魔獣使い》の魔法が、万物の根源たる《気》のもと、天から稲妻を解き放つ。大気を光速で伝達するその一撃は、速度、威力ともに申し分のない一撃だった。

 だが、頭上に振ってきた天からの怒りを、エレオノールは《光背》を張って容易に受け止めた。

 《魔獣使い》の魔法は自然物を操るが、呼び出す動物や現象以上の威力は引き出せない。エレオノールのような高位魔導士を倒すには、絶望的に火力が足りない。

 だから瑞希は、単発の威力ではなく手数で押し切る戦いを選ぶ。エレオノールを始めとする聖騎士の強固さは身に染みていた。

 雷撃で足が止まったエレオノールに追撃をかけるべく前進、手に握りこんでおいた魔法で生成した溶岩の礫を投げつける。二千度を超える灼熱の溶岩が、エレオノールにぶつかるはるか手前で弾け飛んだ。威力の発現位置を精密に制御された、見えない魔弾で迎撃されたのだ。そして、拡散する礫の中を、爆発的な加速で放たれた刺突が駆け抜ける。

 エレオノールは剣の魔弾化を応用して、止まった身体を強引に引っ張ったのだ。予想外の反撃に瑞希は避けることもできず、刺突を《気盾》で真正面から受け止める。相手の攻撃を自動で相殺する半透明の防御壁がたわみ、衝撃で一メートル後方に吹き飛ばされた。

 

「流石は公館の鏖殺悪鬼。これでも貫通けませんか」

 

 感嘆の声を漏らすその無防備な背中を、突如の霧の中から現れた、灰色熊の獰猛な爪が襲いかかる。元々瑞希は、三段構えの攻撃を仕込んでいたのだ。

 エレオノールは振り返れない。完全に不意をついた獰猛な野生動物の一撃は、しかし届くことはなかった。

 エレオノールの背後に、重なるもう一つの影が、灰色熊を真っ二つにしたのだ。

 《ゆらぎの化身》。返り血をすり抜ける、神意に透明な彼女の心を体現したように清冽な魔法の分身。エレオノールもまた、一切の出し惜しみをしない。彼女にも、先に待つ仲間がいる。

 少女騎士の迷うことなく首を刈りに来た剣戟を、瑞希は気盾をかざして受け止める。初撃で十二層の障壁のうち半分以上が削られ、重ねて放たれた化身の剣が気盾の防御を完全に突破する。

 咄嗟に地面を飛び身体を回転させるが、かわしきれない魔剣が瑞希の白磁の頬を薄く裂く。伝った血が口に入って、斬られたことよりも、鉄錆の嫌な味にうんざりして顔をしかめる。

 エレオノールの追撃の刺突を気盾でいなし、雷撃で化身の足を止めながら、瑞希は一度距離をとる。だが、着地点に、狙いすましたように魔弾が連続で発現する。衝撃に転がされながら、瑞希は困難な状況に追い込まれていることを、より強く実感した。

 意思の統一が完璧に近い二人分の攻撃は、瑞希に反撃の隙を与えない。一撃の威力は言わずもがな、攻撃の手数も追いつかれた。

 だが瑞希は《気盾》という高性能な防御魔法だけでなく、その気になれば身体を復元することもできる優秀な回復魔法も扱える。威力は足りなくても技の多様さは、相手の攻撃を決して致命傷には届かせない。

 

 負けないことならいくらでもできた。しかし《魔獣使い》の魔法は、勝つには決定打が足りない。

 

「魔獣使い、一人きりで戦う、あなたに勝ちはありません」

 

 エレオノールの化身が歌い、魔法で作られた透明な鷹達が一斉に飛びたつ。視界を埋め尽くすほど大量に放たれた魔弾が、まるで壁のように迫ってくる。

 

「あなたも……今は……ひとり……」

 

 次々に着弾する魔弾を飛んでかわしながら、瑞希は言葉をエレオノールに投げつける。魔弾の壁の向こう、涼やかな声が不自然なほど、よく通って帰ってきた。

 

「我ら聖騎士は、積み重ねられた祈りをつなぐ人の鎖。私の剣には、仲間の神意が宿ります」

 

 瑞希は戦うときはいつも、一人きりだった。家族である代々の《魔獣使い》は魔法でしか身体を維持できなくなり、瑞希が前線で戦うようになってからは一緒に家から外に出ることなどない。そして使役する式神、刻印魔導士は人ではない。あれは道具だ。

 一人でいることなんて当たり前だったし、それで戦ってきた。だから、エレオノールが言うことなんて、少し前の瑞希では理解できなかっただろう。

 だが、今は違う。戦うことに覚悟なんていらないが、大切なものができた。決して勝ちを拾えなくても、負けられない理由ができた。その大切な存在は、確かに瑞希の背中を押す力となっている。

 

 魔弾の壁を切り裂いて、エレオノールの必殺の刃が一閃する。

 

 避けられるタイミングではなかった。そして、威力と速度が今までの斬撃とはけた違いだった。気盾でも受け切れないないだろうと、瑞希の狩人の勘が告げていた。

 見えない魔弾を使えるエレオノールが、わざわざ視認できる魔弾を大量に放った。それ自体が目くらましで、瑞希の動きを誘導するためのものだった。

 避けることも、受け切ることもできない必殺の一撃に対して身体が勝手に動いたかのように瑞希はただ前に一歩踏み込んで、右手を真っ直ぐに突き出す。

 

 胸にともる大切な思いがあったから、瑞希は臆す必要もなく、その動作はごく自然なものになった。

 

 この右手を捨てて命を危険に曝してでも、彼女には守りたいものがある。

 

 エレオノールの斬撃は気盾の障壁をあっという間に突破し、突き出した右手ごと、瑞希の身体を両断しにかかる。

 だが、踏み込んだ瑞希の行動は迷いが無かったからこそ、エレオノールの斬撃が命に届くより早かった。

 一つの攻撃でも届かず、手数でも追い抜かれた。ならば、相手の力を利用するまでだ。

 右手を犠牲にしながら、剣戟と交差するように放たれた瑞希の左の掌底が、エレオノールの光背を削り切り、顎を打ち抜く。エレオノールの高速の突撃する力も加えた捨て身の一撃だ。

 その一瞬の交錯の中、エレオノールの魔剣が爆発した。

 衝撃に身体が無理やり引き離され、瑞希の右手が宙を舞った。生きてる左手を地面につき、両足で身体を支え、吹き飛ばされながらも瑞希は地面に踏みとどまる。

 

「……っ……く……」

 

 エレオノールが膝を地面につき、顎を押さえる。骨が砕けたのか、まともに言葉を発せていなかった。顎を打ち抜かれ、脳を直接揺さぶられたにもかかわらず、意識を保っているのは直撃の瞬間、エレオノールは魔弾化した剣のエネルギーを解放させ、瑞希の掌底が意識の深いところに届く前に無理やり距離を離してダメージを軽減したからだ。

 すかさず化身が魔弾の弾幕を張り、歌えなくなったエレオノールが回復する時間を稼ぐ。

 エレオノールが直ぐに動けないと見るや、魔弾をかわしながら瑞希も吹き飛ばされた右手を拾いにいく。

 右手を捨てる気で仕掛けた攻撃でも仕留めきれなかった。カウンターを警戒されてしまえば、瑞希の攻撃はほとんど手詰まりになってしまう。

 

 ここで戦って、きずなを助けられるのかという疑問が頭をもたげた。

 

 地面に落ちた右手を拾うや、戦闘に入る前に放り投げた麻袋が目に入った。戦闘が始まる前から、不気味な鳴動を繰り返しているこの麻袋の中身は、いわば爆弾だ。幻影城の再演の儀式を破壊する、魔法に対して絶大な威力を誇る代物。だがこれが炸裂したとき、同じ場所にいる魔法使いが無事でいられる保証はない。きずなは幻影城の《鍵》を《沈黙》が入手したのちに救出する手筈になっているが、そう首尾よくことが運ぶとは限らない。

 麻袋を瑞希は担ぎあげる。決断をするのに、数秒も考える必要はなかった。

 この中身のことなど、瑞希にはどうでもよかった。彼女の大事なものは、今も幻影城で怯えているだろう、友達だ。

 麻袋をエレオノールに向かって投げつけ、瑞希は背を向ける。

 化身の魔弾が、無造作に宙に放り投げられた麻袋を打ち抜いた。

 破れた麻袋から吹き出したのは、赤黒い身体に取ってつけたような牙を顔にもった触手。《茨姫》オルガ・ゼーマンが魔法で創り出した無限増殖する凶悪な原初の怪物たちだ。波濤となって押し寄せるそれをエレオノールの化身が剣の冴えで切り伏せる。

 魔法生物のタールのように鼻をつく体液、赤黒い臓物と鳴動する肉体の壁の向こう、青白い炎が散った。それは《茨姫》の仕込んだ魔法生物と異なった、観測するあらゆるものを徹底的に《破壊》する爆弾。

 細やかに、不安定に明滅するように揺らめくその炎は、すべての魔法使いの悪夢。

 

「………っ……」

 

 その正体を見て、思わず息をのんだエレオノールが、木陰に姿を隠す。これの前では魔法使いは身をさらすだけでも命取りになる。

 

 カオティック・ファクター《破壊(アバドン)》

 

 《破壊》の魔法は、術者が観測する全てを、その青白い炎で破壊する。魔法消去に極端に弱いこの魔法は、魔法や魔法で作られた物、魔法使い、地獄の物の順番に影響力が弱まり、都市部のような悪鬼のいる地獄の環境下ではあまり役に立たない。だが悪鬼のいない山奥でその魔法を遮るものなどなかった。魔法消去環境から解き放たれた《破壊》の青白い炎は、魔法を容赦なく喰らい尽くす。

 麻袋の中身で、人間爆弾と化していたのは専任係官、《破壊》八咬誠士郎だった。肌けたシャツは魔法生物にかじられたのかほとんど破かれ、その下の肉体には幾つもの細かい傷があった。キザな性格を表していた、驚くほど白かったズボンは、魔法生物の残骸と体液で見るも無残に汚れきっていた。

 エレオノールの見えない魔弾が八咬の身体を打ち抜く。魔法に青い炎が反応するも、不安定な炎は衝撃を殺すわけでもないから、八咬は地面を転がされる。

 八咬は重く、思ったように動かない身体で、ふらふらと立ち上がる。

 

「まっはく、ひほいことをするなあ」

 

 呂律が回っていない。地面に転がったときに付いたのか口元には泥がついたままで、意識も半ば酩酊状態だ。表情も麻痺が残っているのか、わずかに引きつっていた。。

 八咬は、公館で麻酔を打たれて強制的に意識を奪われ、さらに《茨姫》の魔法生物を身体の周りに敷き詰めることで、魔法消去によらず強引に《破壊》の魔法を封じられていたのだ。

 《破壊》を封じた状態で幻影城の扉を突破し中に入り込む。そのあと麻酔が切れ、《破壊》が目覚めれば完全な魔法構造体である《幻影城》は破壊し尽くされ、再演どころではなくなる。京香が選択した八咬の人権を無視する強引な方法だ。

 それを、瑞希は台無しにした。公館の作戦では、きずなの安全性はあまり考慮されていない。

 麻酔が切れるより早い時間に強引に目覚めさせられたから、八咬の意識も《破壊》の魔法も不安定だ。観測がぶれて魔法がまともに発動していない。

 エレオノールの魔弾が八咬を弾く。《破壊》の魔法が不完全なうちに仕留めきれなければ、詰むのはエレオノールだ。

 

「きいへはほうきょうとひかうようだけど、ほくのやることはかわらないよ」

 

 魔弾に連続で打たれながらも八咬倒れない。両手を広げて身体に魔弾を受け止め、余裕を見せたいのか、ゆっくりと前髪を掻き上げる。だが、ボロボロの半裸体では、気障なしぐさがちっとも決まってなかった。

 だが、八咬の周りの青い炎が徐々に密度を増していた。

 エレオノールの魔弾が、いくつか着弾前に青い炎に焼かれた。魔弾が起こす微妙な大気の変化が八咬に観測され始めたのだ。

 《破壊》はもうすぐ完全に鞘から解き放たれる。八咬が腫れた顔のまま、瑞希を振り返らずに言う。

 

「ここは任せたまえ、《魔獣使い》。君も愛のために行くのだ」

 

 燃え上がる青い炎に振り返ることも、返事をすることもせず。瑞希は幻影城の扉に向かった。

 瑞希はちぎれた右手を魔法でつなぎ、霧から桃を作りだした。扉の前に立ち、桃の甘い匂いを思い切り吸い込む。他の生徒や先生に見つからない学校の屋上できずなと魔法で作った桃を食べた。仕事でつきまとっていただけなのに、彼女は友達だと言ってくれた。瑞希に、家族でも、同僚でも、道具でもない初めて魔法使いの友達ができたのだ。嫌われたくないと思った。泣いて欲しくないと思った。きずながそばで笑っていると瑞希は安心する。

 しあわせな思い出のにおいを嗅いで、瑞希は大事な友達と、その周りが幸せであることを願う。そこに、あのうにみたいなツンツン頭の少年も入れてあげても良い気になった。

 

「わたしは……ひとりじゃない……マイトリー……ともだち」

 

 きずなが苦しむ運命なんていらない。絶対に変えてみせる。

 

「必ず、助けるから」

 

 つないだ右手を握り感触を確かめながら、瑞希は幻影城の扉をくぐった。

 

 

 

 幻影城の扉をくぐった途端、足元の床が勝手ぶせりあがり、きずなはここに連れてこられた。眼下には鏡張りの、透明な水晶の舞台が広がっていた。下から柱が何本も伸びて周りを螺旋状の階段が取り巻いている。柱の間には、何本も銀色の回廊が通っていた。

 幻影城は緩やかに舞台を組み上げていた。まるで、開演前の舞台のように、完成されたように美しく静かで、だがそこに役者がそろっていないからこそ、不完全だった。

 きずなはその中でも一番高い塔の頂上にしつらえられた祭壇の前にひとり立ち尽くしていた。

 ここに来ることを望んだのはきずなだ。再演の魔法には過去を書き換える力があると、彼女は魔法使いの感覚として理解していた。けれど、彼女は新米だから、具体的な方法がわからなかった。

 

「私はお父さんを助けなきゃいけないの。お願い、私は魔法使いだから、それができるはずでしょ」

 

 彼女の願いに応えて、魔法は世界の本を開いた。父親を助けたいという願いが、彼女を衝き動かしていた。

 再演大系は世界を一冊の本として観測する。再演の魔法は本につづられている“文字”を書き換え“文”を作り、読み手が“意味”を見出すことによって“物語”を作る。世界は新たに作られた物語をオリジナルとみなすから、過去が書き換わるのだ。

 そして、その文字の正体は魔法使いだ。再演大系は魔法使いを操り物語を再演させ、己の欲望のままに世界を書き換える。

 過去にこの城では、何度も歴史改変が試みられていた。時には数千人規模からなる軍隊同士がぶつかることもあった。再演が行わる度に、幻影城は魔法使いが持ち寄る欲に応えて構造を変えた。成功も失敗も、数多くの欲望を取り込んで、この城はある。

 そして、その再演の中心には様々な再演魔導師がいた。自ら望んで儀式をおこなうもの、きずなのように、失った物を取り戻そうと縋るもの。追いつめられた末に決断を迫られるもの。歴代の再演大系の使い手達の葛藤がきずなには見えた。

 幻影城は過去の歴史を悲劇も喜劇も区別なく、知識として際限なくきずなの頭に詰め込む。魔法に抱いていた、世界が今より広がって、少しずつしあわせを積み上げていけると信じていた希望が、すべて嘘なのだと歴史に突き付けられたようだった。

 彼女の父親を助けたいとう願いが、過去に塗りつぶされた気がして吐き気がした。そして、自分がここにいる意味を理解して、頭が熱くなった。

 

「なんで、どうしてこんなに都合よくすべてが揃っているの」

 

 城の中にはきずなをここに連れてきた染血公主がいた。彼女に襲いかかった聖騎士達がいた。彼らは何をするでもなくそこに佇んでいる。まるで、開演前、舞台上に待機する役者たちのようだ。

 これに似た状況を再演魔術は自動的に世界という本から歴史を参照した。

 三千年前、聖騎士達は一つの魔法実験を行った。その日、聖騎士達は完全索引である《神の辞書》から神が降臨するための《神の門(バブ・イル》を構成する神音を引き出そうとして失敗した。

 ジェルヴェーヌも聖騎士達も、その歴史のやり直しを、バベルの再臨を望んでいる。再演魔術による儀式は、術者が生きて観測さえすれば何も知識も技術もない魔法使いでも成立する。

 

 ここは、生贄の祭壇だ。きずなは歴史を書き換えるための再演魔術を維持するだけの存在として捧げられようとしているのだ。きずなをここに立たせる、ただそれだけのために父が死んだのかと思うと悔しさがこみ上げた。

 

 これから自分がどうなるか不安だった。新米の彼女が、ジェルヴェーヌや歴戦の聖騎士達を出し抜いて父を助けることなど絶望的だった。

 

「いやだよ。こんなの。助けてよお父さん」

 

 誰か助けてほしいと、もう一度父に会いたいと思った。似ていない親子だとよく人に言われてきたが、きずなにとっては、17年間育ててくれた大事な家族だ。

 再演の本がまたきずなの願いに応えて、父の面影を追ってページをめくる。 

 悪鬼が側にいるときは魔法消去のせいで、本が虫食いになってしまうから、飛ばし飛ばしに、過去を追いかけていく。

 そして、父の足跡を辿っていて、思いもよらないものに出会った。

 倉本慈雄を中心に見た世界にきずなの姿は無かった。トラックの運転手だった父は数日に一度家に戻ると、食事の時以外は直ぐに工房に引っこんでいった。外から、眺めていると、こんなにも二人の間には距離があったのだと気づかされる。

 きずなは驚くほど呑気だった。今がそうであるように、父しか頼れる人がいなかったから、それが当たり前だと思っていたのだ。

 

「わたし、魔法が使えるって、もっといいことだと思ってた。それなのに、どうして、こんなことばかりするの。わたしは、ただしあわせに、もっと普通でいたかった」

 

 きずなの知らない場所と時間で、父はジェルヴェーヌと会っていた。そこで、当たり前のように、父はきずなの犠牲になることを認めていた。

 見たくもない過去を突き付けられて、それを真実と認めたくないから、父のことを信じたくて、きずなは本のページをめくり、運命の分岐点である少し前の時間へ、あの夕暮れのホームへさかのぼる。まだ生きていると父と、何も知らない呑気な自分を魔法で操って、未来を変えるのだ。きずなは本に向かって右手を伸ばし、過去へ干渉する。

 

「お願い、お父さん。私が絶対に助けるから、だから、だからもう、こんなのやめようよ」

 

 あの魔女に刺された夕闇の駅、電車を降りようとする父を魔法で引っ張ろうとした。未熟な彼女の魔法は不完全で、まだ物を引っ張ったりすることしかできない。だから奇跡は無残にすり抜け、何も起こらなかった。

 

「どうして、どうしてよ。魔法はなんでも起こせるんじゃなかったの。こんなの、こんなのってないよ」

 

 眼の前に広がった過去の中で、父がまたジェルヴェーヌに刺された。きずなはそこでも愚かなままで、ジェルヴェーヌにそそのかされて幻影城の扉を開く。再演大系は心を操れる訳ではないから、過去のきずなに、それが駄目なことだと伝えられない。

 涙が止まらなかった。何もかも全て無かったことにしまいたかった。

 父の“文字”を、せめて最後まで見届けようと、本を見つめる。

 

「え、どうして、どういうこと」 

 

 父の文字は消えなかった。そして、本の中では見えない“誰か”と戦っていた。そこに虫食いができている訳ではないから、その誰かは悪鬼ではない。

 それは、魔法を支える神様からの観測すら拒絶する、きずな達魔法使いとも、悪鬼とも違う異質な存在。

 

 きずなは、そこに否応なく惹きつけられた。その誰かの正体にきずなは心当たりがあった。初めて悪鬼に魔法を焼かれて、魔法を失うことが怖くなったとき、その人に励まされた。あの夕闇のホームで、彼は自分の名前を呼んで助けようとしてくれた。

 魔法では決して見えない、その人へきずなは右手を伸ばした。姿を捉えることはできないから、再演の魔法は術者の望みに近いものを代わりに世界の本から導き出す。

 そこでは、きずなの大事な友達が戦っていた。右手を捨てて、必ずきずなを助けると宣言していた。公館からも、様々な人間が動いていた。

 胸が少し熱くなった。こんなにも、追い込まれているのに、まだ何かをつかめるような気がして、伸ばした右手に力を込める。

 

 けれど、魔法が見せたそこから少し先の未来は、残酷で容赦がなかった。

 

 父親と、きずなを助けてくれた優しいあの人が殺しあっていた。そして、父親は血だまりの中で、彼女を思い出すこともなく息を引き取っていた。

 

「いやだ、こんなのいやだよ。こんな私のために戦ってくれる人がいるのに、こんなこと納得できる訳がないよ」

 

 こんなに裏切られて、望まぬものを突き付けられても、願いを魔法に縋らずにはいられなかった。彼女は魔法使いだ。彼女にはそれしかできない。だけど、何もできない訳ではない。

 

「お願い。もう一度だけ私のわがままを押し通させて。こんな終わり、私は絶対にいやだ」

 

 《幻影城》の扉を開いた時のように、どうしようもなくなってから、周りを顧みることなく自分のために奇跡を望んでいる訳ではない。願いは染血公主にそそのかされた時と同じだ。けれど今度は助けようとしている人達の思いもすべて拾って、それでも自分のために魔法を使う。

 

 きずなの魔法は過去が見えて、ただし決して心が操れる訳ではないからこそ、人の心に希望を持つことができた。世界も魔法も、きずなにとってはどこまでも残酷だけれど、決して絶望と悲劇だけがそこにあるのではない。希望もあるということを、彼女は色んな人に教えてもらっていたことを思い出した。そしてきずなの魔法は、過去に干渉して、希望を後押しすることさえできる。

 

 きずなはもう一度、世界という本に向き直る。彼女はただの一人で世界と対峙する魔法使いなのだ。

 

 そして父親と、もう一人の魔法では見えない“誰か”に右手を伸ばした。

 きずなは魔法があったから願いをあきらめず奇跡に託してつなぐことを選べたけど、彼は奇跡も魔法もなくても、決して願いをあきらめないのだろう。

 精一杯に右手を伸ばして、叶わないと知っていても願いは捨てられない。きずなからは、そこにいる彼が見えなかった。彼からも、きずなのことなんて見えないだろう。

 

 見えてる世界も存在も、すべてが根底から異なっていた。

 でも、どこかでつながっていることをきずなは信じた。

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